2.肋骨は折るもの
執事は若い使用人に、お茶の入れ方を教えていた。窓の外は日が暮れて、もう夜になっている。
「良いですか。茶葉はこれくらいの量を淹れます。お湯を注ぐ前に、時計の準備を欠かさないようにして下さいね。」
「はいっ!」
必死にメモを取る使用人を見て、執事が優しく微笑んでいた時だった。
バコォォォォンっ!!
突如ものすごい音と共に、城が少し揺れた。若い使用人が驚いた様子で立ち止まっている。
「今のは…?!」
執事は冷静に使用人へ指示を出した。
「四階の南側の方でしょう。私が行きます。貴方はサラ様の方へ行ってください。ご安心を。おそらく、倉庫にある庭園の手入れ用機械の誤作動で、扉が壊れたか、壁が少し破壊されたかでもしたのでしょう。あの機械は時折、誤作動を起こすのです。」
「は、はい…。」
使用人が半ば動揺しながらも、サラのいる部屋の方へと向かっていった。その様子を見届けると、部屋の中の照明をそっと落とした。執事が窓の方へと駆け寄り、静かに窓を開ける。綺麗な夜景を背にして、ルウェル王子がベランダに立っていた。やっちまったとでも言いたげな、困った笑顔を浮かべている。執事が優しく微笑んだ。
「……壁でも壊しましたか?」
「うん。訓練してたら、制御が効かなくて。……壁を二枚、壊した。誰もいなかったから良いけど。急いで直してきたよ。」
笑顔が崩れ、落ち込んだ表情で視線を下に向けた。
「参ったなぁ…。もうちょっと出力抑えられれば…こんなことには…。まだ時間がかかりそうだ。あいつらが揃うのを待つのも良いけど、コントロールできるようになったら…とも思っているんだ。いざって時に、このままじゃ危ない。……だから、しばらくは種明かしできないと思う。」
落ち込んだ様子の彼に、執事は焦らずに行きましょうと言った。部屋の中へ戻り、さっきまで教えるために使っていた紅茶のセットを使って、一杯の紅茶を作る。王子がベランダからそっと入り、何も言わず席に着いた。すぐに湯気の立つ紅茶がテーブルの上に置かれた。
「いつも通り、機械の誤作動で済ませたのかい?」
「ええ、その通りでございます。」
「あそこに庭園の手入れ用機械なんてものは無いけど、今のところバレずに済んでて良かったよ。君にはいつもお世話になっている。本当にすまないね、ありがとう、クロム執事。」
紅茶をすすりながら彼がお礼を言うと、執事は優しく微笑んだ。
「私はルウェル様の専属執事でございます。もとより、ルウェル様に全てを捧げると誓っているのです。何なりとお申し付けください。」
その言葉を聞いて、彼も静かに微笑んだ。
「本日はここまでにしておきましょうか。」
「はい。」
使用人が時計を見て、静かに頷いた。
「そろそろ夕食のお時間です。現在この城には、第二王子のケイ様と、国王陛下の妃であるモレア様、第一王女のシトロン様がいらっしゃいますが…全員多忙につき、今夜の夕食には参加されないそうです。そのため、今晩はルウェル様とご一緒に夕食を取る形となります。」
「上手に食べられるかしら…。」
不安げなサラに対し、使用人はにっこりと微笑んだ。
「大丈夫です。ルウェル様はお優しい方ですので、サラ様が上手くできずとも、きっと紳士的な対応をして下さいますよ。」
まあ…と使用人は少し苦笑いをした。
「紳士的というか…おそらく……べた褒め状態に陥るかと…。」
サラもなんとなく察した表情を浮かべた。とりあえず一旦自室の方へ戻り、荷物を置き、ルウェル王子と共に夕食の場所へと向かうことになった。使用人と何気ない会話をしながら、自室へと向かう。扉を数回ノックして、サラがおずおずと部屋に入る。
「ただいま戻り…。」
だがその言葉は途中で止まってしまった。
「そんな~君に~首ったけ~♪ですがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁアアアアアアアアアアアアアアアアア↑?」
オペラからのロックへの華麗なる?チェンジ。マイク片手に、部屋のど真ん中で熱唱していたのは、言うまでもなく彼である。無論、伴奏として息ぴったりの演奏をこなすピアノは、クロム執事が担当していた。思わぬ光景に、サラと使用人が入り口付近で硬直する。視線に気づいたルウェル王子が、ニコッと微笑んだ。
「やぁ、サラ!夕食後、君も歌ってみるかい?心がスッキリするよ。」
「…今のは…なんの歌を…?」
「俺オリジナルの歌さ。ちなみに、その時々で歌詞が変わるから、2度と同じものはできない。まぁ、当たり前か。愛を歌ってるんだから、一曲に収まる方がおかしいよな☆」
「そ…そうですね…?」
その瞬間にマイクがキイイインと音を立てた。ハウリングしたらしい。全員が慌てて耳を塞ぐ。彼がどうにかしようとマイクを窓際の方へ持っていく。
ブッチッ。
嫌な音と共にハウリングが止まる。彼がコードの切れたマイクを掲げていた。
「やっちまった。使い物にならなくなった。」
誰も何も言わなかった。だが彼は一切気にせず、手早く片付けるとサラの方へ向かった。
「さて、夕食でも食べようか。」
真っ白なテーブルに、高価な食器が運ばれる。次々と来る手の込んだ料理に、サラは驚いていた。
「これは…一人分…ですか?」
テーブルの反対側にいる彼が頷くと、彼女はしげしげと料理を眺めた。
「量も多くて、こんなに豪華な食事が食べられるなんて…。なんだか、夢みたい…。」
「料理はシェフのクリスが担当してる。彼は栄養バランスも考えてくれるから、とても優秀なんだ。ちなみに、俺の要望で油は控えめにしてるよ。もし油が足らなかったら、すぐに言ってほしい。クリスを呼ぶから。」
「いえ、私も油はあまり得意ではないので…。大丈夫です。」
それなら良かったと彼は微笑んだ。料理の美味しそうな匂いが、あたりに充満する。彼がフォークとナイフを器用に使い、料理を食べ始めると、サラも少し遅れて食べ始めた。肉も野菜も全て柔らかく、上品な味が薄くついている。あまりの美味しさに彼女が顔をほころばせていると、彼がにっこりと笑った。
「気に入ってくれたようで良かった。ああ、そうだ。君に見せたいものがあったんだっけ。」
思い出したように立ちあがると、窓際の方へと歩いていった。使用人が慌てて手伝おうとしたが、彼がそれを制止した。真っ赤なカーテンをゆっくりと開ける。サラの目に綺麗な夜景が飛び込んできた。
「わあ…!すごい綺麗…!」
「夜景を横目にディナーを楽しもうと思ってたんだ。今は料理が冷めてしまうからやめておくけど、食べ終わったらベランダに出てみようか。もっときれいに見えるはず。」
彼がそっと席に戻った。夜景を横目に、二人の会話が弾む。いつの間にかテーブルの上の食器は全て空になっていた。片づけを使用人にさせ、いよいよベランダに出ると、風邪が二人の間を吹き抜けていった。目の前は真っ暗な夜の中で、いくつもの光が瞬いている。
「綺麗…。」
サラがぼーっと見惚れていると、だんだんと光がぼやけて見えるような気がした。
「…サラ?」
隣で彼が呟くのが聞こえたが、サラはぐらっと体が傾くと、そのまま意識を失ってしまった。すぐ傍にいた彼が、倒れ込みそうなサラの体を支えた。が、嫌な音が響くのも同時だった。
ボキッ。
「あ。やべっ。一本折っちった。」
気を失った彼女の顔が少しだけ、辛そうな表情になった。ルウェル王子が悔しそうな声で呟く。
「ちくしょう。夜景までは完璧な対応だったのにィ…!これなら俺に少し惚れてくれるかと思ってたのにっ…。なんでここで、肋骨一本…折っちゃったんだよぉ!良いムードだったじゃんか、俺の馬鹿ッ。あとでサラに、なんて説明しよう……。」
頭を垂れて、落ち込む。その様子を窓の近くで見ていた使用人が一人いた。誰にも気づかれないように窓際をそっと離れると、こっそり部屋を出ていった。廊下を歩き階段を二階あがり、再び廊下を歩いて、曲がり角を曲がる。すぐ傍にある赤い扉の前で立ち止まり、数回ノックすると、部屋の中から女性の声が響いた。
「どうぞ。」
使用人が部屋に入ると、綺麗なウェーブのかかった長髪の女性がいた。黄色のドレスを着て、優雅に椅子に座っている。赤い髪に、深い青の目が特徴的で、誰もが見惚れてしまうような美しい顔立ちをしていた。使用人が一礼すると、口を開いた。
「シトロン様。ご報告いたします。申し上げにくいのですが…私の手違いでしたようで、ルウェル様の代わりに、婚約者であるサラ様が眠ってしまいました。」
「なんですって?私の指示通りに動いたんじゃないの?」
怒りを露にするシトロンの前で、使用人は困った顔を浮かべていた。
「…確かにルウェル様の料理を運ぶ際に、気絶するほどの睡眠薬を仕込んでおいたはずなのですが…。なぜか代わりにサラ様が寝てしまった様子でして…。」
その言葉を聞くと、彼女はしばらく考え込むような表情をし、静かに頷いた。
「…今までで、他の人へ仕込んだ時は失敗しなかったものね。確かに貴方の言う通りのなのでしょう。…まあ、良いわ。睡眠薬がどれほどの量で効くのか試すのは、いくらでも機会はある。それより…あちら側にも相当優秀な使用人がいるのかもしれない。あなたが料理を置いた後、あいつのテーブルに近づいた使用人はいた?」
「ええ。複数人いました。食べ終わった食器を片付ける方や、空のグラスに飲み物を注ぐ方など。」
「きっとその中の誰かね…。下手したら、こちら側が睡眠薬を仕込んだのもバレているかもしれないわ。でもこれはチャンスよ。少し様子を見ましょうか。ただし、睡眠薬は仕込ませてもらうわ。もし優秀な使用人がいたら、こちらに引き込んでしまえるもの。」
「承知致しました。」
使用人が静かに礼をした。
眠ってしまったサラを部屋まで運び、ベットの上に寝かせた。部屋で待機していたクロム執事がルウェル王子に言った。
「シトロン様の仕業でしょうね。」
「…サラには申し訳ないけど、睡眠薬入りの料理を入れ替えさせてもらったよ。」
そっと布団をかけ、ベットから離れると彼は言った。
「俺の仕業だとは微塵も思っていないだろうね。使用人のうちの誰かだと思ってるに違いない。しかしまあ…俺に勝負を仕掛けるとは良い度胸だ。」
二人とも顔を見合わせ、不敵に微笑む。が、すぐにルウェル王子の顔が青ざめた。必死の笑顔で言う。
「あ。そういえば、サラの肋骨一本折っちゃった☆」
クロム執事の顔が青ざめた。何も言えなかった。
こんにちは。星くず餅です。
二話です。この話まだ四話しか書いてませんが…。
次の話で、生粋のギャンブラーでアル中の王子が出てきますのでお楽しみに。