登城
数日後、わたしとガイウスは王城に向かう馬車の中にいた。
わたしは何度か王家主催の夜会などに行ったことがあるので王城に慣れているけれど、ガイウスはトイレットペーパーを献上した時が初めてだったそうで、今回もまだ緊張するらしい。
王族と顔を合わせても恥ずかしくないよう、装いは全て新品だ。
ガイウスは見目が良いから、華やかな装いをするととても目を引く。
しかし、落ち着かない様子で首元の襞襟を何度も直している。
「そんなに心配なさらずとも大丈夫ですわ。前回も陛下はお優しい方だったでしょう?」
「ああ……いや、その、謁見の間にて顔は合わせたが、その時は宰相がほとんど話していた」
「謁見の間に通されたのはとてもすごいことですのよ。普通は臣下が対応して終わりですもの。きっと陛下はトイレットペーパーに興味を持たれたのですわ」
「そうだといいが……少し、胃が痛いな……」
とても緊張している様子のガイウスを抱き締める。
「もし何か失敗をしたとしても、わたしが何とかしてみせますわ」
と言えば、何故かガイウスの目に力が入る。
背筋を伸ばしたガイウスがわたしを抱き寄せた。
「それはそれで情けないだろう。……君の夫として恥ずかしくないよう、努力する」
「まあ、嬉しいですわ」
二人で抱き締め合っているうちに馬車が門を抜け、王城の敷地内に入った。
しばらく二人で車窓を眺め、城に馬車が到着した。
先に降りたガイウスの手を借りて、わたしも馬車から降りる。
正面玄関には案内役だろう使用人らしき人物が立っていた。
「ガイウス・バッシュ様、ルイザ・バッシュ様、ようこそお越しくださいました」
丁寧に一礼するその使用人にガイウスと共に礼を返す。
使用人は初老の男性で、物腰柔らかな印象を受ける。
「さあ、中へどうぞ。陛下も王妃殿下もお二方にお会い出来るのを、とても楽しみにしておられます」
そうして、城の中に入ると使用人の案内を受けて廊下を進む。
…………あら?
横を歩くガイウスは気付いていないようだけれど、どんどん城の奥へ入っていく。
普通は城の一階にある応接室に案内され、そこで待つものだが、今日はそうではないらしい。
……これは、もしかして『特別室』に行くのかしら?
王城の奥には王族が仕事をするための執務区画がある。
そこは王族が許可を出した人物しか立ち入れず、その区画にある応接室のことを貴族の間では『特別室』と呼んでいる。よほどの重要人物か、気に入られない限り通されない場所なのだ。
トイレットペーパーを気に入ってもらえたのだろう。
使用人がある扉の前で立ち止まり、その扉を叩いた。
「こちらに陛下と王妃殿下がおられます」
ややあって使用人が扉を開けた。
どうぞ、と促されてガイウス、わたしの順に入室した。
広く、華やかな応接室にはソファーとテーブルのセットがあり、ソファーに五十代ほどの男女が座っていた。金髪に翠色の瞳をした、威厳を感じさせる男性が国王陛下で、その横に寄り添うように座っている銀髪に淡い紫色の瞳をした温和そうな女性が王妃様であった。
ガイウスと二人で並び、礼を執る。
「我らが太陽と月、国王陛下と王妃殿下にご挨拶申し上げます。ガイウス・バッシュといいます」
「妻のルイザでございます」
「本日はご招待していただき、光栄に存じます」
先ほどまではあんなに緊張していたガイウスだったが、いざお二方と対面すると、とても堂々としていて緊張など欠片も感じられなかった。
すぐに「面を上げよ」という声がして、姿勢を正す。
「こちらこそ、急な誘いであったのに応えてくれたこと、礼を言う」
「さあ、お二人ともどうぞ座ってくださいな」
「そうだな、いつまでも立っていては疲れるだろう」
と、国王陛下と王妃様に促されて、二人でソファーに座る。
いつもの癖なのか、ガイウスの手がわたしの腰を抱き寄せた。
結婚してから忙しかったが、仕事を終えた夜に夫婦二人で過ごす時間を必ず設け、その日にあったことなどを話すのが日課になっている。二人で座る時、ガイウスはこうしてわたしの腰に手を回す。
ここでわたしが変に反応するのもどうかと思い、そのまま、いつも通りガイウスにくっつく。
それを見たお二方が目を瞬かせ、そして二人ともが朗らかに笑った。
「はははっ、そなた達は夫婦仲が良いようだ」
「夫人も呼んで正解でしたでしょう?」
その言葉にガイウスがキョトンとした顔をする。
わたしが腰に回った手に触れると、そこでようやく気付いたらしく、ガイウスの顔が赤く染まる。
けれども、そこで手を離さず、むしろしっかりとわたしの腰に触れた。
「妻は私にとって『幸運の女神』ですので」
と、ガイウスが言う。
「ほう? あのトイレットペーパーは夫人の発案だと手紙に書いてあったが、事実なのだな?」
「それにつきましては『正しい』とも『違う』とも言えるでしょう」
「どういうことだ?」
陛下に訊き返され、ガイウスがわたしを見る。
頷き、わたしが言葉の続きを引き受けた。
「実は、わたしのスキルで生み出したものなのです」
両手を少し前に出して「『トイレットペーパー召喚』」と呟けば、両掌の上に一つ、トイレットペーパーが現れる。
お二方が驚いた様子でわたしの手元を見た。
「何と……このようなスキルは初めて見た」
「わたしも自分のスキルを正しく理解したのは、実はつい最近のことでした。それまでは粗悪な雑紙を出せるだけのものと思っていたのですが……そうではありませんでした」
「なるほど、それ故に『幸運の女神』というわけか」
国王陛下が小さく笑う。
その横で王妃様が頬に手を当て、心配そうな顔をする。
「しかし、わたくし達にスキルを明かしても良かったのですか?」
本来、スキルは他人に簡単に教えていいものではない。
だが、だからこそお二方には種明かしをしておいたほうがいい。
「はい、夫と話し合い、陛下と王妃様には包み隠さずお伝えするべきだと決めました」
「この国でお二方以上に信じられる方々はおりません」
わたし達の言葉にお二方が顔を見合わせ、そして笑った。
その表情は穏やかなものだった。
これからも紙製品を出していくとして、どこかで商品の製法について訊かれるかもしれない。
それなら、最初から『スキルで生み出したもの』だと明かしておけば、お二方を騙すことにはならないし、今後出すかもしれない商品についての説明も省ける。
陛下が自身の顎を撫でながら訊いてくる。
「我が国の技術でトイレットペーパーを再現することは可能か?」
「商人の視点から申し上げるならば、現段階では不可能です。紙をここまで薄く、柔らかく、そして途切れずに長く作る技術はございません。この技術を模索するだけで、一体どれほどの年月がかかるか……たとえ技術的に可能になったとしても、値段は現在の何倍も高いものとなるでしょう」
「それに、生み出しているわたし自身もどのような技術で作られたものなのか理解出来ていないのです」
「このトイレットペーパーの技術は素晴らしい。我が国に新たな風が吹けばと思うたのだが……」
残念そうな顔をする陛下に少し申し訳ない気持ちになった。
ガイウスに耳打ちされる。
「技術研究は任せてもいいんじゃないか? トイレットペーパーの商権だけうちに残しておいて」
「ガイウスがそれでよろしければ構いませんわ」
「助かる」
そして、ガイウスが陛下に顔を戻す。
「陛下、当商会は現在トイレットペーパーの独占販売をしておりますが、国がこれに関する技術調査を行うことは問題ないと考えており、我々も協力したいと思います。ただ、今後を考えると妻の生み出した紙製品や、それから派生した技術については当商会の権利を保障していただきたいのです」
「保障と言うと?」
「たとえばトイレットペーパーを国が技術調査を行い、その結果によって類似品を作れるようになり、売買するとします。その際に利益の三割ほどをいただければと思います。もしトイレットペーパーから新たな技術が生まれ、その技術を使って作られた製品であれば利益の二割を……といった形が望ましいかと」
「ふむ……」
陛下が自身の顎をもう一度撫でる。
「類似品の販売や技術調査を禁止しないのは何故だ?」
「トイレットペーパーもそうですが、恐らく妻の生み出す品は多くの人々が欲しがるものとなるでしょう。当商会や妻の力だけでは全ての人々に行き渡らせることは出来ません。それならば、製法を調べ、解き明かし、類似品が作れるようになればより多くの人々の生活が快適になります。そして類似品や技術が増え、他国に広まるほど、この国の名も当商会の名も広まります」
ガイウスの言葉に陛下が満足そうに頷いた。
「うむ、分かった。そなた達の出す商品とそれに関する技術についての権利を保障しよう。その代わり、夫人のスキルによって生み出したものは商品として売り出す前に見せに来てもらいたい。国として研究すべきか否か、それを世に出しても良いか、我々も判断したい」
「かしこまりました」
「もしも世に出すべきではないと判断した場合、国で密かに研究を行い、商会に補償金を毎年支払っていくというものでも構わないだろうか?」
「はい、それは願ってもないお話でございます。当商会では扱いきれないものも出るやもしれませんので、王家のご意向を確認出来ますと、安心して商売を行えます」
陛下とガイウスがどこか生き生きとした様子で話し合っている。
楽しそうなガイウスを見ていると、わたしも嬉しい。
「やはり、バッシュ家には爵位を与える必要がある。出来るなら子爵位を授け、今後もその働きに期待したいところだが、周囲の貴族から反感を買うかもしれん。……となると、まずは一代限りの男爵位から始めたほうが良かろう」
「ありがとうございます。爵位を賜れることは、一生の誉れとなりましょう」
……やっぱり今日は授爵の話のためだったのね。
話し込む陛下とガイウスを横目に、紅茶でも飲もうと手を伸ばせば、王妃様と全く同じ動きをしていまい、目が合った。
王妃様が小さく、ふふっ、と笑う。
「あなた、わたくし達はあちらの席に移動してもよろしいかしら?」
「うん? ああ、そうだな、こちらはまだしばらくかかる」
「では、失礼します。……夫人、どうぞこちらにいらして」
促されて、同じ室内の少し離れた場所にあるテーブル席に移動する。
ここまで案内してくれた、あの使用人が控えていた壁から離れ、ティーカップやいくつかのお菓子皿を持ってついて来る。
思わず「ありがとうございます」と声をかければ、使用人は静かに微笑み、また下がった。
「実は夫人に訊きたいことがありましたの。トイレットペーパーについて、ティペット伯爵家とベインズ子爵家から『不当な扱いをされているのでどうにかしてほしい』という嘆願が出ているのです」
「確か、ティペット伯爵家は王妃様の生家であるノーツヴァン公爵家と縁がございますね」
「ええ、そうです。調べたところ、ティペット伯爵家の令息と夫人は少し前まで婚約をしていたと知り、その婚約を令息が一方的に破棄したことも聞き……両家に商品を販売しない理由には、それが関わっているのですね?」
王妃様の問いに頷き返す。
「はい、ご明察の通りでございます」
そして、わたしは婚約破棄の詳細について王妃様に説明をした。
当時、わたしのスキルは『粗い雑紙を出せるだけの能力』だと思っていたこと。
元婚約者のティペット伯爵令息はそんなわたしとの婚約が不満で、他の女性──……ベインズ子爵令嬢にわたしのスキルを漏らし、彼女と浮気をしていたこと。
家同士の話し合いもなく、突然一方的に『役立たずだから』と婚約破棄されたこと。
その後、ティペット伯爵家から婚約破棄の書類が届けられ、慰謝料という名の手切れ金が送られてきて、ビードン子爵家は即座に書類に署名をして提出したこと。
並行してわたしの相手としてガイウスと連絡を取り、婚約関係が消えたのとほぼ同時にわたしとガイウスが顔合わせを行い、婚約し、すぐに結婚したこと。
「結婚を急いだのは『婚約破棄されて捨てられた令嬢』というわたしの噂を使い、商品を広めるためでした。それに、あのままでいればわたしは社交界で肩身の狭い思いをすることになったでしょう」
王妃様が小さく溜め息を吐いた。
「そのような経緯があったなんて……。ティペット伯爵家とベインズ子爵家との取引を行わないのは『不当な扱い』ではありません。裁判所も当然の対応ですね」
もう一度息を吐き、王妃様がわたしを見る。
「理不尽な扱いをされ、それでも折れずに立ち上がった夫人は素晴らしい方ですわ」
「そんな……わたしはただ、負けたくなかっただけです。……でも、わたし一人ではどうしようもなかったでしょう。夫が結婚してくれて、協力してくれたからこそ、こうして今も堂々と立っていられるのです」
もしガイウスと結婚しなければ、今はなかった。
他の商人でもトイレットペーパーの販売はしてくれただろうが、わたしの事情と希望を聞いてくれたかは分からないし、夫婦として愛してもらえたかも分からない。
ガイウスはわたしを『幸運の女神』なんて言うけれど、わたしからすれば、この幸運を連れて来てくれたのはガイウスのほうである。
「ふふっ、惚気られてしまいましたね」
「あ……し、失礼いたしましたっ」
「いいえ、気にしないでください。夫婦仲が良いのは素敵なことですから」
チラリと王妃様がわたしの後ろに視線を向けた。
その瞬間、ふわりと後ろから伸びてきた腕に抱き締められる。
「ガイウス?」
振り向けば、額に口付けられた。
いつの間にか陛下との話し合いが終わっていたらしい。
ソファーに座ったままの陛下が言う。
「ティペット伯爵家とベインズ子爵家については放っておけばいい」
「ええ、そうですね。わたくし達が介入することではございませんわ」
王妃様も頷いてくれたのでホッとした。
その後、陛下とガイウスが誓約書を交わし、和やかな雰囲気で終わった。
陛下とガイウスは意気投合したらしく、最後に握手もしていて、なんだか面白かった。