第117話 1558年(永禄元年)9月〜10月 肥前 姉川城、村中城、五島列島東沖
村中城から昇る狼煙をみて江上武種は声を上げる。姉川城に開門を迫るためだ。
「とくと見よ、村中城は我等の手に落ちた。姉川氏も少弐家に降るのじゃ。龍造寺家は滅んだぞ」
姉川城主、姉川惟安は門を開けない。
「そんなことはない。あの狼煙は謀であろう。死に体の少弐がついに血迷ったか。近いうちに龍造寺の殿から城攻めの下知が下る。放っておけ」
惟安は少弐の軍勢を相手にしなかった。暫くして見張番が走り込んでくる。
「殿、殿、一大事にござる。早うこちらまでお越しを!」
早口でまくし立てる見張りの勢いに押されるように見張り台までやって来た惟安の目に、飛び込んて来たのは…
「…は?」
言葉を失った惟安の耳に、甲高い冬尚の声が響く。
「姉川惟安、とくと見よ、この首を。逆臣龍造寺隆信は少弐冬尚が討ち取ったぞ!」
首を槍の穂先に突き刺し、高く掲げる少弐冬尚。やっと事態が飲み込めたのか見張り台から転げるように降りてきた惟安は、城門を開け冬尚の前に走り込んできた。そして見事な土下座を決める。
「この姉川惟安、少弐冬尚殿に臣従いたします」
後ろに慌てて家臣たちも続く。
江上武種が告げる。
「姉川惟安。すぐに村中城に出頭せよ。殿より重大なお話がある」
「ははっ」
少弐の軍勢は村中城に向けて移動を始めた。その後ろに姉川惟安はついていく。
「待たれよー、しばしまたれよー」
村中城に向かう少弐の軍勢に近づく一団がある。
「お、あの声は」
江上武種は後ろを振り返った。追いかけて来たのは神代勝利だった。
「殿、龍造寺隆信を討ち取ったと聞きました。真にございますか!?」
「これをご覧あれ」
武種に促され桶を覗き込んだ勝利は感嘆の声を上げた。
「神代殿ついて来られよ」
「うむ」
神代一党も合流し少弐の軍勢は村中城に向かう。
村中城の北に龍造寺一族、その家臣たちが縄で縛られ座っている。その周りは黒尽くめに金の筋が入った甲冑を着た足軽たちで囲まれている。足軽の数は千になろうか。足軽たちは少弐家の寄懸り目結の馬印をもっている。
少弐の軍勢が到着した。少弐冬尚と江上武種が龍造寺一族の前に立つ。
「首を刎ねよ」
江上武種の声が響き。龍造寺一族の首が次々に飛ぶ。一族は根切りとなった。
残された家臣たちに向かって少弐冬尚が声を上げた。
「ここに逆臣龍造寺隆信とその一族は滅んだ。儂は強き少弐を取り戻し、民が安らぐ国を作ろうと思うておる。ここにおる者たちは元々少弐に使えし者たち。どうじゃ、儂に力を貸してくれんか」
一旦言葉を切り冬尚は囚われている武将たちを見た。次の言葉を投げかけようとした時、鍋島直茂が口を開いた。
「この軍勢は何処の者などですか。恐れながら少弐殿の手勢とは思えませぬが。明かしていただくことはできるのでしょうか」
この場にいる全ての武将たちの知りたいこと。少弐冬尚に従うこの黒い軍勢は何者だ。
「この軍勢は毛利安芸守殿の要請により駆けつけた、幕府副管領、尼子義久殿の軍勢じゃ。毛利と尼子は少弐に合力する。これからもじゃ」
「な。毛利に尼子」
「それはまことか」
「なんと…」
武将たちの間に衝撃が走る。大友を退けた毛利、将軍を京に戻した尼子…売出し中の西国の二強が少弐の後ろ盾だと!
「この鍋島直茂、少弐冬尚殿にお使えいたします」
直茂は深く頭を垂れる。続いて我も我もと他の武将たちも頭を下げた。
「相わかった。皆の者これから少弐に忠誠を尽くすのじゃ!!」
冬尚の口上が終わると同時に、一斉に足軽たちが鬨の声を上げる。
「少弐冬尚様、えいえいおうー!少弐家に栄光あれ!」
「栄光あれー!栄光あれー!」
千を超える足軽たちの野太い声が佐賀平野に鳴り響く。これから少弐家の躍進が始まる…
村中城の評定の間に冬尚と武種が向かう。これからの肥前統治についての話し合いを行うためだ。神代勝利も参加を望み承諾されたので付いてきている。三名を先導するのは安国寺恵瓊だ。
扉を開け中に入ると恵瓊が冬尚の席を示した。上座だ。顔を少し引き攣らせ冬尚は席につく。冬尚の左に江上と神代。その向かい、冬尚の右手には自分に一番近いところに若武者が座り、右横に一目で歴戦の強者とわかる部将がすわる。そしてその先にもう一人座っている。恵瓊は冬尚の対面に座った。
「ではこれより、今後の肥前の統治について協議を行いたいと思います。進行は毛利家家臣、安国寺恵瓊が務めさせていただきます。まずは皆様の自己紹介からお願いいたします。では尼子どのから」
「始めまして。某、村中城攻め総大将を務めまする、尼子伯耆守倫久と申します。御屋形様の名代としてここに来ております。少弐殿とは良き間柄でいたいと思っております。以後、お見知り置きください」
「伯耆守殿は副管領殿の弟君でございます」
恵瓊が付け加えた。
なんと溌剌とした若武者か。驕る様子も見えない。副管領の名代とは、それほどまでに信が篤いのか。それに総大将…ただの神輿ではない…のか。視線を江上、神代に向けてみると二人は探るような目つきで倫久を見ていた。お、お、あまりそんな目で見るのはやめよ。後が怖いではないか…
こうして少弐、毛利、尼子の協議が始まった。
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「艦長、今何処らへんじゃ」
「はっ。五島列島東沖でございます」
「ほう。では今日中に到着じゃな」
「左様でございます」
小笠原長雄は右腕をぐるぐると回して拡がる海を見た。くるりと後ろに目を向けると朱印船四隻が走っている。
「うん。海が荒れんで良かった。ホントに運が良い。御屋形様の神力かもしれんの」
アカ三、四、五号とあと二隻の朱印船。計五隻で編成された尼子船団は、時化に見舞われることもなく順調に航海を続けている。
「神西殿は大丈夫かの。船酔いしてなけれないいが。海には疎遠じゃろ」
アカ四号に乗る神西元通の心配などをしてみる。今回の任務ではまず神西元通が動かなければならない。自分はその次が出番だ。船を降りても暫くは忙しくはない。
「ま、出番まではのんびりするか〜しかし、何もないところに行ったら何もできんの。旅籠も無さそうだし。うーん。温泉津から歩き巫女でも呼ぼうかのう」
後ろから近づいてきた部将が声をかけた。
「小笠原殿、やめて下さい。そんな事を言っていると突然御屋形様が現れて、無理難題を申し付けられますよ。とばっちりはゴメンですよ」
倫久の近習、森脇市正久仍だ。今回は小笠原、神西と共に行動しているが、暫くすると佐賀にも行かなくてはならない。結構忙しい仕事を割り当てられている。
「な、何だと。縁起でもないことを言うでない!あ、もしかしてこれが『ふらぐがたつ』ということなのか。儂はいま『ふらぐ』を立ててしまったのかー!!」
慌てる小笠原。
「いや、さすがにまだ立ってないでしょう。掠めたかもしれませんが」
「そ、そうか、いや待て。『かくしふらぐ』という罠もあると聞く。うむ。これから用心しなければならん。特に長崎についてからは一層気を引き締めねばならんな!!」
変に気合が入った小笠原長雄。
尼子の朱印船船団は目的地の長崎に向かって船足を早めていた。