結婚式(1)
バッシュ様──……いや、ガイウス様との顔合わせから三週間。
結婚式の準備が大急ぎで行われ、たった三週間で本当に整ってしまった。
わたしとガイウス様は毎日のように顔を合わせ、招待客のリストを作り、招待状を書き、婚礼衣装の準備に教会の選定と予約とやることが多かった。それでも、お母様が手伝ってくれたので屋敷の披露宴の準備は全てお母様に任せられたし、装飾品選びなどもお母様が助言をしてくれた。
お母様が助けてくれなければ、こんな短期間での準備は難しかっただろう。
さすがのガイウス様も結婚式前日は少し疲れた顔をしていた。
そして、結婚式当日はガイウス様も我が家に来て、それぞれに準備を整えた。
先に支度を終えたガイウス様は既に教会に向かったそうで、わたしも支度を終えてすぐに馬車に乗り込んだ。
お父様とお母様も先に教会に行き、招待客の対応をしてくれている。
「お嬢様、お美しいです……っ」
と涙ぐみながら同乗している侍女に苦笑してしまった。
「ありがとう。でも、結婚したらあなたも連れて行くのよ? そんな今生の別れみたいな顔をしないでちょうだい。これからもわたしの侍女はあなただけなのだから」
「はいっ、ずっとお嬢様のおそばでお仕えいたしますっ」
そうして、馬車が教会に到着する。
侍女が先に降りて、わたしも降りようとすると目の前に手が差し出された。
顔を上げれば、先に来ていたはずのガイウス様が立っていた。
その手を借りて馬車から降りる。
「ありがとうございます、ガイウス様」
ジッと熱心に見つめられた。
「今日のルイザ様はとてもお美しいですね。きっと女神も嫉妬することでしょう」
「まあ、お上手ですこと。ガイウス様も今日はとても素敵ですわ」
「ありがとうございます。美しい花嫁を迎えるには相応の格好が必要ですが……」
と、言いかけてガイウス様がふと黙った。
その視線がわたしの装飾品に向けられたので、わたしは微笑み返した。
「夫の瞳の色をつけて結婚するのが夢でしたの」
真っ白いドレスやベールに、ガイウス様の瞳の色に合わせた赤い宝石の装飾品。
わたしの瞳は青色だけれど、ガイウス様が横に並べば、すぐにその色の意味が分かるだろう。
ガイウス様の頬が僅かに赤く染まる。
「……そうですか。その、とても嬉しいです」
二人で教会の中に入り、そして祈りの間に向かう。
招待客も全員来ているそうで、祈りの間に近づくにつれて騒めきが聞こえてくる。
……なんだか、まだ実感が湧かないわ。
少し前に婚約破棄されたばかりなのに、もう結婚式を挙げるなんて。
「それにしても本当に良かったのですか? 元婚約者とその浮気相手を式に呼んで……」
心配そうに訊かれて、わたしは頷いた。
「ええ、あの二人にはわたしの幸せな姿を歯軋りしながら見てもらいたいですもの。それに返礼品で『トイレットペーパー』を渡しますけれど、一度良さを分からせるためですわ」
「他の者達が購入出来るのに、自分達だけ持っていないというのは恥ずかしいでしょうね」
ガイウス様がおかしそうに笑みを浮かべた。
ここで『性格が悪い』と言わず、笑うのがガイウス様らしい。
この三週間、毎日顔を合わせるうちにガイウス様の性格がそれなりに分かってきた。
基本的には誠実で、真面目で働き者。でも必要なら搦め手も使う。性格は悪くないが、完全な善人というわけでもなく、商会の利益になることならば大抵は協力してくれそうだ。
祈りの間の扉の前に着くと、その両脇に聖騎士が立っている。
横に立つガイウス様の問うような視線にわたしは微笑んだ。
「改めまして、よろしくお願いいたします、ガイウス様」
「ええ、こちらこそ」
ガイウス様が頷き、聖騎士達が扉を開けた。
広い祈りの間。左右に並ぶ長椅子に大勢の招待客が座っている。
扉が開くと途端に騒めきが静かになった。
最奥の祭壇まで続く赤い絨毯の道を、ガイウス様と共にゆっくりと歩いていく。
途中、強い視線を感じて視線を動かせば、元婚約者と浮気相手が並んで座っていた。
浮気相手のベインズ子爵令嬢と目が合ったので満面の笑みを浮かべてみせると、驚いた表情が返ってきて、それだけで気分がいい。元婚約者の呆然とした顔も愉快である。
お母様のドレスは我が子爵家だけでなく、ガイウス様も金銭的に援助をしてくれたおかげでとても華やかで美しいものに仕上がったし、装飾品もドレスに負けないくらい良い品だ。
……そのためにかなり赤い宝石を買い込んでしまったけれど。
それについては悔いはない。
結婚式の後に装飾品は職人の手に委ね、新しいデザインのネックレスやピアスとして生まれ変わる。素晴らしい宝石が結婚式以外、日の目を見ないなんて勿体ないので積極的に使っていきたい。
二段ほどの階段を上がり、祭壇の前に二人並んで立つ。
ステンドグラスから差し込む色とりどりの光が荘厳で美しかった。
* * * * *
厳かな雰囲気の中で式が終わり、祈りの間から出て、そのまま外に停めてあった馬車に乗り込む。
これから我が家に戻り、披露宴用のドレスに着替えて招待客を出迎えなければならない。
馬車に揺られながら、ふう、と息が漏れる。
「緊張しましたか?」
と、ガイウス様に問われて首を振った。
「いいえ、それほどではありませんでしたわ。ただ、ドレスがとても重くて……」
「子爵夫人はドレスについて全く妥協しなかったそうですね」
「おかげで素晴らしいドレスに仕上がりましたが、一日中は着ていられないでしょう」
わたしの言葉にガイウス様が苦笑する。
そこでふと、わたしは今まで伝えそびれていたことを言った。
「ガイウス様、そろそろ言葉遣いを崩していただいても構いませんわ。神様の前で誓い、夫婦となったのですから、普段通りのあなたで接してくださると嬉しいです」
「……貴族の女性からすれば、かなり粗野に感じられると思いますが……」
困ったように眉尻を下げるガイウス様の様子からして、以前にそう言われたことがあるのかもしれない。
「もうわたし達は家族ですもの、心配は不要ですわ。それに普段のガイウス様がどのような方なのか興味があります。いつまでも堅苦しい態度ではガイウス様も疲れるでしょう? せっかくですから、互いの名前ももっと気軽に呼びたいですわ」
「……分かった、ルイザ。ただ、君も言葉遣いは崩していい」
「あら、わたしは元からこうでしてよ?」
どこか冷たいような、ぶっきらぼうな口調だけれど、それに反して少し照れたような表情をしていて、そういう顔をしているとガイウスは年齢よりもやや幼く感じられる。
しかし、その口調のほうが見た目と合っていてしっくりくる。
我が家に帰るとすぐに化粧を落とし、婚礼衣装から披露宴用のドレスに着替える。
わたしの瞳に合わせて深い藍色から淡い青色のグラデーションが美しいドレスである。
ガイウスはこのドレスに合わせた藍色の衣装らしい。
……ガイウスは見目が良いから何を着ても似合うのよね。
最近は中性的な顔立ちの男性が好まれるけれど、わたしは男性的な顔立ちのほうが好きだ。そういう点ではガイウス様の顔立ちや細マッチョな体格はなかなかに好みに近く、嬉しい誤算だった。
そんなことを考えているうちにドレスを着替え、化粧を施し、髪も結い直す。
結婚式では清楚な雰囲気の化粧だったが、今は美しさ重視といった感じだ。
やや気が強そうに見えるのは元婚約者と浮気相手とも会うからだ。
気弱そうな、儚げな印象ではわたしのほうが弱いと認識されてしまう。
人々の頭にある『婚約破棄されて捨てられた令嬢』というイメージを『婚約破棄のおかげで幸せになった令嬢』に塗り替える必要があった。
そのために今日までの三週間は特に美容にも気を付け、全身を美しく保ち、今日は人生で最も美しいだろうとわたし自身でも思うほど見違えた。
そもそも元婚約者の冷たい態度のせいで以前はストレスがあったが、それが消えたのも大きい。
今のわたしは自由に人生を謳歌し始めたようなものだ。
ストレスが消えれば肌艶も良くなるし、自分磨きにも精が出る。
身支度が終わる頃、部屋の扉が叩かれた。
「どうぞ」と声をかければ、ガイウスが顔を覗かせた。
「そろそろ行けるか?」
「ええ、待たせてしまってごめんなさいね」
「いや、俺もさっき支度が終わったところだ」
今までの丁寧な態度も良かったが、このちょっと無骨な感じの口調もなかなかに良い。
椅子から立ち上がり、ガイウスの前で軽く一周回ってみせる。
「どう? 今のわたしは勝てるかしら?」
「勝てるかは分からないが、俺が見てきた女性の中で一番美しいと思う」
「それは最高の褒め言葉ですわね」
ガイウスと過ごしてきた中で感じたが、彼は嘘を吐かない。
商人として『信用を失う』ことがどれほど重大な問題なのか理解しているからこそ、嘘は吐かないし、どうしてもという時は上手く言い方を変えたり黙っていたりする。
だから、今回のこの言葉も嘘ではないのだろう。
差し出された腕にわたしが手を添えれば、エスコートをしてくれる。
「さあ、ここから楽しくなりますわよ」
わたしの言葉に「そうだな」とガイウスが小さく笑った。
今日はきっとわたしの人生で最高に愉快で痛快な一日となるだろう。
披露宴の会場となっている中庭に出れば、すぐに視線が突き刺さる。
出来る限り幸せそうに見えるように微笑み、ガイウスに寄り添えば微笑み返される。
互いを笑顔で見つめ合う姿は仲の良い夫婦に見えるはずだ。
そのまま、ガイウスと共に挨拶回りを行う。
誰もが「突然の結婚で驚きました」「良いご縁に恵まれたようですね」と驚きながらも祝福の言葉をかけてくれる。招待客は我が家と繋がりがある家か、レイノバッシュ商会と取引がある商会や家、そしてレイノルズ辺境伯と関わりのあるいくつかの家。
ガイウスはレイノルズ辺境伯様にとても良くしていただいたそうで、その繋がりもあり、意外にも上流貴族に知り合いが多いらしい。
ガイウスのほうで招待した人々はこの結婚を喜んでいるそうで「ガイウス殿と結婚してくれてありがとう」「彼をよろしく頼んだよ」と声をかけられることもあった。
きっと、それくらいガイウスは皆から期待を受けているのだろう。
……わたくしのスキルで絶対に後押ししてみせますわ!
そうして、ついに元婚約者と浮気相手のいるテーブルに移動した。
そこには本来、元婚約者の両親であるティペット伯爵夫妻もいるはずだったのだが、さすがに夫妻はわたしの結婚式に参加するほど厚顔ではなかったらしく、早々に欠席の返事が来ていた。元婚約者も欠席するという手紙があったが、どうせ来るだろうと予想した。
その予感が的中して元婚約者と浮気相手は当たり前のように出席したわけである。
「ティペット伯爵令息、ベインズ子爵令嬢、本日はようこそお越しくださいました」
「私達の晴れの日に立ち会っていただき、ありがとうございます」
わたしとガイウスが寄り添い合って声をかけると、元婚約者は微妙な顔をしたが、浮気相手は品定めをするようにガイウスを見た。それは一瞬であったけれど、僅かにガイウスの腕が動いたので恐らく気付いたのだろう。
それでも表面上は笑顔を浮かべている。感情を隠すのが上手い。
「驚きました、ビードン子爵令嬢。いえ、元でしたね。まさか貴族の地位を捨ててまで、急いで結婚するなんて……確かに相手を探すのは苦労するかもしれませんが、だからといって、ねぇ?」
可愛らしくクスクスと笑っているが、明らかにわたしを見下している浮気相手。
その横で元婚約者はまだ何とも言えない顔をしていた。
わたしはガイウスの腕に自分の腕を絡めながら微笑んだ。
「ええ、確かに子爵家を出て夫の家に嫁ぎますわ。ですが、仕方がなく結婚するわけではありませんの。むしろ、ベインズ子爵令嬢にはずっとお礼を伝えしようと思っておりました」
「お礼、ですか?」
予想外の言葉が出てきたのか、浮気相手がキョトンとした顔をする。
「ええ、大切な婚約期間に他の女性と浮気するような方と結婚しても、きっと幸せになれませんでした。ベインズ子爵令嬢はそれを気付かせてくださったのでしょう? ありがとうございます。おかげさまで、今度はわたしを大切にしてくださる方と出会うことが出来ましたわ」
「そうですね、お二方には感謝いたします。あなた方の件がなければ、私のような者ではルイザと出会う機会を得ることすら叶わなかったので。美しく、能力も立場も私には過ぎるほど素晴らしいルイザを他の男に取られたくないという私のわがままを子爵家の方々が聞いてくださり、最も早い日取りで式を挙げたのです」
「まあ、ガイウス、こんな大勢の前でそんな話……恥ずかしいですわ」
ガイウスが上手く話を繋げてくれて、周囲も『なるほど』という顔をした。
しかし、浮気相手が可哀想なものでも見るかのような目をこちらに向ける。
「結婚は愛されてこそではありませんか? 愛のない結婚なんて虚しいと思います。バッシュ様のような素敵な方が、利益のみを優先してしまうなんて……」
口元に手を寄せ、上目遣いに浮気相手がガイウスをジッと見つめる。
それにガイウスはニコリと微笑み返した。
「私はルイザが好きですよ」
「え? で、でも、元子爵令嬢はこの間、婚約破棄したばかりですし……」
「人を愛するのに時間など関係ありません。それにその婚約破棄はルイザに非がないものですから、私が気にする必要もないでしょう。色々と嫌な思いをしたというのに、それでもこうしてあなた方を招待したルイザの心の広さに、更に惚れ直してしまったくらいです」
ギュッとガイウスに腰を抱き寄せられる。
わたしは少し照れながらもガイウスに寄りかかった。
……あら、思った以上にがっしりした体付きですわね。
もう一度ガイウスと見つめ合っていると、ガタンッ、と音を立てて元婚約者が立ち上がった。