織田信長の問い⑤
織田信長とのつながりを得た最上家
信長の深謀遠慮を光安が秀綱に伝えます
秀綱は、茶室内で光安と対峙していた。図らずも、自身の言動に最上家の将来がかかっていたとは知らなかった。それを信長の会見時に知って驚いたのであった。安土内で騒ぐのは得策でないと思って、一切光安と口を利かなかった。
安土を離れ、長浜を後にした辺りで、秀綱は光安を詰った。
「大事なことは、先に言っておけ。間違ったことを申し上げたら、こちらの首だけでは足らなんだぞ」
「はっはっは、そうなったら、私が付き合うさ。けど、その心配はしてなかった。秀綱の普段の言動や考えだったら、信長殿の考えに合致すると思っていたからさ」
平然とするだけでなく、軽く笑う光安に、秀綱は怒りを覚えた。それを感じて、光安は茶店に誘った。
光安は、奥の座敷に座り、奥への人払いを願って、いくばくかの金を店主に渡した。
「信長殿は、既に天下を統一した後のことを考えている」
光安は、声を潜めた。秀綱も、そのことは認識している。
「だから、全国の大名の峻別に入っているんだ」
「峻別って何なんだ」
「文字通り、分けるのさ。太平の世に残す家と、戦国とともに切り離す家とをね」
「どういう意味だ」
秀綱は、少し声を張り上げた。光安は、それを制して、声を上げないように注意した。
「『狡兎死して、走狗煮らる』という奴だよ。そこは、理解できるだろ」
天下平定の戦が終わった後は、武功でならした将軍たちは却って治世の邪魔になるという考えであった。漢の高祖・劉邦は。実際に漢王朝成立後、功臣たちを続々と粛正していった。
秀綱は、光安の言葉を待った。
「信長殿の後継者は、信忠殿だ。だが、実際に武将としての能力は、方面軍の武将たちの方が秀でている。信長殿の後、武将たちが言うことを7きくのか怪しい。だから、信長殿は今、壮大な天下一統の総仕上げを考えているんだ。それが、唐入りさ」
「唐入り?」
「そ、文字通り、唐に軍勢を進めるのさ。我らにとっては、故郷に軍を進める、ということになるのかも知れないけどね」
太史慈の転生主である秀綱、龐統の転生主である光安、それぞれに唐入りの言葉は重い。
「まあ、安心してくれ。これは、信長殿の本意ではない。いや、勝つ気はない戦いだ」
「それがなぜ、天下一統の総仕上げになるんだ」
「考えてもみてくれ。大陸に渡って戦うんだ。兵站はどうなる。大陸に渡った将兵はどうなる。無事に帰れると思うか」
秀綱は考えた。明との間には、外海が広がっている。かつての太史慈が知る呉の船団でも、外海に出るのは容易ではなかった。ましてや、当時、東にあるという幻の仙人の国には行くことすら考えられなかった。
――その仙人の国に転生したのも皮肉なものだな――
秀綱は思案の最中で苦笑した。
「渡海は博打だな」
光安も我が意を得たりとばかりに頷いた。
「だろう。だから、船に乗り込んで大陸に行くなんて、無謀な戦いなんだ。その戦いに、戦の世を望む連中を乗せて明に戦を仕掛けるつもりだ」
――そういう意味か。自らの手で討つのではなく、外敵に討たせるつもりか――
「だから、信長殿は、国内におく大名と国外に行かせる大名を峻別しているんだ。その中で、最上家はめでたく、国内に置かれる大名になった。お主のおかげだ。ありがとう」
「だから、俺の教育や統治の方法を話させたのか」
「それもある。けれど、殿自身が戦を嫌って、謀略を仕掛けるだろう。それが、どのように信長殿に伝わるかわからない。だから、こんな秀綱という武将を近くにおいて、出羽の統治を考えてますって直接伝えたんだ。私の件もあるし、信長殿は最上家を気にしているのは確実だったからね。だから、好意的に受け取ってもらえるはず、と考えて、お主を信長殿への謁見に誘ったんだ。渡海は博打だとお主は言ったが、これも博打だったが、全て良い目がでた」
秀綱は、光安の考えていることの奥行きが、どこの誰よりも深いことに驚いた。
「ひょっとして、劉備に仕えた時も、龐統には深い計略があったのか」
光安は、お茶を啜ってから、鷹揚に頷いた。
「当然。蜀を速攻で奪取し、荊州との魏同時侵攻を考えていた。もちろん、呉とも協力してのことだけどね。西涼の馬超たちも劉備様のつながりで協力してくれただろうから、魏は十分に討てたと考えている」
壮大なことをケロリと言ってのけた。
「それも、内政を十分に任せられる諸葛亮がいたからこそだがな。だから、孔明を荊州において、自身が蜀遠征に帯同したんだ」
秀綱、いや太史慈は、龐統の思慮の深さに改めてため息をついた。
「それが、果たされなかったことが、龐統の思い残しなのか」
「いや、違う。本当は赤壁の戦いを己が仕切りたかったのだ。それが、できなかったのが思い残しだな」
――だったら、時代が違うのではないか――
秀綱が、フフフと笑った。光安もその意味に気づいたらしい。
「統一が近い時代に生まれたのは間違いだと思っているのだろう。だが、この後、何が起こるかわからんぞ。何せ、勝利目前で何かが狂って、目的を達成できなかったという例は歴史には多数あるからな。赤壁での曹操のように、な」
「ま、そうだな。事前にこんな話を聞かされていては、俺も自分の考えが話せなかったかもな。わかった。深謀遠慮の軍師殿に、今後は俺のことも託すとしよう。決して悪くはしないだろうからな」
「ありがとう」
光安は真剣な目を秀綱に向けていた。いつもの軽薄な答えを待っていた秀綱は面食らった。
「さて、その前に我らは殿に間違いなく報告を致すとしよう。出羽守として、最上家を織田家の協力者とみなしてくれるということを伝えねばなるまい」
秀綱たちは茶店を出た。当面の向かう先は浜松だった。
◇◇◇
秀綱と光安は、徳川家にも挨拶し、無事に対面できたことを報告した。
「左様か。それは、良かった。取次役としての、儂の面目も立った。何やら、信長殿はお主らを気に入ったようじゃな。儂も近々、武田討伐に出向く。そこで、お主らの話は、信長殿との良い話題となろう」
秀綱と光安は、家康の家臣の酒井忠次の邸で歓待され、翌日出羽に向かって、馬を進めていった。
◇◇◇
最上義光も、秀綱と光安の報告を聞いて、感激したようであった。足労の宴に、興に乗った義光自身が庭の木を引っこ抜いて、屋敷の中を泥まみれにした。騒ぎを聞いてやってきた正室の北の方から、義光以下、家臣一同きつく怒られた。
以後、最上家は出羽の領主たちを傘下に組み込むべく、戦と調略を進めていった。そこでも、信長の信任厚いというのは、大きな武器になった。周辺の国人領主たちとの争いも、小康状態になり、最上家に恭順を示す家も多く出てきた。
そんな時であった。上方から驚く知らせが、最上家に、いや日本全土に届いた。
天正10年(1582年)6月2日 京・本能寺において、織田信長が家臣の明智光秀の謀反により死す
この本能寺の変を境に、再び出羽に動乱の時代がおとずれたのである。
この後、数年、出羽では勢力争いが起こります。
そして、小野寺家は、ついに切り札 八柏道為に軍を任せます。
次回から、秀綱との因縁のある軍師 八柏道為と秀綱ら最上家の激戦が始まります。




