調略の手
政宗と遺恨が発生した秀綱の許に、蘆名家の調略の手が伸びてきます。
秀綱は、どのような対応をするのか?
お楽しみください。
秀綱は、本堂の不動明王像を見上げていた。護摩も終わり、龍慶は片づけを始めていた。式部たちも、それぞれの持ち場に戻っていった。
「何か迷っておられますか」
龍慶は優しく、温かみのある声で秀綱に語り掛けた。
秀綱は、我に返って、合掌を解いた。周りを見回して、龍慶しかいないことを確認した。
「まさか斯様なことはございませんぞ。我らは、蘆名家に勝つことしか考えておりません」
秀綱は、笑い飛ばした。
「それは将兵の前での建て前でござろう。本心は迷うておるのではないかと、愚僧は推察致します。最上家にその人あり、と称えられた鮭延秀綱様が、当主とはいえ年下の小僧に辱めを受けたとあっては心穏やかではございますまい」
「貴殿は間者か」
秀綱は刀の柄に手をかけた。しかし、龍慶は話を続けた。
「料理、馳走とは相手を敬って出すもの。もてなされる方は、相手を信頼し、手をつけるもの。それにつけこんで煮えたぎった吸い物を飲ませるとは。悪ふざけを通り過ぎで、悪辣無礼でございましょう」
「なぜ、それを知っておるのか」
秀綱は驚きの声を上げた。龍慶は、にこやかな表情を崩さない。
「さてさて、愚僧は悩める名将を助けてやってほいしと頼まれて参った者。その方より、秀綱様の受けた仕打ちを聞いて、心を痛めた次第でございます」
「蘆名家の手の者か」
「奥羽の至宝とも言える鮭延様に、恥をかかすなど、蘆名の者でも誰でも心痛めるは必定。それを救って差し上げたいと愚僧は思っているのでございます」
秀綱は警戒の色を強めた。柄に手を当てたまま、秀綱は龍慶を見据えていた。
「それに、秀綱様ご自身も目にものみせてやる、と仰ったではございませぬか」
「なぜそれを!」
「さて、御仏のお教えでございましょうか」
龍慶は、にこやかに流した。そして、一歩秀綱に近づいた。
「この言葉を政宗殿が知ることになったら、いかが相成りましょうや。乱戦の中で、周囲が敵だらけになってしまいかねませぬな」
「それは、脅しか」
秀綱は、脇差を抜いた。
「おおっと、それをお納めくだされ。愚僧は、ただ、こんな戦で最上家の方々を失ってしまうのは惜しいと思いがゆえでございます。それは、蘆名義広様、ひいては佐竹義重様の思うところでございます」
蘆名家の現在の当主 蘆名義広は、常陸の大名 佐竹義重の息子であった。武勇を重んじる佐竹家が、秀綱の仕打ちに心を痛めているということであった。
「まさか、蘆名家が伊達家の中に、そこまで調略の手を伸ばしておられるとは思いませなんだ」
秀綱は、脇差を収め、龍慶から一歩引いて、座り直した。
「たしかに、某、政宗には遺恨はござる。さりとて、遺恨を晴らそうとしても、それは主君 義光の意向に背くことになりまする。それを考えると」
「具合も悪くなりましょうな。では、このようなことではいかがでござるか」
龍慶は、一呼吸おいて、語りだした。
「伊達家中には、既に鮭延様が、政宗に遺恨ありと噂が流れており申す。そのため、最上家の将兵は内応の疑いをもたれましょう。しかし、最上家とも諍いを起こしたくはないでしょう。それゆえ」
「先鋒に配置せよと、言われるであろうな。戦わざるを得ないし、裏切ったら、伊達兵からも討たれるゆえな」
龍慶は、人差し指を立てて、提案してきた。
「そこでございます。裏切りの危険のある兵たちを束ねられるのが、伊達家きっての猛将 伊達成実の軍でございましょうと、伊達家の中の軍議で、我らの味方に提案をさせるのでございます。そこで、鮭延様たちは、成実軍の足を陰に陽に引っ張っていただきたいのでございます」
「そんなことか」
秀綱は真意を聞きたい表情を浮かべた。龍慶は、続けた。
「成実の軍は、伊達家の主力。その軍が十分に機能しなければ、蘆名家の力をもってすれば逆転は可能です。この手段ならば、秀綱殿たちも裏切りの誹りは受けませぬ。単に、まぬけな若造が、軍の統率を取れぬがために、負けただけの話。いかがでしょうか」
龍慶は、一際深い笑みを浮かべた。秀綱も、ニヤリと笑った。
「なるほど、これであれば、某も最上の殿に対しての裏切りにはならんな。それに、斯様な若造とは縁を切るべしと、家中で強気に語れましょうほどに」
「それは素晴らしい。既に、奥羽にも惣無事令が出されておりまする。蘆名家は、既に関白殿下の家臣でございます。その蘆名家に刃向かうは、関白殿下に刃向かうも同義。最上家にとっても、よい結果をもたらすでございましょう」
秀綱は、黙考した。しばしの沈黙のあと、言葉を継いだ。
「我ら最上家は、庄内の件でいささか蟠りがござる。されど、天下の趨勢は覆りはすまい。今後、蘆名殿や佐竹殿には、これを機に誼を通じておきたい。その折は、某が窓口を引き受けてもようござろうか」
龍慶は、驚きのあと、満面の笑みをもって、秀綱の言葉を歓迎した。
「分かり合えるお方が最上家の窓口であれば、蘆名も佐竹も心強うございましょう。最上家は徳川殿と親しいのは存じてございますが、これを機に石田殿とも昵懇になっておかれるがよろしいでしょう」
秀綱は、2、3度頷いた。
「いや、此度の話はよかった。御仏の導きであろうかのう」
「左様でございましょうとも。御仏は、実直な勇士が言われもなき恥を受けることを良しとは思うておられないはずでございます」
その晩、秀綱は回復したと言って、龍慶を歓待した。
「龍慶様のご祈祷で、体調が回復した」
恩返しということで、秀綱たちは将兵を上げて、龍慶を持て成した。宴になった。
翌朝、龍慶は一宿と歓待の恩を謝して、寺を後にした。
秀綱たちは、龍慶が見えなくなるまで、見送った。
一刻程して、秀綱は勘兵衛を呼び寄せた。勘兵衛は、式部の許で弾薬の確認をしているところだった。秀綱からの招請だと聞いて、急いでやってきた。
「勘兵衛、すまんな。これを、片倉小十郎殿の許に届けてくれ。今後、我らに必要なことが書いてあるゆえ、用意してほしいとな。よいか。必ず小十郎殿の直接届けよ。きっと屋敷におるはずじゃ」
「はっ」
秀綱は、勘兵衛に書状を渡した。勘兵衛は、なぜそんなことまでわかるのかという顔であった。秀綱は、それに答えなかった。
「それでな、勘兵衛。小十郎殿に会うたら、これだけ伝えてくれ。『かかったぞ』とな」
勘兵衛は不思議そうな顔をしていたが、何か腑に落ちたようであった。
――感づいたか。聡いな――
秀綱は、寺を後にする勘兵衛の背中を頼もしげに見つめていた。
次回は、伊達家中に秀綱内応の噂が生じます。
その不安が払しょくできないまま、伊達政宗は、蘆名義広との決戦に臨みます。




