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和田合戦、決着

 和田義直死す。

 それによって、武蔵大路の戦いの帰趨はほぼ決定した。

 ただでさえ数では劣勢なのに、義氏の離脱によって戦力が低下したうえ、義直が討ち死にしたのだ。

 和田勢は『劣勢』どころではなく、敗退が時間の問題になりつつあった。

(まずい!)

 義直の弟である義重には、兄の死を嘆いている余裕はなかった。

 自分の身を守るだけで精一杯だったのだ。

 兵達も必死に戦っているが、少しずつ数が減っている。

 それに対して相手の武田党は、有力武将を討ち取った事で士気が高まっており、ますます攻勢を強めている。

 なんとかしなければならない。

「誰かあるか!? 由比ヶ浜の父上に、応援を求めよ!」

「はっ!」

 一人の兵が戦場から去って行く。

 もし、義盛の手勢が加わったならば巻き返せる。

 父の加勢を得て前方の敵を蹴散らし、それから若宮大路の本隊に合流する。

 それが義重の策だった。

 しかし、これは最悪の結果をもたらす事になる。



 武田信光は顔に笑みが浮かぶのを抑えられなかった。

 和田義直を討ち取った事により、敵が動揺しているのがはっきりと見て取れた。

 もはや、勝利は目前になりつつある。

 信光は兵達を叱咤した。

「和田義直は死んだぞ!! 者ども、一気に押し潰せ!!」

 主の声に勇気づけられた兵達は、ますます敵に対する圧力を強めていく。

(勝ったな)

 信光は確信した。

 この場の敵を撃破して若宮大路の敵本隊を挟撃すれば、武田党の手で勝利を決定づける事になる。

 そうすれば勲功第一等になり、恩賞は思いのままだ。

 この戦いは甲斐源氏のさらなる飛躍の足掛かりとなるのだ。

「者ども、かかれ!」

 信光は兵をさらに駆り立てる。

 そして、傍らにいた兵に命じた。

 和田義直の死を、若宮大路で戦っている両軍に知らせるようにだ。

 それによって双方の士気は大きく変わるだろう。

 数で劣る泰時勢も奮起するはずだ。

 甲斐源氏が勲功第一等になるためには、泰時が敗れるのは困る。

 悪くても、生きていてくれなければ。

(我等が駆けつけるまでは持ち堪えてくれよ)

 それが、信光の願いだった。



 若宮大路。

 北条泰時は、戦況が好転しつつあるのを確信していた。

 千葉党の増援に加えて、それまで温存していた足利党を化粧坂(鎌倉の北西部にある道路)方面から投入したのが効いたのだ。

 北条、千葉、足利による三方からの攻撃で、敵は防戦一方になっている。

 あと一押し。

 何か打撃を与えれば勝負は決まる。

 例えば、武将を一人討ち取るとか。

 そう思った途端、その声が聞こえた。

「和田義直が死んだぞ!!」

 和田義直。

 和田義盛の四男であり、義盛から特に目をかけられていると言うのは泰時も知っていた。

 その義直が死んだ!

 自分の願望が意外な形であっさり叶えられた事に戸惑いつつ、腹の底から叫んだ。

「者ども聞いたか! 敵は崩れつつある! たたみかけろ! 勝利は目前ぞ!」

 この言葉は、味方の士気を鼓舞するためのはったりに近い物だったが、効果は抜群だった。

「和田義直が死んだぞ!」

「者ども、敵を討ち取れ! 恩賞は望みのままぞ!」

 味方から歓声が上がり、欲望を煽られた兵達が勢いずくのに対し、敵兵は明らかに気圧されつつあるのがみてとれた。

 数では優っている和田勢だが、士気が低下している。

(あと一押し、もう一押しだ)

 泰時は勝負をかける時が来たのを確信した。

 最後の予備兵力を投入する決断をしたのだ。

 傍らにいた郎従に命じた。

「佐々木義清殿と、源頼茂(よりもち)殿に伝えよ。 敵にとどめを刺していただきたいとな」


 荏柄天神社で待機していた源頼茂は、万全の状態で泰時の使いの言葉を聞いた。

「右馬権頭殿(頼茂の官名)には是非、最後の一撃を加えていただきたいとの事です」

「承知したと伝えよ」

「はっ!」

 走り去る使いを見送った頼茂は、複雑な気分だった。

 何故、この戦いで自分は今まで戦場に出る事が許されなかったのか。

 最後まで温存されていたのかも知れないが、何となく軽んじられている。

 そんな思いが捨てきれないのだ。

 だいたい、この戦いの前から頼茂はおのれの境遇に不満を抱いていた。

 自分は清和源氏の嫡流たる摂津源氏の人間であり、かの有名な源頼政の孫だ。

 頼朝や、今の将軍である実朝が属する河内源氏ではない。

 頼朝などより、自分の血統こそが征夷大将軍に相応しいはずだ。

 河内源氏なぞ、摂津源氏からすれば分家なのであり、頼朝もそれを知っていたからこそおのれを『源氏の嫡流』と若干曖昧な位置づけにしていたのだろう。

 そして、他の源氏一門、摂津源氏の嫡流の多田源氏、常陸源氏(佐竹氏)や甲斐源氏を弾圧し、強引に武家の棟梁とやらになった成り上がり者。

 それが頼茂の中にある源頼朝と言う男だ。

 だが、今はそんな思いを抱いている場合ではない。

 とにかく功を挙げるのだ。

「義清殿、参ろうか」

 隣にいた佐々木義清に告げて頼茂は馬上の人になると、采配を振るい、進撃を命じた。



 その男は躊躇いを感じていた。

 彼は自分の主がどんな人間であるか、知っていた。

 その男にそれを知らせたらどうなるか、容易に想像できた。

 しかし、今は危急の時だ。

 知らせない訳にはいかない。

 彼は自分の主の前に跪き、報告した。

「義重様から大至急応援をしていただきたいとの事です!」

「なんじゃと?」

「御子息の義直様が討ち死になさったので、お味方危うし。 是非ともとの事でございます!」

 それを聞いた瞬間、和田義盛の手から采配が落ちた。



 短い沈黙のあと、和田義信が身体を震わせながら口を開いた。

「……それは、真、なのか?」

 使者は首を縦に振った。

「そんな、義直、兄さんが……」

 秀盛も、兄と同じように身体を震わせていた。

 ただ、兄弟の父の反応は違った。

 床几から立ち上がり、声を上げた。

「馬を引け」

「えっ?」

「馬を引けと言ったのだ。 早うせい!」

 呆気にとられる息子達を尻目に用意された馬にまたがると、和田義盛は鞭をいれて駆け出した。

 その顔は、泣いていた。



 悲しみ、絶望。

 それが和田義盛を支配していた。

 短い間に二人の息子を失った。

 その事実が義盛を決定的に打ちのめしていた。

 老い先短い義盛にとって残された楽しみは、息子達の栄達だった。

 それなのに、かけがえのない息子を二人も死なせてしまった。

 義盛は心底から悲しみ、絶望した。

 もう、生きる甲斐はない。

「もはやこれまでじゃ!!」

 悲痛な叫びを上げて、義盛は駆けた。

 武蔵大路ではなく、若宮大路に向かって。


 それは、若宮大路北条方で戦っている北条方の武将達から見ても、異様に目立っていた。

 一人の騎馬武者が歓声や怒号ではなく、号泣しながら駆けて来たのだ。

「何だあれは?」

 兄の政義の問いに、重兼は戸惑うばかりだった。

 どうやら敵のようだが、兜のせいで誰かは判別出来ない。

 見ると敵方も、号泣しながら突っ込んできたその武士の異様さにドン引きして、そそくさと道を開けている。

 あれよあれよという間に、その武士は北条泰時の陣の前まで辿り着いた。

 そして、北条方の武士と打ち合いになり、あっさり討ち取られた。

 その時、重兼は聞いた。

 敵方から、「義盛殿!」「義盛様!」そして一際大きく悲痛な「父上!」という声が上がったのを。

(あとで分かったのだが、和田常盛の声だった)

 さらに、討ち取りの音声が上がった。

「北条泰時の郎従、江戸義範(よしのり)! 反賊の首魁、和田義盛を討ち取った!!」 

 それに、凄まじい歓声が続く。

「やった! やったぞ!」

「和田義盛が死んだぞ!」

 これが、和田勢に対する決定的な一撃になった。

 さらに、追い打ちをかけるかのように北条方に増援が到着した。

 名乗りの音声が響く。

「我こそはかの、源三位入道頼政の孫、源頼茂なり! 我と思わん者は前に出よ!」

 源頼茂、佐々木義清の手勢が現れたのだ。

 勝敗は完全に決した。

 和田勢の士気は崩壊し、潰走が始まった。

 北条方は狂喜しながら追撃する。

 若宮大路の鶴岡八幡宮前で、新田兄弟もまた、歓喜の中にいた。

「勝ったな!」

「勝ちましたな!」

 重兼は、会心の笑顔で兄と向き合った。

 戦いは終わった。

 和田合戦を生き残っただけでなく、その勝利に新田家は大きく貢献した。

 もう殺さなくてもいい。

 多数の人間を殺した罪の意識から解放される。

 それらの思いが、重兼の心をかつてないほど高揚させていた。

 ハイになっていたと言って良い。

 そこへ、政義が声をかけた。

「重兼、追撃するぞ! さらに武功を挙げるだ!」

 勝利の興奮が兄を駆り立てているようだ。

 この時、普段の重兼ならば兄を止めたかも知れない。

 我々はもう、十分に功を挙げた。

 欲をかく必要はない、と。

 しかし、今の重兼は完全に冷静さを失っていた。 

「そうですな。 追撃しましょう!」

 二人は近くにいた持ち主不明の馬にそれぞれ跨ると、追撃に加わった。

 二人の頭の中にはこれまでの戦いで、ただでさえ少ない新田党が自分達を含めて四人になってしまった事など残っていなかった。



「叛徒ども、逃げるな! 新田政義これにあり!」  

 敗走する和田勢のほとんどが、その声を無視して逃げて行く。

 しかし、僅かだが例外がいた。

「あれが新田党……」

「義秀様、経氏様を討った奴等か?」

 敗北の屈辱、絶望が彼等を意外な形で駆り立てた。

「冥途の手土産だ。 あやつらを道づれにしてやる!!」

 自暴自棄になった、数十騎が新田党に襲いかかった。



(しまった!)

 この時になって、重兼は我に返った。

 そして、自分達がとんでもない選択をしたのだと知った。

 見たところ、二十前後の敵兵が向かってくる。

 こっちは片手で数える事の出来る兵しかいない。

(何をやっているんだ、俺は!)

 心中で、自分を罵倒したがもう遅い。

 すっかり取り囲まれていた。

「くそっ!」

 重兼は馬に鞭を入れ、敵兵に突撃する。

 とにかく、敵兵を蹴散らして突破口を作る。

 そのつもりだった。

 しかし、その目論見はとんでもない形で外れる。

 なんと、敵は馬を避けようとせずに、むしろ体当たりをしてきたのだ。

「何!?」

 当然相手は吹き飛んだが、重兼の馬も衝撃で嘶きながら後ろ足で棒立ちになる。

「おわっ!」

 少し情けない声を上げて、重兼は落馬した。

 そこへ敵が殺到してくる。

 すぐに立とうとしたが、落馬した痛みでどうしても動きが鈍くなっていた。

「重兼!」

 それを見た政義が馬から飛び降りて、馬の尻を鞭で引っ叩いた。

 嘶きを上げて、政義の馬が敵兵に突っ込んでいく。

「うわっ!」

 重兼を狙っていた敵兵が、さすがに怯んで身をかわす。

 その隙に体勢を立て直した重兼は、すぐそばにいた敵に突きを入れた。

「がっ!」

 苦悶の声を上げたその兵の胴を、太刀が見事に貫いた。

 彼が着けていたのは名のある武士が着ける鎧ではなく、雑兵が使う腹巻と呼ばれる簡素な胴鎧だったのが重兼に幸いした。

 その時、言葉で表現出来ないほど有り難い声が聞こえた。

「新田党の方々、怯むな! 武田信光推参!」

「武田党か!」

 おそらく、武蔵大路の敵を撃破したのであろう武田党が駆けつけたのだ。

(助かった……)

 心底からそう思った。

 その時、

「覚悟!」

 敵が斬りかかってきた。

 重兼も当然応戦しようとしたが、突き刺さった太刀を引き抜くのに僅かだが手間取ってしまい、相手の斬撃を防ぐ事が出来なかった。

「がっ!」

 左の二の腕に、強烈な痛みが走る。

 あまりの痛さに目の前が真っ暗になった。

「重兼!」

 兄、政義の声を聞きながら重兼の意識は闇の中へ落ちていった。



 暗闇の中で、重兼は誰かの声を聞いた。

 ような気がした。

「新田政義を討ち取ったぞ!!」






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