夫婦の時間
王家主催の夜会から数日後。今日はガイウスと合わせて休日を取った。
……とは言っても、午前中はトイレットペーパーの在庫作りだけれど。
急いで今日の分のトイレットペーパーを召喚して屋敷に帰り、少し早めの昼食を摂る。
ガイウスはまだ仕事をしているようだ。
その後、外出用のドレスに着替えた。
昼間用の肌の露出がない、動きやすい装飾の少ないドレスに赤い宝石の装飾品を身に着ける。
結婚式で使用した装飾品を再利用したものだが、わたしはとても気に入っていた。
身支度を整えて一息吐いたところで、使用人が来て、ガイウスも昼食と外出の準備を済ませたことを伝えてくれる。
玄関に向かうと貴族の装いに身を包んだガイウスがいた。
夜会の時にくらべると地味だが、顔が良いのでシンプルでも十分華やかに見える。
こちらに気付いたガイウスが顔を上げ、微笑む。
「ルイザ、綺麗だ」
近づくと抱き寄せられて額に口付けられる。
「あら、今朝も聞きましてよ?」
「今朝も綺麗だったが、今も綺麗だ。着飾っている君を見ると、もっと美しい装いをしてもらうために稼ぐぞ、という気持ちになるな。……まあ、トイレットペーパーの利益は君が稼いでいるものだが」
「ですが、あまり派手だと成り金みたいになってしまいますわ」
「実際そうなんだから構わないだろう?」
ガイウスの言葉に笑ってしまった。
「それもそうですわね」
差し出された腕に手を添えて、二人で屋敷の外に出る。
停めてあった馬車に乗り込むと扉が閉まり、ゆっくりと走り出した。
今日はガイウスとデートをする予定である。
結婚すると決めてからは式の準備で忙しかったし、結婚してからはトイレットペーパーの件で忙しくて──今も忙しいのだけれど──、二人で出掛ける時間が全くなかった。
男爵位を得て、社交界にも出て、ガイウスも気持ち的な余裕が出来たらしい。
『今更だが、その、一緒に出掛けないか?』
と、控えめに誘われてわたしは一も二もなく頷いた。
夜の時間に二人でゆっくりと過ごすことはあっても、昼間は互いに忙しくて出掛ける暇もなかった。
だが、夫婦なのだから一緒に出掛けてもいいだろう。
そういうわけで今日は午後からだけど、ガイウスとデートをすることとなった。
「ありきたりだが観劇して、買い物をしようと思う」
「まあ、素敵! 劇は何を見る予定ですの?」
「カリエス劇場で上演中の『二人のアリエル』のチケットを取った。何でも『アリエル』という名前の平民の青年と貴族の令嬢が主人公らしい。革命時代に出会った二人だが、青年は革命軍の一員で、令嬢は革命軍と敵対している貴族家の娘で、この二人の恋愛を題材にしているそうだ」
「それは面白そうですわね」
劇について話しているうちに馬車が目的地の劇場に到着した。
ガイウスが先に降りて、その手を借りてわたしも降りる。
人気のある劇らしく、一般向けの出入り口は長蛇の列だった。
わたし達は貴族用の入り口から入り、ガイウスがボーイにチケットを見せると中に案内される。
劇場のホールは広く、わたし達が通されたのは二階の丁度中央付近で、舞台全体が見下ろせてなかなかに良い席であった。席には飲み物やちょっとしたお菓子なども置かれている。
左右の席とは壁で区切られているので人の視線も感じない。
「良い席ですわ」
「ああ、人目がないほうがゆっくり観られると思ってな」
椅子に座れば、隣に腰掛けたガイウスに抱き寄せられる。
劇の間は薄暗くなるので、ここは恋人達が逢瀬を楽しむ場所でもあるのかもしれない。
肘掛けがないのはそういう意味もあるのだろう。
二人で話していると、舞台に人が立った。
「紳士、淑女の皆様、本日は当劇場にお越しいただき、ありがとうございます! これより上演されますのは『二人のアリエル』! 激動の最中、出会ってしまった同名の二人! 運命の悪戯とはまさにこのこと、青年・アリエルと令嬢・アリエル、二人の運命の糸は一体どうなってしまうのか……!! どうぞ最後までお楽しみください!!」
そして、人が下がるのと同時にホールの明かりがフッと消え、薄暗くなった。
* * * * *
薄暗いホールの中、ガイウスはチラリと横を見た。
妻であるルイザが楽しそうに劇の舞台を眺めている。
舞台の明かりがほのかに照らし出すその横顔は美しかった。
ガイウスにとって、ルイザとの結婚は人生で一番の幸運と言っても過言ではない。
貴族との結婚は爵位を得る上では重要で、それだけでもルイザという存在はレイノバッシュ商会をより大きくするためになくてはならないものであったが、今のガイウスには利害関係だけの存在ではなかった。
婚約破棄されたというのに前向きで、明るくて、そのスキルで一気に商会を押し上げた。
しかも、あっという間にガイウスを男爵に引っ張り上げたというのに、まだ更に商会とガイウスを高みへ導こうとしているのを肌で感じていた。
……感謝しても、し切れない。
ルイザは商会にとっても、ガイウスにとっても『幸運の女神』である。
だが、同時に愛しい妻でもある。
過ごす時間は短くとも、互いに信頼し、尊敬し、大切に思っている。
そういう気持ちをルイザは隠さない。
内心を明かさない貴族にしては珍しく分かりやすく、けれど、その言動は少し予想がつかなくて、だからこそ共に過ごすのが楽しかった。
こうして横顔を見ているだけでもガイウスは楽しいのだ。
劇は嫌いではないが、好きでもなく、この劇の内容は取引先の貴族から既に聞いているのであまり興味はないが、目を輝かせて劇に見入っているルイザの表情を眺めているほうが面白い。
劇が終盤に差しかかり、悲恋だと気付いたルイザが悲しそうな顔をした。
思わずルイザの手を握れば、ルイザが振り向き、そして微笑んだ。
すぐに視線を舞台に戻してしまったが、嬉しそうな表情はしっかり目に焼き付いていた。
……その表情が曇らないようにしたい。
ルイザにはいつまでも笑顔でいてほしい。
重なった手をしっかりと握り、ガイウスも舞台へ視線を向けたのだった。
* * * * *
「とても素晴らしい劇でしたわ……!」
劇が終わり、次の買い物のために馬車に揺られて移動する。
演劇『二人のアリエル』は革命軍と敵対貴族という立場の青年と令嬢の恋物語で、紆余曲折あり、結末としては二人とも来世での愛を誓い、死を選ぶ。
ただ、劇の最後に生まれ変わった二人が再会するような演出があったので、メリーバッドエンドなのか、ハッピーエンドなのか判断に迷うところではあった。
物語に引き込まれてしまい、二時間ほどの劇も一瞬で終わってしまった。
「楽しんでもらえて良かった」
「あら、もしかして劇に興味がございませんの?」
「ないわけではないが……まあ、わざわざ劇で観なくても、それ以上の話を色々知っているからな」
「『事実は小説よりも奇なり』というわけですのね」
孤児院出身のガイウスのこれまでを思えば、様々な人と出会い、色々とあったのだろう。
それでも、ガイウスの口から誰かに対する愚痴が漏れたことはない。
そういうところも尊敬出来るし、口さがない貴族達よりも品が良く感じられる。
「そういえば、どうしてお買い物なのですか? 大抵は商会で購入出来ると思うのですが……?」
「買い物の楽しみの一つは、眺めて、悩んで、購入することだ。必要なものを買うために他の者を呼ぶより、店先に並んだものを眺めながら気ままに買うほうが自由な感じがしていいだろう?」
馬車が停まり、商店の多い通りに到着する。
馬車から降りて、わたしはガイウスの腕に抱き着いた。
「そうですわね。こうしてガイウスと腕を組みながら街を歩けますもの」
そして、二人で商店の並ぶ通りを歩く。
ガラスのショーウィンドウの向こうには様々な品物が飾られており、歩きながら眺めたり、立ち止まってみたり、ガイウスと飾られている品について話すのもとても楽しい。
「これは君に似合いそうだ」
「でも、男爵夫人が持つには少し派手すぎないかしら?」
「ルイザは美しいから、これくらい華やかでないと装飾品のほうが負ける」
「それなら、このカフスと一緒に買いましょう? 同じ色合いの装飾品を着けて出掛けたら、とても良い気分になれそうですわ」
「いい案だ」
……確かに、これは自由な買い物ね。
貴族が商人を屋敷に呼んで買い物をする時は、必ず何かしら買う必要がある。
呼びつけておいて何も買わないというのも印象が悪いけれど、何も買わないのは金銭的な余裕がないとも受け取れるため外聞が悪い。商人の機嫌を損ねるのもあまり良くない。
だが、こうして街中を歩きながら見て回るなら、欲しくないものは買わなくていい。
逆に多くの品を見ることで、その中から本当に欲しいものが見つけ出せる。
しかし、ついあれもこれもとガイウスが買うので心配になってしまった。
「こんなに沢山の買い物をして大丈夫ですの?」
「君が稼いだ額に比べたら小指の爪ほども使ってないぞ」
と言うので、ホッとするのと同時に『トイレットペーパー』の利益を想像したら少し怖い。
「ガイウス、わたしに利益額は話さないで。……とんでもなくお金遣いの荒い女になってしまうわ」
「それなりに金を使うほうが、金回りが良くなることもある」
「もう、ガイウス! これ以上わたしを甘やかさないでちょうだい!」
怒って見上げるとガイウスが愉快そうに笑った。
「夫が妻を甘やかして何が悪い?」
……気を付けないと本当に浪費家になってしまいそう。
ギュッとガイウスの腕を抱き締め、注意する。
「夫だからこそ、時には厳しくしないとわたしは調子に乗ってしまいますわよ?」
「君はきっと使った分を自分で稼いでしまうさ。……俺は甲斐性のない夫にはなりたくないんだが」
そう言って、ガイウスがわたしの髪を一房取り、そこに口付けた。
……ガイウスは意外とこういうことをよくするのよね……!
されているわたしのほうが気恥ずかしくなってしまう。
ガイウスはわたしが照れると分かっていてやるのだ。
優しいけれど、たまに意地悪な旦那様である。
ゆっくりと通りを往復して、購入したものは全て屋敷に送ってもらった。
馬車に乗り込むと心地好い疲労感に包まれる。
走り出した馬車の揺れに身を任せつつ、目を閉じてガイウスに寄りかかる。
「疲れたか? ……悪い、歩かせすぎたな」
大きな手がわたしの手に重なるのを感じた。
「謝らないでくださいませ。今、幸せで心地好い疲れを感じているのですから」
「そうか」
笑いを含んだガイウスの低い声も心地好く、体から力が抜ける。
「……ガイウス、ありがとうございます。今日はとても楽しかったですわ」
「俺も楽しかった。付き合ってくれてありがとう。……今度は美術館なんてどうだ? 花が見頃になったらバラ園もいいし、新しい劇が始まったらそれを観に行くのもいい」
「ええ、是非行きましょう。わたし達は少し急いで結婚してしまったけれど、夫婦の時間はこれから沢山ありますもの。何年、何十年と一緒に過ごし、同じ景色を見て年老いていくのですわ」
ガイウスの手を握ると優しく握り返される。
観劇の途中、悲しいシーンで思わず感情移入して悲しくなっていた時、まるでそれが分かったかのようなタイミングでガイウスがわたしの手を握ってくれた。
大きく温かな手が『大丈夫』だと、わたしに温もりと安心感を与えてくれる。
夫婦として、家族として、わたし達の関係は性急に結ばれたものだったが、ガイウスがくれる愛情はいつだって優しくて、柔らかくて、羽根のようにわたしの中に降り積もっていった。
……そう、解けて消えてしまう雪とは違うわ。
積もった羽根は重くなるけれど、でも、きっとそれは心地好いだろう。
目を開けてガイウスを見れば、視線が重なった。
「ガイウス……あなたを愛してもいいかしら?」
わたしの問いにガイウスが困ったように微笑んだ。
「妻が夫を愛してはいけない理由はあるか? むしろ、君に愛してもらえないのはつらい」
「そう……そうね、ごめんなさい。おかしな質問をしてしまったわ」
手を伸ばし、ガイウスの頬に触れ、その唇を指で辿る。
「わたしはあなたが好きで……きっと、すぐに愛してしまうわ」
「それは嬉しい宣言だな」
「どうかしら? あなたが嫌がっても、わたしはあなたを押し上げてしまうでしょうね」
わたしの手を取り、ガイウスが指に口付けた。
「望むところだ。……幸運の女神に手を引いてもらえるなら、どこまででも行こう」
そう笑ったガイウスの嬉しそうな表情に、わたしも笑みが浮かぶ。
……やっぱり、わたしはあなたを愛してしまうわ。
この胸の高鳴りは気のせいではない。
わたしの幸運の神様は、きっとあなただから。
「わたしと結婚してくれてありがとう、ガイウス」
これから先の人生も、この人と生きていきたい。




