予感
* * * * *
ガイウス・バッシュは元孤児の平民である。
生まれは恐らくレイノルズ辺境伯領で、赤ん坊の頃に孤児院の前に捨てられていたらしい。
小さな孤児院で育ち、七歳から十二歳までを辺境伯の屋敷で小姓として働き、十二歳の時に洗礼でスキルを得た。平民のスキル持ちというのは稀である。
ガイウスのスキルは『直感』というもので『相手の嘘が見抜けたり、勘が鋭くなったりする』という常時発動系だった。
それを知ったレイノルズ辺境伯は、ガイウスを王都に送ってくれた。
「商人に紹介状を書こう。それを持って行けば、雇ってもらえる。商売を学び、商人になり、大きな商会を持つようになればいずれ爵位を得ることも出来るかもしれない」
ガイウスはいつか己の育った孤児院に恩返しをしたいと思っていた。
そして、そこで育ってきた兄弟姉妹のような者達や、これからそこに来る後輩達のために何か出来ることはないだろうかと常々考えていた。
レイノルズ辺境伯はガイウスのそんな気持ちを聞いても笑わず、真剣に向き合ってくれたのだ。
「いいか、ガイウス。人助けをするには暴力では意味がない。権力を持ち、金を持ち、そして人望……人々からの信頼があれば、どんなに困難だと思えることでも解決出来る時がある」
だから、ガイウスがなるなら商人だと言う。
大商会の会長ともなれば、何か素晴らしい商品を売り、王族の目に留まれば爵位を得られるかもしれない。実際、大商会の中には『男爵』となった者も多いらしい。
そのために王都に行き、商売を学び、金を貯め、自分の商会を立ち上げる。
それが出来ないようでは孤児院を助けるなんて夢のまた夢だと。
厳しい言葉だが、無責任な応援の言葉よりもずっといい。
その後、ガイウスは辺境伯の知り合いという繋がりで雇用してもらった商会で色々と学んだ。
計算の仕方、言葉遣い、礼儀作法、商売に関すること、貴族との接し方や注意点──……雇ってくれた商人のおかげで今のガイウスがいると言っても過言ではない。
しかもガイウスが一人立ちして商会を立ち上げる際には保証人となってくれた。
最初は何でもかんでも苦労して、自分でやって、たった数名の従業員しかいなかった商会が十数名に増え、数十名になり、百数十名になり、気付けば王都でもそれなりに大きな商会に育ち、自分も商会長となっていた。
己の給金から毎月、孤児院に寄付をしたが、それでも足りないと思う。
だが、ただの平民では貴族になれない。
大きな功績を挙げるか、貴族の令嬢を娶るか。しかし、貴族はガイウスを敬遠した。
……俺が『平民』だからか?
それでも、ガイウスの出生など気にせず良くしてくれる貴族もいる。
今回、声をかけてきたのはそんな人々の一人、ビードン子爵だった。
子爵の娘が理不尽な理由で一方的に婚約破棄をされてしまい、年齢や立場が釣り合う結婚相手を探しているが、その娘が『結婚相手は商人がいい』と言っているのだとか。
手紙と共に不思議なものが送られてきた。
それが『トイレットペーパー』だった。
使い道と品物を見た時、直感が強く『これは絶対に手に入れるべき』だと告げた。
貴族の令嬢と結婚出来るというのはガイウスとしても利益があり、婚約するなら長く売れるだろうこの商品を売る権利も利益も商会に譲ると子爵は手紙に書いていた。
そうして今日、顔合わせのためにビードン子爵家を訪問した。
婚約破棄された令嬢と聞いてどんな人物なのかと思っていたのだが、予想以上に美しい少女で驚いたし、その発言にも驚いた。
商売に一切口出ししないと言う。
「それから、今後、他にも紙製品の商品を出したいと思っておりますの。結婚してくださるのでしたら、そちらの販売の権利も利益も商会に差し上げますわ。必要であれば念書も用意しましょう」
あまりにうまみの大きな話だった。
しかし、直感が『これは受けるべき』だと騒いでいる。
この選択が人生を変えると、直感が告げた。
子爵も令嬢も嘘は言っていない。
「何故そこまでするのか、お訊きしても?」
この話では子爵家や令嬢の利益が少ないように感じられる。
しかし、令嬢はニコリと微笑んだ。
「だって、見返してやりたいではありませんか」
「見返す?」
「ええ、わたしを『役立たず』と言って婚約破棄した元婚約者と浮気相手が一番喜ぶのは、わたしが不幸になることですわ。でも、捨てたわたしが実は役立たずではなくて、自分達よりも幸せになっていたらどうかしら?」
そこまで言って「あっ」と令嬢が何かに気付いた様子で声を上げる。
「一つだけ結婚の条件をつけてもよろしいでしょうか? 元婚約者と浮気相手の家に『わたしが渡す商品を売らない』というものなのですが。わたしを馬鹿にした方々ですもの、売る理由がありませんわ」
清々しいほど良い笑顔で、思わずガイウスは噴き出してしまった。
貴族の夫人や令嬢は大抵、淑女らしくいつでも微笑みを浮かべて腹の中を見せたがらないものだが、どうやらこの令嬢は違うようだ。正直なところに好感が持てる。
「お嬢様がお望みでしたら、そうしましょう」
「あら、そんな簡単に許していただけるのですね?」
「あなたと結婚すれば夫婦ですから。妻が馬鹿にされるのは、自分を馬鹿にされるのと同じことです。それに商人だからこそ、信用出来ない家との取引はしたがらないものですよ」
そう言えば、令嬢が楽しそうに「それもそうですわね」と笑った。
婚約破棄されたばかりとは思えないほど屈託のない明るい笑顔である。
ビードン子爵は元より信頼の置ける人物であり、これまでの取引先を増やす際に多くの家を紹介してくれた恩もある。令嬢と結婚することはガイウスにとっても商会にとっても利益が大きい。
「お嬢様さえよろしければ、自分と結婚していただけますか?」
令嬢が目を瞬かせた。
「『婚約』ではなくて?」
「はい、自分の直感が『お嬢様は幸運の女神だ』と告げています」
「婚約破棄されたのに?」
「結婚前に相手の方の本性を知ることが出来て良かったではありませんか」
令嬢はもう一度パチリと目を瞬かせ、うふふっ、と笑った。
「その通りですわ! お父様、わたし、バッシュ様と結婚いたします!」
「ルイザよ、まずは婚約から進めては──……」
「あら、婚約も結婚も同じようなものでしてよ? それなら早めに結婚してバッシュ様の商会を大きくして、爵位を授かるほうがわたしに関する噂の内容も流れが変わりますわ。何より、わたしの婚約破棄が噂になっている今だからこそ『トイレットペーパー』も話題に上がりやすくなりますもの!」
ビードン子爵が困ったような顔をして、子爵夫人が「確かにそうね」と言う。
そして、子爵は少し悩んだものの、最終的には頷いたのだった。
「分かった。……バッシュ殿、苦労をかけてしまうかもしれないが娘を頼む」
「いいえ、良い縁を結ばせていただけて光栄です」
貴族の令嬢で、美しく、商会の目玉商品となるものを持っている。
しかも己の噂すら利用するという強かさもある。
……なかなかに面白いご令嬢だ。
これから面白くなると、ガイウスの直感は告げていた。
* * * * *
そうして、あれよあれよという間に話が進んでいった。
お父様は一応、念のために婚約届と婚姻届の両方を用意していたそうで、まずは婚約届に署名をし、次に婚姻届にも署名をする。今日、すぐに婚約届を出して、準備が出来たらすぐに挙式を行う。
驚いたのはバッシュ様が結婚に対して非常に乗り気だったことだ。
「本当によろしいのですか?」
と訊くと、笑って頷き返された。
「結婚するなら面白い方がいいと思っておりましたし、何より、お嬢様からは『金と幸運の匂い』がするんですよ。お嬢様と結婚すれば商会はもっと大きくなるでしょう」
ということだった。
婚約届と婚姻届が書き上がる。それぞれ三枚あるのは我が家とバッシュ様の控え、そして国に提出をするためのもの。お父様とバッシュ様とで婚約届と婚姻届を一枚ずつ持つ。
「では、今日中に婚約届は提出しよう。式の準備が整い次第、婚姻届も提出して良いかね?」
「はい、よろしくお願いいたします」
お父様とバッシュ様が話をする。
チラリとお父様を見れば頷き返されたので、わたしは口を開いた。
「それでは、夫となるバッシュ様にわたしのスキルをお教えいたしますわ」
掌を上に向け、バッシュ様に見えるように少しだけ前に出す。
「『トイレットペーパー召喚』」
唱えた途端、わたしの掌の上にトイレットペーパーが現れた。
それにバッシュ様がまじまじとわたしの手元を見る。
まるで生まれて初めて手品を見た人のような反応が、少し微笑ましい。
「わたしのスキルは『紙製品召喚』といい、レベルによって出せるものが変わってくるそうです。今のところは雑紙とトイレットペーパー、そしてティッシュくらいしか出せませんが、レベルが上がっていけば新しい商品を出すことが出来るようになりますわ」
「それでは、以前いただいたトイレットペーパーは……」
「ええ、わたしがスキルで生み出したものです」
バッシュ様が呻くように呟いた。
「スキルで……その、トイレットペーパーはどれほど生み出せるのですか?」
「魔力があればいくらでも。しかもスキルを使えば使うほど、レベルが早く上がり、出せる数も増えましてよ」
「つまり、そのトイレットペーパーは原材料費がかからない……?」
「ええ。ちなみに、現在は一日で出せるトイレットペーパーの最大数は三百個です。スキルレベルが上がれば魔力も上がるというのが一般的ですから、これからもっと出せる数は増えていきましてよ」
今度こそ、バッシュ様が言葉を失った。
商売において、商品を作るか買い付け、それを売るというのが普通である。
商品を作るにしても、買い付けるにしても、原材料費や買取費用がかかる。
しかし、わたしのスキルで生み出したものはそれがない。
わたしの魔力があれば、いくらでも生み出せるのだから。
「ちなみに、レベルの中にも段階がありまして、その段階によってまた出せるものの品質が変わるのです。今、わたしは『レベル1』の『中級』まで出せます。トイレットペーパーで出して見せますわね」
もう一度、掌にトイレットペーパーを出す。
「最初に出したこちらが『下級』のもので、こちらが『中級』のものですわ」
両手に持ったトイレットペーパーをテーブルに置く。
バッシュ様がそれぞれに触れて、確かめ、頷いた。
「下級のほうが紙質が粗雑ですね。硬くて、薄くて、一枚しかない。それに比べて中級は品質が上がり、二枚重なっているので厚みもあります。貴族は中級を好むでしょう」
「ええ、そして恐らく『上級』は絵柄付きか香り付きの、より良いものが出せると思います」
「なるほど……」
バッシュ様が思案顔でトイレットペーパーを眺める。
「下級は平民や商人などの一般人向けに、中級は貴族の中流層向けに、上級は王家や上流層に売るのはいかがかしら? 毎日トイレットペーパーを出していれば、すぐに上級まで上がりますわ」
「それは素晴らしい売り方ですね。ただ、紙といって売り出しても最初に購入してもらえるかどうかという点が気にかかります。人は初めて見るものに興味を感じても、今あるもので不自由がなければ購入してくれませんので」
バッシュ様の言いたいことは分かる。
多少不便でも、今あるトイレの雑紙のほうが安いし、使い慣れている。
高値を出して買うほど良い品だと、気付かせる必要があるのだ。
「結婚式はきっと多くの方が出席したがりますわ。噂のわたしが急に結婚するのですもの。お式に来てくださった方や、出席は出来ないけれど手紙をくださった方にトイレットペーパーを返礼品として配るのですわ」
「良い手ですね。一度使って良さを知ってしまえば、今の雑紙を使い続けるのは不満でしょう」
バッシュ様と顔を見合わせ、互いに微笑み合う。
……さすが有力な商会の長ですわね。
こちらの言いたいことをきちんと理解し、その先も察してくれる。
「そうなりますと、式は急いだほうがいいですね」
「ええ、そうですわね。招待客の選定にドレスの用意、手紙も書いて、教会も手配しなければいけませんわ。お披露目会は我が家で行うとして──……」
最低限の準備をするにしても大忙しである。
ドレスの準備を一からするとなると、最低でも数ヶ月はかかってしまう。
……いっそ、既製品を使おうかしら?
などと考えていると、お母様が言った。
「ルイザ、私のドレスを使いなさい。あなたと私は背格好も同じくらいだから、少し流行りに合わせて手直しをすればすぐに着られるわ」
「え、お母様のドレスを着てもいいのですかっ?」
「当然よ。元よりそのつもりだったから、ずっと手入れも欠かしていないわ」
お母様の婚礼衣装を見せてもらったことがあったが、肌を出さないクラシカルなもので全体の形も流行り廃りのないもので、手直しをすれば今の流行りに合わせられる。
ドレスもベールも、手袋もある。あとは靴と装飾品を買い直すくらいだろうか。
「私達も手伝えば、来月の頭くらいには式を挙げられるのではないかしら?」
お母様の言葉にバッシュ様が頭を下げる。
「ご協力、ありがとうございます」
「お気になさらないで。娘の結婚式ですもの。それに、二人が結婚したらバッシュ様は私達とは親族になるのですから、今後はもっと気を抜いて接してくださってよろしいのですよ」
「……善処します」
そこで即座に態度を崩さないところにバッシュ様の警戒心の強さというか、用心深さが感じられて面白かった。お母様もそう感じたのかおかしそうに小さく笑う。
お父様が一つ頷いた。
「うむ、バッシュ殿、これからは身内となる。今後は『ガイウス君』と呼ばせてもらっても?」
「はい、もちろんです。皆様もどうぞ自分のことは名前でお呼びください」
「兄としては妹が先に結婚してしまうというのは少し寂しいけれど……」
お兄様が苦笑する。
「お兄様、心配なさらなくとも、会いたくなったらいつでも会えますわ」
……さあ、これから大忙しですわ!