見参 最上義光
秀綱は悩んでいた。最上軍からの降伏勧告交渉は決裂した。志村光安という変な武将が現れたことも衝撃であった。そして、光安の告げた事実も秀綱に衝撃を与えるものだった。
――だからと言って、最上に降伏などできるものか――
小野寺義道は確かに武力にしか興味のない暗君ではある。だが、小野寺家には八柏道為という名将がいた。
――八柏殿が来れば、持ちこたえられるであろう――
だが、湯沢から鮭延城まで何日かかるであろうか。それまで、城を守り切れるだろうか。それに、謀略大名の最上義光のことだ。この城にも調略の手を伸ばしているのかも知れない。
――城内に裏切り者が出るかも知れない――
不信の想いがよぎった。だが、秀綱は即座にその想いを否定した。
――我が鮭延党に限ってそのような――
ないと、言い切れるだろうか。圧倒的な軍勢を前に怖気づく者が出ても不思議ではない。徹底抗戦を叫べば猶更だ。それに、兵士たちには家族もいる。無謀な戦を避けたいという希望を多くの将兵がもっているだろう。
――強気と弱気が斑に襲ってくるものだな。疑心、暗鬼を生ずるのが戦場。しかし、俺には経験が圧倒的に少ないのが痛い。将兵には俺の経験の少なさが不安を生じさせるであろうからな――
「物見に出る」
秀綱は、守衛たちに告げた。周囲は、当然ながら止めた。だが、今何か動かないと、秀綱自身が不安で押しつぶされそうだった。
「俺自身が、周囲の敵の様子を見ないと策も立てられない。何、様子を見てくるだけだ」
「なれば、拙者がお伴いたします」
佐藤式部と鳥海守衛が、護衛を申し出た。守衛は城の副将格だから万一を考えて、城に残れと命じた。
式部は、塚原卜伝流の遣い手である。俺は、式部を連れて、城の周囲の物見に出かけた。
密かに城の周囲を見ていくと、わずかに東側の包囲が薄いことがわかった。
「逃げるならここからだな」
「されど、罠であるやも知れませぬ」
式部が意見した。
――それもそうかも知れぬ――
「では、もう少し東側の陣に近づいて様子を見よう」
式部も不安ながら頷いて従った。二人は刀をすぐ抜けるよう鍔に手をかけながら、静かに最上陣を見下ろせる丘に近づいていく。
「殿、人の気配が」
秀綱と式部は、さっと木陰に隠れた。見ると、騎馬武者が5騎、丘の上に駆けて来ていた。
「殿、この東の陣が手薄でありますな」
――光安の声だ――
秀綱は隣の式部に視線をくれた。式部も、間違いないと頷きを返す。
「よい。既に小野寺の援軍が迫ってきている。明後日にも到着するやも知れぬ。将は、八柏道為と聞いた。短期決戦を図らねばならぬ。秀綱は逃げるとなれば、北から逃げるであろう。そこを厚くし、逃げる秀綱を包囲せよ。奴を捕えれば、城を守って小野寺を退け、戦は終わりじゃ」
低い声で各将に指示をする男がいた。身の丈は6尺を超えるだろう。年の程は、30代半ばの壮年を思わせる。無兜ながら萌黄縅の甲冑を着て、力と覇気に溢れた偉丈夫であった。
――光安が殿と言うならば、この男が最上義光か!――
式部も敵の総大将が眼前にいるとわかり、気が逸ったのであろう。ガサリという音を立ててしまった。義光たちは、それを聞き逃す盆暗武将ではなかった。
「何者じゃ。名を名乗れ」
――万事休すか。だが、義光を討ち取る好機でもある――
秀綱は覚悟を決めた。ゆっくりと刀を抜いて名乗り出た。
「そこに見えるは、最上右京大夫殿とお見受けいたす。某は、鮭延城主 鮭延典膳秀綱。ここでお会いしたも何かの縁。いざ勝負」
「がっはははは。鮭延の大将か。光安はお主を味方に加えるべしと申すが、それほどの価値があるのか儂はまだわからぬ。では、値踏みさせてもらうとするか」
義光は、傍らの武士から棒を受け取った。無粋な一本棒であった。
「がっはははは。儂は根っからの田舎大名でな。刀や槍などより、この鉄棒の方がしっくりくるのだ」
義光が、力任せに鉄棒を振り回すと、木が二、三本薙ぎ倒された。
――なんだこの怪力の武将は――
しかし、迷いを断ち切るには、義光を討つのが一番だ。
「いざ、参る」
秀綱は思いなおし、秀綱は義光に斬りかかった。
「がっはははは、臆せずに斬りかかってきたのは、お主が何人目じゃったかのう」
義光は高笑いしながら、軽々と秀綱の一太刀を受け止めた。
「殿、おそらく3人目でございます」
涼やかな声が、義光に懸けられた。光安だ。
「左様か。若いのになかなかの者じゃな。だが、勇気と無謀は違うぞ」
義光の横なぎに繰り出された。受けきれないので、背後に飛んだ。鉄棒が秀綱の前で空を切った。
――今だ――
秀綱は、隙をついて義光の懐に向けて、突きを繰り出した。だが、義光は右手で小太刀を抜いて防いだ。
「がっはははは、この棒は片手で操るものよ。片手で突きを受けるなど造作もないことよ」
――なんだ、この化け物は! こんな奴、小野寺にも大宝寺にもいなかったぞ――
秀綱は、義光の人間離れした膂力に驚いた。一合、また一合と打ち合うたびに、周辺の木や岩を砕く轟音が周囲に響いた。
「殿、敵陣から動きがございます」
式部が叫んだ。最上家の陣から兵が丘に向けて走ってくるのが見えた。
「最上義光、勝負はここまでだ。無念だが、引き上げる」
「応、若造。楽しませてもらったぞ。次は得意の槍でかかってこい!がっははははは」
――なんという化け物だ 打ち合った腕が痛い――
しかし、援軍が来ていると知れたのは朗報だった。裏を突いて、明日は東から一気に抜けようと秀綱は考えていた。




