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太史慈転生伝~最上義光を放っておけないので家臣になって手助けしちゃいました~  作者: 黒武者 因幡
第1章 最上家の武将 鮭延秀綱編

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上杉家 動く

庄内を巡る最上家と上杉家の争いが、天下を大きく揺るがしていくことになります。


そして、上杉家の直江兼続が今回は登場します。

 秀綱は、最上義光ら重臣一同列席の会議に呼ばれていた。その席で、有屋峠の戦いの顛末を報告した。併せて、小野寺家の内情も報告した。義光は、満足げに頷いていた。


「嘉蔵も、うまく使いこなしているようだな」

 義光は、ニヤリと笑った。


 次いで庄内地方において東禅寺義長とうぜんじよしながを支援する方策が伝えられた。

 

 東禅寺義長は、かつて悪屋形と称せられた大宝寺義氏に仕えていた。武勇を誇る一方で、財政に明るく無駄な戦を避けるように、度々、大宝寺義氏に進言したが、退けられていた。

 義長は、やがて日本海有数の良港・酒田港を義氏に召し上げられようとした。そこで、義長は、大宝寺家に謀反し、大宝寺義氏を自害に追い込んだのである。


 自害に追い込まれた義氏に、秀綱は小姓として仕えていた。しかし、義氏に心服できなかった秀綱は、義氏の死を聞いても、憐憫の情を一切感じなかった。それだけの「悪屋形」であったのだ。


 一方、東禅寺義長も秀綱は知っていた。話のわかる、秀綱よりも一回り上の年齢の武将であった。義を大事にする武将であるので、義氏を討つ際に葛藤もあったであろうと秀綱は推察していた。


 そんな思いをしてまで味方してくれた東禅寺一党を見捨てることはできないと、義光は強く言った。重臣たちも、秀綱も、頷いた。


 しかし、それは新たな火種を生むことになった。経済的に恵まれていた庄内地方を巡って、上杉家との対立が激化していったのである。

 大宝寺義氏の弟・義興は、養子に上杉家重臣・本庄繁長の子 義勝を迎えていた。そのため、義興は本庄繁長を通じて、上杉景勝に支援を求めたのである。


◇◇◇

 同じころ 

 越後国 春日山城

 春日山城でも、上杉景勝以下が、今後の最上家との今後の対立が、重臣たちの間で議論されていた。


「最上義光の勢力拡大を食い止めねば、出羽だけでなく庄内をも蚕食されてしまいますぞ」  

 本庄繁長は最上との戦いを主張した。


「されど、新発田重家の反乱も起こり、庄内まで手を広げる余裕はあるまい。庄内は見捨てるほか止む無し」

 千坂高信は、反対した。

 

 上杉景勝は、謙信亡き後に勃発した後継者争い・御館おたての乱で、北条家からの養子であった景虎を破って、上杉家当主の座についた。その折の論功行賞に不満を抱いた新発田重家が反乱を起こした。今は、五十公野いじみのから沼垂ぬったりや新潟港周辺までを勢力下に収める大規模な反乱に拡大してしまっている。


 上杉家重臣の間では、庄内への関与を減らすべしという意見が大勢を占めようとしていた。

当主の景勝は無口な性質だが、今日は一層押し黙って、厳しい顔をしている。


「一つ、策がございます」

 議論が半ばを過ぎたころ、一人の若武者が声をあげた。涼しげな、よく通る声であった。景勝の信頼厚い側近の直江兼続であった。兼続の言葉を待つべく、衆議は沈黙した。

「兼続、申せ」


 厳かな、低く響く声が広間に木霊した。


「豊臣秀吉に臣従致せば、解決することができましょう」

 こともなげに、若武者は言った。


「直江殿、名門の上杉家が、あの素性怪しき者に屈せよと言われるか」

 反対の声が複数上がった。だが、兼続はすました顔でやり過ごした。


「左様、あの猿面冠者に屈するのでござる」

 ここまで言って、兼続は扇を取り出し、バシッと床をたたいた。


「それしか、上杉家を存続させる道はござらぬ!!」

 先程と一転して、兼続は号した。直江兼続 冷静と情熱 反する情を併せもつ稀代の謀臣であった。

 この一喝で、衆議は再び静まり返った。


「既に戦国の世は、変わったのでございます。誰が天下を取るか、ではなく、豊臣秀吉の天下を受け入れるのか否か、に」

 兼続は、周囲の重臣たちを見回した。声は、冷静な声に戻っていた。


「確かに、上杉の家は、室町の名門。そして、先代謙信公は、武門の誇りでございました。されど、」

 兼続は、間を置いた。景勝は、首をひねって、コキリとの骨を鳴らした。兼続は、続きを話せという意味で受けとった。


「意地を張って、上杉の家を滅ぼしてはなりませぬ。斯くすれば、我らを生かすために、織田の軍勢迫る魚津城で全滅した将兵たちに、申し訳が立ちませぬ」


 天正10年(1582年)6月

 柴田勝家率いる織田軍が、越中の魚津城を取り囲んだ。景勝や兼続は、援軍に赴いたものの城を救援できなかった。その一方で、信濃から迫る織田軍から春日山城を守るために、景勝たちは魚津城救援を諦めた過去があった。

 魚津城将兵は、柴田勝家の軍に最期まで抵抗して、全滅した。彼らが犠牲になっている間に、本能寺の変が勃発し、上杉家は滅亡を免れたのである。


「彼らに報いるためならば、この頭、いくらでも下げようではないか」

 景勝は、ぼそりと呟いた。兼続も平伏して、景勝に感謝を述べた。

 上杉家重臣たちも平伏して、従う意を示した。


「で、反乱を抑え、庄内を獲得する策とは何じゃ!」

 本庄繁長は、強く尋ねた。繁長は、息子が関わる問題のため、焦っている。


「総無事令を出してもらうのでございます」

「総無事令?!」

 兼続の言葉を理解していない者もいた。兼続は、簡潔に説明を行った。


「総無事とは、秀吉による戦の停止ちょうじ令です。これに反する者は、天下人に逆らったとして討伐の対象となり申す。それを、越後や出羽に出してもらうのです。臣従の引き換えに」

 重臣一同が顔を見合わせた。兼続はなおも続けた。


「今、越後や奥羽では、秀吉への臣従を申し出ている大国はありませぬ。さすれば、先に申し出れば、有利に条件を引き出せるというもの。五十公野や新潟はもとより、庄内まで上杉領と認めさせれば、最上義光とて、手が出せますまい。逆らえば、天下の謀反人となり申す。そんな愚かな手を打つ相手ではありませぬ」


「しかし、そんな手を義光側が簡単に飲むであろうか」


「で、あればこそ、義光にも利がなければなりますまい。最上家は、出羽探題として公式に認めるように取り計らえばようござろう」


 兼続の話に、景勝は頷いた。上杉家への衆議は決した。秀吉への使者は、兼続が向かうことで一致した。



 この兼続の一手が、この後、最上家に大きな影響を与えていくことになるのであった。



秀吉との面会や臣従を巡って、兼続と光安の競い合いが始まっていきます。


かつて、織田信長に認められた秀綱と光安の二人が、秀吉とどう対峙していくのか。


次回は、再び舞台は上方に移ります。

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