志村光安という男①
「全く、こんな小城にここまで大軍を繰り出してくるとはな」
秀綱は、大手門の砦上から最上軍3000の兵を見下ろした。対して鮭延城には、400程度の兵しか入っていない。周囲を取り囲まれて、脱出はできそうになかった。
「殿、敵陣から使者が向かって参りますぞ」
傍らにいた守衛が、敵陣を指さした。緋縅の甲冑を着た身分のありそうな武士が一騎、鮭延城に向かってゆっくりと近づいてきた。
「某、最上義光が配下 志村光安と申す。主君義光の名代として参った。開門願いたい」
志村光安と名乗る武将の声は、涼やかに響いた。
――思ったよりも若いな――
秀綱は、大手門の上から光安を見下ろした。光安は堂々としている。大軍を背景に、自分に危害を加えられまいという自信が見て取れた。全くもって忌々しい。
「開門致せ。ご使者を中にお通しせよ」
秀綱の支持に城兵は門を開けた。光安は秀綱に微笑み、一礼して門をくぐった。
二の丸に設営した陣内に光安を通した。案内は守衛である。守衛は鮭延家に長年仕えた武者だ。年が離れた妻との間に男子がいた。あと10年もしたら、息子に後を譲ってゆっくり過ごしたいと常々話していた。
「いえいえ、まだそんな年ではありますまいに」
涼やかな声が陣幕の外に聞こえてきた。光安の声であった。
穏やかな空気が陣幕内に漂っているように思えた。
――戦前の話にしては、緊張感のない――
秀綱は眉間に皺を寄せて、乱暴に陣幕内に入った。守衛は、ハッとして顔を赤らめた。
「何やら楽しそうに語っておったようですな」
秀綱は、光安の正面の床几にやや荒々しく座った。軋む音がした。
「殿、申し訳ござらぬ。ご使者殿は不思議なお方でして、和む雰囲気をお持ちと言うか。自然と世間話などしており・・・」
守衛の詫びの途中で光安が言葉を継いだ。
「鮭延家の方々は、素晴らしい方々ですな。話を聞いていて楽しかったです」
光安は、秀綱の苛立ちにも構わず、飄々と話を続けた。
「鳥海守衛殿のご子息も優秀なようで。それに、佐藤式部殿は、母御のために最近は布団を購入されたとか。夏でも冷えはいけませぬ。式部殿は孝行者の鑑ですな」
「そんなことまで話したのか」
秀綱は、脇の佐藤式部に目をやった。式部は、首を横に振った。
――家中の情報が洩れているということか――
秀綱は動揺を表さないよう、一呼吸して光安に話しかけた。
「して、最上右京大夫殿の書状は」
「こちらに」
光安は書状を差し出した。秀綱は受けとって広げた。
――白紙!?何も書いておらぬではないか――
「ご使者殿。何も書いてござらぬが」
怪訝な表情を浮かべた秀綱に光安は微笑みかけた。
「いかにも。この戦い、某に一任されておりますからな。思うように伝えて参れとのお許しを貰っております。それに……」
秀綱は視線で光安に先を促した。光安は頷いた。
「どうせ書状は某が書くのです。ならば、書く時が勿体ない。それゆえ、急ぎ参った次第です。ただ、書状の最後をご覧ください。最上の印がございます。これが、嘘ではない証と思っていただけたら幸いです」
「なるほど。右京大夫殿は、あなたをよっぽど信頼されているようだ」
「ほしい……」
「はっ?」
――いったい何を言い出すのか――
秀綱は警戒を前面に出した。しかし、光安は意に介さない。
「こんな大軍に囲まれていても動揺しない主君に家臣。内心はわかりませんが、こんなわけのわからない使者の口上にも耳を貸そうとされる。全くもって鮭延家は素晴らしい。秀綱殿は、18歳とは思えぬ落ち着きだ。そして、家臣たちは秀綱殿を守ろうとする忠臣たちの集まりだ。だからこそ、我が軍に加わってほしい」
「話が飛躍しすぎですぞ!」
秀綱は開いた口が塞がらなかった。たまらず、脇から守衛が口を挟んだ。光安の涼やかな声が熱を帯びていたので、おそらく本心からなのだろう。
「つまり、我らに降伏致せということなのか」
秀綱は一段低い声を出して、光安に語り掛けた。
「いえ、そんなことではありません。我が友となって、ともに最上義光のために戦ってほしいのです」
――こんな変な奴の友なんて御免だ。友なんて、初対面で、しかも戦場だぞ!こいつは最上の知将かも知れんが、天才と言うのは何か外れてしまっている奴のことを言うのかも知れんな――
だが、秀綱には違和感があった。薄気味悪さを感じながら、この光安になぜか懐かしさも感じていた。
――なぜなのだろう――
秀綱は己の感情を整理できずにいた。




