トイレットペーパー
そうして、結婚してから三週間が経った。
この三週間、わたしは商会の倉庫に通い続けた。
結婚式の招待客に配ったトイレットペーパーだが、使った者が他の者にそれを話したことで噂が広まり、予想以上に問い合わせや注文依頼が殺到してしまったのだ。
……まさか、ここまで早く噂が広まるなんて……。
ある意味では嬉しい誤算なのだが、結果、新婚生活をのんびり楽しむ余裕はなくなった。
朝起きて、ガイウスに厳重に警備がされた倉庫まで送ってもらい、ニールさんに立ち会ってもらいながらトイレットペーパーの召喚を行う。
ちなみに今の『レベル1』では一度に出せるトイレットペーパーの量は五十個が限界で、わたしの魔力量が三百と少しなので、召喚を六回繰り返すと魔力が足りなくなる。
魔力が足りなくなったらニールさんから魔力回復薬をもらい、飲む。
魔力回復薬は一日に服用出来る回数が決まっており、最大でも三回までしか飲めない。
それ以上服用すると吐血し、体調を崩してしまう。最悪、死に至ることもあるそうだ。
そういうわけで、魔力回復薬の服用は大事を取って二回までという話になっている。
……それでも日に九百個なのよね。
最初なので希少価値を持たせる意味もあり、予約先着順で一つの家につき二十四個限定──前世でよく見かけた十二ロール入り一袋を基準にすると二袋分だ──で販売する形にしてもらった。
ガイウスとニールさんは『二十四個は多いのでは?』という反応だったが、毎日使う消耗品なのに数個しか買えないとたった二、三日で終わってしまうし、それでは逆に不満が出るだろう。
何より、少量売りで頻繁に購入されるとわたしの生産能力が間に合わない。
実家のビードン子爵家に先に出していた分と、この三週間で用意した分を合わせれば、問い合わせがあった家々のうち、三分の二くらいに売ることが出来る。あえて全員に売らないことで特別感を出し、人々の購入意欲を高めさせたいという目的もあった。
そして今日、ついに発売日となった。
不公平にならないように注文依頼の中から抽選で販売先を選び、更に無地のものと絵柄付きのもののどちらを販売するか抽選し、前もってそれを全ての家に通知し、今日中に商品が届くように手配をした。商会も大忙しの三週間だったようだ。
……今頃、トイレットペーパーが届き始めている頃かしら?
残念ながら、わたしは今日も倉庫でニールさんとトイレットペーパー召喚作業を行っている。
平民向けのトイレットペーパーも数はそれほど多くないが、商会の店頭に並べてある。
もしかしたら店先も大変なことになっているかもしれないが……。
ちなみに王家には先にダブルタイプの絵柄と香り付きトイレットペーパーを箱で送り済みだ。
人々がトイレットペーパーに感動し、欲しがっている中、王家は噂の的であるトイレットペーパーを悠々と使える。しかも市販のものより華やかでおしゃれな『特別製』だ。
「奥様、少し休憩なされてはいかがですか?」
一本目の魔力回復薬を飲み終えるとニールさんに声をかけられた。
「こちらを会長より預かっております」
差し出されたのは四角いバスケットだった。
上にかけてある布を外すと、サンドイッチやスコーンなどの軽食やクッキーといったお菓子、皮袋の水筒、木製のカップと皿が入っていた。ふわりと香ばしく甘い香りが広がり、鼻先をくすぐる。
「『今日は忙しくて昼食を一緒に摂れそうにないが、君はきちんと食事をしてほしい』とのことです」
その伝言とバスケットに思わず笑ってしまった。
「わたしに食べろと言っておいて、自分は食事を後回しにしてしまうのでしょうね」
「はい、私もそう思います。一応、会長が食事を抜かないように私の補佐をつけておきました」
「さすが副商会長、先を見通す力は完璧ね」
ニールさんが「お褒めいただき光栄です」と嬉しそうに微笑んだ。
恐らく、ガイウスとニールさんはそれなりに付き合いが長いのだろう。
この三週間で二人が話す様子を何度も見てきたが、どちらも互いを信頼し、意見を尊重し、協力して商会の仕事にあたっていた。商会長と副商会長であり、親友同士のような気安さと親しさ、絶対的な信頼関係を感じた。
……一瞬、嫉妬してしまったくらい。
でも、だからといって二人の関係に口を挟むつもりはない。
忙しい中で楽しげに話し、仕事をする二人を見ていると嫉妬心なんてすぐに消えてしまった。
あまりにも二人の表情が明るくて、ワクワクしていて、新しい商売に挑戦するのが楽しくて仕方がないというふうで──……そして嬉々として『トイレットペーパーの発案者』だとわたしの名前を広めるものだから、なんだか毒気が抜けた。
ガイウスも、ニールさんも、この商売のために奔走してくれている。
『ティペット伯爵家とベインズ子爵家への商品の流出禁止令も出しておきました。皆様、事情を説明したら快く頷いてくださり、販売先にも注意喚起をしていただけるとのことです』
『よくやった、ニール』
などと悪い笑みを浮かべる二人を見て、嫉妬心を抱き続けるなんて出来なかった。
わたしがトイレットペーパーを召喚している間に面倒なことは全てガイウス達が済ませてくれて、販売日当日の今日も、店にいると人々に話しかけられて大変だろうからと朝早くから倉庫に送ってくれた。
ニールさんが慣れた様子で床に小さな絨毯を敷き、バスケットの中身を並べていく。
それから護衛の人達にもニールさんは別のバスケットを渡していた。
「本日の作業はゆっくり行っていただいて問題ありません。今日までも忙しかったですが、きっとこれからも同じくらい忙しくなるでしょう。奥様もほどほどで休んでください」
「ありがとうございます。ニールさんも、ご無理はなさらないようお願いいたします」
「お気遣い痛み入ります」
二人で絨毯の上に座り、少し早めの昼食を摂る。
倉庫内部には護衛も数名おり、全員、仕事中に見聞きしたことを漏らさないように誓約魔法を使って雇用しているらしい。初めてトイレットペーパーを見て、触った時の護衛達の反応は可愛かった。
そして、これが高価な品だと分かると気合を入れてわたしの護衛についてくれた。
護衛の人達は交代で食事を摂るようで、先に半数が立ったまま食べている。
「それにしても、こうして見るとすごい量ですね」
ニールさんがサンドイッチを食べながらトイレットペーパーの山を眺める。
「紙製品のはずなのに、私には金の山に見えてしまいます。……原価のかからない、しかも長期的に売れる品なんて、商売人なら喉から手が出るほど欲しい売り物ですから」
「ふふ、そうだと思いましたので、ガイウスにわたしごと売り込みましたのよ」
「会長と奥様の素晴らしい出会いは、神に感謝をしなければいけませんね」
サンドイッチを食べ終えて、両手を組んで祈るような仕草をするニールさんに笑った。
「どちらかといえば、その神様よりも、こちらの神様に感謝したほうがいいかもしれませんわ」
「なるほど。では、こちらの紙様にも感謝を」
意外とノリが良いらしく、ニールさんはトイレットペーパーにも祈りを捧げる。
二人で顔を見合わせて小さく吹き出した。
……ガイウスと結婚して良かったわ。
結婚生活がこんなに楽しいものになるとは思ってもいなかったから。
* * * * *
そして、トイレットペーパーの発売日から一週間。
販売が落ち着きつつあるのか、今日はガイウスは休みを取れたようだ。
日課として倉庫にトイレットペーパーの在庫を補充しに行くわたしに、ガイウスもついて来る。
倉庫に着き、トイレットペーパー召喚しながらガイウスと話した。
「トイレットペーパーの売り上げはいかがかしら?」
床に敷いた小さな絨毯に座っているガイウスが答えた。
「順調……というより、正直、売れすぎているくらいだな」
「あら、それは良いことではなくって?」
「商品が売れるのはありがたいが、トイレットペーパーだけでうちの商会の一月分の売り上げをたった一週間で超えたんだ。対応にあたった従業員も俺も、大忙しだった」
多くの人がトイレットペーパーを欲しがったため、抽選で購入出来なかった一部の人が、多少質が悪くてもいいからと店頭に置いてあるものを買い占めようとしたり、他に買いにきた人と喧嘩になったり色々とあったようだ。
「でも一家につき二十四個にしたから、今後は購入頻度は落ち着きますわ。多めに使ったとしても四人家族で一月半くらいは持つと思いますの。それぞれ家族構成が違うから、そのズレで購入の時期は変わってくるでしょう」
「ああ、確かに」
基本的に今回トイレットペーパーを購入した貴族は自分達しか使わないだろう。
屋敷の使用人達は今まで通りの雑紙を使用するから、購入した貴族の家人数によって次の購入タイミングが決まる。
その間にこちらはトイレットペーパーをどんどん出して在庫を増やしていけばいい。
まだ平民にはあまり広まっていないため、今のところは商人や貴族、王家向けに出していけば何とかなる。シングルは少なめに、基本的にダブルの無地、たまに絵柄付きという感じだ。
……そうは言っても貴族だけでも相当数の家があるけれど。
それについてはあまり考えないようにしている。
一度目の三百個を丁度出し終えたところで、魔力の増加を感じた。
何だろうとスキル画面を確認すれば、スキルが『レベル2』に上がっていた。
……スキルレベルが上がると魔力量が回復するのね。
しかもレベルが上がったら魔力総量が『100』上がっていた。
これでわたしの魔力総量は『400』になったので、トイレットペーパーの生産量も上がる。
「ルイザ? どうかしたのか?」
動きを止めたわたしに、立ち上がったガイウスが近づいてくる。
「スキルレベルが上がったみたいで……魔力が回復して、総量も『400』に増えましたわ。トイレットペーパーは『1』消費して出せるから、一回で四百、魔力回復薬を二回使えば千二百個出せますわね」
「それは非常に助かる。購入出来なかった者の対応は面倒だしな……」
しみじみと呟くガイウスに苦笑が漏れる。
「全部任せてごめんなさいね」
「いや、君は君にしか出来ない最重要の仕事をしてくれている」
ギュッと大事そうに抱き締められると心が温かくなる。
スキル画面は他人には見えないらしく、わたしの前にスキル画面が展開していても、ガイウスは気にした様子がない。
……やっぱり、スキルが上がると出せるものが増えるのね。
スキル『レベル2』の欄にあった『???』が消えて『包装紙/新聞紙/厚紙』という表示に変わっていた。今はレベルが上がったばかりで、それぞれ下級のものしか出せないらしく、包装紙と厚紙の説明文には『茶色の粗悪品、三十センチ四方』とだけ書かれている。
「スキルレベルが上がって新しいものを出せるようになったけれど、今はまだ使いものになりませんわね」
掌を上に向け『包装紙召喚』と呟くと、三十センチ四方の茶色の包装紙十枚ほど出てきた。
……あら? 粗悪品と書いてあったけれど、思ったより綺麗だわ。
この『粗悪品』という注釈は前世の物と比べてということなのかもしれない。こちらの世界の雑紙に比べれば滑らかで、薄くて、扱いやすそうだ。
ちなみにこの包装紙は魔力を『1』消費すると『10枚』出てくるようだ。
今は茶色のものしか出せないが、級が上がれば、恐らく色付きや絵柄付きも出せるのではないだろうか。下級・中級・上級にこちらも分かれているのでトイレットペーパーと同じだと予想出来る。
ガイウスがわたしの手の上にある包装紙に触れ、驚いた顔をする。
「これは使えるぞ。ちょっとした小物や割れ物を包むのに良さそうだ。茶色だが、一般的な紙と同じくらいの品質だ。さすがに本にするには色が良くないけれど、小さな商品を包むのに使えるだろう」
「そうですわ。雑貨品だけでなく、パンやちょっとした屋台の売り物もこれで包めないかしら? 水分のないものなら、少しの間、これに包んで持って帰ったり食べたり出来ると思うのだけれど……」
「それは良い案だ。……だが、しばらくは他の商品を出すのは控えておこう。トイレットペーパーだけでも大騒ぎになっているし、この次にティッシュを出すことも考えると、君にかかる負担が大きくなってしまう」
ガイウスの言葉に「それもそうね」と納得した。
今でさえ毎日トイレットペーパー召喚をしてギリギリなのだ。
ここで無理に商品を増やせば、わたしの召喚量が追いつかない。
需要と供給を考えると、供給が間に合わなくなるのは目に見えている。
「やはり、しばらくはトイレットペーパーに専念したほうが良さそうですわね」
「そういうことだ」
それにトイレットペーパーを毎日召喚しているおかげで、経験値も日々貯まっている。
この速度で経験値が入っていけば『レベル3』に上がるのもそう遠くはないだろう。
レベルが上がり、また魔力総量が増えてから、今後について考えても遅くはない。
「ああ、それと国王陛下より招待状が今朝届いた。是非、話がしたいという内容だった」
「まあ、本当ですの? 陛下と直接お言葉を交わせる機会なんて、貴族でもそう多くはありませんわ」
「ハッキリとは書いていなかったが、多分、叙爵の話だと思う」
この国では素晴らしい発明をした者は男爵位──といっても一代限りのものだが──を陛下より賜ることが出来る。恐らく、今回の招待はそれを伝えるためのものだ。
「思いの外、早かったですわね」
「まさか君と結婚して一月で叙爵の話が来るとは……。いつか叙爵したいと考えていたけれど、まるで階段を駆け上がるみたいな速さだ。全て、ルイザのおかげだな」
ありがとう、と抱き締められて微笑み返す。
「わたしは商品を提供しただけでしてよ。どのように売るか、誰に売るか、そういった部分は全てガイウス達がしたことですもの。トイレットペーパーはきっかけに過ぎず、きっと今までのあなたの頑張りが実を結んだのですわ」
実際、わたしはトイレットペーパーを召喚しているだけである。
返事の代わりにもう一度、ギュッと抱き締められた。




