第10話 Fランク線を引く練習②
祝10話!
◇
一階に降りると、ちょうどカイたちが掲示板の前で依頼票を眺めていた。
「お、遅かったな。アメリアさんに怒られてた?」
「怒られてはいません。
“線を引け”って、念押しされましたけど」
「それ、怒られてるのとあんま変わらなくない?」
カイが肩をすくめる。
「で、今日はどうする?
俺たち、これ受けようかと思ってたんだけどよ」
そう言って見せてきた依頼票には、こう書かれていた。
——【ギルド倉庫の整理および鼠駆除】——
依頼主:トラヴィス冒険者ギルド
内容:ギルド裏倉庫の整理、不要物の運搬と鼠・小害獣の駆除
条件:Fランク以上。複数人推奨
備考:埃っぽいです。マスク支給あり
——————————————————————
「ギルドの倉庫、ですか」
「そう。報酬はそこそこ。何より近い。
黒いやつが出ても、すぐに援軍が来る距離だしな」
たしかに、それは安心だ。
「倉庫の整理って、地味だけどけっこう大事なんだよね」
ミリアが腕を組む。
「薬草とか保存食とか、どこに何があるかきちんとしとかなきゃ、いざってとき困るし」
「黒いのが紛れ込んでる可能性もゼロじゃないしね」
ロウがぼそっと言う。
俺の胸も、同じ考えでざわついていた。
「じゃあ、受けましょう」
俺がうなずくと、カイがニッと笑った。
「決まりだな。
ノーラ、ロウ、お前らもいいよな?」
「はい」
「まあ、倉庫整理くらいなら」
受付で依頼票を提出すると、リサが説明をしてくれた。
「ギルド裏の古い倉庫ですね。
最近、整理が追いついていなくて……鼠の目撃情報も増えているので、この機会にお願いしたいんです」
「黒い何かが出たって話は?」
ミリアがさりげなく訊ねると、リサは小さく首を振った。
「倉庫に関しては、そういう報告はまだありません。
ただ、古い建物ですので、もし何か異常があれば、すぐに戻ってきてください。
……アメリアさんからも、そう伝えるようにと言われています」
「了解」
俺たちは、倉庫へ向かった。
◇
ギルド本館の裏手には、石造りの古い建物がいくつか並んでいる。
その一つが、今回の依頼対象らしい。
「ここだな」
カイが重そうな扉を押し開けると、むわっとした埃の匂いが漂ってきた。
「うわ……」
ノーラが顔をしかめる。
床には木箱や樽が積み重なり、上の方には蜘蛛の巣が張り巡らされている。
「私、こういうのちょっと苦手かも……」
「大丈夫。ノーラは入口寄りで。
重い物動かすのは俺とレオンでやる」
カイが手際よく役割を振る。
ロウは怪我に備えて少し離れた場所で待機、ミリアは照明役だ。
「——『スモール・ライト』」
ミリアの詠唱で、小さな光球が倉庫の天井近くをふわふわと漂い始める。
それでも、奥の方はまだ薄暗い。
「まずは手前から片付けよう。
いきなり奥まで突っ込むと足をくじく」
カイの指示に従い、俺たちは一番手前の木箱から中身を確認していった。
「干し肉……賞味期限切れ。これは廃棄ですね」
「古い縄。まだ使えそうなのと、無理なのを分けて……」
地味な作業が続く。
ただ、村での生活に比べれば、そこまで苦ではなかった。
冬支度のときに納屋をひっくり返して整理するのと、似たようなものだ。
(それに——)
倉庫の奥から、かすかな気配が伝わってくる。
獣のような、小さな命のざわつき。
「鼠は、いそうですね」
「だろうな」
カイも短剣に手を伸ばす。
「黒いやつじゃなくて、普通の鼠ならいいんだけど」
「どっちかというと、黒くない方が衛生的にはよくない気もしますけどね」
「それもそうか」
◇
ある程度片付いたところで、最初の“お客さん”が現れた。
「チュッ!」
木箱の隙間から、小さな影が飛び出す。
ただの鼠だ。
俺が足で進路を塞ぎ、カイが短剣の背でコン、と軽く叩く。
「一匹」
「この調子で潰していけば——」
言いかけて、胸の奥がざわりとした。
(……違う)
さっきまでと、空気の重さが違う。
埃と木の匂いの中に、微かに、昨日の黒スライムと同じような“嫌な気配”が混じった。
「ミリア」
「感じた?」
「はい。奥の方です」
倉庫の一番奥。
古びた樽や、ひしゃげた木箱が積まれている辺りから、ひやりとした感覚が伝わってくる。
「ノーラ、盾前に出して。
ロウはすぐ後ろ。カイとレオンは左右から様子見」
ミリアが小声で指示を出す。
「あくまで“様子見”だからね。
さっきアメリアさんに言われたでしょ。線。
“匂いが違う”と思ったら、無理しない」
「……わかってます」
自分に言い聞かせるように答える。
慎重に進み、問題の一角に近づいた。
◇
そこには、崩れかけた木箱と樽が山のように積まれていた。
何年も動かされていないようで、上には分厚い埃が積もっている。
ただ——
「ここだけ、埃が少ない」
ミリアが指さした場所。
木箱の隙間の一部だけ、薄く擦れたように埃が薄くなっていた。
「ここから、何かが出入りしてる?」
「……」
耳を澄ます。
微かな水音のような、ぬるりとした気配。
「一旦、上の箱どかすよ」
カイが一番上の木箱に手をかける。
俺は反対側から支えた。
「せーの」
持ち上げ、横にそっと降ろす。
二段目、三段目と、同じように片付けていく。
いちばん下の箱を動かしたとき——
「っ!」
そこには、干からびた鼠の死骸が転がっていた。
ただの腐敗ではない。
皮と骨だけになって、まるで水分だけ抜き取られたかのような姿。
「これ……」
「下水で見たやつと同じ干からび方だね」
ミリアが顔をしかめる。
死骸のすぐ横には、黒ずんだ染みが広がっていた。
床板にぺたりと貼り付いたそれは、すでに動いてはいないが——
近づくだけで、胸の奥が冷たくなった。
(匂いは……)
慎重に近づき、空気を吸い込む。
酸っぱいような、焦げたような匂い。
昨日の黒スライムと、下水の変異体に近い。
(同じ系統……)
ただ、昨日ギルドで見たものほど濃くはない。
胸を締めつけるような圧はない。
「レオン?」
「大丈夫です。
“匂い”は、昨日と同じ系統ですけど、薄いです。
……戦える範囲だと思います」
アメリアとの約束を思い出しながら答える。
「なら、まずは——」
「パキッ」
ロウの足元で、小さな音がした。
「……踏んだ」
黒ずんだ染みの端が、少しだけ浮き上がっていたらしい。
そこを踏んだ瞬間、染み全体がびくんと震えた。
「来る!」
叫ぶのと、黒い何かが起き上がるのは、ほぼ同時だった。




