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太史慈転生伝~最上義光を放っておけないので家臣になって手助けしちゃいました~  作者: 黒武者 因幡
第1章 最上家の武将 鮭延秀綱編

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秀綱たちは、いよいよ反撃に出ます

光安の仕込みが、そろそろ活きてきます。

 秀綱は、大手門の砦に立っていた。眼下では、八柏道為の軍と、秀綱たち最上軍の戦いが繰り広げられていた。秀綱は、号令をかけず、叱咤もせず、ただ立っていた。光安から、戦いにおける一切の指揮を禁じられていたからだ。


 代わりに、叱咤の声をかけるのは、最上義康であった。父の義光似のよく通る声は、戦場でも目立った。秀綱は、義康の脇に控えて、時折声掛けの機や内容を助言するだけであった。


 籠城する側の最上勢は、よく堪えた。攻めかかる八柏勢に、犠牲が出るだけであった。一方で、山頂に陣取る黒沢甚兵衛の軍2000は、動かなかった。


――小野寺手勢は、戦に呼ばずか。それとも使えぬか。八柏の爺さんも苦労するな――

 秀綱は、道為に同情した。信頼できぬ黒沢甚兵衛に、城を落とした手柄を譲ってやるなど約束をしているのだろう。今更、城一つ落とした手柄など求める道為ではないと秀綱は思っていた。


――それに胡坐をかいて、いいとこだけを頂こうというわけか。舐めてるな――

 秀綱は、有屋峠に陣取る小野寺軍の旗を睨んでいた。



◇◇◇

「退けい!退けい!」

 道為の軍が、夕方になって戦を止めた。夜襲を警戒して、城を離れた。それを見て、周囲から民たちが数人出てきて、戦場に落ちた武器や戦死した兵の甲冑を剥いでいった。


 最上康義の名前で出した使者は、八柏道為に、戦場での戦いが一段落したら、戦場に落ちている武器や甲冑などは、民たちが持って行っても文句は言わないと認めさせた。城下を焼いて、民の生活を圧迫した道為である。さらに、鮭延領の民衆の反感を買ったら、非協力や反乱などで思わぬ痛手を被ることを知っている。だから、民の乱捕りを、ある面、補償であると割り切っていたのである。


「なんじゃ、今日は少ないのう」

「何なら、鮭延の最上勢からも死者を出してくれれば、儲かるのにのう」


 民たちは言いたいことを言って、獲物を奪って、村々に帰っていった。今日で、既に4回目の乱捕りであった。


 もちろん、道為は城の最上方による収奪を疑って、やってきた民衆たちの後を忍びにつけさせた。だが、民衆たちは、周辺の村々から三々五々集まっていたようで、特に組織立っているようには見えなかった。こうした動きを知った商人たちも、各村々に回って、民衆たちが持ち帰って武具甲冑を、買いに来ていた。

「この甲冑は、ほころんでいるから、相場から2割減だな」

「そんなあ、もっと高く買ってくれんと、おまんまの食い上げじゃあ!」


「そっちの槍は、3本で100もんでどうじゃ」

「けちじゃのう!」

「ほんなら、この食い物つけてやるぞ」

「ふん、どうせ拾ったもんじゃ。今は、この子が食える物がほしい。ええい、もってけ泥棒!」

「泥棒はお主のほうじゃろうが」

 このやりとりに、村人たちや城下から避難した民は笑っていた。


 各村でのこうしたやりとりを道為は報告を受けた。武器など買い上げたものは、商人たちが引き揚げていった。どこに持って行くのか伺っていたら、庄内方面で最上義光と上杉家に本庄繁長の間で合戦が起こりそうだということで、そちらに持って行くようだ、という報告も道為は聞いていた。

――全く民はたくましいわい――

 道為は、苦笑して民衆の監視の目を緩めたのである。


◇◇◇


「何だか慣れないな」

 光安は、秀綱の甲冑に身を包んでいた。その秀綱は、前立てのない兜に黒塗り無地の甲冑を着ていた。

「今日の戦では、大手門を開いて、一合戦致しますぞ、義康様」

 光安は、義康に伝えていた。義康も最近は慣れてきたようで、大手門からの指揮の声も多彩になってきていた。

「任せろ、せいぜい激しく戦わせてやる」

 義康もがぜん、やる気を見せている。


「民衆たちの行動への監視が緩んでいる。商人たちには、景円寺の和尚がご飯を欲しがっていると、村々に伝えている」

 光安は、将に見えない姿になった秀綱に伝えた。一瞬、光安も秀綱を探して視線を彷徨わせたくらいだ。秀綱は、これで道為を騙せる確信を抱いた。


「綱元、おるか」

「はっ、綱元これに」


 秀綱は、白石綱元を呼び寄せ、最後の打ち合わせをした。綱元は、襤褸の作務衣を着ている。

「景円寺に着いたら、お主らがかつて村のために作りかけたという有屋峠への間道を案内せよ。大手門が開いたら最後に打って出て、乱捕りに紛れて、景円寺に参れ。よいな」

「はっ」

 綱元は、頷いた。


 城外では鬨の声が響いた。


「よし、では義康様、お願いします」

「わかった、私に任せろ」

 意気揚々と義康は、大手門の砦に上がった。光安も、秀綱の影武者として、脇に静かに控えていた。


「打って出よ!今日こそは、五月蠅き小野寺の爺の白髪首を、我の眼前に持って参れ!」

 義康の号令で、城門が開かれた。騎馬武者を先頭に、100程の兵士が大手門から打って出た。秀綱も半ばくらいから大手門から外に出た。


「ええい、押せ押せ、押せい! 今が戦機ぞ、後軍、打って出よ!」

 義康は、さらに200の手勢を城外に出させた。一進一退の攻防が続いている。この合間に、秀綱は戦場を離脱した。


「おのれ、逃げた兵がいるぞ!軍罰ものの痴れ者ぞ! 誰ぞ、奴を追って討ち取ってまいれ!」

 秀綱を追って、3人の兵が戦場を離れた。秀綱たちは、城の西方の山林に消えていった。



◇◇◇

 秀綱は、景円寺に向かった。秀綱とともに戦場を離脱したのは、満茂配下の忍びであった。他の忍7人は商人に化けて、民衆から武器を買っていた。その買い上げた武具甲冑は、景円寺の庫裡に隠してあった。


「さて、ここから反撃だ」

 景円寺の八郎兵衛が空腹であると、村々に話がいっていた。そのため、民衆たちが食べ物を持ち寄ってきていた。山門が閉じられた寺では、ちょっとして宴会が開かれていたようである。外から見た限りでは。


 しかし、実際は違った。焼け出された民衆に紛れて、村々に兵士を隠していたのである。秀綱を追った忍たちが、村々に伝達して回った。知らせを受けた兵士たちは、各村から三々五々集まった民衆を装って集結した。唄を歌いながら、馬鹿笑いをしながら、皆、運んだ甲冑を着こんだ。


 綱元が、分捕りに紛れて、景円寺に着いた。綱元も、食事をとり、甲冑を着こんで、準備を整えた。



「さて、参るとするか。反撃開始だ!」


 明け方、曙光が山々を照らし始めた。何とか道が見えるようになってきた。山門が静かに開けられた。

 秀綱が率いる兵は、およそ100


 開削できていない間道のため、途中は山林を進むことになる。しかしお陰で、小野寺勢はその存在を知らない道である。尾根伝いに続く道の先にある有屋峠まで、一刻ほどである。

 秀綱勢は、足音を凝らして、ゆっくりと進んでいった。

 





武田信玄が信濃の諏訪を完全に支配下においたきっかけになったのが塩尻峠の合戦です。

この戦いでは、信玄は甲信国境にいて、佐久の村上に備えて動きませんでした。その隙に、小笠原長時率いる信濃の豪族連合が、塩尻峠を越えて、諏訪大社下社を占領しました。

そして、戦勝に浮かれている小笠原たちの隙をついて、信玄は軍を動かし、上社から諏訪湖の西岸の山を軍勢を動かして、塩尻峠に本陣を構える小笠原本陣を突いて勝利するとなっています。


しかし、この通説には疑問が残ります。実際、軍を移動させたら、いかに小笠原でも気づくはず。

その視点で考えたら、既に諏訪湖西岸の村々に、伏兵を分散させていたら?

その領民たちは武田支配を望む地域でもあったのですから、その伏兵を受け入れたでしょう。


だから、少数の指揮官が動いて、監視網をかいくぐって、急に伏兵が現れて、小笠原は大混乱に陥ったと推測しています。


今回の有屋峠の戦いでも、その考えに基づいて、策を練っております。


次回は、秀綱たち最上軍の反撃の回になります。


お楽しみに。

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