結婚式(2)
「ルイザ、君は僕と婚約していた時から、実はその男と会っていたんだろう!?」
それにわたしは思わず「は?」と返してしまった。
……え、何をどう考えたらそうなるのかしら?
「だから簡単に婚約破棄を受け入れ、こうしてすぐに結婚したんだ!! この結婚こそが君が浮気をしていたという証拠だろう!? 僕を責める前に自分の行動を振り返ったらどうなんだ!?」
「わたしは浮気なんてしておりませんわ。ガイウス様とは、ティペット伯爵令息と別れてから出会い、結婚することを決めましたの。お疑いでしたら調べていただいても構いません。……自分がそうだったからといって、他人も同じ行動をするとは思わないほうがよろしいかと」
「っ……!」
ニコリと微笑み返せば、羞恥のせいか赤い顔で元婚約者が押し黙る。
ここで何を言ったところで調査をすれば分かることだ。
「ルイザ、そろそろあれを……」
「あら、そうですわね」
わたしが手を叩くと使用人達がサービスワゴンを押して来る。
使用人達は招待客の座るテーブルにそれぞれ、華やかな布の包みを置いていく。
「こちらは本日お祝いに来てくださった皆様への、心ばかりのお礼の品でございます」
「まだ販売前の品ではありますが、きっと皆様にもお気に召していただけるかと思います。使い方などの説明書を同封しておりますので、是非お使いください」
元婚約者と浮気相手のテーブルにも置かれる。
「お二方にも餞別として差し上げますわ」
それに二人が驚いた顔で袋を見た。
ガイウスが人々に聞こえるように言う。
「こちらの品は先日、国王陛下にも献上させていただいたものなのですが、陛下は大層お喜びになられて、今後我が家にて継続購入をしてくださるとのお言葉まで賜りました」
周囲の人々の袋を見る目が変わる。
国王陛下が気に入った品というのはそれだけで貴族には価値がある。
王家が継続して購入するほどの品は珍しいので、招待客達は必ずこれを使うだろう。
そして、一度良さを知ってしまったら多少高くても買うだろう。
ちなみに王家の献上品は上級品だ。級が上がり、上級のものが出せるようになったが、やはり『絵柄付き』と『香り付き』だった。その両方のものも出せたので、淡い赤色のバラの絵柄と香りのあるトイレットペーパーを献上した。
国王陛下だけでなく王妃様も喜んだらしく、陛下から感謝の気持ちと今後はこれを購入していきたいという内容が書かれた手紙が返ってきた。
今回、結婚式の返礼品として配るのは『無地・ダブル』タイプだが、値段によって『シングル』と『ダブル』など質を変えて販売していけば、それぞれの好みで購入出来るようになる。
元婚約者と浮気相手にガイウスが微笑んだ。
「お二方も一度も触れないまま、というのは可哀想だと妻が言うので、返礼品としてどうぞお持ち帰りください。残念ながらティペット伯爵家とベインズ子爵家にお売りする品はございませんが」
「なっ……!? 何という商人だ!」
「ひ、酷いですっ! 商人なのに貴族に品を売らないなんて……!」
元婚約者と浮気相手が騒ぐけれど、ガイウスは笑みを崩さなかった。
わたしもガイウスに寄り添ったまま頷いた。
「ええ、良さが分からなければ話題に困ってしまいますから。でも、これはわたしが作った商品ですから、ティペット伯爵家とベインズ子爵家には『売らない理由』があっても『売る理由』がありませんもの。心が狭くて、ごめんなさいね?」
元婚約者と浮気相手が呆然としている。
「ルイザが作った……?」と元婚約者が言い、思い出す。
「ああ、そうですわ、ティペット伯爵令息。今後はわたしのことを名前で呼ばないでくださいませ。もう婚約者ではありませんから、今後は他人として接してまいりましょう」
うふふ、と笑っているとガイウスがわたしをギュッと抱き締める。
「ティペット伯爵令息、ベインズ子爵令嬢、本日は是非楽しんでいってください」
ガイウスの言葉に二人が周囲の視線にようやく気付き、居心地が悪そうに俯く。
その後、二人は披露宴の途中でそそくさと帰っていったらしい。
でもちゃっかり返礼品は持って帰ったようで、あの二人らしいと思った。
* * * * *
披露宴を終え、普通のドレスに着替えた後に子爵家で家族とガイウスと五人で夕食を摂った。
その後、名残惜しそうなお父様達に挨拶をして、馬車に乗ってガイウスの家に向かう。
実はまだ一度もガイウスの家に行ったことがない。
本人いわく「平民にしては大きいと思う」とのことだった。
思えば、子爵家以外に泊まるのは初めてである。
……いいえ、ちょっと違うわね。
これから向かうのは、今後わたしの帰る場所となる家だ。
大きな商会と言っても貴族の屋敷ほどではないだろうが。
「楽しそうだな?」
と、向かいに座るガイウスに問われて頷き返す。
「今まで実家以外に泊まったことがなかったのよ」
「友人の家にも?」
「ええ、昼間遊びに行ったり晩餐に招いてもらったりはするけれど、泊まったことはないわ」
「そうなのか……貴族というのは思ったよりも自由ではないんだな」
心底意外そうなガイウスの言葉にわたしは笑ってしまった。
「他の方は友人の家や宿に泊まって楽しむこともありましてよ。ただ、わたしは家が一番安心するので外泊にあまり興味がなかったのです。ですから、ガイウスの家に行くのが楽しみですわ」
「貴族からすれば小さな家だ。子爵家の屋敷の半分もない」
「あら、それは良いことですわ。分不相応なものを手にすると人は傲ってしまいますから、常に自分の身の丈を考えるのは素晴らしいと思います」
フッとガイウスが小さく笑う。
「ルイザの言葉は耳が痛いな」
「まあ、何か高価なものでもお持ちですの?」
ジッと見つめられ、その視線の意味を理解した。
……わたしとの結婚はそうだと思っているのね。
そっと手を伸ばしてガイウスの手を取る。
「わたしはあなたにとって相応しい妻ですわ」
「今後もそう思ってもらえるよう、努力しよう」
繋いだ手が優しく握り返された。
馬車が停まり、ガイウスが立ち上がると扉を開けた。
先に降りたガイウスの手を借りて馬車から降りて、顔を上げる。
そこには子爵邸の半分もない、可愛らしい屋敷が建っていた。
庭はないが、大通りに面して利便性も良さそうで、すぐそばには大きな建物もある。ここからは見えないけれど、もしかしたら他に倉庫をいくつか持っているのかもしれない。それでも、ごく一般的な平民の家に比べればずっと大きい。正面玄関の上には商会を示す絵柄と紋章が描かれた看板がかかっている。
だが、平民が住むにはかなり大きく立派な屋敷だった。
「そっちは店の正面入り口で、俺達が家に入る時はこっちだ」
示された方にも正面入り口とは別の玄関があった。
中に入ると使用人に出迎えられる。
その中には先にこちらに来ていたわたしの侍女も交じっていた。
「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」と使用人達が声を揃えて言う。
それに「ああ」とガイウスが返事をした。
わたしも笑みを浮かべて使用人達に礼を執った。
「皆様、今日からよろしくお願いいたしますわ」
それから、侍女達に案内されて部屋に通された。
わたしの私室もあり、寝室はガイウスと一緒のようだ。
ガイウスは少し仕事をするそうで、わたしは先に入浴させてもらうことにした。
……浴室があるなんて、商売が成功している証ね。
使用人が水を運び、魔道具で温めてお湯にする。その温める魔道具自体が高価なのだ。
しかも入浴して更に驚いたのが浴槽だ。保温用の特殊な塗装がされたもので、この浴室にあるものだけで平民の家が二、三棟ほど購入出来るのでは。
侍女に手伝ってもらい入浴し、出るとレースをたっぷり使った夜着を着せられる。
「きっと旦那様は見惚れてしまいますね!」
なんて侍女に言われて、そういえば初夜だったわね、と気付く。
その上から丈の長いガウンを着て、寝室に向かった。
寝室に入ると後ろで侍女が扉を閉める。室内に人影はない。
……ガイウスは本当はとても忙しい身なのでしょうね。
それなのに顔合わせから今日まで毎日子爵邸に来て、結婚式の準備を行なっていた。
恐らく仕事は夜にしていたのだろう。だから少し疲れた様子だったのだ。
テーブルには軽食やお菓子、お酒にジュース、水が用意されている。
椅子に座り、お菓子に手を伸ばす。
……あら、美味しい。
前世で言うところのフィナンシェのような焼き菓子は冷めているが、それでもしっとり、ふんわりしていてバターと卵、小麦の優しい甘さが口いっぱいに広がる。
夕食はしっかり食べたが、甘いものは別腹である。
お菓子を二つ食べてブドウジュースを飲む。
「…………遅いわね」
寝室に来てから三十分ほどが経ったけれど、ガイウスが来る気配を感じない。
このまま夫が来ない状態で初夜を過ごすことになるのだろうか。
そんなことを考えていると、慌てたような足音が近づいてきて、寝室の扉が勢いよく開く。
「悪い、遅くなった……!」
後ろ手に扉を閉めたガイウスが近づいてきて、わたしに頭を下げた。
その髪がかなり湿っている様子から急いで来たのが窺える。
手を伸ばして首にかけてある布を掴み、それをガイウスの頭に被せ、わしわしと水気を拭う。
布の下から「うわっ?」と声がするものの、されるがままで動かない。
しばらく拭いてから手を離す。
「このまま、一人で夜を過ごすのかと思いましたわ」
「……ごめん。その、急ぎの仕事を少しだけ片付けたら、すぐに来るつもりだったんだ……」
「熱中してしまい気が付いたら思いの外、時間が過ぎていて、慌てて入浴したのですね?」
ガイウスがこくりと頷き、申し訳なさそうな顔をする。
「こうしてきちんと来てくださったので、怒っていませんわ」
立ち上がり、抱き着くと、ガイウスの体が硬直したのが分かった。
見上げれば赤い顔のガイウスと目が合う。
「……無理強いはしたくない」
赤い瞳が逸らされ、ガイウスが言葉を続ける。
「結婚したが、こういうことは互いに気持ちが伴わないとつらいだろ」
「まあ……わたしではご不満ですか?」
思わず体を離すと、ガイウスの腕がわたしを逆に引き寄せた。
「違うっ、そうじゃない! ……っ、そうじゃなくて、俺はルイザと結婚出来て嬉しいが、ルイザからすれば平民の男だ。しかも出会ってからまだ一月も経ってない。……俺は君に嫌われたくないんだ……!」
どうやらガイウスはわたしが初夜を嫌がると思っているらしい。
以前のわたしなら、ガイウスを恐れたかもしれない。
でも、記憶を取り戻した今は、ガイウスと結婚出来て良かったと感じる。
手を伸ばしてガイウスの頬に触れた。
見た目も好みで、声も良くて、性格もこんなに可愛らしい。
わたしよりも大きな体で、わたしに『嫌われたくない』と言って、落ち込んで。
「わたしはあなたを嫌ったりしませんわ」
昼間の結婚式や披露宴では貴族達の目がある中であんなに堂々としていたのに、今はまるで捨てられた犬みたいに不安そうな顔でジッとわたしを見つめてくる。
……これが『ギャップ萌え』というものかしら?
「それに『白い結婚』なんて嫌ですわよ?」
もう一度、今度はゆっくりとガイウスに抱き着く。
「ガイウス、一つ大切なことを教えて差し上げますわ」
「大切なこと?」
素直に訊き返してくる声に自然と笑みが浮かぶ。
「貴族の令嬢が結婚した時、最も重要だと言われ、求められる仕事が何かご存じかしら?」
「いや……夫人は家の色々なことを執り仕切るという話は聞いているが……」
「ええ、それも仕事の一つですわ。……でも、それよりも大切なことがありますのよ」
口元に手を添えて見上げれば、ガイウスが耳を寄せてくる。
内緒話をするように囁いた。
「一番大事な仕事は『跡継ぎを産むこと』ですわ」
バッとガイウスが顔を離し、こちらを見る。
その顔が赤くなっているのが薄暗い寝室の中でも見えた。
わたしはガイウスの胸元に優しく手を添える。
「これでも、わたしだってきちんと考えておりましてよ」
結婚するなら、本当の意味での夫婦になりたいし、ずっと良い関係でいたい。
三週間という短い時間だけれど、毎日顔を合わせ、式について話し合い、奔走する姿を見て、わたしはガイウスのことを好ましく思った。
招待客への手紙を書き続けて嫌気が差しながらも真面目に書いていた姿も、わたしの身に着ける装飾品についてお母様と真剣に話していた姿も、少し疲れているようなのに目が合うと何でもなさそうに微笑みかけてくれるところも──……何でもない瞬間に、心が温かくなった。
「形だけではなく、わたしをガイウスの『本当の妻』にしてくださいませ」
その胸に頭をすり寄せる。
「あなたと結婚すると決めた時、もう心は決めておりましたのよ? ……何より、わたしを思うなら『安心感』をくださいな。わたしがあなたの妻だという確実な事実が欲しいですわ」
「……俺は単純だし、強欲だ。一度手に入れたら手放せないぞ?」
ガイウスの言葉にわたしは笑ってしまった。
「望むところですわ、旦那様。わたしの夫となるからには、あなたも覚悟してくださいな」
わたしはこれから、ガイウスの商会をもっともっと大きくさせるつもりである。
たとえガイウスが『もういい』と言っても、走り出したら止まれないだろう。
見上げると、ガイウスが赤い顔で困ったように微笑んだ。
「ああ。……改めて言うが、俺の妻になってくれ、ルイザ」
「ええ、喜んであなたの妻になりますわ」