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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第1章 Fランクなのに街で雑用するヒマがない

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第13話 Fランク教室と黒い犬の影②


 午後の講習は、素振りや基礎動作のほか、簡単な連携の練習もあった。


「前に出て、横を守って、後ろを支える。

 それぞれが自分の役目を意識すること」


 バルドの号令で、子どもたちはぎこちなくも、一生懸命に動いていた。


 ジンは前に出たがり、マリナは周りをよく見て動き、

 別の少年はすぐに足がもつれて転び、笑いが起きて——


(……リオも、もしここに来ていたら)


 どんな動きをしていただろうか。

 前に出たがるのか、それとも後ろから様子を見るのか。


 考えて、胸の奥が少し痛くなる。


 ◇


 講習が終わるころ、空はすっかり夕方の色になっていた。


「今日教えたこと、忘れないようにな。

 街の中でもできないことが、外で急にできるようにはならない」


 バルドの締めの言葉で、子どもたちはぞろぞろと訓練場を後にする。

 一部はそのままギルドへ、別の子たちは家に帰っていった。


「レオン兄ちゃん、また教えてね!」


「黒い犬見つけたら教えて!」


「勝手に一人で行かないように」


 そう釘を刺しながら、手を振って見送る。


 やがて訓練場には、俺とミリア、そしてバルドだけが残った。


「……本当に残るのか」


 バルドが、少し呆れたような顔で言う。


「アメリアさんから、“観察依頼”の話は聞いてますか?」


「ああ。

 Fランクの中でも、何人かに声をかけてるって話だな。

レオン、お前もその一人か」


「はい」


「嫌な匂いがするところだけ、教えてやる。

 ただし——」


 バルドの目が、真剣になる。


「くどいようだが無理だと思ったら、すぐ引け」


「わかってます」


 何度も同じことを言われている気がするが、それだけ重要だということだろう。



 訓練場の端。

 昼間から薄く感じていた気配の方へ、ゆっくりと歩いて行く。


 草むらの向こうには、外壁に沿って細い溝が走っていた。

 雨水を流すための排水路だ。


 その一部、石が少しだけ欠けている場所から——


(ここだ)


 黒い気配が、じわりと滲んでいた。


 溝の中を覗き込むと、薄暗い水が流れている。

 その表面に、何かが一瞬、影を落とした。


「今——」


「見えた」


 ミリアも、わずかに目を細める。


 水面から、黒い塊がぴょん、と飛び出した。


「……犬?」


 思わずそう呟く。


 それは、犬のような形をしていた。

 小型犬より少し大きいくらいのサイズ。

 全身が影そのもののように黒く、目だけが白く光っている。


 輪郭は、どこかぼやけていた。

 でも、耳と尻尾の形は、犬そのものだ。


「わん、とも言わないね」


 ミリアが、冗談とも本気ともつかない声で言う。


 黒い犬は、こちらをじっと見つめた。

 そして——


 尻尾を、ほんの少しだけ振った。


「……」


 呼吸が詰まる。


(ぽん太……)


 雑貨屋で見た、木の犬のおもちゃ。

 リオが握っていた、あの形に、どこか似ているような気がした。


「“ぽん太”って呼んでみる?」


 ミリアが、小声で囁く。


「やめてくださいよ」


「冗談。でも——」


 黒い犬は、くるりと背を向けた。

 訓練場の外壁沿いを、ぱたぱたと駆けていく。


「追いかけてほしそうに見えるわね」


「……見えますね」


 胸の奥がざわつく。

 あれを追えば、何かに繋がる気がする。


 リオの行方かもしれない。

 黒い何かの巣かもしれない。


(線——)


 頭の中で、アメリアとバルドとミリアの声が、いっぺんに響いた。


 “無理するな”

 “匂いが違ったら引け”

 “一人で突っ込むな”


 黒い犬の匂いは——

 下水や倉庫の黒いものに近い。

 でも、少しだけ、薄い。

 何か、混ざりもののような感触。


「レオン」


 ミリアの声。


「これは……“追ってもいい方”?」


 問われて、息を呑んだ。


 追えば、危険はある。

 でも、何もせずにここで見送ったら、その先で誰かの足を引っ張るかもしれない。


「——バルドさん」


 俺は振り返った。


「追いかけます。

 ただし、訓練場の外へ出る手前まで。

 それ以上は追わない、って線で」


 バルドは、しばし俺を見つめ、それから短くうなずいた。


「ミリアと二人で行け。

 それ以上の助っ人が必要だと思った時点で、すぐ戻ってこい」


「はい!」


 ミリアと顔を見合わせ、短く頷く。


「行こう、レオン」


「はい」


 ◇


 黒い犬の影は、外壁沿いの溝をぴょんぴょんと跳ねながら進んでいた。

 時折、ちらりと振り返っては、距離を確認するようにまた走り出す。


「やっぱり、誘ってるようにしか見えないわね」


「ですね」


 溝は、やがて外門へと続く道から少し外れ、倉庫群の裏手へと曲がっていく。

 その先には、小さな門が一つあった。

 普段は使われていない、物資搬入用の裏門だ。


 黒い犬は、門の前でぴたりと止まった。

 門の下、わずかな隙間に鼻先を突っ込もうとして——すり抜けた。


「……」


 影だからなのか、物理的な障害を無視したのか。

 どちらにせよ、真似はできない。


「ここまで、かな」


 ミリアが足を止める。


 門の向こうは、外壁と街の外との狭い隙間だ。

 衛兵の許可なく勝手に出入りしていい場所ではない。


「線……ですね」


「あんたが決めた線よ」


 黒い犬は、門の向こうで振り返ってこちらを見ていた。

 目だけが、ぼんやりと白く光る。


「……ごめん」


 思わず、小さく呟いた。


「今は、ここまでしか追えない」


 もしこれが、本当にリオの足跡に繋がる線だったとしても。

 だからといって、今ここで勝手に門を越えるわけにはいかない。


「観察は、した。

 “黒い犬は、外壁沿いの溝を通って、裏門の向こうへ抜けていく”——それだけでも、十分な情報よ」


 ミリアが、アメリアからもらった記録板を取り出す。


「溝の縁と、さっき犬が出てきたあたり、押し当てて。

 匂いと魔力の残滓、少しは拾えるはず」


「はい」


 板を溝の縁にそっと押し当てる。

 じわり、と冷たい感触が指先に伝わった。


「……うん。写ってる写ってる」


 板の表面に、薄く黒い模様が浮かび上がる。


「これ、アメリアさん絶対喜ぶやつだわ。

 “よくぞここまで”って」


「褒め方が怖いですね、あの人の」


「まあ、ギルド最強だからね」


 ミリアはそう言って笑った。


 門の向こうで、黒い犬の影が、ふと動いた。

 尻尾を一度だけ振り、外壁と外の影へ溶けるように消えていく。


「……今の、見えました?」


「ああ」


 バルドの声が、いつの間にか背後から聞こえた。


「犬、だったな。

 黒い影しか見えなかったが」


「見えたんですね」


「“全く見えない”ってわけじゃない。

 気配に鈍い連中には、ただの影としか見えんかもしれんが」


 少しだけ、救われた気がした。


「衛兵詰所にも、この門のことは伝えておく。

 外の溝に変な痕跡がないか、見回りを増やしてもらう」


「お願いします」


「……あとでアメリアに“報告書の書き方”も教えてもらえ」


 バルドは、憐れむような目をした。


「観察依頼は、報告が半分だからな」


「がんばります」


 ◇


 ギルドに戻り、訓練場での講習と黒い犬の件をまとめて報告すると、リサの顔つきがまた一段階真剣になった。


「黒い犬……。

 子どもたちの噂だと思っていたんですけど……」


「全くの作り話、というわけではなさそうですね」


 俺は記録板を差し出した。


「溝の縁から取った痕跡です。

 倉庫の黒い染みと同じ種類かどうか、調べてみてください」


「はい。アメリアさんと調査班に回します」


 リサは慎重にそれを受け取る。


「リオ君の件とも、何か関係があるといいんですけど……」


 ぽつり、と漏らした言葉に、自分で「あるといい」という言い方に違和感を覚えた。


「……“情報が繋がるといい”って意味です。

 もちろん、リオ君本人は無事でいてほしいですけど」


「わかってますよ」


 リサが柔らかく笑う。


「レオンさんたちが動いてくれているおかげで、“黒い何か”に関する情報は確実に増えてきています。

 全部がすぐに解決に繋がるわけではありませんけど、一歩ずつ、ですね」


「はい」


 受付板の端に刻まれた数字が目に入る。


 ——正式依頼達成数:10件/50件。

 ——観察依頼報告数:3件。


 観察依頼の方には、まだ数字がつくだけだ。

 ランクポイントにはならない。


(でも——)


 それでも、何もしないよりはずっとマシだ。


 Fランクだからこそ見える場所。

 子どもの目線と同じ高さで歩ける今のうちしか、気づけないこともある。


 いつかEになって、Dになって、それ以上になったとき——

 今日見た黒い犬の影を、きっと思い出すだろう。


「レオン」


 ギルドを出るとき、ミリアが隣で言った。


「“黒い犬”がぽん太の成れの果てだって、もし誰かに言われたらどうする?」


「それは——」


 少し考えてから、首を振る。


「まず疑います。

 リオ君がぽん太をあんなに大事にしてたのに、

 あれがそのまま“黒い何か”になったって決めつけるのは、本人にもぽん太にも失礼ですから」


「……うん」


 ミリアが、少しだけ嬉しそうに笑った。


「そのスタンス、忘れないでね。

 “怖いから全部まとめて敵”って決めつけると、大事なものまで斬っちゃうから」


「気をつけます」


 黒い犬は、敵かもしれない。

 道案内かもしれない。

 ただの、黒いものたちの一形態かもしれない。


 まだ、わからない。


 だからこそ、Fランク冒険者として、今はただ——

 見て、感じて、記録して、必要なら剣を振るう。


 雑用をするヒマもないくらい、街にはやることが多い。

 でも、その全部が、いつかどこかで線を結ぶと信じて。


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