第1話 Fランク、街へ行く
初めて書きました。温かい目で見守ってください。
街は、うるさかった。
人の声と、荷車の軋む音と、どこかの店から漂ってくる肉の焼ける匂い。
山と森に囲まれたアルナ村で育った俺には、その全部が新鮮で、少しだけうるさい。
(これが、トラヴィス市……)
門をくぐった瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。
子どもの頃から、村の狩人たちが酒のつまみに語っていた「冒険者の街」。
いつか自分もそこに行ってみたいと、薪割りをしながら何度も空想した場所だ。
十八歳。
村じゃとっくに一人前扱いされる年齢だが、冒険者としては「少し遅い」と言われた。
普通はもっと早く、十代前半からランクを上げ始めるらしい。
(まあ、今さら気にしても仕方ないよな)
背中の大剣を軽く持ち直し、俺——レオン・アーディスは人波の中を歩き出す。
目指すはひとつ。
街の中心近く、石造りの立派な建物。
屋根に掲げられた灰色の鷹のレリーフが、風にきしりと鳴った。
「……ここが、冒険者ギルドか」
◇
「というわけで、以上がギルド利用の注意点になりますね〜。質問はありますか?」
受付嬢の明るい声が、カウンター越しに響く。
栗色の髪を肩で結び、にこにことマニュアル通りの笑顔。
俺は、差し出された書類に指で触れながら首を振った。
「えっと……つまり、俺は今日からFランク、ってことでいいんですよね?」
「はいっ。登録したての新人さんは、みんなFランクからスタートです。
ここから、依頼をこなして実績とポイントを積めば、E、Dと昇格していきますよ」
受付嬢は慣れた調子で、壁にかかったランク表を指さす。
F:新人。雑務・街中の簡単な依頼のみ。
E:初心者。街の外にも出られるが、近場に限定。
D:中堅。魔物討伐など、本格的な依頼が増える。
C以上は、一般人からすれば英雄扱いだとか。
……村で聞いていた話と、だいたい同じだ。
「Fランクさんには、このあたりの依頼がおすすめですよ〜」
受付嬢が差し出した板には、「ゴミ捨て場の整理」「運搬」「子どもの見守り」など、雑用っぽい依頼が並んでいる。
(こういうのから地道に、ってことか)
別に嫌じゃない。
村でも、薪割りや畑仕事、罠の見回りなんていくらでもやってきた。
役に立つなら、なんだっていい。
そう思って、俺が板に手を伸ばしかけた、そのときだった。
「た、大変だ! 市場にゴブリンが出たぞ!!」
ギルドの扉が乱暴に開き、息を切らした男が飛び込んできた。
薄汚れたエプロンに小麦粉まみれ。たぶん、パン屋だ。
「ゴブリン? なんで街の中に……」
「門を抜けたばかりの荷車に紛れてたんだ! 数は三匹か四匹か……とにかく、近くに子どももいて危ないんだ!」
ざわ、とギルド内の空気が揺れる。
「近くにCランク以上はいるか!?」
「Cパーティの《赤い牙》は、昨日の遠征でまだ戻ってないぞ!」
「Dランクの“盾”はどうした!」
「さっき出払ったばかりだ!」
冒険者たちの視線が一斉に掲示板の方へ向かい、すぐに戻ってくる。
そのほとんどが、苦い顔をしている。
「街の中だから正式依頼になってねえぞ」
「ギルドが動く前に衛兵が片付けるだろ。タダ働きはごめんだ」
「ゴブリン程度で怪我してランク落としたくねえしなぁ」
数人が腰を上げかけては、「まあ、衛兵もいるしいいか」と座り直す。
パン屋の顔から、じわじわと血の気が引いていくのがわかった。
(……ああ、そういうもんなんだな)
街の「常識」を知らなかった俺でも、空気で理解できた。
依頼として成立していない仕事は、タダ働き。
タダ働きで怪我でもしたら損。
それがギルドで生きる冒険者たちの価値観なんだろう。
でも。
「すぐに行った方がいい。市場って、こっちで合ってますか?」
気づけば俺は、パン屋に声をかけていた。
受付嬢が目を丸くする。
「レオンさん!? まだ登録したてでしょ? しかもFランクで、外での戦闘経験は——」
「ありますよ。村で、ですけど。ゴブリンなら何度もやりました」
山の中で一匹で夜を越すより、昼間の市場で戦うほうがよほど気が楽だ。
俺が当然のように答えると、周りの冒険者たちがどっと笑った。
「新人がゴブリン“何度も”だってよ」
「田舎のイノシシを魔物って呼んでたんじゃないか?」
「まあ、せいぜい衛兵の足止めくらいには——」
そのとき、一人だけ違う声がした。
「……あんた、本当にやれるの?」
カウンターの端に座っていた少女だ。
ローブの袖口が焼け焦げているのが目立つ。
さっきから黙っていたが、腰にはきちんと冒険者カードが下がっている。
「ミリアちゃん?」
受付嬢がその名を呼ぶ。
ミリアと呼ばれた少女は、じっと俺の剣を見つめていた。
「その剣、村の鍛冶屋製じゃない。刃こぼれも少ないし、ちゃんと研いでる。
握り方も……素人のそれじゃない。
——Eランク、ミリア・フェルノート。炎魔法使い。同行していい?」
そう言って、彼女はひらりと立ち上がる。
ローブの焦げ跡から、彼女が本当に前線を経験していることが伝わってきた。
「ミリアさん、でも——」
「ゴブリン三〜四匹なら、私の魔法でどうとでもなる。
問題は、街の中ってこと。炎はあまり使えない。だったら、前衛が必要になる」
ミリアは俺を一瞥し、ふっと笑った。
「本当に“何度も”やったことがあるなら、ね」
挑むような視線。
試されているのはわかったけれど、怖さより先に、嬉しさの方が勝っていた。
(ああ、やっとだ。やっと、ちゃんと戦える)
「レオン・アーディス。Fランクだけど、前衛は任せてください」
思わず背筋が伸びる。
ミリアは満足げにうなずき、受付嬢の方を向いた。
「ギルドとしては、これ“非公式”扱いでしょ? だから、ランクポイントは付かない。
それでも行くって、この新人は言ってる。止める?」
「え、えっと……ギルドとしては、もちろん自己責任というか、その……」
受付嬢が視線を彷徨わせたあと、小さく息を吐いた。
「……どうか、お二人ともご無事で。衛兵にもギルドから伝令を出します」
「感謝。じゃ、行こっか、新人くん」
ミリアがひらりとローブを翻し、ギルドを飛び出す。
俺も慌ててその背中を追った。
◇
市場は、きれいに騒がしかった。
逃げ惑う人、人、人。
ひっくり返った屋台、転がるリンゴ。
そして、その中心に——黄色い目をぎらつかせた小さな影。
「ギ、ギギィ!」
「うわっ、来るな!」
ゴブリンだ。
山で見慣れているはずなのに、石畳の上に立っているのを見ると妙な違和感がある。
「数は三匹……いや、あれは四匹目か」
屋台の影でもう一匹が身を潜めている。
俺の目には、はっきりと見えた。
(それと——)
胸の奥が、ひやりと冷たくなる。
ゴブリンたちの後ろで、何か黒いものが蠢いた気がした。
(嫌な、気配……?)
アルナ村の森で、何度か感じた感触に似ている。
危ない獣の気配とは少し違う、もっと粘つくような“異物”の感覚。
「新人くん、前、お願い。私は後ろから援護する」
ミリアの声で我に返る。
柄を握り直し、一歩、石畳を蹴った。
「ぎ、ギギィ!」
こちらに気づいた一匹が、歯をむき出しにして跳びかかってくる。
その動きは、村で見たどのゴブリンとも変わらない——
「ふっ!」
剣を横薙ぎに振る。
ゴブリンの腕ごと、短剣が弾き飛ばされた。
軽い。
筋肉がまだ余裕を訴えてくる。
村の大猪と比べたら、この程度の重さは誤差だ。
振り抜いた勢いのまま、ゴブリンの首筋に刃を当てる。
黄色い目が驚愕に見開かれ、そのまま崩れ落ちた。
「ひっ……!」
「な、なんだあのFランク……」
周囲の悲鳴とざわめきが耳に入る。
だが、体はもう次の動きに入っていた。
「ギ、ギギギィ!」
二匹目が横合いから突っ込んでくる。
足音、呼吸、石畳を蹴る角度。
全部が、やけにはっきりと感じ取れた。
——ああ、これだ。
村ではいつも、こうやって戦っていた。
「レオン、右!」
ミリアの声。
言われる前から、右側の屋台の下に潜む影には気づいていた。
だが、その声が合図になった。
「——『フレイム・ボルト』!」
ミリアの詠唱とともに、屋台の下から這い出ようとしたゴブリンの顔面に、小さな火球が直撃する。
炎は必要最低限に抑えられていたが、それでも十分な威力だった。
「ギャアア!」
「ナイスです、ミリアさん!」
「さん付けはいいってば!」
軽口を交わしながら、二匹目の懐に飛び込む。
短剣を構えた腕を、肩ごと叩き落とす。
悲鳴を上げる暇もなく、柄頭で顎を打ち抜き、そのまま地面に転がした。
「残りひと——」
言いかけて、足が止まる。
黒い気配が、濃くなった。
最後の一匹の背後で、空気が歪む。
黒い染みが石畳に滲み出て、ぐにゃりと形を変えた。
「な、なにあれ……?」
ミリアの声が震える。
俺は、喉の奥がひりつくのを感じた。
(知ってる。これ……知ってる)
村の、誰も近づいてはいけないと言っていた古い祠。
そこで一度だけ嗅いだ、鉄と土と、何か焦げたような匂い。
黒い染みは、やがて人の腕ほどの大きさになり、触手めいたものを伸ばしてゴブリンの足を絡め取った。
「ギギィ!? ギャアアア!」
悲鳴とともに、ゴブリンの体が一瞬で干からびる。
残ったのは、ボロ布みたいにしなびた皮と骨だけ。
「……っ!」
ミリアが思わず後ずさる。
俺も背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
(ヤバい。あれは、ヤバい)
理屈じゃなく、体がそう叫んでいた。
あれを放っておけば、きっと市場全体が飲み込まれる。
「ミリアさん!」
「な、なに!」
「少しだけ、大きめの炎、出せますか! 俺が抑えます!」
「街の中でそんな——」
「ここで広がる方が、もっと被害が出ます!」
一瞬の逡巡ののち、ミリアの目が決意に光った。
「……いい、わかった。五秒だけ時間を稼いで!」
「了解!」
黒い染みが、触手をこちらに伸ばしてくる。
石畳がじゅわじゅわと溶け、嫌な臭いが鼻をついた。
柄を握る手に、力を込める。
恐怖はある。
けれど、その向こうに——
(守りたいものがあるなら、前に出るしかない)
村でも、何度もそう教えられてきた。
「来いよ」
低く呟き、俺は前へ踏み込んだ。
黒い触手が、鞭のように振り下ろされる。
それを剣の腹で受け、弾き飛ばす。
衝撃が肩まで痺れるが、歯をくいしばって踏ん張る。
「レオン、いくよ!」
背後から、熱が集まる気配がした。
ミリアの声が、はっきりと響く。
「——『フレイム・ランス』!」
次の瞬間、槍の形をした炎が俺の肩越しに飛び出した。
一直線に黒い染みへと突き刺さり、その中心を貫く。
鈍い音とともに、黒い何かが破裂した。
焦げた匂いとともに、煙が立ち上る。
しばらくして、煙が薄れたとき——そこにはもう、黒い染みはなかった。
◇
「すげえ……」
「あの新人、なんだったんだ?」
いつの間にか、周囲には衛兵やギルドの人間が駆けつけていた。
遠巻きに見ていた市場の人たちも、ぽつぽつと近づいてくる。
「だ、大丈夫か君たち!」
駆け寄ってきた衛兵隊長らしき男が、俺とミリアの様子を確認する。
大きな怪我はない。
少し、肩と足が痺れる程度だ。
「お、お前たちが抑えてくれていなければ、被害はもっと出ていただろう。本当に——」
「いえ、俺はただ、目の前のものを斬っただけですから」
そう答えると、ミリアがじろりとこちらを睨んだ。
「謙遜しすぎ。半分以上あんたの功績だからね」
「ミリアさんだって、あの炎の槍がなかったら——」
「だから“さん”はやめなさいって」
そんなやり取りをしていると、ギルドの制服を纏った男が走ってきた。
胸には「Dランク」と刻まれたバッジ。
「おいおい、先に片付いちまってるじゃねえか。出遅れたなぁ」
男は現場を一瞥し、にやりと笑った。
「ま、ギルドからの公式な『対応部隊』は俺たちってことになる。
新人くんたちも頑張ったんだろうが、詳細はギルドで聞くからよ」
そう言って、あっさりと話をまとめにかかる。
ミリアの眉間に、ぴきりと青い筋が浮かぶのが見えた。
俺はといえば——
「あ、はい。わかりました」
素直に頷いてしまっていた。
(別に、誰の功績とかは……街が無事なら、それでいいしな)
村でも、誰が一番獲物を仕留めただとか、あまり気にする人はいなかった。
みんなで冬を越せるかどうかの方が、ずっと大事だったからだ。
「……あんた、本当にそれでいいの?」
ギルドへ戻る道すがら、ミリアがぽつりと言った。
「え?」
「今の、どう見てもあんたが一番動いてた。
でも、たぶんギルドの報告書にはDランクパーティの功績って書かれる。
あんたの名前なんて、どこにも載らない」
ミリアの声には、あからさまな苛立ちが混じっている。
でも、それでも俺は首をかしげた。
「……まあ、街の人たちが無事なら、それでいいかなって。
俺、そもそもまだFランクですし。名前が出るとかは、別に」
「はぁ……」
ミリアが大きくため息をついた。
「冒険者としては、そういうの、全然よくないんだけどね」
「そうなんですか?」
「そうよ。依頼として成立してないから、今回のはランクポイントにならない。
つまりあんたは、Fランクのまま。
街を救った“Fランク冒険者”なんて、誰も信じない」
その言葉を聞いて、少しだけくすぐったくなった。
「街を救ったは、言いすぎですよ」
「言いすぎじゃないっての」
ミリアはぼそりと呟き、俺から視線を逸らした。
「ま、いいわ。
——本当に“Fランクのまま”でいられるなら、だけどね」
その言葉の意味は、そのときの俺にはまだ、よくわからなかった。
この街で、Fランクとして過ごす日々が——
雑用をするヒマもないほど、事件と騒動に満ちていることも。
そして。
Fランク冒険者が、みんな弱いわけじゃないってことを、
嫌でも証明させられることも——まだ、知らなかった。




