第23話 古井戸の後始末とFランク面談
古井戸の夜番から、一晩明けた。
体は、思っていたほど重くない。
剣を振り回したわけでも、全力で走り回ったわけでもないからだろう。
(でも、なんか変な疲れ方してますね……)
井戸の蓋と結界杭を、何時間もただ見つめていたせいかもしれない。
村で雪を待つときの、あの妙な緊張感に似ていた。
宿のパンを噛みちぎってから、ギルドへ向かう。
◇
朝のギルドは、いつも通り賑やかだった。
ただ、掲示板の横に見慣れない紙が貼り出されている。
——【古井戸周辺 立入禁止】
——【黒い犬等の噂については、必ずギルドに報告を】
「あ、ほんとに貼ってありますね」
昨日の一件で決まったのだろう。
Fランクの子どもたちが、それを指さしながらひそひそ話している。
「古井戸の底から、でっかい犬が出てきて——」
「アメリアさんが槍でぶっ刺したら、“きゃん”って泣いて逃げたんだって!」
「それ、誰情報ですか」
ジンが得意げに話しているのを聞きつけて、思わず口を挟む。
「Eランクのお兄ちゃんが言ってた!」
「……だいたい脚色入ってるやつですね、それ」
「本当はどうだったの?」
「俺たちは上にいたので、下の詳しい様子は知りません。
“すごく大変そうな音がしてた”くらいですね」
「えー!」
不満そうな声があがる。
「いいか。
“よくわからないけど怖そうなもの”を、“わかりやすい武勇伝”にするのが噂ってやつだ」
いつの間にか横に来ていたミリアが、さらりと言った。
「聞きたいなら、いつか自分でCランクまで上がりなさい」
「がんばる!」
子どもたちが一斉に拳を握る。
(単純でいいな……)
苦笑しつつ、受付に向かう。
「おはようございます、レオンさん、ミリアちゃん」
リサが顔を上げる。
「古井戸の夜番、お疲れさまでした。
昨日の記録も、無事に調査班に渡りましたよ」
「そうですか。
下の方は、どうなったんでしょう」
「詳細はまだですけど……
少なくとも、古井戸の瘴気の濃度はかなり下がったみたいです。
結界杭も、今朝見に行ったら静かでした」
少しだけ胸の力が抜ける。
「それと、レオンさんたちには——」
リサは、ちらりと俺たちの後ろを見た。
「ギルド上層から、“個別面談”の申し出が来ています」
「面談?」
「はい。
“Fランクで、ここ最近の黒い何かの報告書に名前が頻出している者”と、“そのパーティメンバー”を対象にした聞き取りです」
「……なんか、選ばれ方があまり嬉しくないですね」
「大丈夫ですよ。怒られる面談ではありませんから」
リサは慣れた調子で笑う。
「むしろ、“今後どう手伝ってもらうか”のお話だと思います」
「それはそれで、ちょっと怖いですね」
「お昼前に二階の会議室にお越しください。
ギルド長代理と、調査班の方が来られます」
「わかりました」
正式依頼の板を見ると、数字は昨日のまま。
——正式依頼達成数:18件/50件
観察依頼の方は、記録数だけがじわりと増えている。
(面談、か……)
村では、そんなもの受けたことはない。
“冬支度足りてるか?”と村長に聞かれる程度だ。
「緊張してる?」
「ちょっとだけですね」
「大丈夫大丈夫。私が横で適度に喋るから」
そう言われると、それはそれで不安だ。
◇
午前中の軽い依頼を一件だけ片付けて、俺たちは二階の小会議室に向かった。
扉をノックすると、「どうぞ」という声。
中には、三人の大人が待っていた。
一人は、見慣れた顔——シルヴァ。
もう一人は、淡い緑のローブを着た女性の書記らしき人。
そして、中央で椅子に座っている、髭をきちんと整えた中年男性。
「来てくれたか」
その男は、落ち着いた声で言った。
「座っていい」
「失礼します」
促されるまま、俺とミリアは椅子に腰掛ける。
「自己紹介がまだだったな。
私はエドガー・トラント。
トラヴィス冒険者ギルドの副ギルド長だ」
シルヴァが隣で軽く手を挙げる。
「こっちは知ってると思うけど、特別調査班のシルヴァ。
そっちは書記ね。“この場で話したことを忘れないために”いる」
書記の女性が、ぺこりと会釈した。
「さて——」
エドガーは、机の上の書類をぱらりとめくった。
「レオン・アーディス。
登録から約三週間。
Fランク正式依頼達成数十八件。
観察依頼報告数六件」
「……はい」
村の収穫量を読み上げられているような気分だ。
「正直に言って、“登録して三週間のFランク”にしては、報告書への名前の出現率が高い」
エドガーは、からかうでもなく淡々と言った。
「市場でのゴブリン。
下水の変異スライム。
空き地の黒い染み。
ギルド食堂の黒い飛び出し物。
ギルド倉庫の黒い固まり。
黒い犬。
古井戸」
「全部並べると、いやですね」
ミリアが苦笑する。
「普通のFランクなら、一つ二つ関われば多い方だ。
……何か、“呼び寄せている”心当たりはあるか?」
「え?」
いきなりそんなことを訊かれても困る。
「そんな特技は、さすがに……」
「冗談だ」
エドガーの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「“呼び寄せている”のではなく、“見つけている”。
正確にはそうだと、調査班から報告が来ている」
シルヴァが頷いた。
「黒い何かの痕跡を、“匂い”や“違和感”でいち早く察知している。
他のF〜Eランクに比べても、突出している。
村でそういう訓練でもしていたのかい?」
「訓練、というほどでは……」
俺は少し考えてから、答えた。
「村では、獣の気配を読むのは当たり前でした。
冬前は、雪崩の前兆とか、山の変な音も気にしますし……
“なんかいつもと違う”っていうのを、よく見てました」
「それをそのまま街に持ち込んだ、って感じね」
ミリアが補足する。
「匂いと、空気と、人のざわめき。
どれか一つがいつもと違うと、レオンはすぐ顔に出るから」
「顔に出てますか?」
「めちゃくちゃ出てる」
自覚はなかった。
「その“顔に出る”のを見て、動ける仲間がいるのも大事だ」
エドガーはミリアの方に視線を向ける。
「コンビで評価している。
——まず、それを伝えておこうと思ってね」
「……え、評価なんですか?」
「怒られる面談じゃないと言っただろう?」
リサの言葉を思い出す。
「ただ、注意すべきこともある」
エドガーの声が少しだけ硬くなった。
「君たちは、“線を引く”ことを覚えつつある。
倉庫のときも、古井戸のときも、“ここから先は上の仕事”と判断して、ちゃんと引き返した。
それは非常に良い」
「はい」
「だが——」
短い間。
「その“線”を、他人の分まで代わりに越えようとするな」
その言葉には、妙な重さがあった。
「どういう……意味でしょうか」
「君のように、“危ない場所を嗅ぎつける目”を持っている者は、“自分が全部見に行かなければ”と思いがちだ。
“他の誰かが代わりに行くくらいなら、自分が行く”とな」
「……」
思い当たるところが、なくはない。
「古井戸の下には、今回C〜B、一部Aランク候補も入った。
それは、“そこまで行くのは、その者たちの仕事だから”だ。
君が今後CになりBになれば、そのときには“自分が行く番”になる」
エドガーは、そこで少し声を落とした。
「だが、今は違う。
今は、Fランクとしての君の仕事に集中してほしい」
「Fランクとしての、仕事……」
「地上の見張り。
子どもたちの話を拾うこと。
黒い犬の噂を集めること。
雑用で街中を回ること。
どれも、上のランクには真似できない仕事だ」
言われてみれば、その通りだ。
「それを続けてほしい。
“脇役”だと思うかもしれないが、街を救うのに脇役はいない」
ミリアが、横でちらりと俺を見る。
「ね? “雑用もちゃんと仕事”って、いつも私が言ってるやつ」
「……はい、すみません。
なんか最近、“黒い何か”の方ばかり見てました」
「そういう自覚があるなら十分だ」
エドガーは満足そうに頷いた。
「それともう一つ。
黒い犬については、今後“敵と決めつけないで観察を続けてほしい”」
「敵と、決めつけない?」
少し驚いて聞き返す。
シルヴァが口を挟んだ。
「黒い犬の痕跡を解析した結果、あれは“瘴気そのもの”というより、“瘴気をまとった何か”という可能性が出てきた」
「何か、ですか」
「魂か、想いか、あるいは別種の魔力か。
まだはっきりしないけどね。
少なくとも、“瘴気の核”とは違う動きをしている」
テオの夢のことが頭をよぎる。
「子どもを噛んだり、井戸まで誘ったりしてるのに、敵じゃないんですか」
「“危険な存在ではある”。
ただ、“全部まとめて倒してしまっていいかどうか”は、まだ判断できない」
シルヴァは指先で机をとんとん叩く。
「テオ君の痕跡を抜き取ったときもね。
完全に悪意だけの塊なら、もっと抵抗してもおかしくなかった。
けど、妙に“ほどけやすかった”んだ」
「……」
「だから、レオン君には、今後も“黒い犬を見たら、すぐ斬る”んじゃなくて——
“斬るべきかどうかを、その場で考える役”でいてほしい」
「難しい役ですね」
「だから君に頼んでいる」
エドガーが言った。
「“怖いから全部斬る”でもなく、“かわいそうだから何もしない”でもない。
そういう判断をしてきたから、いまここに呼んでいる」
そんな風に言われると、むず痒い。
「斬らなきゃ誰かが危ないときは、遠慮なく斬って構わん。
でも、“様子見で済むかもしれないとき”は、その目と鼻でよく見てくれ」
「……やってみます」
できるかどうかはわからない。
でも、やるしかない。
「最後に、“リオ”という名前の少年についてだ」
エドガーが、別の書類を手に取った。
胸の奥がぴくりと反応する。
「リオ・エンバー。
雑貨屋の一人息子。
行方不明になってから十日あまり。
黒い犬との関係が疑われている」
「……はい」
声が少し震えたのを、自分でも感じた。
「古井戸の下を調査した限りでは、“最近人間が落ちた形跡”はなかった。
これは、先に伝えておこうと思ってね」
「……本当ですか」
「水脈近くの土や壁の魔力を調べたが、
子どもの魔力が大量に残っている場所はなかった。
あるのは、昔の痕跡と、瘴気の塊だけだ」
シルヴァが補足する。
「だから、
“古井戸があの子の墓”というわけではなさそうだ」
胸の奥の一番重かった石が、少しだけ軽くなった気がした。
リオがどこかで生きていると決まったわけではない。
でも、少なくとも——
井戸の底で誰にも知られず消えていた、という最悪の想像だけは退けられる。
「……お母さんに、伝えてもいいですか」
「構わない。
ただし、“黒い何かとの関係が完全に切れた”わけではないことも、正直に伝えなさい」
「わかりました」
「以上だ」
エドガーは椅子から立ち上がった。
「今後も、“Fランクとしての仕事”を続けながら、黒い犬の観察を頼む。
正式な昇格試験の前に、もう一度くらい話すことになるだろう」
その“もう一度”が、楽しみなのか怖いのかは、まだわからなかった。
◇
面談室を出ると、ミリアがふうっと息を吐いた。
「なんか、“褒められてるのか釘刺されてるのかよくわからない会”だったね」
「両方なんでしょうね、多分」
「でも、古井戸の件はちょっと安心したでしょ?」
「……しました」
素直に認める。
「ブルーレーン、行きます」
「だと思った。
私は先にギルドに戻って、子どもたちの“新しい噂”ブロックしとく」
「噂、もう出そうですかね」
「出る。絶対出る」
ミリアは即答して、階段を軽快に降りていった。
◇
雑貨屋は、相変わらず静かだった。
でも、扉を開けた瞬間、前より少しだけ明るい空気を感じた気がした。
「いらっしゃいませ——
あら、レオンさん」
カウンターの奥から、リオのお母さんが顔を出した。
目の下のクマは、ほんの少しだけ薄くなっている。
「こんにちは。
少し、お時間いいですか」
「ええ。
……何か、わかったんですか」
期待と不安が入り混じった視線。
ただ、“変な希望”を持たせるのはよくない。
「古井戸の件で、ギルドから話を聞きました」
俺は、エドガーから聞いたことをそのまま伝えた。
古井戸の下に、“瘴気の核”のようなものがあったこと。
それをC〜Bランクたちが封じ直したこと。
そして——
「少なくとも、最近“人が落ちた痕跡”はなかったそうです。
子どもの魔力も、“そこだけ強く残っている場所”はありませんでした」
お母さんは、黙って話を聞いていた。
「……そう、ですか」
ぽろり、と涙が一粒こぼれた。
「ごめんなさい。
“見つかった”って話じゃなくて」
「いえ」
お母さんは、慌てて首を振る。
「“あそこにいない”ってわかっただけでも……
ずっと、悪い想像ばかりしてしまっていたので……」
胸の奥が、きゅっとなった。
「リオは、きっと……どこかで……」
声が震えたところで、お母さんは口をつぐんだ。
代わりに、ぽん太をぎゅっと抱きしめる。
木の犬のおもちゃは、静かにそこにいた。
黒い気配は——今は感じない。
「黒い犬のことも、ギルドが調べています。
俺も、見かけたら……記録して、話を聞いて、必要なら斬ります」
最後の一言だけ、少し声が硬くなった。
お母さんは、そんな俺をじっと見つめてから、ふっと表情を緩めた。
「レオンさんは、優しいですね」
「そんなことは……」
「優しい人は、ちゃんと怖がってくれますから」
そう言われるとは思っていなかった。
「怖がりながらも、ちゃんと動いてくれる人に、お願いしたいです。
リオのことも、黒い犬のことも」
「……わかりました」
優しいと言われるのは、少し居心地が悪い。
でも、悪い気分ではなかった。
◇
ブルーレーンを出て、少し歩く。
路地の先には、訓練場の屋根が見えた。
(今日は、黒い匂い……)
鼻をひくつかせてみる。
パン屋の香り、夕飯の支度の匂い、子どもの汗と土。
あとは、遠くの鍛冶場の鉄の匂い。
黒い瘴気の匂いは、ほとんどしない。
「……」
ふと、足元を何かが駆け抜けた。
小さな影。
反射的に振り向くと、そこには——
「わん」
茶色い普通の犬がいた。
どこかの家の飼い犬だろう。
尻尾を振って、通りの向こうへ駆けていく。
さっき、一瞬だけ、その背中に黒い影が重なって見えた。
ほんの一瞬。
見間違いかもしれない程度の、揺らぎ。
(……今のは)
追いかけようとして、足を止めた。
線。
エドガーの言葉が頭をよぎる。
『全部自分で越えようとするな』
今日は、古井戸の“下”が片付いた日だ。
全部を一度に追いかける必要はない。
茶色い犬の走り去った先には、子どもたちの笑い声が聞こえる広場がある。
そこには、きっとまた誰かがいる。
それで今は、十分な気がした。
剣の柄に触れていた手を離し、俺は訓練場の方へ足を向けた。
これで第1章終了です。読んでいただき誠にありがとうございます。
第2章もよろしくお願いします。




