第2話 Fランクの現実と、最初の「正式依頼」①
ギルドの二階、簡素な会議室。
木製の机と椅子が並ぶだけのその部屋で、俺とミリアは向かい合って座らされていた。
「それじゃあ、現場の状況をもう一度」
地図を広げた男が、羽ペンを走らせながら確認する。
年は三十前後、癖のある黒髪を後ろで束ね、胸には「記録官」と刻まれた小さなプレート。
「市場の中央付近にゴブリン三体。うち二体をレオン・アーディス君が、残り一体をミリア・フェルノート君が撃破。
その後、謎の黒い……ええと、“染み”?」
「はい。石畳の上に、どろっと広がって……ゴブリンを飲み込んで、干からびさせました」
ミリアが答えると、記録官のペンが一瞬止まった。
「ふむ。で、その黒いものに対して、レオン君が接近して抑え込み、ミリア君が炎魔法でとどめを刺した、と」
「はい」
「そう書いておいてください」
ミリアが念を押す。
記録官は「はいはい」と気のない返事をしながら、さらさらとメモを取った。
「……で、問題はこっちだな」
記録官は、部屋の隅で腕を組んでいた男に視線を向ける。
鎖かたびらに革鎧、背中には大振りの盾。
胸元のバッジには、誇らしげに「D」の文字。
「Dランクパーティ《石壁》隊長、ガルド・ブロックだ。
今回の“市場ゴブリン騒動”に対する、ギルド公式対応隊の代表として報告する」
低い声でそう名乗ると、ガルドは俺たちをちらりと見た。
「現場に到着したときには、すでにゴブリン三体はすべて戦闘不能。
謎の黒い物体も、跡形もなく消えていた。
周辺住民の証言と、衛兵隊長の話から、“新人冒険者二名が先に対応していた”ことは確認済みだ」
そこで一拍置き、ガルドは肩をすくめる。
「だが、ギルドが正式に動いたのは、俺たち《石壁》に出動命令が出てからだ。
つまり、今回の件に関する【公式な功績】は、俺たちDランクパーティに帰属する。……よろしいな?」
記録官は、慣れた様子でうなずいた。
「ええ、ギルド規定通りですね。
現場に居合わせた新人二名の行動は、“善意による自発的な援助行為”として記録。
ランクポイントの付与はなし。報酬も……なし」
「ちょっと待ってください」
ミリアの声が鋭くなる。
「規定は知ってるけど、今回は明らかに——」
「ミリア君」
記録官が穏やかに遮った。
「君はもうEランクだろう? なら、なおさら知っているはずだ。
ギルドの“功績配分”は、ランク制度の根幹だ。ここで例外を認めると、他の隊からも不満が出る」
「でも、あの黒い染み、あれは普通じゃ——」
「そこは別件で調査班に回すよ。
君たちの証言はしっかり記録しておく。……ただし、功績とは別枠だ」
淡々とした口調だった。
ミリアは歯を食いしばっていたが、しばらくして、しぶしぶ椅子の背にもたれる。
「……レオンは?」
「え?」
「新人のレオンは、何も知らないから納得してるみたいだけどさ。
本当は、どう思ってるの?」
視線がこちらに向く。
部屋にいた三人分の視線が、一度に乗ってきた。
「どうって、言われても……」
少しだけ考えてから、正直に答える。
「街の人たちが無事だったなら、それでいいかなって。
俺、まだ登録したばかりのFランクですし。名前が出るとかは、別に」
記録官は肩をすくめた。
ガルドは、ふっと鼻で笑う。
「……だ、そうだ。素直で結構。
Fランクがいちいち功績の配分を気にしても、食い扶持は増えねえよ」
ガルドは立ち上がり、ドアへ向かう。
「新人。街で長くやっていきたいなら、余計な波風は立てねえことだ。
お前の腕が本物なら、そのうち“ちゃんとした依頼”で評価されるさ」
部屋を出ていく背中を見送りながら、ミリアがぼそりと呟いた。
「“そのうち”なんて言ってる間に、使い潰されるFランクもいるんだけどね」
記録官は聞こえないふりをして、書類をまとめていた。
「以上で聞き取りは終了だ。レオン君、ミリア君、お疲れさま」
俺たちは礼をして、部屋を出た。
◇
一階の酒場兼ロビーに戻ると、いつものざわめきが耳に戻ってくる。
テーブルでは冒険者たちが酒をあおり、掲示板の前では新人たちが依頼の紙を奪い合っていた。
「おかえりなさい、レオンさん、ミリアちゃん」
受付で笑顔を向けてくれたのは、さっき登録してくれた栗髪の女性だ。
胸元のプレートには「リサ」と書かれている。
「聞き取り、お疲れさまでした」
「リサさん。……今回の件、どう扱われるか、聞きました?」
ミリアが低い声で尋ねる。
リサは一瞬だけ目を伏せ、それから申し訳なさそうにうなずいた。
「はい。“公式対応隊:Dランク《石壁》の功績”として報告するそうです。
レオンさんとミリアちゃんの行動は、“善行”として内部記録に残しますね」
「内部記録って、何か意味あるんですか?」
俺が首を傾げると、リサは困ったように笑った。
「まったくの無意味、というわけではないんです。
昇格審査や、推薦のときに“日頃の働き”として参考にされますから……。
ただ、ランクポイントには直接は……」
「まあ、そうですよね」
ミリアが肩をすくめる。
「ごめんなさい、本当に」
「いえ。リサさんが謝ることじゃないです」
本気でそう思った。
リサは、少しだけほっとした顔をする。
「ただ……」
彼女は言葉を選ぶように続けた。
「レオンさん。
街の中で危険を見つけたとき、見過ごせないのはとても立派なんですけど……
“ギルドを通した正式依頼”も、ちゃんと取らないとランクが上がらないのも事実です。
明日からは、ぜひ掲示板の依頼も見てみてくださいね」
「はい、わかりました」
俺がうなずくと、隣でミリアがじっと俺の横顔を見ていた。
「……何です?」
「いや、“わかってない顔してるなぁ”と思って」
「え?」
「今日のはたまたまじゃないと思うよ。
あんた、絶対“事件を呼ぶ体質”してるから」
それはあんまりな評価だった。
◇
翌朝。
安宿の硬いベッドで目を覚ました俺は、軽く体をほぐしてからギルドへ向かった。
空気は少しひんやりしている。
山村ほどではないが、街の朝もそれなりに冷えるらしい。
(村と違って、朝からこんなに人がいるんだな)
パン屋、行商人、荷車を引く人たち。
その合間を縫いながら、昨日ゴブリンが暴れた市場を横目に通り過ぎる。
黒い染みの残骸は、どこにもなかった。
石畳は、きれいに洗われ、修復されている。
(夢じゃなかったよな、あれ……)
胸の奥で、あの嫌な感覚が思い出される。
けれど、今はそれよりも——
「正式依頼、だな」
昨日リサが言っていたことを思い出し、足を早めた。
◇
ギルドの掲示板は、朝から人だかりだった。
「おーい、その配達依頼は俺が先に——」
「いやいや、今この手が触ったから俺のもんだって!」
「猫探しはもう埋まってるぞー。残ってるのは……ゴミ捨て場の清掃かぁ」
Fランク用の掲示板には、ずらっと紙が貼られている。
◎市場裏のゴミ捨て場整理
◎荷物の運搬補助
◎年寄りの家の薪割り
◎迷子の子ども捜索(報酬少なめ)
◎行方不明の犬捜索(吠えます)
(村でやってたことと、あまり変わらない気がする……)
思わず苦笑する。
ただ、これらをこなしていかないとランクは上がらないらしい。
「レオン?」
声の方を向くと、ローブ姿の少女が掲示板にもたれていた。
ミリアだ。髪をひとつに結び、いつものように少し眠そうな顔をしている。
「おはようございます、ミリア……さん」
「だから“さん”はいらないって。ミリアでいい」
「じゃあ、ミリア。もう依頼は取ったんですか?」
「まだ。今日はどうしよっかなって眺めてただけ。
……で、レオンは?」
「俺は、これにしようかなと」
そう言って手に取った紙には、こう書かれていた。
——【迷子の子ども捜索】——
依頼主:雑貨屋
内容:昨日の夕方から帰ってこない息子(5)の捜索
場所:トラヴィス市内(遊び場周辺)
注意:よく走り回ります
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「……らしい依頼選んだね」
ミリアが紙を覗き込み、口元を緩める。
「こういうのも、ちゃんとやらないとですよね」
「真面目だなぁ、あんた。
——よし、それ、一緒に行こっか」
「え?」
「別にEランクがFランクの依頼に同行しちゃいけない決まりはないし。
昨日の“黒い染み”のこともあるしね。念のため護衛兼監視役ってことで」
「監視って」
「だってあんた、また変なの引き寄せそうなんだもん」
ひどい言われようだった。




