表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/69

尼将軍、政子

 承元三年五月、鎌倉。将軍御所。

 将軍、源実朝は一人の男と面会していた。

 本来ならば珍しい事ではない。

 やれ、朝廷の使者が来ただの、将軍に訴えたい事があるだのと、様々な人間が実朝に面会を求めてくる。

 しかし、今回は異例だった。

 その者が、人払いを求めてきたのである。

「義盛、いかなる用件であるか」

 実朝の前で平伏していたその男が、顔を上げる。

 和田左衛門尉義盛。

 鎌倉幕府の侍所別当にして、実朝がもっとも信頼する人物である。

 その彼が、内密での面会を求める。

 何か、重大な用件なのだろうか。

「実朝様にどうしてもお願いしたい事がありまして、参ったしだいでございます」

「左様であるか。他ならぬお主の願いだ、多少の無理は構わぬぞ」

「ありがたきお言葉にございます。実を申しますと……」

 義盛は、申し訳なさそうな面持ちになった。

「拙者を上総国の国司に推挙していただきたく思います」

「何だと?」

 意外な申し出だった。

 確かに、義盛の官職は左衛門尉であり、朝廷においては決して高い身分ではない。

 しかし、義盛が棟梁である和田一族は本拠地である上総国だけでなく、日本各地に所領を持っており、いまさら国司にならなくとも良いはずなのだが……。

「なぜだ?理由を聞こう」

「拙者も歳を取ったせいか、いささか欲が出て参りました。それに、国司になれば義時めと同格になりますゆえ」

「あっ……」

 実朝は全てを理解した。

 義時と義盛は、幕府内においては同格である。

 しかし、相模守である義時に比べて左衛門尉の義盛はずっと格下なのだ。

 御家人達が、侍所別当の義盛と同じ、もしくはそれ以上に義時を重視するのはそれが理由である。

 御家人であるならば、官位、官職にありつきたいと願うのは当然だ。

 そして、それが高ければなお良い。

 言うなれば、義時は御家人の夢を現実化した存在なのだ。

 御家人に対して指揮権、強い影響力を持つのは義盛である。

 しかし、どちらに強い敬意を払うかと問われたら、ほとんどの御家人が義時と答えるだろう。

 義盛は、それを変えたいのだ。

 官職で同等になれば、義時をより強く牽制できる。

 実朝をないがしろにして、幕府を牛耳ろうとする義時を抑え込む事ができる。

 それが義盛の狙いなのだ。

「そなたの願い、しかと聞いたぞ」

「それでは……」

「悪いようにはせぬ。今日のところは下がるがよい」

「ははーっ」

 義盛は喜び勇んで退出した。



 義盛が去ったあと、実朝は母、政子のもとへ向かった。

 北条政子。

 実朝の父、源頼朝 の御台所(みだいどころ)(正室)であり、その死とともに出家し尼となった。

 公式には幕府の役職にはついてはいない。

 しかし、その影響力は無視できない。

 頼朝の生前から、幾多の難局を乗り越えて来た知性と豪胆さは実朝のみならず、御家人達も一目置かざるをえない。

 公式には、尼御台所と呼ぶべきなのだが誰もそうは呼ばない。

 こう呼んでいる。

 尼将軍と。


「母上、実朝にございます」

「どうぞ」

 障子が開かれ実朝は部屋に入り、政子の前に着座する。

 母は写経でもしていたのか、卓上には経典と文房具、紙が置かれている。

「何の用です」

 冷たい声がかけられる。

「和田義盛が、上総の国司に推挙して欲しいと申し出てきましたので、如何したものかと」

「先例がありません。亡き右大将(頼朝のこと)は、侍は受領にする事を認めておりませんでした。諸大夫(しょだいぶ)ならばかまいませんが」

 諸大夫とは、五位以上の位階を持つ武士の事で、極めて少数である。

 和田義盛は、それに含まれていない。

「しかし……」

「新たな例を始めるというならば、勝手になさい。私は口出しいたしませぬ」

 そう言って政子は机に向き直り、写経を再開した。

 さっさと出ていきなさい。

 態度がそう告げている。

 実朝は、黙って部屋を出た。



 部屋を出るなり、実朝はため息をついた。

 母は変わらない。

 いつものように素っ気なかった。

 実朝なりに、母親に配慮しているから相談したのだ。

 それなのに……。

(母上は、私を息子だと思っておられないのだろうか)

 実朝は、もう一度ため息をついてその場を去った。



 同じ頃、政子もため息をついていた。

 頼りない息子だ。

 心底からそう思う。

 将軍なのだから、一々自分に聞かずに自分で判断すれば良いのに、実朝はそれをしない。

 そのような部分だけでも、父を見習えば良いのにと思う。

 そこで、政子の中に怒りと憎しみがこみ上げてきた。

 頼朝に対する感情だった。


 亡き頼朝は極めて冷酷で、自分以外の人間を道具としか見ていない男だった。

 政子が今でも許せないのは、亡き娘、大姫に対する仕打ちである。

 治承・寿永の乱の最中、頼朝と同時期に挙兵した源義仲が頼朝との対立を避ける為に、息子の義高を送ってきた。

 大姫との婚約のため、という触れ込みだったが、人質である。

 その義高は、大層な美男であり大姫はもちろん政子も婿にするには申し分ない。

 そう思ったのだ。

 特に、大姫は本気で義高に惹かれた。

 義高も大姫に恋をした。

 そのまま時が経てば、二人は理想の夫婦になれたであろう。

 しかし、そうはならなかった。

 頼朝と義仲は決裂し、頼朝の弟、義経によって討たれる。

 その後、義高も謀反の容疑で殺害された。

 それを知った大姫は、壊れた。

 一切の飲食を拒み、床につき、義高のもとへ行くことばかり望むようになってしまった。

 政子は必死に看病したが、あらゆる手が焼け石に水だった。

 やがて、大姫は短く儚い生涯を終えた。

 悲しみにくれる政子はしばらくして、義高の処刑に関する真実を知った。

 実は、義高は謀反など企んではいなかった。

 その事件の後、『義高を擁立して、挙兵しようとする義仲軍の残党を討伐する』との名目で頼朝は甲斐、信濃に出兵し現地の武士達を服従させているが、その大義名分を掲げる為に義高の謀反をでっち上げたのだ。

 それを知った時の思いは、到底言葉にはできなかった。

 それ以降、政子はひたすら頼朝を憎んだ。

 彼が死んだときは何とも思わなかったし、後を継いだ息子の頼家が鎌倉を追放されて、伊豆の修善寺で殺された時も同じだった。

 息子の追放、殺害を止めようともしなかった。

 自分勝手で女にだらしないのが、頼朝を連想させて不愉快だったから。

 頼家の子供達が殺された時も、何とも思わなかった。

 頼朝の血を引いていたから。

 次男の実朝は父に似なかった。

 しかし、頼朝の血を引いている。

 それが気に入らない。

「……」

 政子は、頼朝とその息子達について考えるのをやめた。

 そんな事に時間を費やすくらいなら、写経をつづけた方が有意義だ。

 政子は筆を墨に浸した。


 鎌倉幕府の三代将軍、源実朝は歌人として有名であり、自ら歌集を編纂している程である。

 その歌の中に次のような歌がある。


「物いはぬ四方(よも)のけだものすらだにも哀れなるかな親の子を思ふ」


 おおまかな意味は、「物言わないけだものにすら、親子の情はあるんだけどなぁ」

 らしい。

 実朝は、母の政子に何を求めているかをこの歌にこめたのかも知れない。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
尼将軍の怒りですか… 実朝も実子なんですがね やはり最初の子は特別なのでしょうか。
イチコメェ!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ