第99話 1556年(弘治二年)7月 横田
足利義輝と細川藤孝は横田に来ている。横田は鉄の生産拠点であると同時に、尼子の技術研究所としての側面を強く持つようになった。今は義久の転生前の世界でさつま芋と呼ばれている植物の試験栽培が行われている。
「これは見たことがない。赤い自然薯か?」
「『甘藷』と申します。連作に強く米を作るに適さない場所でも植えることが出来ます。飢饉に備える意味でも領内に広めていくつもりです。ちょっと熱いのですが、召し上がってください」
義久がふかした甘藷を義輝と藤孝に渡す。冷たい水も一緒に。二人はハフハフと息を吐きながら焼き芋?を食べる。
「甘いのう。なかなか美味しいではないか」
「確かに甘みがありまする」
歩きながらたたら場に向かう。屋根の下で天秤ふいごが風を炉に送る。
「このような大きな炉を使うとは聞いたことがない」
藤孝はしげしげと炉を眺める。
「初めて見るが大したものじや」
義輝は首を動かしながら炉を見回す。
「更に多く鉄を作れる炉を考えております」
義久の言葉に藤孝がふり向く。
「なんと、これ以上の炉を作るともうすか」
「まだ作れるまでは行っておりませんがゆくゆくは作るつもりです。国づくりの為に鉄はもっと必要ですから」
義久の言葉に藤孝は頷き、義輝は義久の顔を覗き込む。
「出雲守、次は何処に行くのじゃ」
「はっ。今日は横田にてお泊まりいただき、明日は学校を案内致します。下野国の足利学校にも勝るとも劣らないと自負しております」
「そうか、楽しみじゃ」
今日の宿である代官所に向かう途中、すれ違う民百姓がこぞって挨拶をする。その者たちに義久は声をかける。百姓と他愛もない話をしたり、様子を聞いたりと話をする。
杵築でも八雲でもそしてここ横田でも繰り返される義久と民百姓との交わり。武士と百姓、目上の人と下賤な者が声を交わすなどあり得ないこと。それらを根底から否定しているその様は、義輝と藤孝にじんわりと浸透していく。
次の日、八雲の学校に行く。平家丸城(転生前では出雲高校が立つ)を改築し学校として使っている。
「以前は寺子屋と呼んでいましたが、学校と名を改めました。漢字と仮名の読み書きとアラビア数字というものを使い算術を教えています。清水寺と鰐淵寺からも先生として僧侶が来ています。仏の話はもちろん無しです」
子供もいれば大人もいる。殆んどが民百姓だ。
「武家は自前で子供たちの教育を行うので学校は主に民百姓を相手にします。いずれは武家も民百姓も通う学校を作りたいと思っております」
足利義輝と細川藤孝は目を剥いた。
「武家と百姓が一緒に学ぶだと!!!」
「はい。学校で学んだ子供たちは尼子の文官としてだけでなく、商家や職人からも盛んに送ってほしいと言われます。これからは学んだ者でなければ通用しなくなるでしょう。ならば尼子の学校で習うことが出世の近道になります。武家とか百姓とかはあまり関係なくなります」
「しかし武の力も必要であろう。戦に備えなければ滅ぶではないか!」
「上様、そのとおりにございます。学校の次にそれをお見せしましょう」
松寄に設けられた尼子直轄軍駐屯地にやって来た。百人余りの新足軽たちが隊列を組んで行進する。鎧兜を着け火縄銃に模した木の模型を持ち、一糸乱れることなく行進は続く。侍大将の下知が飛ぶたび隊列の動きは様々に変化する。義久のいうところの『集団行動』だ。尼子の足軽の基本はこの集団行動と、走り込みによる体力強化と、美味い飯をたらふく食うことだ。それに読み書き算術が加わる。
「…ただの雇い兵ではないな」
足利義輝は尼子と共に三好長慶と戦ったが、改めて尼子軍の強さを感じていた。これで半年程鍛錬を積んだ足軽だという。とても信じられない。歴戦の叩き上げと言ってもいい軍の練度だ。
「此奴らの身分はどうなっておるのだ」
「はい。兵の多くは民百姓の跡取りでない次男、三男など、そして出雲にやって来た流民やその息子たちです。武家の息子達もおります。侍大将などの指揮をする者には武家出身が多いですが百姓や流民出身の者もおります」
「それで示しがつくのか?」
「尼子の兵法は全く新しきもの、武家も民百姓も習い始めは同じでございます。上様もご存じてはないですか。家柄で戦をするものではないということを」
「うむ…」
「戰場では皆が同じく命をかけています。そこに必要なのは先ずは強き意志。其処に武家も百姓も関係ありませぬ。武士にも百姓にも阿呆はおります。同じように優れた者も。ある意味、尼子の軍は一番家柄を無視している集団であります。ここにあるのは尼子という国への忠義のみでございます」
「お主ではなく、国と申すか」
「はい。私が死んでも国は残ります。家を残すというのとは少し違いますが、国が大事にございます」
その後、種子島の実弾射撃訓練も行った。
「弾を込めて調練するのか!」
「はい。撃ってみなければ分かりません。できるだけ弾を込めた調練を行います」
「なんと贅沢な。調練で種子島を撃つとは…」
細川藤孝は頭の中で金勘定をしている。足利義輝は頷いている。確かに持っているだけでは意味がない。使いこなせてナンボだ。自分も剣の師に習い、修練を積み己の技としたのでその理屈は充分過ぎるほど分かっている。
しかし、その種子島を撃つ銭は何処から出ているのか。
「大森と生野は尼子の力の源よの」
「確かに銀山を手に入れたことは大きな出来事でござます。多大な恩恵を受けているのは事実。狙っておりました。しかしいずれ銀は無くなります。もっとも頼れるのはやはり己の頭で考えた知恵と知識でございます」
「銀山だけにあらずか」
「左様にございます」
休みを一日挟んで次に大森銀山と温泉津に向かった。過酷な間歩での坑夫の仕事と灰吹による毒について説明を受け、銀山の現実をみた。山陰道随一の歓楽街と化した温泉津の宿場町も覗いた。
温泉にゆっくりと浸かり疲れをとり夕餉をとる。
「上様、私が案内したかった場所は全て回りました。明日からは八雲にて暫し過ごされてくださいませ。そう長くは京を留守にはできないと思い、駆け足でご案内せざるをえなくなり申し訳ございません。まだ何処か見たい場所やものがあればできるだけご希望に添いたいと思っております」
「うむ…少し考えておこう。その時はよろしく頼むぞ」
「はっ。心得ましてござります」
寝所に入る前、足利義輝は細川藤孝と話をした。
「見せたいとこは見せたと申しておったのう。出雲守の言いたいことは何だと思う?」
「…お告げとそれを受けての自身の動き方でございましょうか。武家の考えからは随分外れております。そしてその考えをもって国を作る…成し遂げていることも多いと感じました」
「…あやつの言うお告げ。自己を飾り立てる方便かと思っておったが、どうやらそうではないようじゃ。不思議なやつじゃ。武家としてはあまりに異質、故に滅ぼさねばならんと思うところだが何故かそういう気になれぬ」
細川藤孝は下を向く。
「与一郎、そちはどうじゃ。尼子は敵か?」
「出雲守は問うております。上様はお味方になられるのかと」
「仮に儂が尼子討伐を諸国に発したとして、それが叶うか?」
「兵の数だけで考えれば三好、六角、大友の三国が従えば形にはなります。近江以東は来ないでしょう」
「毛利は」
「毛利は…尼子との盟約を反故にするに足る理由があれば。それが何なのか分かりませぬ。仮に毛利が来たとして尼子を下すのは容易ではありません。多くの民百姓が尼子を守るため死兵と化すでしょう」
「そうじゃの。出雲の民は尼子を敬っておる。国と尼子の為に戦うじゃろう…儂の問は意味を持たん。結局は今までの繰り返しになるだけじゃ。守護大名同士の力を等しくするために動く。それだけじゃ。よし、明日は出雲守と語らう時間としよう。お告げを更に聞き出すとするか」
「はっ」
次の日から義輝は義久と語り合った。前には南蛮についての話を主にしたが、それ以外の国や地理、歴史、科学的な知識、政治体制など話の内容は多岐にわたった。
「上様、少々我儘を申して構いませんでしょうか」
「うむ、申してみよ」
語らい始めて三日ほど経った頃、義久が義輝に願いを告げた。
「実は行ってみたい場所がございます。何の変哲もない海でございますが、なかなか行く機会がございません。なので其処に行きとうございます。上様もと仰るのであればお連れ致します」
「ふむ、海とな。どこじゃ」
「日御碕の先にある野呂という所でございます」
こうして義久は義輝、藤孝を野呂に連れて行くことになった。海際で夕餉を食べながら息抜きをしようと言うことで、菊と通も連れて行く。
おわし浜から船で野呂に向かう。陸路は狭く不便だからだ。目的地の船着き場で降りて天然の隧道を進む。左下には海の水。まるで川のようだ。隧道を進み切ると綺麗なため池のような内海がある。
「ほう、なかなか静かで心休まるのう」
義輝と藤孝は鏡面のように静かな水面を見つめる。伴の者と奥方たちは夕餉の準備に取り掛かった。獲りたてのアワビ、サザエ、ニナ、タコが運ばれてくる。
「出雲守、何故此処に来たかったのじゃ」
「はい、此処はお告げに現れた場所なのです。以前一度訪れたのですが、特に何もなく心当たりもない故不思議に思っていました。景色も雰囲気も気に入りましたし、気になっていましたのでまた来ようと思っていたのです。なので我儘を申しました」
「ほう、左様か。意味がないお告げもあるということか」
「そうかもしれません」
暫くして火が起こされ貝飯が炊かれる。焼けたタコやイカ、鯛の刺し身などをツマミに酒宴が始まる。
「上様、海に入りたいので少しの間場を離れます」
「真面目よのう。此処に来て水練をすると申すか」
「いえ、ただ軽く泳ぐだけにございます。ではごゆっくりなさってくださいませ」
そう言って義久は天然のプールの様な海に入って泳ぎ出した。妻たちを誘ったら先ずはと菊が付いてきた。船に乗って。
「なんだ菊は泳がないのか」
「上様の手前、そんなはしたない事はできません!御屋形様ぐらいでございます。将軍様の前でのうのうと泳ぐなど誰ができましょうか」
菊は苦笑しながら船上から義久を眺める。泳いでいくと左右の崖の間に外海が見えてきた。野呂は二カ所で外海と繋がっている。今見ているのは来たときとは別の場所だ。
菊は外海を暫く眺めていたが、おもむろに視線を義久に移した。そのとき義久の顔は驚愕の感情に支配されていた。
何事!?と菊が声をかけようとしたとき義久が口を開ける。
「えっ!叔父さん」
菊は義久が発した言葉を吟味する。
(おじさん…義久様の伯父様はとうに他界されておられる。故に大御所様が尼子の嫡男になられた。そして叔父様はいらっしゃらない。国久様は大叔父さま。それにしてもあの驚きようからは恐れや不快さを感じない。一体おじさんとは誰?)
「御屋形様、いかがなされましたか?」
菊の声掛けに気付いた義久は返答する。
「お、ああ。何でもない。そうだな。上様をお待たせするのもいかんな。よし帰ろう。うん、帰ろう」
そう言って義久は反転し皆が寛ぐ岸に向ぎ始めた。その後、義久に変わった様子はなく一行はゆっくりとした時間を過ごし杵築の北島屋敷に戻っていった。
その日の夜。菊は国引きの伝承が残る稲佐の浜に来ていた。下弦の月が海を照らす。
菊は浜の正面から少し北の方を見ていた。野呂に近い方角を。両手を組み目を閉じる。
(義久様の前に現れた貴人さま。お目通りが叶うなら私にもお姿をお見せくださいませ)
五分いやそれ以上たったであろう。胸にさざ波を覚え静かに目を開ける。海の上に白銀の社が浮かび上がった。そしてその下に手漕ぎボートに乗る一人の男性。年は若く三十路か。遠くにいるのにもかかわらず、菊にはその男性の顔がハッキリ見えた。雰囲気が似ている、義久様に。着ている服は見たことがない。柔らかな笑みを浮かべるその人はゆっくり微笑んだ。声なき声が聞こえる。
(…を、よ し ひ さ …たの む…)
そしてその人は消えていった。鳥居の中に不思議な景色が浮かぶ。天にも届く建物?が幾つも並んでいる。沢山の人々が歩いている。中が見える籠に人が乗っている。大きな船がやって来る。流れるように景色が変わりやがて鳥居と共に見えなくなった。
深く息を吐き、屋敷に戻ろうと身体の向きを変えた菊の頭の中でパキーンと音が鳴る。えっ、次は何?
浮かぶ情景。二人の男子。ひとりは、ああ間違いない大王。その傍らに立つ者は、そうか大将軍。二人は君子と臣下であり友であった。菊の身体は弥山に向いていた。
全てを理解した。義久様と義輝様がいたからこそ成された邂逅。時と宙を超えた縁の繋がり。
菊は再び心に刻む。この世に遣わされた義久様を必ずお守りすると。
京に上る前日、足利義輝は義弟である武田義統と彼に嫁いだ妹と会っている。
「上様、お久しぶりにございます。京への帰還、誠におめでとうございます」
武田義統と妻は頭をたれる。
「二人とも元気そうで何よりじゃ。妹よ、尼子はしっかり勤めておるか」
「はい。出雲守殿にはよくしてもらっております。兄様が京に戻られてからは更に良き計らいを受けております」
「うむ、安心したぞ。さて義弟よ、今から儂が言う事を肝に命じよ」
「はっ。何なりとお申し付けくださいませ」
武田義統は尼子から離れ若狭に戻り所領を安堵され、武田当主に返り咲き上様直参として幕府の要職に就けると思うと顔が自然とニヤけてきた。待った甲斐があったぞ。
「尼子の政、民百姓の御し方、商いの方法、軍の作りと鍛え方そして学校の動かし方。これらを真摯に学び我が物とするのじゃ。出雲守には話をつけてある。よいか、温むでないぞ。儂が呼びつけるまでしかと励め!」
「…は?ははーっ」
思っていたのと全然違ったが最後の呼びつけるに望みをかけた武田義統は平伏する。
義輝はサッと立ち上がり部屋を出た。
「上様、モノになるでしょうか?」
「ま、やれるだけやらせてみるのじゃ。妹に尻を叩かせれば何とかなると思いたいのう。とにかく人がいるからのう」
「御意」
足利義輝は京に戻り新たな動きを始めるつもりだ。先ずは足利学校を作る。尼子の支援を受け尼子より先に京で学校を始め、幅広く人材を育成する。次に奉公衆を再編し精強な軍を作る。これも軍事目付を尼子から呼ぶ。何気に丸投げできるところは丸投げする。いま尼子は副管領だ。大義名分は立つ。三好、六角が難癖をつけるだろう。だがなんとかしてみよう。
以前から思っていたこと。確固たる武力が必要だ。其の為には単純に銭が必要だ。その銭を作り出す仕組みが必要だ。今の義輝にはソレが無い。ならばある所を利用すればいい。尼子が、義久が義輝を出雲に招いたと言うことは敵対したくないということ。ならばそれに乗ろう。そしていつかは…
「うむ、面白い」
覇気に満ちた義輝を久しぶりに見た藤孝も同じく気合が乗っている。
義久に関わり大きく運命が変わった者がまた一人。