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偽典尼子軍記  作者: 卦位
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第98話 1556年(弘治二年)7月 出雲

 尼子の朱印船が敦賀を出て西に進む。行く先は宇龍だ。この朱印船は特別仕立てで主に三条公頼公が使う船、『回遊船』と呼ばれている。船名は北山丸という。あと1隻、同じ形式の船があり尼子晴久や義久が使っている。(大黒語で『ぷらいべーとくるーず』と呼ぶが、菊が首を傾げたのでイマイチ普及してない)船名は横田丸。

 義久が乗る横田丸が先行し、三条公頼と足利義輝が乗る北山丸が後ろに続く。そして二つの回遊船の前後に尼子水軍の護衛が走っている。船の左手には山が見える。

「あの山は伯耆富士(ほうきふじ)大山(だいせん))にございますな。あと三刻ほどで宇龍に着くでしょう」

 三条公頼が声を掛ける。

「詳しいのう。左大臣殿はよく船を使われるのか」

「ええ、今では陸路より海を行くほうが楽でございます」

 尼子のお陰で九死に一生を得、出雲の地に逗留していた三条公頼は尼子の上洛とともに京に舞い戻り、尼子の熱烈な支持者として京で活動を始めた。それまで将軍を追い落とし、畿内に覇を唱えた三好に靡いていた朝廷と公家は、とつぜん上洛してきた尼子に驚きその同盟者のように振る舞う三条公頼を訝しんだ。しかし三好と和睦し将軍を京に連れ戻したかと思えば、京を牛耳る比叡山延暦寺を焼き討ちし天台宗を屈服させた尼子に対してどう向き合うべきか、色んな思惑、立場、考えが錯綜する。

 そして武家の棟梁である足利将軍が尼子の領国出雲に足を運ぶとなり、今後何が起こるのか京の耳目はその成り行きを固唾をのんで見守っている。三好も六角も表向きはこれといった動きを見せてないが、その内心はいかほどか。

 そのような外野の動きを一切気にかけることもない海の上で、足利義輝は遠くの水平線と反対側に見える陸地を交互に見ていた。

「左大臣殿はどのようにして出雲にいかれたのだ。よければその時のあらましを聞かしてはくれぬか」

 義輝の問いに三条公頼は遠い目をしながら答えた。

「私が大内義隆殿と共に築山の館で能の興行を鑑賞しておったところ、陶の謀反の話が飛び込んできました。なんの戯言と思うておりましたが真であるとわかり、大内殿と逃げておりました。しかし警護の兵どもも逃げ出しどうなることかと生きた心地がだんだんと薄れていったとき、一人の乱破がやってきて連れ出してくれたのです。その乱破の手引で萩から船に乗ることが出来ました」

「その船が尼子の船だったと」

「いかにも。船は何艘もあり私が乗った船が出たあとも湊に留まっておりました。後で聞いたところ多くの職人を乗せるため留まっていたとのこと。今の出雲を支える大切な職人たちでございます」

「…尼子は陶の謀反を知っていたのだな」

「そうにございます。驚くべきこと。如何に知り得たのか私には考えつきませんが。それを直感というか、確信したのが宇龍につき船を降りたときでございます」

「むう、何があった」

「はい。船を降りた私を杵築の国造が迎えに出てまいりました。そして其処に京の町でもなかなか見ることが出来ないほどの、とても立派な牛車が三台も待っていたのです。出雲の田舎に牛車でござりますぞ。余りにも周りとそぐわないその牛車を見たとき、全てを見通していた尼子の力に恐れおののきました…私はこの時、尼子こそ日の本を纏めるべきであると思ったのでございます」

「足利幕府ではなく?」

 この義輝の問いに三条公頼は目を伏せ頭を垂れ返答しなかった。そして船室に戻っていった。

「あの者は幕府より帝に近き者だったが、今も変わらずか」

 三条公頼が遷都もしくは帝の行幸を行おうとしていたことを義輝は知っている。その計画は父である足利義晴と遷都反対派の公家達によって潰され、その時三条公頼は亡き者にされるはずであった。大寧寺の変を見ればそうなっていた事は予想がつく。だが三条公頼は生き残った、尼子の手引きによって。

 尼子は帝を出雲に迎えようとするのか。足利から離れ、新たな武家政権を立てるつもりか…此度の出雲行脚で見定めねばならぬ。義輝は先に進む義久が乗る船を睨んだ。


 宇龍の湊の賑わいは相変わらずだ。明船、朱印船、関船が泊り小早が間を巧みにすり抜ける。

 今尼子は宇龍だけでなく多くの湊を整え、船の目的によって入る湊を指定している。宇龍は鉄と硝石、温泉津は銀、杵築湊は日用品。そして新たに伯耆の弓ヶ浜の先端に湊を作った。『境湊』だ。ここはまだ拡張する予定である。いずれ尼子で最も大きな湊になるであろう。北の境、南の堺と呼ばれるようになるのだろうか。それと弓ヶ浜の付け根の米子湊も整備した。主に鷺銅山から銅鉱石がやって来る。他の領国から粗銅もここに集まる。


 足利義輝は湊とそこに停泊している船を見て興奮していた。唐船など見たことは無いし海を見るのも初めてなのだ。小浜を出てからずっと心が躍っている。威厳を保つように努めているがなかなか難しい。

 その様子を見守る細川藤孝の心中は穏やかではない。

 宇龍湊で船を降りた義輝は杵築大社に向かった。北島屋敷で一泊し、次の日八雲の城下町を見学しながら八雲城に向かう。

 北島国造が屋敷についた一行を迎えた。義久と三条公頼も屋敷に泊まる。

 北島国造に三条公頼が挨拶をしながら話をしていた。

「公方様の処遇は?」

「義久様の意向がまだ分からん故、暫し待てとの巫女様のご指示を受けておる」

 北島の返答に三条公頼は軽く頷いた。

「全ては義久様しだいか。如何にお考えなのかの」


 次の日、尼子義久の案内を受けながら足利義輝は杵築の門前町を歩く。杵築大社に向かう民百姓たちとすれ違い、道の端に並ぶ露店を覗く。売られている品物の種類の多様さに驚き、皆が銭を使い売り買いをしている事に目を見張る。使われている銭は明銭と米子通宝が多く材質も良い。

 門前町を抜け斐伊川の西流に架かる宇迦橋を渡る。神門水海かんどのみずうみを右手に見ながら南に進み山陰道に至り東に進む。

 白枝辺りに来ると南に五層五階の八雲城が見えてくる。半里ほど進むと山陰道と本町通りの交差点についた。

 南にまっすぐ八雲城まで続く本町通りは道幅十三間(約23.63m)。中町通り、扇町通りも同じく十三間だ。道端には杵築と同じように露店が並ぶが数は圧倒的にこちらが多い。周辺の村からも多くの民百姓がやってくるのだ。楽市を実施しているので、誰もが物を売れる。中町には尼子御用商人である坪井家が常設店を出している。目玉は木綿と絹の服、大内塗(漆器)だ。高い商品から手頃な物まで幅広く揃えてある。扇町は主に食品が売られている。中町から少し南の代官町通り(義久が命名した)には飲食店が並んでいる。

 そして何と言っても人の数だ。大内の都である山口が六万から八万の人口を抱えていたのに対し、八雲は弘治二年で四万を超える人口を抱えその数はさらに増えていくと見られている。北山に向かって水田が伸びていき、斐伊川東流を利用した宍道湖の埋め立てが進み食糧生産の増加が確保されているのも大きい。平田、温泉津、大田、安来、米子も同じく人口増加現象が見て取れる。

 物乞いがいない。放置された死体もない。民百姓が着ている服も質素だが決してみすぼらしい訳では無い。皆がそれなりの服を着ている。『かわら版』なる読み物を手にしている者が多い。何が書いてあるのだ、その前に百姓が字を読めるのか。何故それを読むのだ…。

 本町通りの先にある八雲城。地面から三十と半間(55.6m)の高さを誇る尼子自慢の平城は文字通り義輝の度肝を抜いた。こんな城は見たことがない。近づくほどその威容が圧を増す。

 足利義輝は八雲城と城下の賑わいを目の当たりにし、己の権威について考える。儂が一声放てば諸国の大名が応じるのであろうか。自分の力で自国を富ませた大名が、将軍に素直に従うものなのか。否、そのようなことは…自分が築いて来た富を、其の為に支払った時間と労力を簡単に他人に渡す者などいない。嘉吉の乱、応仁の乱、明応の政変などを通して足利将軍の権威は失墜し室町幕府の支配体系は崩壊した。今、日の本の各地で力を持つ大名は己の力で立つ者たちだ。その一つである尼子は、その領国は京とその周辺しか知らない足利義輝にとって、ただただ驚くことしか出来ない、理解しがたい国であった。なぜここの百姓どもはこんなにも笑っているのだ。義輝は八雲城に入りながら思う。このままではいけない、何かを掴み取らねければならない。まだ見えぬ何かを、必ず。

 

「上様、これをご覧になってください。南蛮人から手に入れたものでございます」

 八雲城の中、来賓の間において尼子義久はあるものを義輝に差し出した。

「この丸いものはなんだ」

「地球儀と申します。丸い地図と考えてくださいませ。これが私達がいるこの大地にございます。そしてここ、島ですがここが日の本にございます。大地は丸く船で漕ぎ出せば回り回ってもと出た湊に戻ってくるのです。現にそのようにして戻ってきた南蛮人がおりまする」

 細川藤孝が声を挟む。

「この大地が丸いなど、馬鹿な!海の水がこぼれ落ちるではないか」

 義久は続けた。

「ものは大地に落ちまする。よって海の水も大地に落ちてそこに留まっているのです」

「…」

 黙り込んだ藤孝に変わり義輝が問う。

「なぜ丸いとわかるのだ」

「海の彼方からやってくる船は最初から船全体が見えるのではなく、帆先が始めに見え段々と下の部分が見えてきます。遠ざかるときも同じく最後まで見えるのが帆先にございます。それに船から見る海の先はよく見ると少しまるくなっております。」

 義輝も暫く無言になり考えていたがおもむろに義久に聞いた。

「明国はどこじゃ」

「ここあたりです」

「南蛮はどこじゃ」

「ここがポルトガル、その横がスペインです」

 義輝は顔を上げ義久を覗き込んだ。

「なぜ儂にこのようなものを見せるのだ」

「上様に世界を知っていただきたいからでございます。少なくとも日の本における力である武家の棟梁として、知っておかなくてはならないことと思い持ってまいりました。私が受けたお告げが戯言ではないということを知っていただく意味もございます。あまり長く出雲に居られるのも出来ませぬゆえ、とにかくお見せ出来るものはお見せしたいのでございます」

 その後、南蛮の国々について義久は語り、南蛮と如何に接していくのか私見を伝えた。


 八雲城の一室で夜を迎えた義輝は今日という一日を思い起こしていた。はっきり言って頭がついて行ってない。だが不快な感じはしなかった。

「与一郎、今日はどうであった」

「はっ。驚くばかりにございます」

「儂もじゃ。寝れそうにないわ。明日はどうなるかのう」

 義輝は少しだけ笑っていた。





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