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太史慈転生伝~最上義光を放っておけないので家臣になって手助けしちゃいました~  作者: 黒武者 因幡
第1章 最上家の武将 鮭延秀綱編

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八柏道為の決意

今回は、小野寺家の軍師 八柏道為の話がメインです。

 八柏大和守やがしわやまとのかみ道為みちためは、苦悩していた。原因は、主君の小野寺おのでら遠江守とおとうみのかみ義道よしみちであった。


 義道は、武勇に優れていたが、短慮であり、度々決断を誤った。

 先年、義道は、人質であった由利郡の豪族・石沢の娘に迫って、拒んだ娘を死なせてしまった。そのため、由利十二党と呼ばれる豪族連合が、小野寺家と対立した。勢いにのる由利十二党が、小野寺義道と大宝寺義氏の間に立ちふさがる格好となったため、大宝寺義氏が孤立した格好となった。

 その隙をついて、義氏に反感を抱く家臣や領民が義氏を攻めて、自害に追い込んでしまった。人々は、義氏の悪政の報いだと囁き合った。


 この大宝寺家の衰退は、小野寺家にとっても打撃であった。勢力を増す最上義光に対して、協力すべき相手を失ってしまったからである。


――その大宝寺義氏の件でも、鮭延の若造が暗躍したらしいな――

 

 秀綱は、配下であり、大宝寺義氏に恨みを抱く白石綱元らとともに大宝寺陣営の調略を進め、多くの将兵を離反させた。老練の武士にも劣らぬ手際だと、道為は認めていた。


――なぜ誰もあの若造の才に気づかなんだのだ。義道様が年も近いあの秀綱を見出しておったら、今頃は儂と小野寺家の両腕になって、小野寺を隆盛に導いていけたものを――


 そこまで思って、道為はその想いを否定した。

――いや、義道様は大宝寺の冴えない小姓だった秀綱しか知らなかったのだ。取り上げようもないか――


 道為は、義道への己の接し方を悔いていた。


――本来は、義道様は人形を作って大事にされるほど、心優しく繊細だったお方だ、それをひ弱として、武将として無理やり仕立てたのが、儂と先代の輝道様じゃった。武勇に優れるようにしただけでも良しとしなければならぬな――


 道為は、先代の輝道とともに、出羽における小野寺家の躍進をもたらした存在だった。輝道は、道為を一族以上に信頼した。八柏家を小野寺一門と同様に遇するほどであった。そのため、道為にとって義道は、我が子同然の存在として、厳しく接した。全て、小野寺家の総領として育てるためであった。


――だが、道を逸れてしまったな。力があれば何をしても良いと思うようになってしまった――

 そこに、義父となった義氏の存在が拍車をかけた。義父の力に憧れ、真似をするようになってしまったのだ。


――そんな義道様に、義を重んずる秀綱が仕える道理はないか――


 道為は、先の戦で死んだ将の墓に手を合わせながら、思案を巡らせていた。


「伯父上もいらっしゃっていたのですね」

 すらりとした長身の男が、道為に声をかけた。八柏家の者であるが、小野寺姓を名乗ることを許された小野寺孫作であった。端正な顔立ちは、小野寺家の貴公子と言われ、妻を迎えた際には、小野寺家中の女性が涙したと噂された。違い鎌十文字槍の使い手で、小野寺家最強の武将とまで言われている。その孫作は、兄の孫三郎とともに、出羽湯沢城で、伯父の道為を補佐していた。


 道為は合掌していた手を解いて、孫作に笑顔を向けた。


「ああ、我らの号令に従って死んだ者の墓だ。命日には、できる限り参ってやらずばなるまい」

 道為は、背後の小さな墓を振り返って言った。


「伯父上が、こうして部下の墓の前で長く手を合わせるは、戦の前の儀式でしたな」


 道為は応えない。しかし、孫作は既に理解していたようである。


「鮭延城を攻めるのですか」

 ――相変わらず、勘の良い奴よ――

 ここまで把握されているなら、隠す必要もないと道為は思った。


「そうじゃ、此度の戦の目的は、ただ一つ。鮭延秀綱の首だ。それだけ上げられれば、十分だ」


「鮭延秀綱。伯父上が器量を買っていた若武者でしたな。優秀な若者を求めている伯父上らしくないですな」


「あ奴は、最上家で頭角を現しておる。残念ながら、義道様と最上義光とでは、その器量は雲泥の差だ。秀綱が、こちらに寝返ることは絶対にあるまい」


 道為の言葉に、孫作が笑う。


「そこまで評価しているなら、いっそのこと伯父上が最上義光に与したらいかがですか。その方が、活躍できるでしょうに」


 道為は、背後の墓を振り向いて言った。

「儂は、先代の輝道様と一緒になって、小野寺家を導いてきた。さらに、家中には「八柏大和守掟条々」を徹底させて、引き締めた。その儂は、多くの将兵を、小野寺のために死せと戦場に送ってきた。その儂が小野寺を裏切ったら、冥土に行った時、こやつらに会わす顔があるまい」


「頑固だなあ」

 孫作は爽やかに笑った。


「孫三郎は、いかがじゃ」

 孫作は、笑いを止めた。


「兄の肺病は落ち着いています。最近は吐血も少ない。このまま治ってくれれば良いのですが」

「養生を大事に致せ。我が智謀を孫三郎は受け継いでおる。我が武勇は、お主孫作が受け継いでおる。お主らがいれば、八柏の家は、まだまだ小野寺の家に貢献できるゆえな」


「なんだか、伯父上が死ぬみたいだ」


 道為は、屹度、孫作を見据えた。


「いつでもその覚悟はしている。ただ、無駄に死ぬつもりはないがな」


 そう言って、道為は孫作と別れた。孫作は、道為の背中を見つめていた。


◇◇◇


天正14年(1586年)5月


 鮭延城に急報を知らせる使者が駆けてきた。


「小野寺勢およそ3000! 出羽横手城を進発!! 大将は、八柏大和守道為でございます」


 鮭延城には激震が走った。光安が手勢を率いて、すぐに駆けつけてきた。秀綱は、その間、楯岡満茂に早馬を走らせた。


「いよいよ来たか、仙北の霹靂へきれき 八柏道為が」

 秀綱は、両の手を合わせて強く握った。強敵の来襲に、武者震いを覚えた。


 



いよいよ出羽の南北戦争 有屋峠の戦いが始まります。

因みに、この年は、秀吉が豊臣姓を名乗り、天下平定に向けての大きく動いていきます。

徳川家康が、秀吉に臣従し、九州征伐が始まった年です。


そんな中でも、奥羽にはまだ秀吉の影響はあまりなく、大名同士の合戦がまだ行われていたのですね

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