第11話 Fランク線を引く練習③
祝10話!優しく見守ってください。
◇
床板から、ゼリー状の黒い塊が飛び出した。
スライムに似ているが、体はもっと薄く、ねっとりと長い。
「ギ、ギギ……!」
「ノーラ!」
「は、はいっ!」
ノーラがとっさに盾を前に出す。
黒い塊が盾にぶつかり、べちりと張り付いた。
「うわっ!? くっついた!」
ノーラが慌てて盾を振るが、黒いものはねばりついたまま剥がれない。
盾の表面が、じわじわと黒く変色していく。
「『フレイム・ボルト』!」
ミリアの火球が飛ぶ。
黒い塊の端をかすめ、じゅ、と煙が上がった。
「効いてる! けど——」
火の通った部分は、一瞬だけ薄くなったが、すぐに再生を始める。
完全には焼き切れていない。
「核は……見えないな」
カイが歯ぎしりをした。
「盾ごと焼くわけにもいかないし」
「ノーラ、その場で踏ん張って! 動かないで!」
「う、動けません!」
半泣きの声。
盾を通して、腕にもじわじわと熱が伝わっているのだろう。
(線……)
頭の隅で、アメリアの声が再生される。
“匂いが違うと思ったら、深入りするな”。
(匂いは同じ。でも、パターンは違う。
……だけど、まだいける)
そう判断して、俺は前に出た。
「レオン!」
「ノーラの盾から引きはがします!」
ノーラの正面に回り込み、黒い塊を見据える。
表面はぬるぬるしているが、その動きに微妙な偏りがある。
(ここだ)
剣の切っ先で、塊の端をこそぐように切る。
べり、と音がして、黒い肉の一部が盾から剥がれた。
「ミリア!」
「わかってる——『フレイム・ボルト』!」
飛んできた火球が、剥がれた部分に直撃する。
そこだけ一瞬で炭のように固まり、動かなくなった。
「同じ要領で、少しずつ剥がして焼いていきます!」
「腕もったら褒めて!」
「もう十分褒める!」
カイと連携しながら、黒い塊の体を少しずつ削ぎ落としていく。
ロウは後ろで、ノーラの腕に中和薬を塗りながら治癒魔法を準備していた。
「『ヒール』!」
ロウの淡い光がノーラの腕を包む。
赤くなっていた皮膚が、少しずつ普通の色に戻っていく。
最後に残った拳大の塊に、俺は剣を突き立てた。
中に何か硬いものが当たる感触。
そこへ、ミリアの炎が重なる。
「——っ!」
黒い塊が、短く悲鳴のような音を立てて、崩れ落ちた。
床には、さっきまでの半分以下の大きさの黒い染みが残るだけだ。
「ふぅ……」
ノーラが大きく息を吐いた。
盾の表面には、黒い焦げ跡が残っている。
「ごめん、ノーラ。盾、ちょっと傷んじゃった」
「い、いえ。私、何もできなかったから……」
「そんなことない。
前に立ってくれる人がいるからこそ、後ろから魔法も剣も飛ばせるんだよ」
ミリアがさらりと言う。
ノーラの頬が、少しだけ赤くなった。
「レオン」
ロウが呼んだ。
「線は、どう見る?」
足元の黒い染みは、まだ完全には消えていない。
ただ、先ほどよりも薄い。
匂いも、すこし弱まっている。
「“匂い”自体は、下水のやつと同じ範囲です。
でも——」
倉庫の奥、さらに暗い方を見た。
そこからは、何も感じない。
ただの埃の匂いだけ。
「ひとまず、“ここまで”ですね。
これ以上奥を漁るのは、やめておきましょう」
「そうね」
ミリアが素直に頷いた。
「黒いのを一体倒した。
“倉庫でこういうのが出た”って情報と、場所。
あとは記録板で写し取って、アメリアさんに丸投げ」
「丸投げって」
「上に投げるってことよ。
それが今日の“線引き”」
アメリアからもらった金属板を取り出し、黒い染みにそっと押し当てる。
板の表面が、じわりと黒く染まった。
「……おお」
カイが感心したように声を漏らした。
「こいつは便利だな」
「何度も言うけど、試作品だからね。
なくさないように気をつけて」
「はい」
◇
俺たちは倉庫の手前側だけでも整理を進め、鼠の死骸はまとめて外の穴に埋めた。
黒い染みがあった場所には、わかりやすい印を付ける。
「この先、“倉庫奥の調査”って形でそのうち正式依頼になるかもね」
ミリアがぼそりと呟く。
「そのときは、たぶんDランク以上限定か、“アメリアさん直々依頼”かな」
「俺たちは、その前段階ってところですか」
「そうそう。
“ここ、怪しいですよ”って旗立てる係」
苦笑いしながら、ギルドへ戻った。
◇
「お帰りなさい、みなさん」
リサが迎えてくれる。
「倉庫の整理、いかがでしたか?」
「埃と鼠と、ついでに黒いやつが一体」
ミリアがあっさり報告する。
リサの表情が、一瞬で引き締まった。
「黒い……?」
「はい。
下水で見た変異スライムに近いですが、形が少し違いました。
魔法と剣でどうにかしましたけど、倉庫の奥にはまだ何かあるかもしれません」
記録板を差し出すと、リサは慎重に受け取り、奥へと運んでいった。
「アメリアさんにも、すぐお見せしますね」
「お願いします」
依頼票の「達成」の欄にサインをしながら、俺はふと手元の欄を見た。
——「正式依頼達成数:7件/50件」
(まだまだ、ですね)
黒い何かと関わっている時間の方が、依頼数より多い気がして苦笑する。
「……そのうち“黒い何かの正式討伐依頼”ってのも出るのかな」
ぽつりと言うと、ミリアが肩をすくめた。
「出るだろうね。
そのとき、どのランクまで許可が下りるかはわからないけど」
「きっと、“線を守れるかどうか”も見られるんだろうな」
ロウがぼそりと挟む。
「今日みたいに、“ここまでやって、ここから先は上に投げる”って判断。
それをできるかどうか」
「できてた?」
ミリアが俺を見る。
「正直なところ、レオン。
あのまま奥まで抉りたくなかった?」
図星すぎて、言葉に詰まった。
たしかに、あの黒い染みを倒したあと、倉庫の奥を全部ひっくり返して確かめたい衝動はあった。
「……でも、やめました」
それは本当だった。
「アメリアさんに、“線を決めろ”って言われたので。
今日決めた線は、“この黒さとこの匂いまで”。
それを越えてるかどうかは、まだわかりませんけど……」
「それでいいんじゃない?」
ミリアが笑う。
「線ってさ、一回で完璧に引けるもんじゃないから。
今日引いた線は、今日のベスト。
明日、もう少し先まで行けそうだって思ったら、そのときまた考えればいい」
「……はい」
胸の奥の重さが、少しだけ軽くなった気がした。
◇
その夜。
宿に戻る前に、もう一度ギルドの二階を通りかかったとき——
「お、いたいた」
小会議室の扉が開き、アメリアが顔を出した。
「倉庫の件、聞いたよ。
最初の“線引き”としては、まあ合格点かな」
「……見られてますね、全部」
「それがギルド最……じゃなくて、面倒事担当の仕事だから」
アメリアは冗談めかして笑い、それから真剣な目つきに戻った。
「レオン。
今日みたいに、“引き返す勇気”を持ってるなら、まだ安心して見ていられる」
「……まだ、ですか」
「“まだ”だよ。
ギルド最強の私が保証する。
君は、伸びるFランクだ」
それが、妙に嬉しかった。
「でも、ギルド最強って、やっぱり……」
「噂は噂。
実際のところは、試す機会もあまりないしね」
アメリアは肩をすくめた。
「ただ——」
一拍置いて、続ける。
「“Fランクでも強い”って話が、いつか君たちの世代では“当たり前”になるといいね」
その言葉を胸に刻みながら、俺は夜の廊下を歩いた。
Fランクは、試用期間。
雑用係。
子ども枠。
——それでも、弱いとは限らない。
黒い何かにも、ランクの壁にも、負けないように。
俺はそっと、剣の柄を握りしめた。




