二つの選択
ある日突然、人類は選択を迫られることになった。全世界のテレビ、スマートフォン、パソコンといった電子機器がジャックされ、画面にメッセージが映し出されたのだ。人知を超えた存在の仕業としか思えない。何者かのいたずらではという疑いは、もはや現実逃避にすらならなかった。
その存在が人類に提示した選択肢はたった二つ。しかし、そう簡単に答えられるものではなかった。
『より良い未来を創るために、私たちの世界に来ませんか?』
穏やかで優しい声が、それぞれの世代ごとに響くようなメッセージを語りかけた。若者には、見通しの暗い未来を考え直すように促し、中年層にはやり直しの機会が来たと囁き、老人たちには再び冒険心を呼び覚ますように呼びかけた。どの世代にも耳障りの良い言葉だったが、それがまた議論を引き起こす原因となった。
「甘言を並べて笑止千万だ! 詐欺師のやり口だろう!」
「ああ、聞こえの良いことを並び立てて、人を誘拐しようという魂胆だろう」
「騙されるのは馬鹿ですよ、馬鹿」
「正体はおそらく、宇宙人ですよね? 労働力を欲しているのでしょう。甘い言葉に誘われた地球人を奴隷にするつもりなんですよ」
連日、テレビでは特番が組まれ、年老いたコメンテーターたちが口角泡を飛ばして憶測を述べ、怒りを露わにした。初めてヘリコプターを目にし、空に吠えるジャングルの猿の群れのようだった。各国政府は国民に対して、警戒するよう呼びかけ、その存在の誘いに応じないようにと警告を強めた。
『一週間後、空が真っ白に輝きます。その間に「行く」か「行かない」かを強く念じてください。移動は一瞬です。より良い世界を共に作りたい方を歓迎します。ぜひ、友人やご家族と一緒にどうぞ』
「と、例の宇宙人は言っていたが、大勢の人間を一瞬で転移させることが本当に可能なのか?」
「ははは、できるでしょう。連中の技術力は、あの電波ジャック一つとっても、我々を遥かに超えていますよ」
「できないならそれでいいが……」
「可能かどうかは今重要ではないでしょう。どちらを選択するかです」
『不況に苦しみたいですか? 格差に喘ぎたいですか? 子供を戦地に送りたいですか? 権力者への忖度を許しますか?』
「気に入らんよ。まるで我々の未来が破滅しかないと言わんばかりだ」
「連中は我々に積み上げたものを捨てろと言うのか。傲慢だな」
「我々はいい暮らしをしている。なのに行くやつは馬鹿だよ。馬鹿」
「愚かな選択をしないといいのだがな」
『あなたは、どうしますか?』
そして、選択の時が訪れた。空が真っ白に輝き、周囲の光景が一変するほど眩しく、人々の影が長く引き伸ばされた。
――行きたい。
――連れて行ってくれ。
――行くものか。
――行く。
――残る。
人々は心の中で思い思いに念じた。恐怖で固まってしまう者もいれば、迷い続けたままの者もいた。
やがて空が元の色を取り戻すと、人々はある異変に気づいた。
「……どうして、行くと選択したはずなのにここに残っているんだ?」
これはいったいどういうことだろう。新しい世界に行くと決めた人々は残り、今の世界に留まると選択した人々が消えていたのだ。この事象はさらなる混乱を呼んだが、数年後、人々はこう考えるようになった。
――ここは確かに、以前よりも良い世界だ。
残されたのは主に若者たち。そして旅立ったのは老人たちだった。ともすれば、人類に選択を迫ったあの存在は、宇宙人ではなく未来人だったのかもしれない。限界が囁かれていた世界の現状は、確実に回復へと向かい始めていた。