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偽典尼子軍記  作者: 卦位
114/115

第114話 1558年(永禄元年)7月 周防 高嶺城

 流民の流れが動いていく。時は戦国、戦により田畑を、住む場所を奪われた民は当て所もなく流れ行く流民となる。戦だけではない。寒さ、暑さ、餓え、天災、武士やその他の者たちの搾取…生き残るのが難しい時代だ。この者たちは何処を目指すのか。


 七月十八日。さしたる抵抗も受けず山口に入った大内輝弘は龍福寺と築山館に本営を構えた。すぐ先の高嶺城(こうのみねじょう)に城主、市川経好(門司城合戦参加中)の妻である市川局が甲冑を着込み、急遽城代として籠城戦の先頭に立つ。数は少ないが城兵たちの士気は高く大内輝弘は城を攻めあぐねていた。周りをうろつく流民も目障りだ。

 天文二十年(1551年)に起こった大寧寺の変から七年が過ぎようとしている。大内の名の下に八千の軍勢が集まった。まだこれだけの兵を集めることができる大内は強者だった。今の軍勢の中を覗いてみれば…大内家の再興を純粋に願う者、行く宛もなく彷徨っていた最中に勢いで参加した者、毛利に恨みを持つ、もしくはその統治に不満を抱く者、雇われ兵を生業とする者、戰場で略奪を行おうとする者…多様な思惑、考え、事情を持つ者たちが集まっている。もうかつての大内軍ではない。

 二十日になっても高嶺城は落ちない。

「ええい、何をしておる。あのような山城、直ぐに落とさんかー!」

 周防上陸後、トントン拍子にここまで事を運んできた大内輝弘は予期せぬ毛利の抵抗に苛立ちをかくせなかった。

「暫しお待ちを。城を取り囲んでおり後詰めは来ませぬ。明日にも城兵の士気は落ち、諦めて開城するでしょう。力攻めは無用かと」

 などと配下の将兵は進言する。

 城攻めが始まって三日目。城を囲む軍勢は緩み始める。大内の再興などどうでもいい者たちが大半なのだ。城から打って出る気配がないことを知ると囲みを抜けて乱取りを行う者たちがどんどん増えていく。兵の指揮系統など無いに等しい。まして軍規などあるわけがない。山口に略奪の渦が生まれ拡がる。こうしてまた大内の遺産が潰えていく…

 七月二十一日。大内輝弘は業を煮やし高嶺城に力攻めを行った。豊後から連れてきた二千五百の兵を中心に城に襲いかかったが、城兵はしっかりとした抵抗を行い城攻めは失敗に終わった。乱取りに夢中になり城攻めに参加しなかった者共も多くいた。軍規を正すためにも一旦乱取りをやめさせ、城攻めに兵たちを動員しなければならない。大内輝弘は今後の恩賞を説きながら集まった兵たちを城攻めに向かわせる。兵たちもある程度満足したのだろう。そして新たな実入りを求め城攻めに加わる。二十三日になりやっと乱取りを抑えることができた。明日は全軍総出で城攻めをかける事ができる。兵の配置は終わった。後は攻めかかるだけだ。

 二十四日の夜明け前。本陣の南から突如として鬨の声が沸き起こり、鉄砲の音が響く。

「何事じゃ!」

「敵襲、敵襲!」

 一文字に三つ星の旗物差しが所狭しと並ぶ。毛利の家紋だ。毛利軍が朝駆けを仕掛けてきた。

「馬鹿な、何処から毛利が来たのじゃ。いつ来たんじゃ」

 大内軍の殆どは城を囲んでいる。後詰めは来ないと踏んでいるため本陣は手薄だ。大内輝弘をはじめ部将たちは大いに慌てた。

「直ぐに兵を呼び戻せ。南の毛利に攻めかかるのじゃ」

「輝弘様、こちらへ。直ぐに陣払いじゃ。早うせい!」

 城を囲む兵たちも突然現れた毛利軍に対応ができない。統一的な命令系統など無いのだ。集まった兵たちは各々の判断で動き出す。それがさらに混乱を増幅させる。輝弘直属の豊後から来た兵も動きが取れない。

「毛利じゃー、毛利が攻めてきたぞ!」

「何を言っておる!もう目の前に毛利がおるじゃろう」

「西じゃー西から毛利軍じゃーーー!」

 山陰街道を西から毛利軍が駆け上って来た。一直線に本陣に向かってくる。毛利軍と大内軍が接触し戦闘が始まる。どう見ても毛利の勢いが強い。大内軍は押されていく。そして籠城を続ける高嶺城からも大きな声が上がった。城兵が打って出ると思った城を囲む兵たちは、我先にと逃げ出した。

 ターーン!

 混乱の中、一発の鉄砲玉が大内輝弘の肩に命中した。崩れ落ちる輝弘。

「いかん。輝弘様をお守りしろ。引くのじゃ。中道の浜まで引くのじゃ」

 そして南の毛利軍も攻撃を開始した。


 夜明け前の一回の奇襲で大内軍は瓦解した。毛利元就は安芸から率いてきた千五百の領民兵を流民に偽装させ少しづつ山口に入れていった。周防の内藤隆春と連携を取り、朝の奇襲で大内軍を打ち破る策を立て、実行。毛利は勝った。

「大殿、ご無事ですか」

 内藤隆春が元就のもとへやって来た。

「内藤殿、感謝いたす。貴殿がいなければこの戦、勝ち目はなかった」

「いえいえ、相も変わらぬ采配、謀神は未だ衰えずでございますな」

「隠居の身ゆえ、持ち上げても何もでまぜんぞ」

 お互いに顔を見合わせ笑みがこぼれた。

「では、城の周りをお願いします。某は中道の浜にむかいますゆえ」

 元就は逃げていった大内輝弘を追っていった。



 毛利兵の追撃を振り切りながら大内輝弘と供回りたちは南に逃げていき、数日前上陸した秋穂の中道の浜にたどり着いた。若林鎮興率いる豊後水軍はいない。門司城を落としたらここに新たに軍を連れてくると言っていた。まだ門司城は落ちていないのか。

 ここにいてもどうしようもない。しかし大内輝弘は肩に受けた鉄砲玉の傷のせいで移動が困難になっていた。ここまで七里はあっただろうか。少し休まねばならない。

「輝弘様、追手が迫っております」

 毛利軍が秋穂まで来ていた。見つかるのも時間の問題だ。

 ここまでか…大内輝弘は中道の浜で切腹。首は隠そうとしていたが毛利軍によって見つけられた。

「最後は武士らしく散ったのう」

 首実検を行った元就は呟いた。そして顔を上げた。視線の先は門司城か。

(新たな領地を治めることは本当に難しいのう。隆元よ、お主にはその覚悟と力があるんかのう)

 安芸の一国衆に過ぎなかった毛利家は、元就の代で主家である大内を滅ぼし、その領国をすべて抑えるべく九州まで進出している。元就自身も豊前の大内領は抑える必要があるとは思っていた。かと言って元就の戦の根本は生き残ることだ。他国に侵攻して領地を増やすことではない。

(将軍の力と権威が失墜し、帝や公家も力がない今。結局自分の力しか頼りにはならん。では何処まで力はいるんじゃろう。隆元よお前はどう考えておるんじゃ)

 かつて大内と渡り合った尼子。毛利にとっては生存を脅かす巨大な勢力であり、今はどこでどうなったのか盟友といっていいほどの良好な関係を結んでいる勢力。やはり義久か。あれが出てきて尼子が大きく変わった。あれがいなければ晴久と雌雄を決する大戦を行わなければならなかっただろう。今の状況は…それに比べればましか。。。マシじゃのう。

 自分が戦の先頭に立つのは此度が最後と元就は思っている。これからは隆元を始めとする三人の息子たちに全てを任せるつもりだ。もう隆元に教えることはない。此度の門司城救援と大内残党に対する隆元の動きは見事なものだった。

(うむ。もう隠居するぞ。策を抜かりなく進めるまでじゃ)

 高嶺城に帰りながら、ふと一つの考えが頭をよぎった。

(輝弘に玉を撃ち込んだあの傭兵…明智とか言ったのう。褒美を取らせねば。福原貞俊が気にしておったが、一番槍に匹敵する軍功じゃな。直に話もしてみたいしのう)

 元就は馬の速度を早め、高嶺城に急いだ。




 大内輝弘の乱はこうして収束した。以降周防、長門で反乱は起きず革新的な領国経営と民心掌握により毛利家は西国の覇者としての道を確実に歩んでいくことになる。

















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