第74話 1554年(天文二十三年)2月〜 朽木、但馬
天文二十二年(1553年)二月二十六日に清水寺で自ら三好長慶と和解した足利義藤は三月八日には東山霊山城にはいり長慶との断交を表明する。そして細川晴元と手を組み長慶と戦う。八月一日、東山霊山城に籠城する幕府軍を三好方の今村慶満に落とされ、自身が籠もる船岡山に三好軍が迫って来たことによって足利義藤は京を出て近江朽木を再び御座所とした。
義藤が京を離れた結果、またもや京の政は三好長慶が関与することになる。
その後、年が変わって天文二十三年二月。義藤は名を足利義輝と改めて心機一転をはかる。幕臣の三淵晴員は義輝にある献策を行った。
「上様、尼子でございます。今や山陰道の殆どを手中に収め、若狭まで進み出たこの者を上洛させ、上様の下に従えるべきでございます。尼子には守護職を与えており、上様の偏諱も受けております。必ずや上様のお役に立つことでしょう。管領代と尼子を従えれば三好を撃つこと可能でございます」
「うむ、若狭の妹と義弟はどうなっておるのだ」
「武田義統殿と上様の妹君は出雲に行かれたと聞いております」
「武田信豊はどうなっておるのだ」
「国外追放となっております。六角のもとに身を寄せているとのこと」
「…では若狭武田家は?」
「武田信豊殿の弟、武田信実が尼子家の代官として若狭、丹後を治めております。武田家は存続しておりまする」
義輝は考えに沈んだ。尼子を従えるというのは悪くない、いや全く持って理にかなう策だ。かつて尼子は上洛し幕府のために働こうとした。大内との戦いに破れそれは叶わなかったが、今は違う。幕府から八カ国守護に補任され幕府相伴衆にも任じてある。なんと言っても今や山陰道のうちの七カ国と美作も従える有力大名となっているのだ。
しかし義輝には一抹の疑念があった。尼子は所領安堵を行わない。全ての領地は尼子の管理下に置かれる。今までの大名と違うのだ。それと義弟武田義統と我が妹。なんの迷いもなく出雲に連れて行った。儂には一言も無いにもかわらず。将軍の実の妹と義弟の扱いが粗略にすぎる。儂を軽んじているのか…。
「うむ、尼子に上洛の命を出せ。『御敵三好長慶を討て』とな」
「はっ」
三好、六角、これに尼子か。大きく見ればよき事だ。三竦みは御しやすい。今後更に幕府に従う地方の大名を取り込んでいけば…名を変えて正解だ。
足利義輝は庭園を眺めながら有るべき幕府の姿に想いを馳せる。必ず幕府の威光を取り戻し諸大名を従え、天下に号令をかける。目の奥に緋が走った。
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天文二十一年、尼子の電撃的な侵攻により因幡国を失った山名祐豊は但馬でも影響力を低下させていく。祐豊は生野城の大規模改修を済ませ生野銀山の開発にも着手していたが、但馬国内で掌握していたと言えるのは出石郡のみで、山名四天王と呼ばれる垣屋継成、田結庄是義、八木豊信、太田垣輝信などの国人達は独立色を強めていた。
天文二十三年三月。石見、若狭、丹後を領国化した尼子が遂に但馬に攻め込んだ。
因幡から尼子晴久率いる七千の軍勢(内石見勢二千)、丹後から横道兵庫介、真木上野介朝新率いる三千の軍勢が侵攻し山名祐豊の居城、此隅山城を落とし、四天王たちの城を一つずつ落としていく。山名祐豊は堺に落ちていき四天王達は尼子の軍門に下る。
「四天王とは、片腹痛い。見掛け倒しもいいとこですな」
真木上野介朝新は侮蔑を込めて言い放つ。
「朝新、自重せよ。相手を軽んじるのはただの慢心だ。それより勝ち負けの理に気を向けよ」
「はっ、失礼しました」
此隅山城に戻ってきた二人を三刀屋久扶が迎える。
「お二人ともお疲れ様です。早速ですが大御所様がお待ちです。急がれよ」
二人は素早く下馬し城の奥に向かった。
尼子晴久を前にして佐世清宗、多胡辰敬など重臣たちが一同に会する部屋に入り着座する。
佐世清宗が評定を進行する。「では、評定を始めまする。今後の但馬、丹後、若狭についての方針の確認でございます。大御所様、お願い致します。」
「皆に先持って伝えているように、但馬、丹後、若狭は尼子にとって新たな意味を持つ国である。この三国は尼子の天下掌握の最前線であり、決して譲ることのできない国である。まずは領国の整備を最優先とする。多方面への侵攻は禁ずる。因幡から若狭まで街道の整備はすでに始めている。今年中には終わる。さすれば兵と物の移動も随分と便利になろう。儂は当面此隅山城を居城とする。祝言があるので行き来するが、終わればここを動かん。生野銀山は佐世清宗に任す。暫くは文官仕事が多くなるが抜かりなく励むが良いぞ」
「はっ。大御所様、一つお尋ねしたき事がございます。御屋形様はいかがなされるのでしょうか」
真木朝新が大御所に問うた。
「屋形か…あ奴は何処におるのかようわからん。その都度鳩が飛んでくるので、知らせは届くがな。皆の者も気をつけよ。屋形は突然やってきては無理難題を押し付けてくるぞ」
「確かに、そのとおりでございますな。御屋形様のご命はなかなかに難儀でござるゆえ」
「道理にかなった命しか出しておらんはずだが。俺はなにかまずったか、佐世」
「いや、えっ?!お御屋形様、いつここへ??!」
武将たちが一斉に頭を垂れる。その中を義久が進み、晴久の前で座り臣下の礼をとる。
「大御所様、但馬平定、おめでとうございます。これにて山陰道から戦が消え、民百姓がつつがなく暮らすことができまする。尼子の治世を称える者たちが、国に溢れることでしょう」
「うむ。しかし行く先はまだ遠い。緩むことはできぬぞ。して今日は何用だ。儂に無茶振りはやめよ。それだけは許さん」
「…大御所様もですか。某、皆に疎まれておるのでしょうか…ウォホン、では。今日は三国を束ねる尼子の柱たちが集う滅多にない機会。故に皆の顔を見たくてここに来た。皆のもの、これからもよろしく頼む」
義久はくるりと回り家臣たちに向き合うと軽く礼をした。
慌て恐縮する家臣一同。すぐさま額を床に付けそうな勢いで礼を返す。
「そんなにかしこまらなくてもいいぞ。顔をあげよ。先程大御所様がお話されたことにつけ足したい。よろしいでしょうか」
晴久に許可を得て義久は発言を始めた。
「近いうちに俺は朽木に呼び出されるだろう。京から将軍が不在のまま三好が天下の政を差配していく。朝廷も三好に近づくな。今三好に勝る大名は日の本には存在しない。だが、ここに来て新進気鋭の若手が伸びてきた。その名は尼子家。山陰道を席巻し若狭まで手を伸ばしてきた。幕府が放っておく訳がない。必ず三好を討てと命ずるだろう」
義久は一旦言葉を切った。
「俺は尼子が生き抜き、栄えることが目標だ。幕府も朝廷も関係ない。使えるものは使う、歯向かうなら戦う。朽木には幕府の犬になる為行くのではない。天下が、畿内が尼子が生き残るために必要だから行くのだ。天下を制し、日の本を制し、海の外に乗り出す。これが尼子が目指す道だ。その最前線が但馬、丹後、若狭だ。皆のもの踏ん張りどころだ!いくぞー!」
義久は立ち上がり拳を大きく突き上げた。家臣たちも立ち上がり同じく拳を突き上げる。
家臣たちが退出し、部屋には晴久と義久二人が残った。
「義久よ、菊と毛利の娘との祝言じゃが毛利と陶の戦が終わってから行う。異例だが二人同時に行う。儂は四月には八雲に一度準備をしに帰る。朽木から使者がそろそろ来るであろう。いかに考えておるのだ」
「はい。陶を毛利が倒し、落ち着いて祝言を上げてから朽木に向かおうと思っております」
「うむ、手伝い戦にでるか?」
「はい、私も戦場に身を置かねばヌルみます。石見の国と軍勢も見ておかねばなりません」
「そうよの、石見は尼子の蓄えにならねばのう」
「それと新たに代官を任せられる人が必要です。文官もなんとか増やしております。こちらも厳しいですがやはり代官が…領国の拡大についていっておりません」
「うむ、畿内は人が多い。ここで新たな人材を見つけなばならんな」
「横田衆をつかい使えそうな人材を探させております。良き知らせが来ると思います」
「うむ…義久よ、体に気をつけよ」
「はっ、大御所様こそ十分お気をつけください。人参は飲んでいただいいておりますか?」
「おう、欠かさず飲んでいるぞ。案ずるな」
義久の顔が綻んだ。
「丹後、若狭を通って小浜から船で宇龍までいくぞ」
「はい、承知しました」
「よいか、しっかり国を見よ。民百姓の暮らしと商人の動き、野山と海の地形、まずはこれらだな。暇を見て書物を読み字を書くのだ」
「はいっ!」
明るく大きな声で、数え十歳になる新しい近習が答える。
名を、山中甚之助。元服後、山中鹿介幸盛と名乗る男である。