男爵位と夜会(1)
陛下と王妃様との面会から数日後、爵位授与が行われた。
わたしは行かなかったけれど、ガイウスは王城に向かい、謁見の間で陛下より直にお言葉と爵位を賜ったそうだ。爵位は聞いていた通り、一代限りの男爵位である。
けれども今後、紙製品をどんどん出していけば、また爵位も上がっていくだろう。
帰ってきたガイウスは緊張しすぎて少し疲れた様子だったが、とても嬉しそうであった。
「ルイザ、君のおかげで男爵になれた。……本当なら、君が得るべき爵位なのに……」
「まあ、お気になさらないでくださいな。以前、ガイウスがおっしゃったではありませんか。わたしが馬鹿にされるのは、自分を馬鹿にされるのと同じだと。そうであるなら、わたしの功績はあなたの功績でもありますわ」
「そうか? 全く違うと思うんだが……」
「商売についてはあなたに全てお任せしてしまっておりますもの、この功績はほとんどがガイウスのものでしてよ」
その日の夜は、いつもより豪華な食事とお酒を二人で楽しんだ。
使用人や商会の従業員、ニールさんなどにも祝い金代わりの『特別手当て』が出たそうだ。
それから更に数日が経ち、陛下と王妃様との面会から丁度一週間後の今日、王家主催の夜会に招かれた。
一代限りとはいえ、貴族であることに変わりはない。
久しぶりの社交界が楽しみだ。
ガイウスはやっぱり緊張した様子で馬車に揺られていた。
……こういうのを『本番に強いタイプ』というのかしら?
顔色が悪くなるくらい緊張していたのに、いざ王城に着き、馬車から降りる時には平然とした表情になっているのだから面白い。感情を隠すのが上手いというのは貴族にとって強みになる。
わたし達は爵位の中では最下位なので、夜会の最初のほうから出席することとなる。
男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵──……そして最後に王族が会場に入場する。
長く夜会にいるが、入場時に名前が呼ばれるので、多くの貴族の顔と名前を覚える機会でもある。
続々と入ってくる貴族達をガイウスは見つめ、覚えようとしていた。
一応、この一週間で出来る限りわたしの知っている貴族の常識やマナー、知り合いの貴族との関係性などは教えたものの、今後はより多くの貴族と接していくだろう。
……後はわたしとガイウスの記憶力が必要ね。
大きな取引のある家は覚えているらしく、その家が入場すると挨拶をしに行ったのだが『トイレットペーパー』の件もあり、大勢の人々と言葉を交わした。
ガイウスは記憶力がとても良いのか、他の貴族を紹介されても、取引がある家をすぐに判断して上手く対応していた。『トイレットペーパー』の製法や入手先について探りを入れられても、のらりくらりと躱し、自身の授爵の話に逸らしている。
……わたしが心配する必要はなかったわ。
気付けば周囲には大勢の人が集まっていた。
しかし、元婚約者と浮気相手もちゃっかり夜会に出席していたのには笑ってしまったが。
ビードン子爵家──……お父様とお母様、お兄様が入場したので、人々に断りを入れてから挨拶に向かった。
「お父様」
「ああ、ルイザ、元気そうで良かった」
「毎日、良い生活をさせていただいておりますもの」
お父様、お母様、お兄様とそれぞれに軽く抱き締め合う。
それから、お父様とガイウスが握手を交わす。
「ガイウス殿にはなんと礼を言えばいいのか……娘の立場を良くしてくれてありがとう」
「いいえ、妻に関するものは自分のことと同じですから、動くのは当然です」
「そうか、君と結婚すると決めた娘の判断は正しかったようだ」
お父様とガイウスの間に流れる空気は穏やかで明るいものだ。
思わずニコニコしているとお母様に声をかけられた。
「あら、ルイザ、少し痩せたのではなくって?」
「頻繁にスキルを使うので。でも毎日が楽しいですわ」
「そう?」
「母上、心配せずともルイザの幸せそうな顔を見てください。きっとバッシュ家でルイザは大切にしてもらっているのでしょう。何より『トイレットペーパー』の件が良い例ですよ」
心配そうな顔をするお母様に、お兄様が苦笑する。
「そうですわ、ガイウスはわたしのために日夜奔走してくださったのです」
「それならいいのだけれど……たまには帰ってきてもいいのよ?」
寂しそうな顔をするお母様をもう一度抱き締める。
「はい、ガイウスと一緒でもいいですか?」
「ええ、もちろん。今度、いつでも帰ってきてちょうだいね」
「ありがとうございます、お母様」
名残惜しそうな様子のお母様に、話が落ち着いたのかお父様が言う。
「ルイザは結婚して男爵家に入ったのだから、いつまでも子爵家の娘扱いするのはやめなさい。ルイザとガイウス殿は夫婦なんだ。家族の時間をあまり奪ってはいけない」
「そう、そうね……ごめんなさい、二人とも」
反省するお母様にガイウスが微笑み返す。
「是非、今度ルイザと共に子爵家に遊びに行かせていただきます」
とガイウスが言ったので、お母様も嬉しそうに微笑んだ。
挨拶が済み、お父様達も他の方々へのご挨拶があるからと別れることにした。
それ以降もずっと挨拶続きで、ほんの少しだけうんざりしたが、仕方ない。
招待客が全て揃い、最後に国王陛下と王妃様が入場する。
「皆よ、今宵はよく来てくれた。皆の顔を見ることが出来て、余はとても嬉しく思う。最近は目覚ましい成長を遂げた家もあり、我が国としても今後の発展を楽しみにしているが──……」
恐らくそれはわたし達のことなのだろう。
周囲の人々も気付き、視線を感じた。
「──……話が長くなってしまったが、今宵は是非楽しんでいってほしい」
陛下が手を叩くと楽団が音楽を弾き始め、陛下と王妃様が会場の中央に出て、ダンスを踊る。
そのダンスが終わると人々が輪になってダンスを踊り始める。
ダンスを終えた陛下と王妃様に挨拶をするため、人々が並ぶ。
……わたし達の番は最後のほうだから、まだゆっくり出来るわね。
スッと目の前に手が差し出された。
「せっかくだから、踊らないか?」
この一週間、ガイウスに礼儀作法を教える中で、ダンスも叩き込んだ。
他の人と踊れなかったとしても、わたしとぐらいは踊らなければ形にならない。
それでも、ガイウスは物覚えが早く、あっという間にダンスを覚えてくれたのだが。
「特訓の成果を披露しましょうか」
「ああ」
わたしもガイウスの手を取り、二人で会場の中央に出る。
音楽が変わるタイミングで輪に加わり、二人で踊る。
ガイウスのダンスは型通りの真面目なものだが、動きが丁寧で、こちらを気遣ってくれているのが伝わってきて、優しい気持ちになれる。型通りということは、それだけズレのない、美しいダンスということでもあった。
周囲の視線を感じながらも踊り続ける。
「なかなか上手くなったと思うが、どうだ?」
と踊りながらガイウスに問われる。
「ええ、とても上手くなったし、あなたのリードは踊りやすいわ」
「君限定だけどな。ルイザとは踊り慣れているけれど、他の者相手ではこうはいかない」
「あら、それならずっとわたしとだけ踊れば良いではありませんか」
「そうするとしよう」
二人で顔を見合わせ、笑った。
そうして、わたし達は三曲続けてダンスを踊った。
知り合いは一度、婚約者や恋人は二度、夫婦は三度、続けて曲を踊ることが許される。
三曲続けて踊れるのは夫婦だけの特権であった。
ダンスを終えて輪から外れ、近くの給仕から飲み物をもらって一息吐く。
まだ王族の挨拶は続いており、わたし達の番には届かない。
「バッシュ男爵、夫人、ご挨拶をさせていただいても?」
と声をかけられ、振り向けば、四十代半ばほどの男性がいた。
すぐにガイウスが礼を執ったので、わたしもそれに倣う。
「お久しぶりです、セルヴァン様。ご健勝で何よりでございます」
「ははは、そう堅くならなくていいですよ」
穏やかに言われ、姿勢を正せば、ガイウスが紹介してくれた。
「セルヴァン様はレイノルズ辺境伯様の弟君で、昔、文字の読み書きや計算など、色々と教えていただいた方なんだ。……セルヴァン様、こちらは妻のルイザです」
「初めまして、セルヴァン・レイノルズです。セルヴァンとお呼びください」
「ルイザ・バッシュと申します」
セルヴァン様が嬉しそうな表情でわたし達を見る。
「ガイウスも大きくなりましたね。最後に会ったのは、もう十年以上も前になりますか。……これほど大きな商会を立ち上げ、よく頑張りましたね。辺境伯領まで『レイノバッシュ商会』の名前は届いていますよ」
「辺境伯様とセルヴァン様に後押しをしていただいたおかげで、こうして商会を興し、幸運を得て、素晴らしい妻と出会うことも出来ました」
「『人との出会いを大事にすれば、幸運が訪れる』というのが兄の口癖ですが、あなたはまさにそうですね。それに毎年売り上げの一部を辺境伯領に送ってくださるおかげで、領地の孤児院を建て直したり、修繕費に当てたりすることが出来て、皆、喜んでおります」
「私に出来るのはそれくらいしかありませんので」
「ガイウス、もっと胸を張りなさい。あなたは堂々として良いのですよ」
知り合いというより、親戚のおじさまと青年といった和やかな雰囲気の二人が微笑ましい。
そのやり取りを見ているだけで、ガイウスがどれほどレイノルズ辺境伯やその周りの人々に良くしてもらってきたのかが窺えるし、ガイウスのそれに対する深い感謝の気持ちも感じられる。
……ガイウスはこれまで人間関係の運も良かったのね。
ガイウスの出生やこれまでの人生についても聞いたことがあったが、いつだって、ガイウスは『レイノルズ辺境伯様や辺境伯領の人々に恩があり、それを返したい』と言っていた。
そのために『トイレットペーパー』の利益を一部を回してもいいかと訊かれたこともある。
代わりに自分の使える金を減らすので、わたしの利益は減らないから、なんて言われた。
わたしはその時「そんなことは気にせず、恩返しをしてください」と伝えた。
ガイウスが受けた恩は、わたしの受けた恩でもあるのだから。
「あなたが幸せそうで良かったと、心から思います」
セルヴァン様はしばらく王都にいるそうだ。
ふとガイウスが顔を上げ、残念そうに眉尻を下げる。
「っと、そろそろ時間のようです」
「ああ、引き留めてしまってすみません。また今度、ゆっくり話しましょう」
それではまた、とセルヴァン様は微笑み、離れていった。
ガイウスはその背中を見送り、わたしに振り向く。
「そろそろ、ご挨拶の列に並ぼう」
「そうですわね」
周囲の視線を感じながら、両陛下に挨拶をするための列に並ぶ。
……両陛下も大変だわ。
王家主催の夜会がある度にこうして貴族達と顔を合わせなければいけない。
「そういえば、セルヴァン様はお一人でしたけれど、ご結婚はされていらっしゃらないのですか?」
「ああ、家督争いをしたくなかったそうだ。そのまま、兄君であるレイノルズ辺境伯の家臣として仕え、兄弟で共に領地を支えている。ご本人も『領地が恋人のようなもの』と昔からおっしゃっていて、浮いた噂の一つもないんだ」
「人の幸せや愛すべきものというのはそれぞれですものね。きっと、セルヴァン様にとっては領地やそこに住む領民達が愛すべき存在なのでしょう。結婚だけが人生の幸せとは限りませんわ」
「そうだな、幸せだと感じるものは人それぞれだ」
微笑んだガイウスが優しい眼差しでこちらを見つめてくる。
それにわたしも微笑み返し、そっと寄り添った。
そして、列が進んでいき、わたし達の番が訪れる。
椅子に座る陛下と王妃様の前に進み出て、ガイウスと共に礼を執った。
「気高き太陽と月、国王陛下と王妃殿下にご挨拶申し上げます。バッシュ男爵家の当主、ガイウス・バッシュと妻のルイザでございます。この度は男爵位を賜りましたこと、恐悦至極に存じます」
スラスラとガイウスが言葉を紡ぐ。
陛下の穏やかな声がかけられる。
「面を上げよ」
二人で顔を上げると両陛下が微笑みを浮かべていた。
「バッシュ男爵よ、此度の『トイレットペーパー』という代物、見事である。余も王妃も、あれは気に入った。日々使うものだからこそ、良きものを使いたい。何より、用を済ませて良い気分になるというのが面白い。今後もそなた達の良き働きを期待している」
陛下のお言葉に僅かに人々の騒めきが広がった。
男爵家にかけるにしては長いお言葉であった。
普通は一言、良くて二言ほどかけられたら栄誉なことなのだ。
「妻共々、ご期待に沿えるよう尽力いたします」
「うむ、そのためにも今宵は英気を養っていくと良い」
陛下が王妃様に顔を向けると、王妃様が口を開く。
「夫人、今度わたくしの離宮にお招きしてもよろしいかしら? 『トイレットペーパー』の話をお聞きしたいわ。わたくしもあれをとても気に入ってしまいましたの」
それは男爵家には破格の待遇である。
陛下だけでなく、王妃様からも目をかけられているという証だ。
「はい、王妃様の御心のままに」
「楽しみにしていますね」
陛下と王妃様が満足そうな表情をして、一つ頷いた。
そうして、わたし達はもう一度礼を執り、お二方の前から下がった。
陛下と王妃様の期待を受けたわたし達に、人々の視線が突き刺さる。
期待は時として重く圧しかかるけれど、今はそれが心地好い。
ガイウスと目が合い、互いに微笑み合った。