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偽典尼子軍記  作者: 卦位
116/118

第116話 1558年(永禄元年)9月 肥前 勢福寺城

 ◆◆◆尼子南蛮船二番艦 白鹿丸 航海日誌


 ・永禄元年九月二十四日

  戌の刻(19時)萩湊出港


 ・永禄元年九月二十六日

  辰の刻(7時)五島列島東沖通過


 ・永禄元年九月二十七日

  辰の刻(7時)有明海南通過


 ・永禄元年九月二十七日

  亥の刻(21時)戸ヶ里沖到着


 ※有明海は尼子の呼び方。他国では違う名で呼ぶ




 ◆◆◆尼子倫久◆◆◆


 俺は白鹿丸から小舟に跳び乗った。有明の海は干潮差が激しく白鹿丸では戸ヶ里の湊に乗り付ける事はできない。アカ一号と二号はそのまま湊に入れる。なので白鹿丸に乗る軍勢は小舟で上陸しなくてはいけない。数回に分けて戸ヶ里に上陸するのでなかなか忙しい。時刻は二十七日の子の刻(23時)。上陸作戦開始。

 アカ一、二号は湊に進み接岸する。この時刻がほぼ満潮だ。白鹿丸からは小舟が次々と降ろされ手漕ぎで湊に向かう。日が変わって二十八日の子の刻(0時)には全軍勢が戸ヶ里湊に上陸した。

 ここから村中城までは約五里と四分一(21km)準備を整え丑の刻(1時)に行軍を開始する。月はまだ上がらない。夜明け前に上がる有明月だ。有明海に有明月、縁起が良いなと思った。

 闇が拡がる佐賀平野を尼子軍が進む。村中城は湿地帯の中に浮かぶ平城。攻めにくく守りやすい。大友も村中城を攻める時は難儀したと兄上は言っていた…いつの話だろう?

 軍議で作戦決行時刻をどうするか協議した。満潮時刻に作戦時間は拘束される。満潮時刻は昼間と夜中だった。大軍が移動しにくい村中城周辺の地形を考えると、連携しやすさなどを考慮し、昼間の強襲というのもありだと思う。

「総大将殿、動きやすさを取るか、隠密性をとるかどちらかですな」

 本城常光を始め石見の諸将は考えを巡らした。福屋隆兼、益田藤兼、三隅隆繁、周布吉高(元服した周布千寿丸)らはそれぞれ意見を出す。小笠原長雄は別任務があり此度の戦には参加しない。

「今回は夜明け前の奇襲を行いたい。皆の者どう思う」

「よろしいかと。最も勝算が高いと思います」

 福屋隆兼の返事に皆が頷く。

「よし、それでいこう。福屋、手提げ筒も実践初投入だし。しっかり使い心地を調べてくれ」

「御意」

 兄上だとまず先に自分の意見を言うんだろうな。たたき台として己の案を先に出すのが兄上の流儀だ。俺はちょっとそこまでは考えられてないかな。でも皆で意見を出し合うのが大事だと兄上は常に言っている。それは守れただろう。

 松の生木をくり抜き、周りを竹と鉄輪で囲んだ手提げ筒も使ってみる。軽くて小さい砲だから持ち運べる。二三発撃てば使えなくなるが、城の門を壊すのに便利ではないかと作ってみた。


 月明かりのない漆黒の闇の中を黙々と軍勢は進む。斥候は横田衆だ。戦に強い大名は忍を重用する。毛利然り、噂によると甲斐の武田とか越後の長尾とか。だが忍の運用について尼子の右に出る者はいないだろう。兄上の座右の銘『敵を知り己を知れば百戦百勝危うからず』敵をトコトン知る作業を推し進めるにおいて横田衆の働きはとても大きい。兄上は忍を戦の要として大切にし武士として家臣に取り立て、優先的に厚遇してきた。横田衆は始まりの隠岐家だけでなく他の甲賀衆も取り込み量、質共にとても強化されている。それに杵築の御師、日吉の神人が加わる(歩き巫女は横田の女衆)。諜報戦、情報戦で尼子に勝てる者などいないと思う。だからこんな有明海を南蛮船で走破して城に奇襲をかけるなんて離れ業ができるんだ。


 寅の終刻(5時)村中城まで約一里強の地点までやって来た。小高い丘に竹林と湿地が混在している。日が昇るまであと一刻弱。突入の最終確認を行う。

「総大将殿、確認終わりました。下知を」

 本城常光の報告を聞いた俺はスッと息をすった。

「村中城を落とし龍造寺隆信を討ち取れ!」

 尼子兵は無言で片腕を突き上げた。



 ◆◆◆少弐冬尚◆◆◆

 尼子の書状を受け取ったあと、夜を徹して出陣準備を進めている。

「殿、そのようなことは足軽共にお任せください!」

 儂も武器庫に行き槍を取り出していると江上武種が声を発した。

「気にするでない。時間が無いのじゃ、儂も出来る事をするだけじゃ」

「殿…」

 武種がなんとも言えない顔をして儂を見た。

「準備が終わると評定を行うぞ」

「はっ」

 武種は場を離れていった。

 準備も殆ど終わったので軍議を開く。

 姉川城は湿地の上に浮かぶ小島を繋いだ造りになっており、水路も引かれ攻めどころも限られる城だ。我が軍勢では攻め落とすことはほぼ無理じゃ。

「書状には村中城を攻め落とし狼煙を上げると書いてあったが、それだけで城の者が降るとは思えんが」

 江上武種の言葉に安国寺恵瓊が答えた。

「尼子の横田衆から村中城制圧後、龍造寺隆信の首を届けるとの知らせが入りました。それがあれば開城は可能でございましょう」

「な、なんと隆信の首だと!」

「左様でございます。この戦は肥前において少弐家が立ち上がることを知らしめる戦にございます。龍造寺の首は少弐冬尚殿が掲げるのが道理にございましょう」

 なぜそこまで配慮されるのだ。儂は太宰の少弐。しかし今や落ちぶれ、己の領地すら守れず、力をつけた被官に滅ぼされようとしていた者。

「毛利は肥前を治めるのは少弐家と思っております。少弐殿が立ち続けようとするなら、助力は惜しみませぬ」

 ふ、肥前は儂が治めよとな…ならば。

「龍造寺隆信の首、ありがたく使わせていただきますぞ」

 安国寺恵瓊殿の顔を見て儂は答えた。答えながら身体が震えていくのが分かる。もう後戻りは出来ないと必死に自分に言い聞かせていた。不思議と笑いが込み上げる。

「殿、大丈夫でございますか」

「武種、案ずるな。大丈夫じゃ」

 儂は震える声で答えた。



 ◆◆◆村中城◆◆◆


 夜明け前、村中城に聞き慣れぬ轟音が響く。同時の城門の蝶番、横木が破壊される。兵が取り付き数名で押すと門扉は地面に倒れていった。尼子兵は無言で走り割り当てられた目標地点を目指す。狙うのは龍造寺隆信の首。家臣たちは基本生け捕り。龍造寺一族は根切りにするがまずは確保。城も破壊しない。


 鍋島直茂は目を開いた。今の音はなんだ。素早く起き上がり甲冑を着込む。部屋を出て廊下を行くと見たことない足軽たちと出くわした。すぐに身を隠す。シュンと矢が飛んできた。足軽が構えたのは弩か。

「行くぞ」

 組頭のような男が一声発すると足軽たちはその場を去り始める。その先は…殿の閨。

「まてい!誰か殿をお守りしろ」

 追いかけようとしたが新手がきて前を塞ぐ。

「捕縛しろ!」

 足軽たちが向かってきた。

「ぬおおおお!殿!」

 鍋島直茂は槍を構え足軽たちに突撃していった。しかし多勢に無勢。取り押さえられ捕縛された。



 龍造寺勢の動きは鈍い。村中城が奇襲されるなど、これっぽっちも思ってなかったのだろう。尼子兵は寝ぼけた、または飛び起きた者共を突き倒し龍造寺隆信の閨に向かう。

 閨の扉を開けると鋭い槍の突きが先頭の兵に刺さった。態勢を崩し兵は座り込む。

「何処の誰じゃ!この龍造寺隆信を狙うとはいい度胸じゃ。貴様ら生きて返さん!」

 隆信が槍を突き出してきた。膂力が強い隆信は槍を軽々と振り回し鋭い突きを混ぜる。しかし次々に尼子兵が入ってきて、隆信を囲む。そして、申し合わせたように槍を突き出した。全ての槍を払うことは隆信にもできなかった。

「ぐお…馬鹿な、儂が…なぜ」

 後世『肥前の熊』と呼ばれ、九州三国志の一角を占めたであろう龍造寺隆信はこうして歴史の表舞台から姿を消した。享年三十歳。

 直ぐに遺体は総大将の下に送られ、首実検を行い首を落とす。桶に入れられた首は姉川城に送られた。



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