役立たずと言われた令嬢
「ごめんなさい、ビードン子爵令嬢。でも、仕方がありませんよね?」
そう言って、淡く桃色がかった銀髪に赤い目をした可愛らしい令嬢が、婚約者に抱き着く。
……何が『仕方がない』のかしら?
令嬢を抱き締めながら、わたしの婚約者がこちらを見た。
「ルイザ、僕は君との婚約を破棄し、ここにいるレイラ・ベインズ子爵令嬢と婚約する」
癖のあるオリーブグリーンの髪に薄紫の瞳の婚約者、ヴィクター・ティペット伯爵令息が言う。
馬鹿な話だと思った。いくら伯爵家のほうが家格が上といっても、正式に結んだ婚約を一方的に破棄するなどありえない。貴族の婚約とは『家同士の契約』であり、それを身勝手に破棄すれば信用を失う。
だが、目の前の婚約者は言葉を続けた。
「君のスキルは使えない。結婚しても我が家の役に立たない」
「聞きましたよ? お金でヴィクター様との婚約を無理やり決めたそうですね? お可哀想なヴィクター様。好きでもない、それも大したスキルも持っていない相手と婚約させられていたなんて……」
……まさか、他人にわたしのスキルについて話したの?
スキルとは『魔力を消費することで起こせる奇跡』である。
遥か昔は多くの人々が魔力を持ち、同じく『魔力を消費して様々な現象を起こす奇跡』を扱えていたけれど、今はその奇跡──……魔法を使える『魔法士』と呼ばれる人々が極小数しかいない。
それでも王侯貴族や稀に平民の中でも開花する奇跡をスキルと呼び、十二歳になると共に教会で洗礼を受け、そこで初めて己の能力を知る。能力は常時発動しているものもあれば、己の意思で発動させるものもあり、多種多様だ。
そして、スキルは一人一つしかない。
しかし、中には非常に危険なスキルや有用なスキルもあり、基本的に誰かのスキルについて他者に漏らすことは禁止とされている。誰だって己のことを勝手に話されるのは嫌だろう。
法的にも『漏らしたことによってその人物が不利益を被った場合』は処罰の対象となる。
それにスキルを他言しないのは最低限の常識だ。
何より漏らした相手が最悪だった。
レイラ・ベインズ子爵令嬢の家は我がビードン子爵家と不仲である。
「ルイザ・ビードン子爵令嬢、役立たずな君との婚約はもう続けられない」
怒りと羞恥と理不尽な理由による不満が胸の内に一気に広がった。
同時に目の前が真っ暗になった。
そうして、目の前に見たこともない景色が、物が、記憶が流れていった。
……これは一体、何……?
見たこともないはずの不思議な世界。見上げても先が分からないほど高い建物や塔、土や石畳とも違う硬い地面、自然の少ない街。馬もいないのに動く不思議な乗り物。大勢の人が行き交う中にわたしがいる。
こことは違う世界、違う場所で、わたしは平民として生きていた。
けれども、平民と言っても暮らし向きが悪いわけではない。
一人暮らしで自活している。貴族の教育からは想像もつかない生き方だ。
でも、わたしの働いていた会社という場所はあまり良くないらしい。
毎日毎日、遅くまで働いて、お給金はもらえているけれど残業ばかり。
……働きすぎだわ。
そう思っている間に、わたしが倒れ、意識が掻き消える。
……この『わたし』は死んでしまったのね。
これが今のわたしとして生まれる前の──……前世の記憶だと理解した。
また視界が真っ暗になり、そして、瞬きの間に闇は消え去った。
「君がスキルで出せるのは粗雑な紙。そんなもの、僕もティペット家も要らない。……結納金は全て返還するから、婚約は破棄させてもらうよ」
婚約者の言葉を聞きながら、レイラ・ベインズ子爵令嬢が愉快そうに口角を引き上げた。
恐らく婚約者の位置からだとその表情は見えないのだろう。
こちらを挑発するための笑みだ。
……ダメよ、ここで挑発に乗ったら相手の望み通りになってしまうわ。
きっと、レイラ・ベインズ子爵令嬢はわたしが掴みかかってくるか、暴言を吐くかすると考えている。令嬢らしくない振る舞いをすれば、そこを突いて婚約破棄の理由とする。
深呼吸をして、わたくしはニコリと優しく微笑んだ。
「分かりましたわ。ヴィクター様……いいえ、ティペット伯爵令息、婚約破棄を受け入れましょう」
婚約者とレイラ・ベインズ子爵令嬢が驚いた顔をした。
丁寧にその場でカーテシーを行う。
片足を後ろに下げ、もう片足を曲げつつ、スカートを持って美しく広げてみせる。
「どうかお二人とも、お幸せに」
……幸せになれるものならね。
顔を上げ、微笑みを維持したまま言う。
「それでは、用事がお済みのようですので、わたしは邪魔になる前に帰らせていただきますわ」
今日は婚約者に呼ばれてティペット伯爵家に来たのだが、己の家という味方しかいない場所に呼び出した上に勝手にレイラ・ベインズ子爵令嬢も招き、婚約破棄を一方的に突きつけるなんて卑怯としか言いようがない。
……いいえ、これで良かったんだわ。
あのまま婚約を続け、結婚しても、家族にはなれなかっただろう。
だから、ここで別れるのはわたしのためにもなる。
それに婚約者がいながら浮気をするような男など、どうせまた同じことを繰り返す。
侍女と共にティペット伯爵家の屋敷から出て、馬車が走り出して、馬車の中で拳を握る。
「あんな浮気男なんてこちらから願い下げですわ!!」
* * * * *
そうして、家に帰って即座にお父様の書斎に向かった。
今日はお母様もお兄様もいるはずなので、侍女にお願いして二人も呼んでもらう。
侍女は全て分かっていますというふうに頷いて動き出す。
わたしはお父様の書斎に着き、その扉を叩いて中へ入った。
室内には茶金の髪に同色の目をしたお父様がいた。
「お父様、お話がありますの」
「ルイザ? 今日はティペット伯爵家に出かけたんじゃなかったのか?」
驚くお父様にわたしは微笑んだ。
「それについて、お母様とお兄様が来てから説明いたしますわ」
来客用のソファーに座り、待っていれば、すぐにお母様とお兄様が来た。
お父様もペンを置いて、立ち上がるとわたしの向かいのソファーに座る。
「お母様、お兄様もどうぞお座りください」
お母様はお父様の横に、お兄様はわたしの横に腰を下ろす。
わたしとお兄様はお母様と同じ色彩で、金髪に青い目をしているし、顔立ちもお母様似だ。
そのせいか、お母様とお兄様とわたしの三人が揃うとお父様はすごく機嫌が良くなるのだが、今日はわたしから漂う気配を感じてなのか真面目な様子だった。
「実は、つい先ほどヴィクター・ティペット伯爵令息に婚約破棄を言い渡されましたわ」
それにお父様達がギョッとした表情で「何だって!?」「何ですって!?」「えっ!?」とそれぞれに声を上げた。お兄様が立ち上がったので、慌てて袖を掴んで止める。
「お兄様、どちらに行かれるおつもりかしら?」
「当然、ティペット伯爵家だ。あの馬鹿令息に決闘を申し込む」
「いいえ、そのようなことは不要ですわ。あんな浮気男と結婚したくありませんもの」
お兄様がソファーに座り直してくれたので、婚約破棄とその理由について説明した。
ティペット伯爵家は家格は上だが、以前は金銭面でやや苦しく、事業が傾いていた。
あのままでは没落してもおかしくない状況で、ティペット伯爵家は嫡男のヴィクターとの婚約を提案する代わりに、我が家に金銭的な援助を申し込んだ。我がビードン子爵家は事業も領地の管理も上手く出来ていて金銭面で余裕があったため、その申し出を受け入れたのだ。
そしてわたしの結納金ということで我が家からティペット伯爵家に支援を行った。
……お父様もお母様もわたしのためを思って婚約を結んでくれたのに。
よりにもよって浮気で婚約破棄されるなんて。
話し終えるとお父様が微笑んだ。
「そうか。分かった。あちらが婚約を破棄するというなら、こちらも公的な手段に出よう。あまりに一方的な言い分によるものだし、ルイザのスキルについて漏らしているし、浮気もした。支援で渡していた額だけを返してもらって終わり、などとは言わせん」
「ええ、そうですわね、あなた。きちんと慰謝料をもらい、処罰も受けさせましょう」
「父上、貴族裁判の書類は私が王城まで責任を持って持って行きます」
お父様だけでなく、お母様とお兄様も笑顔である。
……あら、やっぱり家族は似るって本当ね。
笑顔なのにとても怒っているのが伝わってくる。
「ルイザ、しばらくゆっくりと休みなさい。裁判は私のほうで行おう」
「はい、お願いいたします、お父様」
お兄様が立ち上がり、目の前に手が差し出される。
「部屋まで送るよ、ルイザ」
その手を取って立ち上がる。
「ルイザ、ごめんなさい」
「私達がもっときちんとあの男の性格を見抜けていれば……すまない」
謝るお母様とお父様に、わたしは首を横に振った。
「お父様とお母様がわたしのために婚約を結んでくれたことは知っておりますわ。ですから、謝らないでください。大好きなお父様とお母様には笑顔でいてもらいたいですもの」
「ああ、ルイザ……!」
と、立ち上がったお母様がテーブルを避け、わたしを抱き締めた。
お母様の背中に手を回し、抱き締め返す。
「大丈夫です。わたしは傷付いておりませんわ」
それよりも、前世の記憶を取り戻したことで試してみたいことがあった。
* * * * *
お兄様に自室まで送ってもらい、中に入ると侍女がお茶の用意をしてくれていた。
「お嬢様、どうぞ」
椅子に座ると紅茶の入ったティーカップが置かれる。
「ありがとう」と礼を伝えてから飲めば、わたし好みの味だった。
ほんの少し長めに抽出した、やや濃い目の紅茶に蜂蜜をティースプーン一杯分入れたもの。
疲れた時はもっと入れることもあるけれど、今はこれくらいのほのかな甘さが丁度いい。
目を閉じるとレイラ・ベインズ子爵令嬢の得意げな笑みが瞼の裏に浮かんだ。
……いけない、イライラするなんて淑女らしくないわ。
もう一口紅茶を飲み、心を落ち着ける。
お茶用のクッキーを食べ、紅茶を一杯飲んで、一息吐く。
ティーカップをテーブルに置けば、新しい紅茶が注がれる。
もう一度、一口それを飲む。
「ごめんなさい、少し一人にしてもらってもいいかしら?」
「はい、何かご用の際はお呼びください」
侍女が一礼し、部屋から出て行った。
「……さて、と」
心の中で『スキル確認』と念じると目の前に半透明の淡い青色の『画面』が出てきた。
前世の記憶を思い出してから改めてそれを見ると、なんだか違和感が強い。
これは自分にしか見えないもので、己のスキルを確認するための手段である。
半透明の画面の上にはわたしの名前があり、横に『スキル:紙製品召喚』と書かれていた。
……そう、わたしのスキルは紙で出来たものを生み出す能力だった。
でも、出せるのは茶色の粗雑な紙だけで、他に何も出せなかった。
だから『役立たず』と言われたのだけれど──……。
画面の文字をもう一度見直す。
「これは『トイレットペーパー』と『ティッシュ』よね?」
以前は意味が分からなかったが、記憶を取り戻した今なら理解出来る。
粗雑な紙だけでなく『トイレットペーパー』と『ティッシュ』も多分、今は出せる。
それがどんな物なのかある程度の理解がなければ生み出せないのかもしれない。
試しに掌を上に向けて呟く。
「『トイレットペーパー召喚』」
魔力が消費され、体から何かが抜けていく感覚と同時に、ポン、と掌にそれが現れた。
……やっぱり、どう見てもトイレットペーパーだわ!
触って確かめる。若干灰色がかった白で、紙は一枚のシングルタイプ。それに触り心地の硬さと薄さを考えると、恐らく安いものだ。でも、これは紛うことなきトイレットペーパーである。
この世界にも紙は存在するけれど、あまり質が良くない。
基本的に使われるのは羊皮紙で、本として必要な場合は紙で作られているものの繊維があって書きにくく、色も淡い茶色というかベージュのような色合いだ。
そして、ここが一番重要だが、トイレ用の紙は更に粗悪な紙だ。
茶色のザラザラとした固く粗雑な紙で──……ハッキリとは言わないが色々と痛いし、使いにくく、けれどもそれ以外に拭くものがないので人々はその雑紙を使って用を済ませている。
しかも雑紙は流せないのでゴミとして別に捨てるのだが、そのせいでどこのトイレも臭いというのが当たり前だ。
そこに突然このトイレットペーパーが現れたらどうなるだろうか。
これまでの雑紙に比べて柔らかく、薄いものの、肌触りはずっと良い。
それに雑紙を何十枚も積み重ねておくより見栄えも良いし、少なくとも、雑紙を流してしまいトイレが詰まるということは減る。
「……これは売れるわ……!」
事業として立ち上げても良いけれど、それよりももっと有用な使い方がある。
わたしはすぐに立ち上がると自室を飛び出した。
お父様の書斎にもう一度向かう。
後ろから侍女が「お嬢様!?」と慌てた様子で追いかけてくる。
トイレットペーパーはきっとこの世界の人々から見たら革新的なものだろう。
……絶対に売れますわね!
思わず、お父様の書斎の扉を勢い良く開けてしまった。
「お父様、わたしの結婚相手を探してくださいませ!」
トイレットペーパーを使えば、結婚相手も捕まえることが出来るかもしれない。
今から婚約者を探しても、わたしと年齢が釣り合う貴族の男性は見つからないと思う。
それなら、貴族ではなく『貴族になり得るかもしれない人』と結婚すればいい。
「結婚相手の条件は『将来有望な商人』ですわ!」