わたしのスキル
お父様の書斎には、まだお母様とお兄様がいた。
突然入ってきたわたしに三人が驚いた顔をして、こちらを見ている。
「ル、ルイザ? 突然どうしたんだ?」
お兄様の問いにわたしは入室し、持っていたトイレットペーパーを見せた。
「これですわ! わたしの能力で出した『紙製品』でしてよ!」
お兄様がトイレットペーパーを受け取り、触り、そして更に驚いた様子で目を丸くする。
……ふふ、そうでしょう、驚きますわよね?
この世界の技術では到底及ばない方法で作られているのだ。
触り心地も良く、軽い力で好きな長さを使え、嵩張らない。
「これが、紙……? しかし、こんなに薄い紙、何に使うんだ?」
「トイレですわ。これはトイレで使う専用の雑紙で『トイレットペーパー』といいますの」
「トイレットペーパー……」
お兄様が、トイレットペーパーをお母様に手渡すと、お母様が「まあ」と驚き、そしてちょっとだけ嬉しそうに触っている。
女性はどうしてもトイレで雑紙を使うので、今まで使ってきた雑紙の痛さや使い勝手の悪さをよく理解していることだろう。このトイレットペーパーがあれば、どれほどトイレが快適になるか。
お父様も横からトイレットペーパーを触って「ふむ」と思案顔をしている。
「商人を結婚相手とする、というのは、つまりこれごと自分を売り込むつもりだな?」
お父様の問いにわたしは頷いた。
「ええ、そうですわ。ご覧の通り『トイレットペーパー』はとても使い勝手の良い雑紙で、しかも日常的に使う物となれば売れないなんてことはありませんもの。一度慣れてしまえば、もう今までの雑紙を使いたいとは思わないでしょう」
「確かに」
「しかも、今は三種類しか紙製品を出せませんが、わたしのスキルはレベルが上がるごとに出せる種類が増えていくようなのです」
先ほど見たスキル画面にはレベル段階が最大『10』まであった。
現在は『1』なので他は全部『???』としか表示されていなかったけれど、紙製品ならどのようなものが出たとしても、商売の売り物になるだろう。
それに『トイレットペーパー』が売れたら、次は『ティッシュペーパー』を売ればいい。
この『紙製品召喚スキル』は召喚すると魔力を消費するものの、代わりに経験値が得られる。この経験値が一定値までいくとレベルが上がり、恐らく、新たな紙製品を召喚出来るようになる。
「つまり、魔力さえあれば、長期間売れる商売道具をいくらでも生み出せるのですわ!」
お父様とお母様が顔を見合わせる。
「本当に商人でいいのかい?」
「そうよ、貴族ではいけないのかしら?」
二人の問いにわたしは『もっともな質問だ』と思う。
「貴族といっても、わたしと年齢的に釣り合う方は簡単には見つからないでしょう。それでしたら商売が上手くいっている者に嫁ぎ、このスキルで商売を大きくさせて爵位を得たほうがずっといいですわ。わたしが必要なので離婚も出来ませんもの」
お父様がしばし考えた後に頷いた。
「分かった。信頼の置ける、将来有望そうな者に心当たりがある」
「あなた、もしかして……」
「ああ、そうだ。彼ならば何度も取引をしているし、人となりも問題ないだろう」
お母様が「ルイザがいいなら、私は反対しませんわ」と言う。
わたしはお父様に言う。
「是非、その方にお声をかけてみてくださいませ!」
「そうしよう」
「ありがとうございます。それまでにわたしもスキルについてもっと調べておかなければいけませんわね! そちらのトイレットペーパーはその方に差し上げて良いので、お願いいたします!」
そして、わたしはお父様の書斎を後にする。
婚約破棄されてどうなることかと思ったけれど、これなら何とかなるだろう。
貴族の令嬢が婚約破棄をされるというのは非常に不名誉なことである。
普通なら心を病んでしまってもおかしくはない。
しかも今回は浮気による婚約破棄で、周囲からは『婚約者の心を繋ぎとめられなかった』とか『浮気相手に横取りされた』とか笑われ、次の結婚が難しくなる。
でも、そこでわたしがすぐに次の結婚相手を見つけ、幸せそうにしていたらどうか。
嫁ぎ先が成長し、爵位を得て、貴族となったら?
元婚約者も浮気相手も、そして周囲の人々もわたしを馬鹿には出来なくなる。
……わたしはもう捨てられるなんて嫌ですわ!
自室に着き、扉を勢いよく開ける。
「さあ、スキルの確認をしなくちゃいけませんわね!」
侍女はわたしの開け放った扉を閉めつつ、静かに下がっていった。
ソファーに座り、念じることでスキル画面をもう一度出す。
「まず、今出せるのは『雑紙』『トイレットペーパー』『ティッシュ』の三種類ですわね」
指で『雑紙』の文字に触れると説明文が出てきた。
「『茶色の粗い紙、文字を書くには適さない雑用紙。一般的にトイレで使用される』」
記憶を取り戻す前のわたしはこの雑紙しか出せなかった。
試しにもう一度トイレットペーパーを召喚する。
「『トイレットペーパー召喚』」
すると、魔力を『1』消費してトイレットペーパーが一つ……いや、一ロール現れる。
経験値がそれに合わせて『1』上がる。
すると『経験値』の文字が赤く点滅し始めたので触れてみると、説明文がまた出た。
「『経験値は消費する魔力量に比例して得られます。レベルアップすると経験値はリセットされます。ただし、レベルアップ値の表示は行えません。それぞれのレベルに応じた経験値が貯まるとレベルアップし、新たな紙製品が召喚出来ます』」
つまり、どの程度の経験値でレベルが上がるかは分からないけれど、経験値を貯めていけば、レベルが上がって新たな紙製品を召喚することが可能となる。
「わたしが紙製品を出し続ければ、新しい紙製品が手に入るということですのね」
試しに『トイレットペーパー』の文字を触ると説明文が出た。
そこには現在出せる『下級:無地・シングル』の文字が書かれているが、その横に『中級:???/上級:???』の文字があり、経験値が上がっていくとそちらも出せるようになるということであった。
どうやらトイレットペーパーといってもいくつか種類が出せるらしい。
そのためには今の無地のトイレットペーパーを大量に出し続ければ、経験値が上がり、そちらも解禁されるのだろう。多分『ダブル』は絶対に来る。そして『無地』の表記があるので『絵柄付き』もありそうだ。香り付きもあれば最高である。
……そういえば、出したものはずっとそのままなのかしら?
試しに手の上にあるトイレットペーパーに念じてみると、パッと消えた。
経験値を確認しても変化はない。召喚すると経験値が入り、消しても経験はそのままらしい。
ただし、消すにも魔力が必要らしく、魔力が『1』減っていた。
恐らくだが『召喚に必要な魔力量』と『消去に必要な魔力量』、そして『経験値』が同じ数値なのだろう。たとえば召喚に魔力量が『3』必要なものだと経験値も『3』得られるが、消すのにも魔力が『3』必要となる。
……けれども、普段は消す必要なんてないわ。
出せば出すほど経験値が得られるなら、レベルアップもそう苦労はしなさそうだ。
テーブルの端に置いてあったベルを鳴らせば、侍女がすぐに来る。
「執事のベルンに『使っていない、物を置いてもいい部屋』があるか訊いてきてもらえるかしら?」
「かしこまりました」
侍女が一礼し、部屋を出ていく。
今から部屋いっぱいのトイレットペーパーを出し、経験値を稼いでおこう。
そうすれば、結婚相手の商人と会う時までにトイレットペーパーの種類を増やしておける。
* * * * *
その後、屋敷の一室にわたしの魔力全てを使って大量のトイレットペーパーを召喚した。
さすがに魔力が残り一割を切るとつらかったけれど、おかげでトイレットペーパーとティッシュの級が上がり、中級が解放された。
トイレットペーパーの中級は『ダブル』『柔らか』で二枚重ねの柔らかトイレットペーパーも出せるようになった。ただ、やはり無地だったので上級で『絵柄付き』があるのかもしれない。
ティッシュの中級は意外なことに『保湿』だった。上級は何が出るのだろうか。
とりあえずシングルタイプのトイレットペーパーは放置するのも勿体なかったので、屋敷で使うことにしたのだが、家族だけでなく我が家で働く使用人からも大好評である。
そうして婚約破棄されてから一週間後、お父様が件の商人を屋敷に招いた。
話によると、年齢は二十五歳。レイノルズ辺境伯領出身の孤児だが、辺境伯の後見を受けてお父様の知り合いの商家で何年か下積みをしてから己の商会を立ち上げたそうだ。
二十五歳という若さで、既に王都で有名になるほど大きな商会らしい。
しかし、爵位を得るには貴族の血筋であるか、貴族の令嬢を妻に娶る必要がある。
そのうち男爵位を得たいと思っているけれど、平民出身では貴族令嬢からは敬遠される。
今回の婚約破棄についてはきちんと説明もしてあり、相手の商会長の理解も得ており、トイレットペーパーを渡した時の反応もかなり好感触だったようだ。
そして、約束の時間ぴったりに招待客は我が家に到着した。
家族全員で出迎えれば、馬車から降りてきた男性が少し驚いた顔をする。
耳に少しかかる程度の短い黒髪に鋭さを感じる赤い目、やや日に焼けた肌は健康的で、精悍な顔立ちだ。それにお兄様よりも背が高くて、全体的に見ると細身に見えるが痩せているふうではなかった。
……前世で言うところの細マッチョかしら?
わたしが観察するのと同じく、向こうもわたしを観察していたらしい。
目が合ったのでニコリと微笑みを浮かべておいた。
「ようこそ、バッシュ殿。忙しい中、よく来てくれた」
「いいえ、こちらこそお招きいただきありがとうございます」
お父様とその男性、商会長が握手を交わす。
そうして屋敷の中へと案内し、応接室の一つに通す。
お父様が一人がけのソファーに、三人掛けのソファーにお母様、わたし、お兄様が座る。
わたし達の向かいにある同じく三人掛けのソファーに商会長が腰掛けた。
メイドがテーブルに紅茶を用意し、下がる。
壁際にメイドが控え、お父様が口を開いた。
「私と妻とは面識はあるが、息子達と会うのは初めてだろう。改めて紹介しよう。息子のレイルと娘のルイザだ」
「ビードン子爵家の嫡男、レイル・ビードンです」
「ビードン子爵家の長女、ルイザ・ビードンですわ」
座ったまま胸に手を当ててお辞儀をすると、商会長も同様にお辞儀を返してくる。
「レイノバッシュ商会の商会長を務めております、ガイウス・バッシュと申します」
「今日は顔合わせという名目だが、双方に問題がなければこのまま婚約するという流れでバッシュ殿もルイザも問題はないか?」
「はい、問題ありません」
「わたしも問題はありませんわ」
頷いたお父様が「それでは二人で話でも……」というのでわたしは手を上げた。
「バッシュ様、まずはわたしの話を聞いていただけますでしょうか? 婚約をするか、しないかは自由ですわ。この話を断ることであなたの商会に不利益を及ぼすようなことはしないと、お父様もお約束してくださっております」
わたしの言葉に商会長──……バッシュ様が頷く。
「先日、お父様がお渡しした『トイレットペーパー』はご覧になりましたか?」
「もちろん。あれはとても素晴らしい品でした。……現在のトイレで使用する紙は粗く、固く、厚く、使い勝手が悪い上にうっかり流すと詰まることもあり、評判の悪い代物です」
「ええ、そうですわ。けれども使わないわけにはいかない。そんなところにあの『トイレットペーパー』が売り出されたら、人々はこぞって買うでしょう。しかも日々使うものですから、無くなれば当然買います。そして、購入者がトイレを使い続ける限り『トイレットペーパー』が売れなくなることはないでしょう」
バッシュ様がもう一度、今度は大きく頷いた。
嗜好品とは違い、日用品は常に需要がある。
特にトイレットペーパーは毎日何回も使うので消費も激しく、使い勝手の良さを実感した購入者は常に切らさないようにするだろう。大勢の人々が定期購入者となれば売り上げが落ちることはない。
「この『トイレットペーパー』は一生売れますわ」
冗談でも、誇張でもなく、本当に一生売れる商品となる。
「その通りです。ビードン子爵のお話では『トイレットペーパー』の販売はこちらの商会に任せていただけるとのことですが、本当によろしいのですか? 子爵家が商会を立ち上げれば莫大な額の金銭が子爵家に入るでしょう」
「ええ、ですが、これは『わたしにしか扱えない』ので、わたしの財産のようなものですわ」
「結婚した夫婦の財産は共有される、ということですね」
結婚すればバッシュ様の財産はわたしのものとなり、私の財産はバッシュ様のものとなる。
だが、バッシュ様はすぐに返事をしなかった。
頭の回転の速い人だ。
もしわたしにしか扱えない商品を売り出すとして、これが商会の目玉商品となり、多額の売り上げを叩き出した後のことを考えれば悩むのは当然だ。わたしの態度次第では逆に商会に大きな損害を与える可能性もある。
「わたしは商売に一切口出しはしないと誓いますわ」
バッシュ様が予想外のことを聞いたというふうに目を丸くした。
本日は2回更新です。夕方もお楽しみに!