折れた槍 折れない想い③
秀綱は、かつて槍を教えてくれた朱槍の八郎兵衛と再会しますが……
そこにいたのは、かつての武勇を誇る勇士ではなく、自信を失った八郎兵衛の姿でした
秀綱は山の中腹を見上げた。狭隘な道の先に山門が見える。その奥が、景円寺である。
景円寺は、本堂の他に、僧房や庫裡、不動堂など複数の堂宇を持つ寺であった。かつては、近在の郷を束ねる、それなりの由緒、伝統のある寺であったが、秀綱の父・貞綱と大宝寺家との戦いの折に、多くの堂宇を焼失し、無住の寺となっていた。
案内役の大善を先頭に、秀綱と光安が続いた。山道の半ばあたりから、秀綱は人の気配を感じた。それは、大善と光安も同じようだった。
――殺気はあまりない。我らを見定めておるようだな――
秀綱は、姿の見えない相手に馬上から名乗った。
「俺は鮭延城の鮭延典膳秀綱だ。この寺にいる坊主が、俺の昔の恩人かも知れないと思うて会いに来た。他意はない。わかったら、取り継げ」
秀綱の急な名乗りに、大善は驚き、眼をみはった。光安は、俺の不用意な名乗りも想定していたように涼しい顔をしている。
1町(約100メートル)ほど離れた茂みから、一人の男が姿を現した。侍の格好をしている。太刀はなく、脇差一本で褪せた萌黄色の水干を身に着けていた。
「あの距離なら、鉄砲も届くか届かないかの距離です。心得ておるようですな」
大善が秀綱に近づいて、囁いた。秀綱も、その周到さを認めた。
「親父の知り合いか?」
少し甲高い、幼さの残る声であった。秀綱は、その男の言葉を肯定した。
「かつて、大宝寺家で俺は人質となっていた。その折に、八郎兵衛殿から槍を教わった。疑うのであれば、この槍、持っていくがよい。八郎兵衛殿であれば、その槍を見れば、わかるであろう」
秀綱は、馬をその男との中間付近まで歩ませ、地に槍を突き立て退いた。相手の男は歩み寄って槍を引き抜き、寺に向かった。
「親父に確認する。しばし、そこで待たれよ」
男はそう言って、姿を消した。
「どうやら、まだ幼少の者のようですな」
大善の見立てに、秀綱と光安も同意した。
「だが、身のこなしなどなかなかの者であったな」
「それに、距離の取り方が絶妙だったな、秀綱」
――こうした者を引き連れ、育てているのであれば、件の相手は、八郎兵衛であるなしに関わらず、なかなかの者に相違ない――
しばし待ってから、先ほどの男が戻ってきた。
「親父が会うそうです。確かに、若様に与えた物だと申しておりました」
「左様か。では、やはりこの寺におるのは」
「はい、白石八郎兵衛です。俺の親父です」
――やはり、彼の勇士 朱槍の八郎兵衛であったか――
しかし、一瞥以来、時が過ぎている。いかに変わってしまったかわからない。敵か味方か、見定めねばならない状況は変わっていない。懐かしさと警戒感を同居させながら、男の後に従った。
男は、不動堂に案内した。恐ろし気な相貌の、不動明王の像が三人を見下ろしていた。
ややあって、背後にある本堂から、人が歩む音が聞こえた。二人であった。一人は、先ほどの男であろう。もう一人は、杖を使っているようであった。片足を引きずっているようであった。二人の足音が、不動堂の前で止まった。ギギギ、という堅く古びた軋み音を響かせて、扉が開いた。
「お久しゅうございますな。鮭延の若様。いえ、今は典膳様でございますな」」
聞き覚えのある声であった。だが、声も少し老けたなと秀綱は感じた。
「いかにも。だが、あの頃の悪ガキのままで、あまり変わりはないわ」
秀綱は高笑いして、八郎兵衛に向き直った。歩んできた八郎兵衛は、やはり右足を引きずっていた。
「その足はいかがされたのだ?」
秀綱の視線は、袈裟で隠された八郎兵衛の右足に向けられた。
「追手に銃で撃たれましてな。もうかつての武勇を誇った朱槍の八郎兵衛はおりませぬ。今はただの朽ち果てるだけの老人でございます」
自嘲気味に八郎兵衛は言った。
「大宝寺を出奔したと聞いたが、真でありましたか」
「大宝寺で朱槍の八郎兵衛などと、虚名で称えられるのが重荷でな。やがて、耐えられなくなってのう」
心底からの声であることがわかった。だが、卑下が過ぎないかとも秀綱は思う。
「虚名などと謙遜を。八郎兵衛殿の戦ぶりは私も一度見ており申す。私も身震いするまでの槍働きでござった」
八郎兵衛は頭を振って、否定した。
「違うのじゃ、典膳殿。儂はお主が思うような勇士ではないのだ。儂は、儂は、ただ虚名を守ろうとした単なる卑怯者なのじゃ」
八郎兵衛は、そう言って、ほろりと涙を流した。意外な反応に、秀綱は驚いた。光安と大善は、思わぬ話の流れに興味を抱いているようだ。普段であれば、横から入ってくる光安が黙っていることでもそれがわかる。
「あれは、今から5年前のことじゃ」
しばしの沈黙の後、八郎兵衛は意を決して話し始めた。秀綱たちは、八郎兵衛の、涙の筋が見える口元を見やった。
なぜ八郎兵衛は、大宝寺家を出奔したのか
そして、一緒にいる幼さの残る男とは誰なのか
次回、明らかにします。




