秀次の苦悩 天下人になるのが怖い
秀綱と光安も二人は、秀次に面会します。
そこで、秀次の本心を聞きます。
最上家の邸宅に、秀次との面会の日時が伝えられた。明後日の午の刻(午前11時ころ)に、聚楽第に参るべしとのことであった。
本来は最上義光が向かうべきではあるのだが、義光は病ということで行きたくないと言っていた。仕方なく、秀綱と光安は名代として聚楽第に行く許しを得た。
「やはり殿は来なかったな」
「まあ、想定内だ。それに、仮に来たとなったら、我らが先に於竹の方に会ったことが問題になりかねん」
「ああ、面倒くさいなあ」
「ははっ、まあそう言うな、秀綱よ。殿も時間をかけて受け入れようとしているんだ。待ってやろうじゃないか。いつぞやだったか、お主は言っていただろう。信じて、待ってやるのが教育だって」
「俺は殿を教育するつもりは微塵もないんだが」
「はははっ、まあまあ。ここは家臣である我らが大人になっていこうではないか」
秀綱と光安が軽口を叩きながら歩いていく。しばしして、聚楽第に着き、到着を門番に告げた。すぐに控えの間に通され、それほど待たずに秀次の待つ部屋に呼ばれた。
「やはり、義光殿は来なかったか」
秀次は、少し寂しそうな顔をした。だが、気を取り直したようで、秀綱に話しかけてきた。
「先日、於竹が家康殿の屋敷に出向いたそうだな。後から聞いた。私も驚いたぞ」
「こちらも驚きました。何とも行動力のあるお方様ですな」
「全くじゃ。あれは、お主たちも知っての通りの育ちじゃ。だから、お主たちを驚かせたであろう。だが、あれなりにお駒殿を歓迎したい旨を伝えたかったようでな」
「そこはわかってございます。それに、於竹の方様より伺いました。関白殿下は、ご自身とは異なる階層の者たちの考えを知りたいがために、於竹の方様をお迎えになられたとか」
秀次は恥ずかしそうな顔をした。
「全く余計なことを申す者よな」
「いえ、左様なことはございませぬ。為政者として、ご立派な心構えかと存じまする」
秀綱は敬服して言った。これは、本心でもあった。
「於竹は、秀綱はわかってもらえる男じゃと申しておった。様々な者を束ねてきた於竹の人を見る目は信用できる。その秀綱の盟友ともいえる光安も同様であろう。お主たちには、腹を割っておきたい」
秀次は意を決してような表情であった。
「私は、怖いのだ、天下人という地位に就くことがのう」
「怖い、とは」
秀綱の問いに秀次は頷いた。
「太閤殿下を私は間近で見てきた。殿下はとても剽軽で、話のわかる御仁であった。卑賎な立場の出であり、民の声を最も知っている方であった。そんな殿下が天下人となり、戦は終わると思った。よき日が訪れるものだと信じておった」
秀次の言葉を。秀綱たちは聞いていた。
「だが、殿下は変わってしまった。先の朝鮮の陣で、討ち取った敵兵の鼻や耳を削いで持ってこさせた。私は、その考えについていけなくなった。いや、その前に奥州仕置きの際に、反対した民たちにどのような刑を科したのか、残酷極まりなかった。最初は、これが天下を治めるために必要な仕置きなのだと自分に言い聞かせていたが、それも限界になりつつある。最近は思うのだ、天下を取った権力者は、人格が変わってしまうものなのだろうかとな」
秀綱も光安も、迂闊に応えられない独白をただ聞くしかできなかった。
「おそらく天下人という地位は、人を狂わす魔物なのであろう。殿下ですら、振り回されているのではないかと最近は感じる。そんなものを引き継ぐことは、恐ろしい。私は弱い者ゆえ、一人では背負いきれぬ。それゆえ、私を支えてほしい者たちに声をかけているのだ」
「それゆえに、駒姫様を望まれたと仰せでしょうか」
秀次は、頷いた。
「お駒殿が、人足たちに分け隔てなく接する姿。それに、最上の者たちが戦に出る際に、必ず見送り、出迎えようとする人柄。そのような者が脇にいてくれたら、私が道を踏み外そうとしたときに必ず諫めてくれるであろう。さすれば、私は気づくことができるかも知れない。そんな者が傍にいないと、私は怖くて仕方がないのだ」
秀次は懊悩していた。人知れず、重圧に耐えているのだろう。秀綱は、剽軽で軽い人柄の秀次という人物の一つ奥を知った。
「それにな、私は戦が嫌いだ。下手だしな。それよりも、町づくりや国つくりの話の方が楽しい。義光殿と話した山形城下の建設の話はとても楽しかった。私は、誰かを打ち倒すよりも、誰かを笑顔にできる仕事の方が向いておるらしい。そんな弱い私が天下人になるのだ。脇で支えてくれる者が多い程良い。その一角にお駒殿に、そして最上殿に入ってほしいのだ」
秀綱は秀次の言葉を受け取った。
「おそれながら、関白殿下はご自身の弱さを自覚されておられる。これ、すなわち名君の器かと存じまする」
光安が割って入ってきた。どうやら、話したくてうずうずしていたようだ。秀綱は光安に任せようと思った。
「弱き者が自分を強きと信じて振るうは蛮勇と申します。弱き者が弱いと知って、足りぬを他人に頼るのは何ら恥ではございませぬ。天下人ともなれば、全てを自分で差配しなければならないと思いかねませぬ、それはすなわち蛮勇になりがち。されど、関白殿下はその心配はございませぬな」
「では、太閤殿下は蛮勇を振るうておられるということか」
秀次は光安に尋ねた。光安は、頷いて応えた。
「太閤殿下が天下を一統されたことは紛れもなき事実。それゆえ、世間では太閤殿下に強き天下人を求めまする。太閤殿下もそれに応えねばなりませぬ。されど、関白殿下は、太閤殿下になれませぬ。太閤殿下になろうとしても詮無きこと。それよりも、太閤殿下ができなかったことを拾うて参りませ」
「それはいかなることをすればよいのじゃ」
「既になさっておいでではございませぬか。捨て子を側室にされる天下人など今までにおりましたでしょうか。この事実が、親を失い苦労する子供たちにどれほどの希望を与えたか。虐げられた者たちが、明日を信じることができたか。人は、明日に希望があれば、今日の苦しみも耐えられまする。関白殿下の世になれば、報われなかった自分たちも生きていけると信じられる世をお作りなされませ」
光安の言葉は、秀次の心を打ったっようであった。秀次は顔を伏して震えている。
「不詳、この光安も、ここにいる秀綱も、そして、最上家も、駒姫様も、関白殿下の望む世を実現する力となりましょう。お誓い申し上げまする」
光安は力強く言い切った。
「御義父上は、認めてくれておられぬご様子だが」
「ああ、それは無視してください。関白殿下の思いやりは、朝鮮の陣で名護屋に滞在した際に、主君にも届いてございます。まあ、愛娘を嫁に出す父親特有の症状です。はしかのようなものでしょうから、あと数日経てば治るでしょう」
光安の言葉を聞いて、秀次は笑い出した。
「左様か。それを聞いて安堵致した。されば、お伝えくだされ。ここには、お駒殿を歓迎する者たちばかりでござる。ご安心くだされと」
秀次は、少し赤い目をした笑顔を光安と秀綱に向けた。
「ははっ。そのお言葉、お伝え申し上げまする」
秀綱と光安は、秀次と約束して、秀次の前を辞した。
――この婚姻は、意外とよい縁になるのかも知れないな――
秀綱は、そう思っていた。
いよいよ、駒姫の輿が上方に来るという知らせが、義光の許に入ります。
義光も、秀次の本音を聞き、秀次を受け入れようとしますが……。




