レイノルズ辺境伯領
そうして、王都を出立してから一週間後。
わたし達はレイノルズ辺境伯領の領主街・リルカに到着した。
聞いていた通り、辺境伯領に入ってからは一気に天気が崩れ、雨が降っていた。
地面がぬかるんでいたこともあり、辺境伯領に入ってからは少しだけ進行速度は落ちたものの、なんとか予定通りにリルカに着くことが出来た。
リルカの街はガイウスが言った通り、華やかさはないが、石造りの堅牢な外壁の中にはシンプルな石やレンガ造りの家々が建ち並び、質素というよりは堅実という印象を受けた。
ただ、長雨の影響もあってか人通りは少なく、あまり活気も感じられない。
そんなリルカの街の中心にレイノルズ辺境伯家の屋敷があるのだという。
セルヴァン様の案内で屋敷まで行くと、辺境伯様だろう人物の出迎えを受けた。
銀髪に淡いグレーの瞳をした、五十代前後くらいの男性で、それなりに体格が良い。
馬車から降りたセルヴァン様がその男性と握手を交わす。
「よく戻った、セルヴァン」
「遅くなり申し訳ありません」
「いいや、本当に助かった」
馬車から降りたわたし達に男性が顔を向けたので、ガイウスと共に礼を執る。
「お久しぶりです、辺境伯様。バッシュ男爵家の当主、ガイウス・バッシュでございます」
「妻のルイザと申します」
近づいてきた男性──……辺境伯様が、ガイウスの手を取り、もう片手でその肩を叩いた。
「聞いたぞ、ガイウス。男爵位を得るとは……あの小さかった少年が立派になったものだ」
そう言った辺境伯様の表情はとても嬉しそうで、ガイウスもそれに笑みを浮かべた。
「王都で商会を持つことが出来たのは、辺境伯様のおかげです。バッシュ商会にご紹介してくださり、ありがとうございました。今の私があるのは辺境伯様とセルヴァン様、そして妻の助力のお陰です」
「相変わらず、妙に謙虚なのは変わらないな! もっと誇ってもいいと思うが?」
「商人は強欲であったほうがいいですが、傲慢になると信用を失いますので」
「はっはっはっ! なるほど、それは一理ある!」
辺境伯様はよく笑う、気の良い方のようだ。
ガイウスもそんな辺境伯様を嬉しそうに見ていて、こんな状況でも、帰郷を喜んでいるふうであった。
騎士団長様もこちらに来て、辺境伯様と挨拶と握手を交わす。
「騎士団長殿もご足労いただき、感謝する。……っと、長旅で疲れているというのに立ち話をさせてすまない。大したもてなしは出来ないが、中へ入ってくれ」
と、辺境伯に促されて屋敷の中へ入った。
辺境伯家の屋敷は街と同じく、華やかさよりも実用性を重視した雰囲気であった。
だが、だからといって質素とか地味というわけではなく、重厚な造りの家具や長く愛用されてきたであろう美術品などが置かれており、この屋敷の歴史を感じさせる。
……きっと、辺境伯家の人々は代々、物を大事に出来る方々なのね。
貴族は大抵新しいもの好きで、家具や美術品はともかく、その他のものは比較的すぐに取り替えてしまったり、新しいものを買って捨ててしまったりする。
それが悪いとは言わないが、長く使えるものを代々愛用したほうがいい。
通された応接室、そこに置かれたソファーに辺境伯様とセルヴァン様が並んで座り、一人掛けのソファーに騎士団長様が、勧められてわたし達も三人掛けのソファーに腰掛けた。
「改めて、レイノルズ辺境伯家の当主、アルドルフ・レイノルズという。皆、長旅の中、よく来てくれた。セルヴァンから手紙で聞いている。支援物資を集め、届けてくれて感謝する」
「いいえ、支援物資の大半は国が用意したものです。我が商会からのものはほんの一握りに過ぎません。……何より、生まれ故郷が苦難に陥っているのですから、協力するのは当然でしょう」
辺境伯様の言葉にガイウスが微笑む。
わたしもガイウスの手に、自分の手を重ね、頷いた。
「騎士団にも迷惑をかけてしまったな」
「いいえ。国の平和を守り、人々を助けるのが騎士団の仕事であり、誉れです。何より、辺境伯領の人々が苦しんでいることを陛下はとても憂慮しておられました。我々に出来ることがありましたら、遠慮なくおっしゃってください」
「ああ、本当にありがとう」
辺境伯様と騎士団長様が微笑み、頷き合う。
そうしていると部屋の扉が叩かれ、サービスワゴンを押して使用人が入ってきた。
初老のふくよかな女性で、手慣れた様子でテーブルにクッキーの並べられた皿とティーカップを並べていく。バターと小麦の優しい甘さ、そして焼きたてなのか香ばしい香りがふわりと鼻をくすぐった。
ガイウスが使用人の女性をジッと見つめていると、女性が微笑ましそうに目を細めた。
ガイウスとわたしは出された紅茶を一口、飲む。
……あら、とっても美味しいわ。
恐らく、数種類の茶葉を混ぜているのだろう。渋過ぎず、甘過ぎず、軽やかで飲みやすい。
思わずといった様子でガイウスが使用人に声をかけた。
「やっぱり、ハンナおばさんか。おばさんが一番、紅茶を淹れるのが上手かったよな」
使用人の女性が嬉しそうに微笑んだ。
「お久しぶりでございます、ガイウス様。ご健勝にお過ごしになられているようで何よりです」
「そんな言葉遣いはやめてくれ、俺にとってはこの屋敷のみんなは身内みたいなものだ。昔みたいに気安く接してほしい。丁寧に接せられるとさすがに寂しい」
「あらまあ、寂しがりさんは相変わらずなのねぇ」
女性使用人が明るく笑い、ガイウスも穏やかに笑う。
「ルイザ、このクッキーを食べてみてくれ。紅茶を淹れるのとお菓子作りにおいては、俺がいた頃、ハンナより上手い者はいなかったんだ」
促されて、クッキーを一枚食べる。
サクリとした食感だが、ほんの僅かに柔らかさもあって、甘くて、バターと小麦粉の香りがいい。
貴族がいつも食べる贅沢なお菓子ではないが、美味しくて、どこか懐かしさを感じさせる。
「ふふっ、子供の頃、厨房に行って料理人からこっそりクッキーを分けてもらっていたのを思い出しました。でも、我が家で出ていたものよりずっと美味しいですわ」
女性使用人がニコリと微笑み、一礼して下がっていった。
ガイウスはまだ話をしたそうにしていたけれど、しばらくは辺境伯家で過ごすことになるので、話す機会はこれからあるだろう。
パタンと扉が閉まり、足音が遠退くと、辺境伯様が口を開いた。
「レイノルズの現状についてはセルヴァンから既に聞いてたと思うが、この長雨により、我が領地の、特に北部は酷い水害に見舞われている。これはスキルか魔法か、何らかの人為的なものによって引き起こされているという認識で構わないか?」
それに全員が頷き返した。
その後、辺境伯様とセルヴァン様、騎士団長様、ガイウスが話し合いを行った。
予定としては二週間ほど辺境伯領に滞在し、その間に騎士団とセルヴァン様、ガイウスで原因を調査するそうだ。
わたしはその間、ここでのんびり過ごしていればいいとのことだった。
……まあ、それもそうですわね。
調査にわたしが同行したところで出来ることはないし、邪魔になってしまうだろう。
ガイウス達が調査に出ている間はリルカの街でも見て回ろうと思う。
* * * * *
辺境伯領に到着した夜、客室のベッドにガイウスと共に寝転がって過ごす。
横のガイウスは天蓋を見上げたままぼんやりしており、恐らく、明日から始まる調査について考えているのだろう。生まれ故郷の状況を知って、何か助けになりたいと思うのは当然だ。
真剣な表情で考え込んでいるガイウスの横顔が格好良くて見惚れてしまう。
ジッと見つめていれば、わたしの視線に気付いたのか、ガイウスがこちらを見た。
「ルイザ? どうかしたか?」
ごろりと体ごとこちらに向くガイウスに抱き着く。
「ガイウスが格好良くて見惚れていただけですわ」
「それは嬉しいな」
ギュッと抱き返され、ガイウスが小さく笑う声がした。
窓の外からはシトシトと雨の音が静かに響く。この静けさが心地好いけれど、でも、きっと辺境伯領の人々からすると雨音は嫌なものになってしまっているかもしれない。
ガイウスと共に雨音に耳を傾ける。
「……雨は本来なら『天の恵み』って言われるのにな」
呟くガイウスの言葉に頷き返す。
「今の辺境伯領の人々からすると、忌むべきものになってしまっているでしょう」
「ああ。……なんとか、原因が分かるといいんだが……」
「大丈夫ですわ。ガイウスなら、必ず原因を突き止められましてよ」
わたしがそう返すと、ガイウスがまた笑う。
「その自信はどこからくるんだ? 見つけられないかもしれないのに……」
「あら、挑む前から弱気になるなんていけません。何事も自分を信じて挑まなければ、出来ることも失敗してしまいますわよ。商売だってそうでしょう? 自信のない商人を信用する客はおりませんわ」
「……そうだな。必ず、原因を突き止める」
「ええ、その意気ですわ、旦那様!」
そうして、二人で抱き合ったまま声を潜めて笑った。
「ありがとう、ルイザ。明日から頑張れそうだ」
ガイウスの穏やかな声に、その胸に額を寄せてわたしは微笑んだ。
先ほどまでの真剣な表情も素敵だけれど、責任感を強く感じているようだった。
気の緩みは良くないが、あまり気負い過ぎても良くないと思う。
ガイウスは元から仕事の出来る人なのだから、いつも通りにしていれば大丈夫である。
……リルカの街を見て回るのが楽しみだわ。
「そうですわ、ガイウスの育った孤児院を訪問してもよろしいでしょうか?」
「ん? ああ、構わないが……そんなに面白い場所じゃないぞ?」
「ガイウスの育った場所を見たいのです。面白いかどうかではありませんわ」
ガイウスの背中に回した腕に力を込める。
……もっと、あなたのことが知りたいのですわ。
わたし達は抱き合ったまま、雨音を聴きながら眠りに就いた。
* * * * *
翌日、朝食後にガイウスはセルヴァン様と騎士団達と共に出掛けていった。
北部を中心に領地内のあちこちを調査するそうなので、もしかしたら、場所によっては泊まりがけになることもあるかもしれない。
商会で働いている間も離れている時間はあるけれど、物理的距離が開くと思うと普段より寂しい。
寂しいが、それをガイウスには言えない。
言っても困らせるだけだし、わたしのわがままで故郷を助けたいと願うガイウスを邪魔したくない。
……まるで夕方みたいな暗さだわ。
まだ午前中なのに、外は相変わらず雨降りで薄暗い。
ずっとこんな天気と暗さだと、水害など関係なく、気分が落ち込みそうだ。
「街を見に行きたいのだけれど、出掛けてもいいかしら?」
室内には男爵家から連れてきた侍女以外にも、辺境伯家のメイドもいる。
メイドのほうに声をかけると頷き返された。
「はい、問題ありません。旦那様より、男爵夫人がお出掛けになる際は当家の騎士を数名、護衛にお連れいただくようにとのことですが、よろしいでしょうか?」
護衛達もいるけれど、辺境伯家の騎士がそばにいることで、辺境伯家と繋がりのある人物だと街の人々が見てすぐに分かるようにするためだろう。
「もちろん、構いませんわ。辺境伯様に『お気遣い感謝いたします』とお伝えくださいませ」
「承りました。それでは、騎士と馬車の準備を整えてまいります」
メイドの一人が一礼し、下がっていく。
わたしも侍女に手伝ってもらい、外出用のドレスに着替える。
身支度を整え、我が家の護衛を連れて玄関に向かうと、馬車と護衛の騎士達が待っていた。
騎士達がわたしを見て、礼を執る。
そのうちの一人、一番年嵩の五十代前後くらいの騎士が口を開いた。
「本日、夫人の護衛を務めさせていただきます、ジャストールと申します」
「バッシュ男爵家の当主ガイウスの妻、ルイザ・バッシュでございます。こちらこそ、本日はよろしくお願いいたします。よろしければ街を案内していただけますと嬉しいですわ」
「私などでよろしければ」
馬車に侍女とその騎士、護衛の一人が乗り、他の騎士達は馬や馬車に乗ってついてくる。
……こんな雨の中、申し訳ないことをしてしまったわね……。
騎士達は防水のコートを着ているが濡れないわけではない。
「どこか見て回りたい場所はございますか?」
騎士ジャストール卿に問われ、少し考える。
「そうですわね……とりあえず、今日はリィンデル孤児院に行きたいですわ」
「孤児院に? ……ああ、なるほど、かしこまりました」
ジャストール卿が何かに気付いたふうに優しく微笑んだ。
それから、問いかけられる。
「ガイウス……殿の育った場所が気になっておられるのですね?」
「ええ、愛する夫に関係していることなら、どのようなものでも知りたいと思うのです。……もしかして、ジャストール卿は夫が働いていた時から、ご存じなのでしょうか?」
「はい。昔から頭が良くて、口も上手くて、ガイウス殿はあれで剣の腕もなかなかにあるのですよ」
「まあ、そうなのですか? 剣を握っているところは一度も見たことがないのですが……」
……ああ、でも、夫婦で過ごした時、とてもしっかりとした体付きでしたわね。
思わず夜のことを思い出して納得していると、ジャストール卿が小さく笑った。
「騎士になる道もありましたが『商人のほうが稼げるから』と王都に行ったのです。そして、実際にガイウス殿はその言葉通り、大商会の商会長になりました。……本当に、努力家な方です」
そのジャストール卿の表情は、ガイウスと再会した時の辺境伯様の表情とよく似ていた。
親戚の子供が立派に成長して、喜んでいるような、誇っているような、そんな優しいものだ。




