策謀に踊らされて
三月の新田荘は、鎌倉に比べると雪がかなり少ない。
これは、赤城山から吹き下ろす赤城おろしのせいで、冬でもあまり雪が積もらないからであるが、風があるので寒いことに変わりはない。
そんな冷たい空気の中で、総持寺の新田館に新田党の武士達が白い息を吐きながら集まっていた。
「皆、ご苦労だった」
惣領の政義が、全員を見回して言った。
「各自、所領に戻って休んでくれ。ただ、その前に各一門の当主は私の部屋に集まるように」
さらに、家人に顔を向けた。
「岩松時兼を呼べ」
「はっ」
岩松時兼は、惣領から呼ばれて総持寺に馬を歩ませていた。
不愉快だった。
名門御家人の足利家に連なる自分がなぜ、木っ端御家人の新田の当主の命令に従わなければならないのか。
足利家の当主、義氏は幕府の重鎮として官位、官職を得ているのに、新田の当主の政義は無位無冠。
先祖は同じ源義国であるが、格差は歴然である。
母が離別されたとはいえ、自分は足利一門のはずだ。
それなのに、新田一門として扱われ、政義の呼び出しに応じねばならない。
(まあ良い)
時兼は思い直した。
血縁であることで、足利家は自分に結構配慮してくれている。
同門であるだけの新田家とは、比べ物にならないほどに。
足利の援助を獲られれば、自分が新田を乗っ取って惣領になることも可能だ。
そうすれば重兼に、あの生意気な若造に思い知らせてやれるだろう。
そもそも、あの、鎌倉で起こした騒ぎの処罰が軽かったのも、和田義盛がそのような自分の立場をわかっていたからだろう。
(もっと、足利家との絆を強くしておくか)
かなり都合の良い妄想に浸りながら、時兼は総持寺に着いた。
政義の部屋に通されると、政義と各一門の当主達が待っていた。
勿論、重兼もである。
彼等を一瞥すると、時兼政義の正面に着座した。
「いかなる用でございましょう」
「鎌倉での件についてだ」
そう答えて、政義は視線を重兼に向ける。
「重兼ときちんと和解させようと思ってな。呼び出したのだ」
「左様でしたか」
時兼は、わざとらしくため息をついた。
「拙者は全く気にしておりません。若さゆえの無礼を気にするほど、狭量ではありませぬゆえ」
さりげなく自分の太っ腹さと、責任は重兼にあることをアピールしておく。
「それならば良いが、重兼はどうか?」
「異存はありませぬ」
重兼は頭を深々と下げる。
「岩松殿。先日の無礼、どうかお許し願いたい」
「構わぬよ」
「良かった……」
政義が安堵の声を漏らす。
他の者達も、似たような反応を見せる。
「用はすんだ様なので、拙者はこれにて」
「まあ、待て」
立ち上がろうとした時兼を、政義が引き留めた。
「せっかく来たのだ。茶の一杯でも」
「遠慮します」
素っ気なく断ると、時兼は部屋を出た。
こんな連中と茶を飲む気にはならなかった。
それだけだった。
自分はこんな連中とは違う。
自分は足利の人間であり、こんな奴らとは一緒にされたたまるか。
そう思いこんでいた。
時兼が部屋を出ていくと、重兼はため息をついた。
「時兼めは、相変わらずですな。自分のことを何様だと思っているのやら」
「重兼、口を慎め」
政義がたしなめるが、表情を見ると弟と同意見であるのがわかる。
「岩松もそうだが、義盛殿もかなり問題のある方なのやも知れんな」
世良田義季が口を挟む。
「と、言われると?」
重兼の問いに、義季は、苦々しい表情で答える。
「あのような質問をしただけで、あんなに怒る事があるか?案外器が小さい御方なのやも知れんな」
侍所での件を気にしているようだ。
「北条義時の名を出したのが、まずかったのではないですか、兄者」
額戸経義がそう言って、
以前に政義と重兼に話した事を教える。
侍所別当の地位をめぐって、北条義時と和田義盛が対立していると言うことを。
「そうだったのか……」
どうも、世良田義季は知らなかったらしい。
「わかった。よくぞ教えてくれたな。礼をいうぞ」
「それには及びませんよ」
日頃、尊大な態度を見せる事の多い義季も、弟には家族らしく振る舞う。
(我々にもそうあってほしいのだがな)
重兼はそう思った。
その時、里見義成が口を開いた。
「ただ、義盛殿が短慮というか、器が小さいというのは正しいかも知れんな」
「かも知れませぬ」
重兼も、同意見だった。
いくら気に入らない男の名前を出されたとはいえ、あれはないだろうと思う。
鎌倉武士にありがちな、武辺一辺倒という人間なのかも知れないが、侍所別当の地位にある者があれで良いのだろうか?
「あれで侍所別当とはな」
長旅の疲れのせいかも知れないが、政義の愚痴目いた言葉に同意出来るほど、和田義盛に対する不満が込み上げてくる。
その後、和田義盛の悪口を散々言い合って、解散となった。
各自が、それぞれの所領に戻っていく。
重兼も自室に戻って横になった。
春になったらやらねばならない事が、たくさんある。
それらに思いを巡らせているうちに、重兼は眠りに落ちていった。
新田党の誰もが気づいていなかった.
自分達が、義時の思惑どおりに動いている事に。
そして、上野だけでなく、鎌倉でも義盛の器量を疑問視する声がゆっくりと拡がっていった。




