第96話 1556年(弘治二年)5月〜近江、京
日吉神社の西本宮の前に出雲国造、千家高勝が立ち、その後ろに神人達が腰を傾け、礼をしている。国造が祝詞を上げる。西本宮の祭神、大己貴神は大国主大神の別名だ。故に日吉神社は杵築大社と同じ神を祀っている。今日から日吉神社は日吉大社と名を改め、杵築大社の下、大国主大神の御心を日ノ本にひろめて行くことになる。
去年の話だ。家族会議が終わって俺は杵築に行き、国造共と会ってきた。俺はこの先近江の日吉神社を掌握し、日吉神社を使って大国主大神を崇める民百姓を全国規模で増やしていくという考えを国造に示した。それを聞いた国造は…
「な、何と言う遠大なお話。御屋形様の神謀にただただ感服し、深く深くお礼を申し上げます」
北島、千家両国造は平伏したまま顔を上げようとはしなかった。
「ちょ、ちょっと待て。今すぐというわけにはいかんぞ。こちらも色々と準備がいるからな…もういい加減顔を上げろ」
顔を上げた両国造の満面の笑み。こいつらこんな顔で笑えるんだ。初めて見たぞ、コイツらが喜んでるの。
今までさんざん無理難題ばかり押し付けてきた国造に対して今後の事を思い予防として、なおかつ先手をとって黙らせるつもりでこの提案をしたのだが…なんかメッチャ効いてるぞ。信仰心とは怖ろしいな。これで当分の間天にも届く高層建造物に杵築本殿を改築しろとは言わんだろう。
そして今日、千家高勝がやってきて正式に日吉大社の宮司に就任した。延暦寺の影響下にあった京の八坂神社も同じく杵築の傘下に入った。
国造を黙らせるという目的もあったが、杵築は俺を支える重要なパーツだ。尼子の武と杵築への信仰心という二つが今の俺の統治の仕方になっている。初めはここまで杵築が友好的になるとは思っていなかった。出雲に根付く勢力として杵築は無視できなかったので、なんとか取り込もうとしただけだ。よくわからん事象が絡んでいるがとにかく杵築は俺に敵対しなかった。ならばこれからもっと積極的に杵築を使えないだろうか、との考えから日吉神社を杵築の傘下に組み込むという考えが浮かんだ。日ノ本オリジナルの神道を使い、宗教勢力を束ねる。というか民心を掌握する。仏教もバテレンもできるだけ弾圧せず、信者の獲得を持って制圧する。もちろん寺社の権益は取り上げるし、杵築も含め宗教勢力は政治には関与させない。
これから杵築の御師と日吉の神人が日ノ本を駆け巡り、大国主大神に対する信仰心を普及し『杵築詣で』と『日吉詣で』を広めていくのだ。八坂神社も京の民に根付かせよう。あと丹波の出雲神社も忘れず関係を保たないとな。
今回の日吉大社の件で日吉が行っていた私出挙に対して徳政令をだした。もちろん大国主大神の御心であると確実に宣伝活動を行う。今後の私出挙について利息を収穫の一割五分とし、向こう三年間は一割にするキャンペーンも合わせて実施する。出挙の日吉として名を轟かせるぞ!
延暦寺は燃やした。比叡山は尼子の管理下においた。当分放置だ。何に使うかは考えてないな。そのうち何かに使うだろう。応胤入道親王は武田信玄に救いを求めて京を発ち甲斐に向かった。
日吉神社、いやもう大社か。そのことばかり考えていたので延暦寺が持つ権益や荘園についてはあまり考えてなかった。尼子の領内に延暦寺があったのなら、そのまま全て引き取りでいいんだが延暦寺があるのは近江だ。俺がたちまちどうこう出来る立場にない。なので今回のように物事が進んでいったのだが…正直言って驚いている。六角の手際が鮮やかだった。
思い起こせば鰐淵寺と新宮党の反乱、毛利からの同盟申し込み、延暦寺焼き討ちと俺が知っている歴史との乖離が随分と起こっている。だいたい尼子がこんなに多くの国を支配していること事態が違いすぎるんだ。これからも何が起こるか分からない。初心に戻ろう。遣り切ろう。
妙覚寺は現在、足利幕府の御所だ。足利義輝は此処で政務を行っている。京の都で起きる色んな訴えを裁くのが、将軍の主な仕事になっている。経済的な訴訟を政所沙汰というが、これを担当する政所方のトップである政所頭人は伊勢貞孝だ。伊勢氏は二百年以上この職を世襲している。伊勢貞孝は俺から言わせれば三好長慶の腰巾着だ。伊勢は義輝にも反抗的だ。そして経済に関する訴訟を捌くため経済利権を手にしているし、京を直接支配していることにもなる。将軍や側近は代々政所沙汰に関与していないので伊勢のやりたい放題になっているのだ。義輝もこのことに頭を痛めていた。
俺は延暦寺が下京に持っていた土地をそのまま尼子の管理地とした。ここに楽市を開き、山城屋を移転させ大きく商いを始め、京の町衆も上手く傘下に治めたいと考えていた。
ところが伊勢が横槍を入れてきた。息のかかった寺社が訴えを起こし楽市の設置に反対してきたのだ。これに関しては裏で圧力をかけて訴えを取り下げさした。すると次は楽市での油の商いを中止せよ、京での油の商いは大山崎の油座にておこなえとの沙汰を出してきた。大山崎の油座は応仁の乱以降衰退していたが、幕府は形式上油座を保護しており(昔から続いているから)このような沙汰を出すに至ったのだ。
実際問題、幕府は今まで油販売において大山崎に便宜を図る沙汰を出してきたが今の時点でそれは形骸化している。油を取る方法は技術的にそんなに難しいことではない。なのでいろんな者たちが油を自分たちで売り出し、大山崎の影響力は京の周辺に限られてきたのだ。それに奈良の興福寺のように大山崎が全く入り込めなかった商圏もある。
しかし伊勢貞孝は大山崎の訴えを利用し、尼子の商いを妨害してきたのだ。下京の楽市で油を売っていた商人を、伊勢の私兵を使って楽市の外で取り締まるようなことも始めた。もとより幕府が大山崎を保護してきたので名分は立つ。
俺は対抗措置として油を八坂神社の市で売ることにした。なんか言ってきたら神社で油使うし、余った分を売るから文句ないだろう!という全くのゴリ押し強弁で突っぱねる。八坂神社の宮司よ、とりあえず頑張れ。(いやー。尼子はブラック会社どころか反社会勢力だな)
こういう感じで経済面でも俺を、尼子を邪魔してやろうという輩が出てきている。
今に見てろ。纏めて潰してやる。
幕府が次に行っているのは都の治安維持だ。こちらの方は何とか形だけ取り繕っているというのが現状だ。足利幕府にとって京は領地と言っていい。なので京の治安はとても大事なのだが…実際には京の町衆が担当している。ま、自警団による自治ということだ。最近幕府にもちょっと余裕が出来たとは思うが洛中で常時警備を行えるかというとまだだ。尼子、三好、六角を除くとやはり将軍直属の武力は多くても二千ほど。この兵力から警備兵をだすと将軍を守る兵力が不足する。三好も京に軍を置いているが、押さえた荘園を守るほどの人数しか置いてない。荘園を返す気は無いな。
よし。為清に言って警備兵を組織させよう。治安も良くなり尼子の名前も上がる。地道に民百姓の支持を取り付けないとな。
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弘治二年四月。越前の朝倉義景と加賀一向一揆の間に和睦が成立した。朝倉軍は加賀より撤兵した。朝倉としては面子が守られ、一向一揆としては平和が訪れるという双方にとって良き?和睦だ。
足利義輝の調停によって和睦は成された。この事は将軍の権威が、まだまだ健在であることを示した。
将軍の権威の復活を喜ぶのは誰だろう。
民百姓は戦乱のない平和を望む。権威が役立つなら喜ぶだろう。
各地の大名はどうだ。己の領国を支配するのに役立つならば権威を持ち出すだろう。それだけの事だ。
寺社は特に変わらないだろう。武家には依存してないし、お互いに利用しあう関係だ。
朝廷は将軍以上の権威を持つ。よって足利幕府に特に肩入れすることはない。その時の力ある者に権威を与えるだけ。
よって足利将軍の権威がまだあり、それがさらに高まったとしても、足利幕府の現況は特に変わりが無い。足利義輝はじんわりと、そしていつになく真剣に感じていた。
自分は今まで、将軍として何をしてきたのか、これから何をすべきか、何ができるのか。答は出ていない。
義輝は尼子義久を呼び出した。義久は相伴衆の勤めを父の尼子晴久に押し付け自分は好き勝手をしていたが、やっと父と交代し御所にやって来た。
義輝と細川藤孝と尼子義久。三者で会談が行われる。
「出雲守、相伴衆の勤めを果たさず何処で何をしていたのだ」
義輝が質問を投げかける。
「相伴衆の勤めは父が行っておりますゆえ、特に問題は無いものと思っております」
平伏する義久の答えにすかさず細川藤孝が突っ込みを入れる。
「出雲守殿、答えになっておりませんぞ。真摯に返答されよ」
バツの悪そうな顔を一瞬浮かべた義久は、コホンと一つ咳をしたあと、顔を上げて義輝を見て声を出した。
「京の静謐のため、若狭より米を始めとするあらゆる品々を運び込むことに力を尽くしておりました。ところがこれを比叡山延暦寺が邪魔をしてきたのでお山を焼き、普通の野山に戻しておきました。一件落着と思いきや、なんと政所沙汰が下り油を売ってはならぬと政所頭人が申しております。上様、なんとかなりませぬか!」
細川藤孝は驚きのあまり声が出ない。しばらくして義輝の笑い声が響いた。
「面白い、将軍に問いただされても動じることなく、その様な物言いで己の要求をまくし立てる者を始めて見たわ」
義輝も義久をじっと睨む。この先何が話し合われるのか細川藤孝は気が気ではなかった。