尼将軍、政子
承元三年五月、鎌倉。将軍御所。
将軍、源実朝は一人の男と面会していた。
本来ならば珍しい事ではない。
やれ、朝廷の使者が来ただの、将軍に訴えたい事があるだのと、様々な人間が実朝に面会を求めてくる。
しかし、今回は異例だった。
その者が、人払いを求めてきたのである。
「義盛、いかなる用件であるか」
実朝の前で平伏していたその男が、顔を上げる。
和田左衛門尉義盛。
鎌倉幕府の侍所別当にして、実朝がもっとも信頼する人物である。
その彼が、内密での面会を求める。
何か、重大な用件なのだろうか。
「実朝様にどうしてもお願いしたい事がありまして、参ったしだいでございます」
「左様であるか。他ならぬお主の願いだ、多少の無理は構わぬぞ」
「ありがたきお言葉にございます。実を申しますと……」
義盛は、申し訳なさそうな面持ちになった。
「拙者を上総国の国司に推挙していただきたく思います」
「何だと?」
意外な申し出だった。
確かに、義盛の官職は左衛門尉であり、朝廷においては決して高い身分ではない。
しかし、義盛が棟梁である和田一族は本拠地である上総国だけでなく、日本各地に所領を持っており、いまさら国司にならなくとも良いはずなのだが……。
「なぜだ?理由を聞こう」
「拙者も歳を取ったせいか、いささか欲が出て参りました。それに、国司になれば義時めと同格になりますゆえ」
「あっ……」
実朝は全てを理解した。
義時と義盛は、幕府内においては同格である。
しかし、相模守である義時に比べて左衛門尉の義盛はずっと格下なのだ。
御家人達が、侍所別当の義盛と同じ、もしくはそれ以上に義時を重視するのはそれが理由である。
御家人であるならば、官位、官職にありつきたいと願うのは当然だ。
そして、それが高ければなお良い。
言うなれば、義時は御家人の夢を現実化した存在なのだ。
御家人に対して指揮権、強い影響力を持つのは義盛である。
しかし、どちらに強い敬意を払うかと問われたら、ほとんどの御家人が義時と答えるだろう。
義盛は、それを変えたいのだ。
官職で同等になれば、義時をより強く牽制できる。
実朝をないがしろにして、幕府を牛耳ろうとする義時を抑え込む事ができる。
それが義盛の狙いなのだ。
「そなたの願い、しかと聞いたぞ」
「それでは……」
「悪いようにはせぬ。今日のところは下がるがよい」
「ははーっ」
義盛は喜び勇んで退出した。
義盛が去ったあと、実朝は母、政子のもとへ向かった。
北条政子。
実朝の父、源頼朝 の御台所(正室)であり、その死とともに出家し尼となった。
公式には幕府の役職にはついてはいない。
しかし、その影響力は無視できない。
頼朝の生前から、幾多の難局を乗り越えて来た知性と豪胆さは実朝のみならず、御家人達も一目置かざるをえない。
公式には、尼御台所と呼ぶべきなのだが誰もそうは呼ばない。
こう呼んでいる。
尼将軍と。
「母上、実朝にございます」
「どうぞ」
障子が開かれ実朝は部屋に入り、政子の前に着座する。
母は写経でもしていたのか、卓上には経典と文房具、紙が置かれている。
「何の用です」
冷たい声がかけられる。
「和田義盛が、上総の国司に推挙して欲しいと申し出てきましたので、如何したものかと」
「先例がありません。亡き右大将(頼朝のこと)は、侍は受領にする事を認めておりませんでした。諸大夫ならばかまいませんが」
諸大夫とは、五位以上の位階を持つ武士の事で、極めて少数である。
和田義盛は、それに含まれていない。
「しかし……」
「新たな例を始めるというならば、勝手になさい。私は口出しいたしませぬ」
そう言って政子は机に向き直り、写経を再開した。
さっさと出ていきなさい。
態度がそう告げている。
実朝は、黙って部屋を出た。
部屋を出るなり、実朝はため息をついた。
母は変わらない。
いつものように素っ気なかった。
実朝なりに、母親に配慮しているから相談したのだ。
それなのに……。
(母上は、私を息子だと思っておられないのだろうか)
実朝は、もう一度ため息をついてその場を去った。
同じ頃、政子もため息をついていた。
頼りない息子だ。
心底からそう思う。
将軍なのだから、一々自分に聞かずに自分で判断すれば良いのに、実朝はそれをしない。
そのような部分だけでも、父を見習えば良いのにと思う。
そこで、政子の中に怒りと憎しみがこみ上げてきた。
頼朝に対する感情だった。
亡き頼朝は極めて冷酷で、自分以外の人間を道具としか見ていない男だった。
政子が今でも許せないのは、亡き娘、大姫に対する仕打ちである。
治承・寿永の乱の最中、頼朝と同時期に挙兵した源義仲が頼朝との対立を避ける為に、息子の義高を送ってきた。
大姫との婚約のため、という触れ込みだったが、人質である。
その義高は、大層な美男であり大姫はもちろん政子も婿にするには申し分ない。
そう思ったのだ。
特に、大姫は本気で義高に惹かれた。
義高も大姫に恋をした。
そのまま時が経てば、二人は理想の夫婦になれたであろう。
しかし、そうはならなかった。
頼朝と義仲は決裂し、頼朝の弟、義経によって討たれる。
その後、義高も謀反の容疑で殺害された。
それを知った大姫は、壊れた。
一切の飲食を拒み、床につき、義高のもとへ行くことばかり望むようになってしまった。
政子は必死に看病したが、あらゆる手が焼け石に水だった。
やがて、大姫は短く儚い生涯を終えた。
悲しみにくれる政子はしばらくして、義高の処刑に関する真実を知った。
実は、義高は謀反など企んではいなかった。
その事件の後、『義高を擁立して、挙兵しようとする義仲軍の残党を討伐する』との名目で頼朝は甲斐、信濃に出兵し現地の武士達を服従させているが、その大義名分を掲げる為に義高の謀反をでっち上げたのだ。
それを知った時の思いは、到底言葉にはできなかった。
それ以降、政子はひたすら頼朝を憎んだ。
彼が死んだときは何とも思わなかったし、後を継いだ息子の頼家が鎌倉を追放されて、伊豆の修善寺で殺された時も同じだった。
息子の追放、殺害を止めようともしなかった。
自分勝手で女にだらしないのが、頼朝を連想させて不愉快だったから。
頼家の子供達が殺された時も、何とも思わなかった。
頼朝の血を引いていたから。
次男の実朝は父に似なかった。
しかし、頼朝の血を引いている。
それが気に入らない。
「……」
政子は、頼朝とその息子達について考えるのをやめた。
そんな事に時間を費やすくらいなら、写経をつづけた方が有意義だ。
政子は筆を墨に浸した。
鎌倉幕府の三代将軍、源実朝は歌人として有名であり、自ら歌集を編纂している程である。
その歌の中に次のような歌がある。
「物いはぬ四方のけだものすらだにも哀れなるかな親の子を思ふ」
おおまかな意味は、「物言わないけだものにすら、親子の情はあるんだけどなぁ」
らしい。
実朝は、母の政子に何を求めているかをこの歌にこめたのかも知れない。




