第18話 Fランク、黒くない1日
アメリアに「明日は完全な雑用の日」と言い渡された翌朝。
いつもの宿の食堂でパンをかじりながら、俺は少しだけ落ち着かない気分だった。
「なんか、変な感じですね」
「何が?」
向かいでスープを飲んでいたミリアが首をかしげる。
「何かトラブルが起きることに慣れてきたのかもしれません」
「慣れちゃダメなやつよ、それ」
ミリアは呆れたように笑った。
「今日は“黒くない依頼だけ”って決まってるんだから、そういう匂い探しはお休み。
いい? 休むのも冒険者の仕事だからね」
「休むって、雑用するんですよね?」
「そう。それなりに忙しい休み」
(休みとは……)
◇
ギルドに入ると、いつも通りの喧騒が迎えてくれた。
ただ、昨日に引き続き、「レオン兄ちゃんだ!」の声があちこちから飛んでくる。
(黒い犬相談窓口、定着しつつあるな……)
できれば窓口の看板だけでも外したいところだ。
「おはようございます、レオンさん、ミリアちゃん」
受付のリサが笑顔で迎えてくれる。
「今日はどんな依頼を?」
「“黒くないやつ”限定でお願いします」
ミリアが先に口を開いた。
「アメリアさんから“今日は本当に雑用だけにしろ”って命令が降りまして」
「ああ、聞いてます」
リサはくすっと笑って、Fランク用の掲示板をちらりと見る。
「でしたら……このあたりはいかがでしょう」
取り出された依頼票は三枚。
——【老夫婦の家具移動手伝い】
——【孤児院での昼食準備および見守り】
——【ギルド資料室の本棚整理】
「見事に戦闘要素ゼロですね」
俺はしみじみと呟いた。
「黒い何かの報告も出ていませんし、危険度もほとんどありません。
ただ、体力と根気は必要ですよ」
「家具移動と本棚整理はレオン担当で」
「どうしてですか」
「体力担当でしょ?」
「……否定できませんけど」
ミリアは孤児院担当に目を留めた。
「孤児院は私が前に魔法で厨房直したことあるし、顔見知り。
子ども相手なら、レオンが来た方が喜ぶけど……」
「家具移動が終わったら、途中から合流します」
「それがいいかもね」
そうして、《仮)レオン=ミリア隊》の“黒くない一日”が始まった。
◇
最初の依頼は、東区はずれの老夫婦の家だった。
石造りの小さな一軒家。
庭には、枯れかけたけれど手入れの行き届いた花が並んでいる。
「ごめんください、冒険者ギルドから来ました」
声をかけると、ほどなくして扉が開いた。
「おやおや、本当に来てくれたのかい」
皺だらけの顔に、いたずらっぽい笑みを浮かべた老人が出てきた。
背筋は曲がっているが、目は妙に若い。
「わしはグラット。
こっちが妻のエルナだ」
「まあ、立派な子じゃないか」
奥から出てきたおばあさんが、俺を見るなり手を打った。
「こんな大きな子なら、家具なんて一息で動いちまうねぇ」
「そうだといいんですが」
家の中は、思ったよりも物が多かった。
冒険者が使うには少し古いが、立派な剣や盾。
壁には、色あせた地図や、若い頃の二人らしき絵。
「……冒険者、だったんですか?」
思わず尋ねると、グラットがにやりと笑った。
「よく気づいたな。
とうの昔に引退したがな。
Cランクまで上がって、外の山脈でドラゴンもどきの尻尾を追いかけてたもんだ」
「Cランク……」
バルドと同じだ。
「今は、腰が言うこと聞かんからな。
家具ひとつ動かすにも、こうやって若いのを頼るしかない」
グラットは、照れくさそうに頭を掻いた。
「どの家具を、どこへ?」
「この棚を窓際に。
それから、古い箱を奥の部屋から出してきてほしいんだが……」
言われた通りに動かしながら、ふと棚の上の古い剣に目が止まった。
鍔の部分が少し欠けている以外は、よく手入れされている。
「その剣、まだ使えるんじゃないですか?」
「使えるさ。
だが、今は“思い出を切らないため”に飾ってある」
グラットがぽつりと言った。
「冒険者やってるときはな、“強くなって上に行かなきゃ”ってずっと思ってた。
でも、引退してみると、不思議なもんだ。
わしらが一番覚えてるのは、ランクじゃなくて——」
「——誰と飯食って、誰と帰ってきたか、ですか?」
口が勝手に動いた。
村で、冬場に囲炉裏を囲んだときのことを思い出していた。
グラットは、少しだけ目を丸くしたあと、笑った。
「そうさ。
さすが、“黒い何かの噂に首を突っ込んでるFランク”は違うな」
「なんでそこで黒い何かが出てくるんですか」
「ギルドで噂になってるぞ。“危ないところを嗅ぎつけては、戻ってくるFランク”ってな」
そんな噂の立ち方は望んでいない。
「……黒い何かの話、聞いたことあります?」
せっかくなので、ついでに尋ねてみる。
「おいおい、今日は“黒くない日”だろう?」
グラットが笑いながら肩をすくめた。
「まあ、昔似たような瘴気が山の祠から漏れ出したことはあるが……
そのときは、神官と魔法使いが封印を直して終わりだった。
街の中まで入り込むなんてのは、聞いたことがねえな」
(やっぱり、“普通じゃない”んだよな)
心の中でだけ、小さく頷く。
「お前さんも、そのうちCランクくらいまでは上がるんだろうが……」
「俺ですか?」
「そのとき、“今と同じ顔で笑っていられるといいな」
グラットはそう言って、窓際に移された棚を満足そうに眺めた。
自分がどんな顔をしているのか、よくわからなかった。
◇
家具移動と古い箱の運び出しを終えると、グラット夫婦から温かいお茶とクッキーをもらった。
「これ、依頼の報酬とは別ですからね」
「お気持ちだけで十分なんですが」
「年寄りの楽しみを奪うでない」
グラットにそう言われて、ありがたくいただくことにした。
家を出るとき、エルナおばあさんがぽん、と俺の背中を叩いた。
「黒い何かのことはよくわからないけどさ。
あんた、あんまり一人で背負い込みなさんなよ」
「そんなつもりはないんですが……」
「そういう顔してるから言ってんのさ」
どうやら、村でも街でも、年寄りの目は鋭いらしい。
◇
次の目的地は、ミリアが先に向かった孤児院だ。
途中で合流しようと足を向けると、ちょうど入り口のところで騒ぎが起きていた。
「ミリア、危なーい!」
「それは熱いから触らない!」
「スープの鍋は武器じゃありません!」
賑やかな声が外まで響いている。
「……楽しそうですね」
扉を開けると、予想以上のカオスが広がっていた。
大きな鍋を前に、子どもたちがわいわいと群がり、その周りをミリアが全力で動き回っている。
「レオン、助けて!」
開口一番、それだった。
「どうしました?」
「野菜を切らせると指ごといきそうだし、
皿を運ばせると半分落とすし、
火を弱めようとしたら薪を足すしで!」
なるほど、言いたいことはわかる。
「包丁担当手伝います」
「お願い!」
俺は手近なエプロンを借りて、切りかけの野菜の山の前に座った。
「人参はこんな感じで。
指はこう丸めると指を切りにくいです」
「おお……」
子どもたちが目を丸くする。
「レオン兄ちゃん、何でもできる……」
「村では、こういうのも普通にやってましたから」
薪割り、解体、野菜の仕込み。
どれも生きるために必要な作業だった。
「黒い犬とは戦うし、ご飯も作れるし、家具も運べるし……」
「万能だ……」
「やめてください、そのまとめ方」
でも、こうして子どもたちが笑ってくれるなら、それで十分だと思った。
◇
昼食を孤児院でごちそうになったあと、ミリアと一緒にギルドへの報告を済ませる。
「さて、最後は資料室ね」
リサから預かった鍵を手に、ギルドの奥へ向かう。
「資料室って、初めて入ります」
「まあ、普通はあんまり用事ないからね。
依頼書の元になった昔の記録とか、魔法の研究メモとか、
“読みたい人は読めば?”って感じのものが山積み」
重い扉を開けると、そこには予想以上の光景が広がっていた。
天井近くまで伸びる本棚。
棚からはみ出した巻物。
床に積み上がった古い帳簿。
「……これ、今日中に終わります?」
「終わらないから、“できる範囲で”って依頼なの。
絶望しない」
ミリアはそう言いながら、慣れた手つきで棚の札を確認していく。
「こっちは討伐記録、こっちは地図、こっちは魔物資料……
レオンは、こっちの“雑多”になってる箱を分類して」
「全部雑多に見えますけど」
「そこを何とかするのが今日の仕事」
泣き言を言っても仕方ないので、俺は箱を一つ引き寄せた。
古い依頼書、地図の切れ端、見習い魔法使いのノートのようなもの。
その中に、一枚だけ目を引く紙があった。
「……これ」
紙には、黒い染みのような丸が何個も描かれていた。
その周りに、何か文字らしきものが書き込まれている。
「ミリア、これ、何かに似てません?」
「どれどれ」
ミリアが覗き込む。
「うわ、気持ち悪い図」
よく見ると、その丸は全部、中心が濃く塗りつぶされていた。
そして、その横にはこう書いてある。
『瘴気の“核”と思われる部分』
『封印が緩むと、周囲に溶け出す』
『触れた生き物の魔力を“媒体”として動き回る』
「……これ、黒い何かの説明に似てません?」
「似てるねぇ」
ミリアは紙の端に書かれた小さな名前を読み取ろうと、目を細めた。
「誰が書いたんだろ……“第○代調査班班長”って書いてあるけど、数字が滲んで読めない」
「いつの記録なんでしょう」
「さすがに、古いわね。
でも、“黒い瘴気の核がいくつもある”っていう考え方自体は、今と繋がってるかも」
ミリアは紙を大事そうに箱から抜き出した。
「これは、“雑多”じゃなくて“調査班行き”ね。
上に渡しとこ」
「こういうのも、雑用のうちなんですね」
「そうそう。
“何が大事で何がゴミか”見分けるのも、Fランクの仕事」
また一つ、世界の断片を拾った気がした。
◇
夕方、資料室の整理を“キリのいいところまで”終えて、鍵を返しに行くと、リサが記録用の板を見せてくれた。
——正式依頼達成数:15件/50件。
いつの間にか、数字が増えていた。
「孤児院と老夫婦の家具移動と、資料室の整理。
ちゃんと三件分、記録しましたよ」
「ありがとうございます」
「観察依頼の方も、今日は“黒くない日”でしたね」
リサが少しだけ安心したように笑う。
「はい。
黒い匂いは……」
言いかけて、口をつぐんだ。
完全に“ゼロ”ではなかった。
資料室の古い紙からは、ほんの微かな、昔の瘴気の残り香のような気配がした。
でも、それは“今動いている何か”ではない。
過去の記録。
誰かが見て、書き残したもの。
(こういうのを、ちゃんと残してくれてたから、今の調査班が動けてるんだよな)
そう考えると、今日やった作業も、案外バカにできない気がしてきた。
「どうかしました?」
「いえ。
雑用って、やっぱり誰かがちゃんとやってないと、困るよなって」
「そうですね」
リサは嬉しそうに頷いた。
「Fランクの皆さんがやってくださっている雑用に、ギルドは本当に助けられているんですよ。
黒い何かの調査も大事ですけど、こういう日も続けていけるといいですね」
「……そうですね」
黒い犬のことも、リオのことも、頭から消えたわけではない。
でも、こうして普通の一日を過ごせることも、大事なんだと思った。
◇
宿に戻る途中、訓練場の横を通りかかった。
夕暮れの光の中、木人の前で素振りをしている子どもたちの姿が見える。
バルドが、その前で腕を組んで見ていた。
「レオン」
気づいたらしく、バルドが手を挙げた。
「今日は黒くない日だって聞いてたが」
「はい。
家具運んで、飯作って、本棚と格闘してきました」
「それでいい」
バルドは短く笑った。
「黒い何かの話ばかりしてると、視野が狭くなる。
街全体を見ておけ。
“何も起きない日の空気”も、覚えておいた方がいい」
「何も起きない日の空気、ですか」
「そうだ。
いざ何かが起きたとき、“どこが違うのか”気づけるからな」
それは、獣の気配を読むときの話にも似ていた。
森の音が一つ消えただけで、何かがおかしいと感じる、あの感覚。
「……できるだけ、覚えておきます」
「“できるだけ”で十分だ」
バルドは軽く頭を掻いた。
「明日はまた、黒い何かの調査が回ってくるかもしれん。
その前に、ちゃんと飯食って寝とけよ」
「はい」
今日は本当に、黒くない一日だった。
でも、頭のどこかで、外壁の向こうや下水の奥を意識している自分がいる。
それでも——今はそれでいいのかもしれない。
いつも全力で走っていたら、どこかで息が切れる。
村でも、雪の前の日にはあえて何もしない日を作ることがあった。
そういう日を一つ挟んだだけだ、と自分に言い聞かせる。
宿のベッドに倒れ込むと、思っていた以上に体が重いことに気づいた。
(家具、意外と効きましたね……)
目を閉じると、孤児院の子どもたちの笑い声と、資料室の紙の匂いと、グラットの家の古い剣が、ふわりと頭の中に浮かんだ。
黒い犬の姿は、今日は出てこなかった。
それだけで、少しだけ、安心して眠れた気がした。




