第16話 噛まれた子どもとFランク相談窓口①
黒い犬とぽん太のことを報告した翌朝。
ギルドの扉を開けた瞬間、いつもと違う気配を感じた。
「……なんか、視線が多い気がする」
受付カウンターまでの数歩で、何人もの視線を浴びる。
特に、背の低い連中から。
「レオン兄ちゃんだ!」
「黒い犬係来た!」
「ほんとにいた!」
Fランクの子どもたちが、わらわらと寄ってきた。
「黒い犬係って何ですか」
「だって、黒い犬の依頼受けてるんでしょ!」
「アメリアさんが言ってた! “黒い犬のことはレオンたちにも聞け”って!」
「アメリアさん……」
ギルド最強Fランクは、わりと気軽に爆弾を投げてくる。
「はいはい、押さない押さない」
後ろからミリアが子どもたちをさばきながら、俺の横に並んだ。
「というわけで本日から、ここに臨時窓口を設けまーす」
「窓口?」
「“Fランク黒い犬相談窓口”。担当、レオン」
「勝手に看板作らないでください」
「実際、子どもたちが一番話しやすいの、あんただしね」
反論しようとしたけど、周りの「レオン兄ちゃんなら話せる!」という顔を見てしまうと、口をつぐむしかなかった。
「……わかりました。ちゃんと順番に話を聞くから、列になってください。
ぶつからないように」
「はーい!」
Fランクの子どもたちが、妙にきれいな列を作る。
ギルドの大人たちが、面白そうにこちらを眺めていた。
「リサさん」
カウンター越しに呼びかけると、受付のリサはにこやかに頷いた。
「はい。こちらで簡易メモも用意しておきますね。
みなさんのお話は、観察依頼の資料としても使わせてもらいます」
「お願いします」
羽ペンと紙を受け取って、俺は深呼吸を一つした。
「じゃあ、一人ずつ。
“いつ”“どこで”“誰と一緒にいたか”“黒い犬が何をしたか”——そこを教えてください」
◇
最初の数件は、昨日聞いた話と似た内容が多かった。
「夕方、広場で遊んでたら、角のあたりに黒い犬がいた」
「訓練場の端で素振りしてたら、外壁のところで見てた」
「追いかけたら、ちょっとだけ逃げて、また振り返った」
そのたびに、時間と場所を地図の上に小さく書き込んでいく。
印が増えるほど、黒い犬が“子どもの生活圏”をなぞっているのが見えてきた。
(やっぱり、子どもの近くにいるんだよな)
そんな中、一人だけ、様子の違う子がいた。
「……あの」
列の後ろの方から、小さな声がした。
髪を短く刈った、痩せぎすの少年。
年は十歳くらいだろうか。
目だけが妙に大人びていた。
「次、君で最後にしようか」
列を締めると、少年はおそるおそる一歩前に出てきた。
「名前は?」
「テオ。テオ・リン、です」
「テオ君。Fランク?」
「……まだ、登録してません。
でも、来年になったらお父さんが登録していいって」
なるほど、ギルド付きの子どもか。
「黒い犬を見た?」
「はい。
見たし……」
テオの声が小さくなった。
「噛まれました」
空気が、ぴきりと張り詰めた。
「噛まれた?」
俺とミリアの声が重なった。
「いつ?」
「三日前の夕方。
インガさんのお店の前で。
……誰にも言ってません」
「どうして?」
「みんな、“黒い犬はいいやつだ”って言ってたから。
噛んだなんて言ったら、怒られるかなって……」
胸の奥が、いやな形でざわついた。
「テオ。腕、見せてもらっていい?」
「……はい」
テオが袖をまくると、そこには紫がかった痕があった。
犬の歯形のようにも見える半円。
でも、皮が破れているわけではない。
噛まれたというより、“冷たいものに挟まれた”痕のような。
そして——
(匂いがする)
黒い染みやスライムと同じ、あの嫌な気配。
ただ、それよりはずっと薄い。
「痛い?」
「少しだけ。
でも、ずっと冷たい感じがします……」
テオは震える声で続けた。
「その日から、夜になると、夢にあの犬が出てきて……
“こっちへ来い”って、外に……」
「もういい」
思わず言葉を遮ってしまった。
少し強くなりすぎた声を、ミリアが横でそっと和らげる。
「ごめんね、テオ。
ちゃんと話してくれてありがとう。
これから、“ちゃんとした大人”のところに一緒に行こう。
治癒魔法使いと、調査の人たちのところへ」
「怒られますか……?」
「怒られるのは、黒い犬の方よ。
あんたじゃない」
ミリアがきっぱりと言い切った。
◇
「ロウ!」
すぐ側のテーブルで朝食をとっていたロウを呼ぶと、彼はパンを咥えたまま振り向いた。
「なに。朝から騒がしいと思ったら」
「治癒チェック急ぎ。子ども一人。黒い気配付き」
「……了解」
ロウの顔が一瞬で仕事モードに切り替わる。
「テオ君だね? 少し腕、触るよ」
「は、はい」
ロウはテオの腕に手をかざし、小さく詠唱した。
「『ヒール』」
淡い光が、テオの腕を包む。
通常なら、小さな傷ならこれで痕も残らないはずだ。
だが——
「……?」
紫がかった歯形は、完全には消えなかった。
色がほんの少しだけ薄くなった程度。
「もう一回」
ロウは眉間に皺を寄せ、もう一度詠唱する。
「『ヒール』」
今度はさっきより強めの光。
しかし、結果は同じだった。
「完全には……消えない」
ロウが、低い声で言った。
「普通の打撲とかなら、とっくに消えてる。
これは、“中に別のものが噛みついてる”感じがする」
「中に?」
「瘴気か、魔力か、わからないけど。
少なくとも“普通の怪我”じゃない」
ロウの表情が、はっきりと険しくなった。
「これは、Fの手に負えるものじゃない。
アメリアさんか、調査班行き」
――線だ。
頭の中で、アメリアの声が蘇る。
『“匂いが違う”と思ったら、絶対に深入りしないこと』
今回の匂いは、黒い染みと同じ系統だ。
でも、“人に噛みついて残っている”という点が違う。
(これは、線の向こうだ)
直感がそう告げていた。
「テオ。一緒に来てくれる?」
俺は姿勢を低くして、できるだけ柔らかく訊いた。
「こっから先は、Fランクじゃなくて、“ギルドの大人たち”の仕事になる。
でも、そのためにテオの話が必要だ。
嫌なことを思い出すかもしれないけど……話してくれるか?」
テオは唇を噛んでいたが、やがて小さく頷いた。
「……はい」
「偉い」
ミリアがそっとテオの頭を撫でた。
「“噛まれたまま黙ってる”のが一番危ないからね。
“噛まれたって言ってくれる”子は、守りやすいの」




