紙製品召喚
翌日、ガイウスと共に昼前に起きて身支度を整えた。
昨夜は遅くまで仕事をしていたガイウスが、今朝はゆっくりとしていたので思わず問いかけた。
「お仕事は大丈夫ですの?」
「ああ、昨日はどうしても急ぎの案件があっただけで、今日は一日休みを取った。……さすがに新婚初日から仕事で夫が出払っているというのも寂しいだろうと、言われて……」
「そうですわね。朝起きて隣にガイウスがいなかったら寂しいですわ。その素晴らしい助言をしてくださった方はどなた?」
その人のおかげで、こうして最高の新婚生活が始められた。
「ここの副商会長で、俺の補佐をしている。この後、君に会わせようと思っていた」
「是非お会いしたいですわ。それに、これからの商売についてガイウスだけではやりにくいでしょう? 副商会長にもわたしのスキルは明かしておいたほうが良くないかしら?」
「……いいのか?」
スキルは基本的に他人に明かすものではない。
よほど信頼の置ける相手でなければ話さないし、問うのは非常識な行為である。
「ええ、ガイウスが信頼している方ですもの」
今後のことを考えても、スキルについては話しておくべきだろう。
そういうわけで、朝食兼昼食を摂ってから、家の中を案内してもらった。
一階は商会用のスペースで、二階に食堂や応接室──商会用ではなく私的なもの──などがあり、三階にわたし達の部屋や寝室、居間などがある。一階に降りると人の話し声や足音などがして忙しそうな様子だった。
促されて廊下の奥に進み、横にある扉の一つをガイウスが叩く。
中から声がして、ガイウスが扉を開けた。
「おはようございます、会長」
中にいた人物が立ち上がった。
後頭部の髪を少しだけ高い位置で縛った柔らかな淡い茶髪に、金縁の丸眼鏡をかけた、物腰が柔らかそうな青年がいた。年齢はガイウスと同じかやや上くらいだろうか。
目が合うとニコリと微笑んだので、わたしも微笑み返す。
「ニール、俺の妻のルイザだ。……ルイザ、こっちはニール、先ほど話した副商会長だ」
副商会長だという青年が一礼する。
「ニール・エヴァンスです。ニールとお呼びください。お会い出来て光栄です、奥様」
「ルイザ・バッシュと申します。こちらこそ、お会い出来て嬉しいですわ。あなたがガイウスに助言をしてくださったおかげで、素敵な朝を迎えられましたの。ありがとうございます」
「お役に立てて何よりです」
どうぞ、とニールさんに勧められて、ガイウスと共にソファーに座る。
向かいのソファーにニールさんも腰掛けた。
「それで、商会長、まさか新婚初日から仕事をしに来たというわけではありませんよね?」
「違う……と、言いたいところだが、今後の商会に関わる話をニール抜きではしたくなくてな」
ガイウスと頷き合い、わたしはニールさんに顔を向けた。
「ニールさんは『トイレットペーパー』についてご存じでしょうか?」
「はい。実はトイレットペーパーについて、貴族や他の商会の方々から問い合わせが殺到しておりまして……昨日、結婚式の返礼品として配ったのがさっそく効いたようですね」
苦笑交じりに返され、ガイウスが「もう問い合わせが来てるのか」と驚いた顔をする。
……やっぱりみんな食いついたわね。
今までの雑紙と比べたら、トイレットペーパーは本当に素晴らしい品だ。
生きている以上、どうしてもトイレに行かなくてはいけないのに、これまでは使う紙が固くて痛いという不快な思いをしなくてはいけなかった。
そこにトイレットペーパーという柔らかな紙が出れば、当然、人々は不快感の少ないほうを使いたがる。
「そのトイレットペーパーの秘密を、ニールさんに明かしますわ」
わたしは手を軽く伸ばし、掌を上に向けた。
「『トイレットペーパー召喚』」
その瞬間、わたしの掌の上にトイレットペーパーが現れる。
ニールさんが酷く驚いた様子で目を丸くし、ズレた眼鏡を直す。
「これは……まさか、スキルですか?」
「ええ、理解が早くて助かりますわ。わたしのスキルは『紙製品召喚』といい、紙で出来たものを生み出すものですわ。何でも出せるわけではありませんが……」
「いえ、これはとてもすごいことです! ……なるほど、これは材料費がなく、販売すればそのまま利益になりますね……!」
わたしが差し出したトイレットペーパーを受け取ったニールさんは、感動した様子でその手触りを確かめている。
実際は『召喚』という現象を起こしているので、本当のところは物を生み出しているわけではないのだけれど『では、どこから召喚しているのか』と問われても答えられないので、とりあえずこの説明で通しておこう。
今度は両手にそれぞれトイレットペーパーを召喚する。
片方はダブルの無地で、もう片方はダブルの絵柄と香りつきだ。
両方をテーブルの上に置く。
「先ほどお渡ししたものは平民向けに、こちらは貴族向け、そしてこの絵柄と香りの付いたものは王族や上流貴族向けといったふうに分けて販売するということになっておりますわね?」
「はい、その話も会長より聞き及んでいます。絵柄と香りのあるトイレットペーパーは王家から購入契約をしたいと申し出が来ていますね。ただ、王家と他とで区別をつけたいという要望も出ていまして……」
「絵柄と香り付きは王家のみの専売品にして、絵柄のみを上流貴族向けにするのはいかがかしら? その要望を聞く代わりに、王家御用達の看板をかけても良いか訊いてみましょう」
「それは良い案だな」
ガイウスが楽しそうに笑う。
「このように、わたしの魔力で生み出せるので原材料費はかかりませんわ。ただ大量に用意する際には魔力が足りなくなってしまいますので、魔力回復薬が必要ですわね」
「回復薬については問題ない。うちでも扱っているし、回復薬を飲んだとしてもトイレットペーパーの利益のほうがずっと多い。むしろ原価としては破格の安さだ」
ガイウスの言葉にホッと胸を撫で下ろす。
魔力回復薬はわりと高価な代物だが、使えるならトイレットペーパーの生産が滞ることはない。
「奥様、トイレットペーパーは日にいくつ出せますか?」
「今は三百個というところかしら。……ああ、その件だけれど、結婚が決まってから毎日出せるだけトイレットペーパーを出していたから、ビードン子爵家にある在庫を引き取ってもらいたいの。出し過ぎて舞踏の間がトイレットペーパーでいっぱいになってしまって……どこか空いている倉庫があれば、そちらに移してほしいわ」
「かしこまりました。すぐに手配いたします」
ニールさんが丸眼鏡を押し上げ、そのガラスがキラリと光る。
やる気に満ちた様子からして、きっと今日中には舞踏の間にあるトイレットペーパーの山は移動してもらえることだろう。最初にトイレットペーパーを出していた部屋の分は、屋敷用に残しておけば、しばらくは困らないはずだ。
「販売時期と価格、販売方法などは全て商会にお任せしますわね」
そう言えば、ニールさんが戸惑った様子で訊き返してくる。
「本当によろしいのですか? その、利益から、奥様の取り分などを決めたりは……」
「あら、トイレットペーパーが売れて商会が大きくなれば、ガイウスの財産は増えますわ。夫の財産は妻のものでもあるのですから、わざわざ取り分なんて要らないでしょう? 何か欲しいものがあればガイウスにおねだりしますもの」
ニールさんは目を瞬かせ、そして小さく噴き出した。
「はははっ、それもそうですね! 会長、出し惜しみはやめたほうがよろしいですよ」
「元から妻に不自由な思いをさせるつもりはない」
ガイウスに抱き寄せられたので、わたしはその体に寄りかかった。
「懐が深い旦那様に嫁ぐことが出来て幸せですわ」
わたしの言葉にニールさんがまた愉快そうに笑っていた。
ガイウスもわたしも釣られて笑う。
……でも、冗談ではないわ。
結局、家長はガイウスなのだから、彼が「この金額以上は使うな」と言えば、わたしはそれ以上のお金を使うことは出来ない。
無駄遣いをするつもりはないけれど、自身を美しく保ったり流行のドレスや品を購入したり、そういったところにかけるお金を削るのは良くないだろう。
商人の妻だからこそ美しくあり、流行の最先端の物を持つべきだ。
貴族達がそれを見て欲しがれば商売もより繁盛する。
笑いが落ち着いたところで話を戻すことにした。
「話を戻しますけれど、わたしのスキルはトイレットペーパー以外も生み出せますわ。現状で出せるものは粗い雑紙とトイレットペーパー、それとティッシュの三つですわね」
テーブルに手をかざし、一つずつ召喚する。
粗い雑紙は現在出回っている一般的なもので、茶色く、固くて肌触りが悪く、トイレやちょっとした物を包むのに使われる。何でも平民向けの屋台などではこの雑紙で商品を包んで渡されるらしい。わたしは見たことはないが、侍女がそう話していた。
トイレットペーパーは四種類出した。シングルタイプの無地、ダブルタイプの無地。ダブルの絵柄付き、そしてダブルの絵柄と香り付き。
最後にティッシュ。残念ながら外装がなく、剥き出しのティッシュが出てくる。普通の箱に入っているタイプのティッシュの質が悪いものと良い物、ポケットティッシュ向けの小さいタイプ、ポケットティッシュの絵柄付きと、絵柄と香り付き。
ガイウスがポケットティッシュの絵柄と香り付きを手に取る。
「これも紙か? ……すごいな。トイレットペーパーよりも柔らかくて滑らかだ」
「トイレットペーパーは基本的にお手洗い専用の紙製品ですが、こちらのティッシュは鼻をかんだり涙や口元の汚れを拭いたり……ハンカチの代わりになりますわ。鼻をかんだり口元を拭ったりしたハンカチを洗って使う、もしくは使い捨てるより、これを使って捨てたほうが綺麗でしょう?」
「なるほど。使用人の仕事も減る上に、布を使い捨てるより安くていいな」
「それにティッシュは使ったら暖炉に入れて燃やすことも出来ますわ」
ニール様が驚いた様子で顔を上げた。
「それはいいですね。布ゴミが多いと使用人が片付けるのも大変ですが、使ったら暖炉に入れてしまえばゴミが減る。布を大量に買うより安く、嵩張らず、ゴミも少ない。……トイレットペーパーに負けず劣らず、人気商品になりますよ!」
ガイウスが頷き、わたしは微笑んだ。
「だが、まずはトイレットペーパーの販売に専念しよう。ある程度、販売先が固定され、売り上げが安定してからティッシュは売り出したほうがいい。両方同時に出しても手が回らなくなりそうだ」
「そう思いましたので、先にトイレットペーパーをお渡ししたのですわ」
「さすがだ、ルイザ」
ガイウスが前髪越しにわたしの額に口付ける。
……婚約していた三週間に比べて、スキンシップが多いわね。
でも、結婚して夫婦となったのだからこれは普通なのだろう。
お母様とお父様もとても仲の良い夫婦で、こういうことをよくしていた。
「それから、わたしの出したトイレットペーパーやティッシュはわたしの意思で消すことが出来ますわ。出し過ぎて置き場に困った時は量を減らせるので、おっしゃってくださいな」
何故かガイウスとニールさんが顔を見合わせた。
そして、ガイウスが小さく笑った。
「その心配はない。トイレットペーパーはあればあるだけ売れるさ」
「そうですよ、奥様。足りなくて困ることはあっても、多くて困ることはありません」
「ついでに価格設定と販売についても今、話をまとめておこう。……ああ、そうだ、ティペット伯爵家とベインズ子爵家には今後一切『うちの商会の品を売らない』ことにした。特にルイザの生み出す紙製品は『流さない』ように手配を頼む。もし誰かが両家に売ったり、譲ったりした場合は、その誰かとの取引もやめろ」
ガイウスが元婚約者と浮気相手を思い出したのか、不愉快そうに目を細めた。
「俺の妻を傷付けた奴に売るものはない」
ニールさんが心得た様子で頷く。
「かしこまりました。一点だけ奥様にお訊きしたいのですが、それらの家について商会関係者全員に周知させるために、事情を説明してもよろしいでしょうか?」
「構いません。貴族の間でも既に婚約破棄の話は広がっているので、今更隠す必要はありませんわ」
「ありがとうございます」
ふとガイウスがわたしを見た。
「ルイザ、トイレットペーパーは君の発案した品だと広めてもいいか? 君の元婚約者は手放したものの大きさに気付いて悔しがるだろうし、上手くすれば君に対する人々の印象を変えられるかもしれない」
「印象を変えるとは、どういうことですの?」
「『婚約破棄されて捨てられた令嬢』ではなく『こんな素晴らしい品を発案出来る令嬢』に塗り替えるんだ。そうすれば元婚約者は『婚約者の能力に気付けなかった男』と言われ、あの浮気相手も『トイレットペーパーの発案者の婚約者を横取りした女』となる。君が有名になるほど、向こうは肩身の狭い思いをするというわけだ」
「あら、素敵! その案に乗りますわ!」
思ったよりも簡単に元婚約者と浮気相手に、己の行いを後悔させることが出来そうだ。
ニールさんも「そのように噂を誘導しましょう」と楽しそうに微笑んでいた。
……この商会で一番敵に回してはいけないのはニールさんかもしれませんわね。
でも、とても心強い味方である。