第14話 黒い犬の正式依頼①
黒い犬の影を見た翌朝。
俺は、ギルドの一角で、羽ペンとにらめっこしていた。
「……書けない」
白い紙の上で、インクが情けない線を描いていく。
『観察対象:黒い犬のような影
場所:訓練場外壁沿い排水溝……』
そこまではいい。問題は、その先だ。
『特徴:かわいいような、怖いような……』
「ダメだろそれ」
隣で覗き込んでいたミリアが、即座にツッコんだ。
「“かわいい”とか“怖い”とかは感想であって、記録じゃないの。
“目が白く光る”“犬と同じくらいの大きさ”“尾を振ったように見える”とか、そういう具体的なやつ」
「わかってるんですけど……つい」
村での記録なんて、「猪一頭」「罠一つ壊れた」くらいのメモで済んでた。
こんなちゃんとした報告書なんて、書いたことがない。
「“黒い犬のような影、尻尾を振っていた(※主観)”くらいならギリギリセーフ」
「※主観って書いていいんですか?」
「書いとけば見る側が“ああ主観なんだな”ってわかるでしょ」
ミリアは軽く笑いながら、俺の紙の上にさらさらと修正案を書き込んでいく。
「はい、“ミリア添削版”。
レオン、ついでに文末ちょっとだけ揃えなよ。“~した”“~だった”みたいに」
「はぁ……」
文字の形より、剣の振り方の方がずっと得意だとつくづく思う。
「お、ちゃんと報告書書いてるじゃねえか」
背後から声がして振り返ると、Cランクのバルドが腕を組んで立っていた。
「昨日言ったろ、“観察依頼は報告が半分”って」
「言われました……」
「最初から完璧に書けるやつなんていないさ。
大事なのは、“誰が読んでも同じ状況を思い浮かべられるかどうか”だ」
そう言いながら、バルドは俺の紙をひょいと取った。
「ふむ。場所、時間、対象の大きさ、色、動き……最低限は書けてるな。
……“ぽん太かもしれない”ってのは消そうか」
「あ」
気づかないうちに、つい書いていた。
慌ててペンでぐりぐりと塗りつぶす。
「その辺は、“気になる一言”として口頭で補足すりゃいい。
書面はあくまで、“見たもの”優先な」
「了解です」
「よし。それ持って、受付出してこい。
——ちょうどいいタイミングかもしれん」
「ちょうどいいタイミング?」
バルドは意味ありげに笑って、カウンターの方を顎で示した。
◇
受付前の掲示板には、朝からいつものようにFランクの子たちが群がっていたが、その横でリサが一枚の紙を丁寧に貼りだしていた。
「……何か、新しい依頼?」
近づいて見てみる。
——【黒い影目撃調査 補助依頼】——
依頼主:トラヴィス冒険者ギルド・特別調査班
内容:市内における“黒い影”“黒い犬”などの目撃情報の聞き取り、および巡回
条件:F〜Eランク(複数人パーティ推奨)
備考:子ども、商人、衛兵などから幅広く話を聞ける者を歓迎
————————————————————
「……正式に、出たんだ」
思わず呟いた。
ミリアが俺の横から顔を出す。
「やっぱりね。
レオンたちの観察依頼が、ここまで繋がったってわけ」
「レオン兄ちゃん、これ!」
昨日訓練場で一緒だったジンが、人混みをかき分けて飛び出してきた。
「“黒い犬”って書いてある! 本当に依頼になったんだ!」
「お前のテンションの高さも依頼にしたいくらいだな……」
ロウが苦い顔をする。
「リサさん」
俺はカウンターに報告書を差し出した。
「昨日の“黒い犬”の観察依頼の分です。それと、この調査依頼——」
「はい。ちょうどそのお話をしようと思っていたところなんです」
リサは微笑みながら報告書を受け取ると、俺たちを見回した。
「観察依頼で“黒い犬”の情報を持ってきてくれたレオンさんたちには、優先的にこの調査にも参加してほしい、とアメリアさんや調査班からお願いが来ています」
「優先参加権、ですか」
「ええ。もちろん強制ではありません。でも、今までの流れを知っている方に協力していただけると、とても心強いので」
断る理由は、なかった。
「受けます。
《仮)レオン=ミリア隊》として」
「よろしい!」
ミリアが満足そうに笑った。
「カイたちも呼んでくる。どうせこういうの好きでしょ、あいつ」
◇
少し後。
ギルド二階の小会議室に集められたのは、俺たちF〜Eランクの数パーティだった。
《仮)レオン=ミリア隊》に、カイたちFランクトリオ。
それに、別のEランクパーティが二組。
「よし、揃ったな」
部屋の前に立つアメリアが、手を叩いた。
その隣には、Cランクのバルド、それからローブ姿の男——調査班の魔法使いらしい——が控えている。
「まずは現状の共有から。
ここ一ヶ月、市内で“黒い影”“黒い染み”“異様な干からび方をした死骸”などの報告が増えている。
中でも、ここ数日は“黒い犬”の目撃情報が、Fランクの子どもたちを中心に出始めた」
アメリアが壁の地図に赤い印をいくつも付けていく。
「市場周辺、住宅区の広場、訓練場近くの外壁沿い……
それに、下水と倉庫。
これらが個別の事件なのか、それとも一本の線で繋がっているのか。
それをはっきりさせたい」
魔法使いが一歩前に出た。
「私は、特別調査班所属のシルヴァ・ルーン。
魔法的な痕跡の解析を担当している」
ねっとりした口調かと思いきや、意外としゃきっとした喋りだった。
「これまでの記録板からわかったことは二つ。
一つ。“黒い染み”“黒スライム”“黒い犬”は、基本的に同じ系統の魔力を持っている。
二つ。個体によって“濃さ”と“混ざりもの”が違う」
「混ざりもの?」
ミリアが首をかしげると、シルヴァは頷いた。
「黒い染みだけなら、ほぼ“純粋な瘴気”だ。
だが、下水や倉庫のやつは、周囲の汚れや生き物の魔力が混ざっている。
そして——昨日、レオン君たちが持ち帰った“黒い犬の溝の痕跡”には、子どもの魔力が微かに混ざっていた」
胸の奥が、ひやりとした。
「子ども、の……」
「ああ、もちろん、それだけで“誰かが死んでいる”と決まったわけじゃない。
遊び場や訓練場の近くで生き物が動けば、その魔力が地面に残るのは珍しくない。
ただ、“黒い何か”が“子どもたちの近くでよく動いている”のは確かだ」
シルヴァは、そう付け加えた。
「そこで——」
今度はバルドが口を開いた。
「ギルドは、黒い影の調査を二段構えでやることにした。
ひとつは、俺たちC以上がやる“危険度の高い場所の直接調査”。
もうひとつは——諸君に頼みたい、“市内での聞き取りと巡回”だ」
地図の別の場所に、青い印が打たれていく。
「黒い犬は、どうも“子どもの集まる場所”に出ることが多いらしい。
広場、訓練場の周辺、路地の遊び場、雑貨屋の前……そういう場所を、F〜Eランクのパーティに見回ってもらう」
「危険度の高い場所は?」
「下水の深部、倉庫のさらに奥、城壁外の溝沿い……だな。
そこは俺や、他のC〜Bランクが担当する」
バルドは俺たちを見回し、特に俺の目を見据えた。
「——線を引くだけじゃなく、自分の“担当エリア”も覚えておけ。
“どこまでが自分たちの仕事で、どこからが上の仕事か”。
それがわかってるFは、生き残りやすい」
「はい」
自然と背筋が伸びた。
「レオンたち、《仮)レオン=ミリア隊》は、訓練場と住宅区の広場周辺。
Fランク子どもたちからの聞き取り役も兼ねてもらう」
「子ども担当……」
ミリアが小さく笑う。
「レオン兄ちゃんの出番ね」
「最近定着しましたね、その呼び名」
「悪くないと思うけど?」
「……否定できませんけど」
黒い犬。子ども。溝。
リオの顔が、頭に浮かんだ。
(何か、繋がるといい)
そう願わずにはいられなかった。




