第123話 1559年(永禄二年)3月 豊後
永禄元年(1558年)、十二月。神屋紹策は朝鮮人技術者・李夢龍を伴い、
尾平鉱山の北、豊後と日向の国境沿いの祖母山の険しい山道を登っていた。
天文十六年(1547年)の尾平鉱山発見から十一年。
銀は安定して採れ、大友の南蛮貿易を支えている。
だが紹策の心には、常に祖父・神屋寿禎への想いがあった。
石見大森銀山を発見し、大内の、そして今は尼子の富を支える大鉱山。
祖父が成し遂げた偉業を、自分も――。
祖母山の修験者たちの間で噂が流れていた。銀の気配がすると。
紹策は、尾平鉱山で実績のある李夢龍を伴い、祖母山に向かった。
雪がちらつく山道を登ること三日。
ついにその時が来た。
「紹策様、この先に……」
李夢龍の声が震えている。
紹策は足を速めた。岩肌に目をやる。
そこには――銀色の筋が、まるで龍の鱗のように走っていた。
心臓が高鳴る。これが、祖父が大森で見た光景なのか。
「これは……祖父上」
紹策は岩に手を置いた。冷たい岩肌。だが、その奥には無限の富が眠っている。
「李夢龍殿、これは間違いないか」
「はい。大きな鉱脈です。尾平の、いや……尾平を遥かに凌ぐかもしれません」
李夢龍の言葉に、紹策は天を仰いだ。
祖父の偉業に、今、自分も並んだ――。
紹策は直ちに臼杵城に使者を送り、大友宗麟に第一報を伝えた。
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永禄二年(1559年)正月。
「尾平の技術者を使え。直ちに探らせよ」
大友宗麟は、紹策からの報告を受けるや否や、指示を下した。
尾平鉱山――天文十六年の発見以来、十二年かけて育ててきた大友家の宝。
その経験とノウハウが、今こそ活きる。
「李夢龍には祖母山の開発を任せる。尾平の山師、技術者を連れて行け」
紹策は直ちに動いた。
尾平で培った技術、人材、資材――すべてを祖母山に投入する。
二月、李夢龍率いる技術者たちが祖母山で探鉱を開始した。
そして探鉱を進めるうち、李夢龍がさらなる発見を報告してきた。
祖母山から北西、日田郡の鯛生――そこに金鉱脈があると。
銀と金。二つの鉱山。
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永禄二年(1559年)三月。
「殿、鉱脈を確認いたしました。規模は……尾平を遥かに凌ぎまする」
臼杵城の一室で、神屋紹策は大友宗麟に正式な報告を行った。
「祖母山銀山、十分いけまする。尾平の二倍、いや三倍は銀が採れまする。
日田の鯛生金山も有望にございます」
大友宗麟の手が震えた。
門司城での敗戦――。
毛利に敗れ、筑前・豊前への支配力を失った。
豊後国内にも動揺が広がり、財政は逼迫していた。
だが今、目の前に希望が現れた。
「紹策……まことか」
「間違いございません、豊後守さま」
宗麟は胸の前で十字を切った。
主は大友を見捨ててはおられなかった。
銀と金。二つの鉱山。
そして尾平を合わせれば、三つの鉱山。
宗麟は南蛮貿易のさらなる成長を思い描いた。
鉄砲の買付と領内での生産、改良。南蛮の品物を豊後に広め、
宣教師たちの数を増やす。南蛮寺や施設の拡充。
そして金子を使い、家臣と寺を従える――。
豊後に主の国を造る。
その目標が、現実味を帯びてきた。
「トーレス殿。豊後における主の国の創建が見えてきましたぞ」
胸の内に満ちる喜びが表情に溢れているトーレスが、静かに口を開いた。
「ソウリン様、主の導きがブンゴのスミズミに満ち溢れています。
天文十六年の尾平鉱山に始まり、今また祖母山と鯛生。
主は大友に三つの鉱山を与えてくださいました」
「まこと、そのとおりじゃ。試練の時を乗り越えた儂らに、主は恩寵を与えてくれた」
「早速、宣教師のさらなる増員をモトメマス。
そしてポルトガル王にソウリン様と豊後の国の様子をお伝えします」
「うむ、儂も他の外の国々に使節を送ろうかと思っておる。
ポルトガルのことよろしくお頼み申す」
「はい。この地に神の国が程なく生まれること、ポルトガル王に必ずお伝えシマス」
「うむ。臼杵鑑速と戸次鑑連を呼べ」
大友宗麟は今後の戦略について協議を深めるべく、
信頼する二人の家臣を呼び出した。
三つの鉱山が生み出す富――それは単なる軍資金ではない。
キリスト教の国を創る、その礎となるのだ。
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臼杵鑑速と戸次鑑連が控えの間から現れた。
「鑑速、鑑連。三つの鉱山――尾平、祖母山、鯛生。
これらを最大限に活かす策を練らねばならぬ」
宗麟は二人の重臣に地図を広げて見せた。
「まずは祖母山と鯛生の本格開発じゃ。
尾平での経験を活かし、来年中には安定した産出を目指す」
「御意。尾平の技術者たちを総動員いたしましょう」
臼杵鑑速が答える。
「そして軍備じゃ。門司城で失った戦力を取り戻す。
鉄砲を増やし、南蛮船も新たに購入する」
「毛利に対する備えでございますな」
戸次鑑連が鋭い目で宗麟を見た。
「うむ。だが焦ってはならぬ。まずは足元を固める。
筑前、豊前はいずれ取り戻す。だが今は、豊後を盤石にすることが先じゃ」
宗麟は立ち上がり、窓の外を見た。
三つの鉱山が生み出す富――年に二万五千石。
これは豊後一国の石高の四分の一にも相当する。
「鑑速、鑑連。この富を使い、豊後を神の国とする。
南蛮寺を建て、学校を作り、民を豊かにする。
そうして初めて、大友は真に強くなるのじゃ」
二人の重臣は深く頭を下げた。
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コスメ・デ・トーレスは、宗麟と重臣たちの会議を見守りながら、
心の中で主に感謝の祈りを捧げていた。
天文十六年、尾平鉱山の発見。
そして今、祖母山と鯛生。
主は、この東の果ての地に、真の信仰を根付かせるための
基盤を与えてくださった。
「ソウリン様は、真のキリシタン大名となられる……」
トーレスの目には、確信が宿っていた。
豊後に、主の国が生まれる。
それは、もはや夢ではない。現実となりつつあるのだ。
門司城の敗戦は、試練であった。
だがその試練を乗り越えた今、大友には新たな道が開かれた。
三つの鉱山。
南蛮貿易。
そして、主への揺るぎない信仰。
「アーメン」
トーレスは静かに十字を切った。
永禄二年、三月。
豊後に、新たな国が芽吹こうとしている。果たしてこの国は、日の本に何をもたらすのだろうか。




