第113話 1558年(永禄元年)7月 豊前門司城下 その三
風師山に布陣した千五百の毛利兵は将の下知を待っている。そして限界いっぱいまで引き絞った弓の弦を放つように毛利隆元は命を発した。
「全軍突撃!!!」
「うおーーーーーー!!!」
毛利兵の突撃は文字通り奇襲となり、大友軍に致命傷を与えた。かろうじて保たれていた兵の士気と統制は木っ端微塵に砕かれた。二万の兵は瞬く間に烏合の衆と化し、我先にと逃げ惑う足軽たちは海に飛び込み、向きをわからずもと来た道を戻り、押し合いへし合い動きが取れなくなり討ち取られ、なぎ倒され屍を築いていく。
隆元は大里に続く道を塞いでいなかった。動ける大友兵は押し出されるように大里に向かって逃げていく。逃げ道があると分かったそばから一目散に走り出す。
「村上衆、大将首を討て。褒美をとらす」
「承知つかまつった」
隆元は戦後処理を考え村上水軍に敵部将の首を上げる命を出した。村上水軍はいずれ毛利直下に組み込まねばならない。それなりの武功を挙げさせておいたほうが良いと隆元は思っていた。場合によっては自分の直属部隊にするつもりだ。
「目の前の敵をひたすら打ち倒すんじゃ。ただただ槍で突け!剣を振れ!!」
隆元は動き回り兵を鼓舞する。
「世鬼を呼べ。状況を知らせよ」
少し落ち着き状況把握をすることにした。
「ええい、どけぃ!邪魔だ」
田原親賢は逃げ惑う大友兵を突き飛ばしながら大里に向かう道を進んでいる。しかし進めば進むほど混乱した兵たちが行く手を塞ぐ。もうほとんど道はふさがれ動きが取れなくなってきた。
「親賢様、毛利の奇襲にございます。風師山に毛利の伏兵がおりました」
「なに。数は」
「わかりませぬ」
これでは引くに引けぬ。袋のネズミではないか。ならば。
「船だ。湊に向かうぞ。潮の流れに乗って小倉に向かうのだ」
「しかし尼子の南蛮船が」
「たかが小早一艘見つけたとして、わざわざ捕まえに来るはずがなかろう。潮は響灘に向かって流れておる。小早は南蛮船よりは足が速い。急ぐのじゃ!!」
何と言う勘の良さよ。田原親賢は門司城下の大混乱を無事切り抜け、豊後に落ち延びていった。
児玉就方と乃美宗勝は虎口前の激闘を制し、混乱し退却する大友兵の掃討に邁進していた。もはや大友兵は軍の体裁を整えることはできず、ただ闇雲にやって来た道を逃げるのみ。殿を任された部隊も見当たらない。
「良いかっ!足を止めるな!首も捨て置け。切りまくるんじゃ!」
児玉就方は海戦で惨敗した鬱憤を晴らすかのように、烈火の如き気勢を上げ大友兵に切り込んでいく。配下の者たちもそれに続く。門司城を明け渡す羽目に陥っていたら間違いなく戦犯は自分だ。そのことが悔しく、情けなく、より一層の戦働きを求める。必ず必ず殿のお役に立つのだ!
「児玉殿あれを!」
近くにいた乃美宗勝が声をかけてきた。宗勝が指差す方向にこの乱戦の中、組織だった動きをまだ続けている大友軍がいた。この状況で未だに兵を束ねるか。きっと名のある部将に違いない。
「乃美殿、あやつらは儂に任せてくれんかのう」
「そう言うと思ったわ。存分にやっちゃれい」
「忝ない。者共、儂に続け!大友の強者を打ち倒すぞ!!」
児玉就方は大友軍に向かって進撃を始めた。その大友軍を束ねるのは田北鑑生、臼杵鑑速。その後ろに斎藤鎮実の部隊が次の殿を務めるべく待機している。
児玉就方は田北、臼杵の横腹を突いた。混乱の中、必死に吉川元春らの猛攻を防いでいた両者に横槍に対処などできるはずが無い。兵の接近すら気づいていなかっただろう。波にさらわれる砂遊びの城のように部隊は溶けていく。
「田北殿ーっ!臼杵殿ーっ!引きなされーー」
斎藤鎮実が兵を率いて児玉の軍に突撃する。しかし軍は崩れない。むしろ大友兵の突撃を受け止めその足を止める。
「おのれー小癪な、どけー!」
斎藤率いる部隊と児玉率いる部隊が乱戦に突入する。その中、児玉就方は敵将を探していた。首は捨て置けと言ったがここの首は別だ。大友の名将。討ち取れば大友に更に大きな打撃を与えることができる。
回りを見渡す児玉就方は視界に入ったその部将を見逃さなかった。一直線にその部将のもとに向かう。近習も続く。
「大友家中で重きをなす、名のある部将とお見受けした。儂は児玉就方。そこもとの名はなんと申される」
「儂は大友加判衆、田北鑑生じゃ」
「おお、勢場ヶ原で大内を打ち破った田北殿か。相手にとって不足なし。いざ参る!!」
「田北殿を守れ」
児玉就方と配下は一斉に襲いかかり、田北鑑生と配下の者は応戦する。しかし疲労の蓄積はごまかせない。士気の高さも児玉が勝る。一人、一人討ち取られついに。
「その首もらった!!!」
立ち上がった就方の左手は首をしっかりと握っている。
「大友加判衆が一人、田北鑑生、討ち取ったりー!!」
気勢を上げる児玉就方を鬼の目を持って睨みつける臼杵鑑速。動き出そうとした時、周りの近習が一斉にしがみついた。
「なりませぬ!ここは引く時。今のうちにこの場を離れましょう」
噛み締めた唇から一筋の赤い血が垂れ落ちる。臼杵鑑速は一言も言葉を発せず踵を返した。
あと少しで小森江村という所で、吉岡長増は山側から降りてきた毛利兵に行く手を遮られた。吉弘鑑理の手引で混乱の中でもなんとかここまで来ることができた。長崎街道に入れば進みやすく大里から小倉までは毛利も尼子もいない。
しかし、最後の最後で見つかった。この儂が、臼杵鑑速と並び大友の『二老』と謳われたこの儂が。殿の信任を受け総大将を任されながらここで果てるのか。そんなことはあってはならん。
吉岡長増は剣を抜いた。
「行くぞ。必ず豊後に帰るのじゃ!」
迎え撃つ村上通康も脇差しを抜く。
「大将首じゃ。必ず取るんじゃ!!」
ここで毛利の殿の命通り大将首を挙げれば、来島村上の将来は安泰。他の村上衆より抜き出ることができる。河野に対しても更に強く出れる。
己の力を更に高める事ができる好機に村上通康の海賊魂が震える。数は優勢。負けはせん。
何と言うことだ。大友の屋台骨の一つ、吉岡長増は小森江村にて来島村上水軍の村上通康によって討たれた。これは大友義鎮に、大友家中に多大なる影響を及ぼすであろうことは火を見るより明らか。この先、九州探題である大友家はどのような道を歩むのであろうか…
毛利隆元は門司村に本陣を敷き二人の弟を待っていた。門司城の合戦は毛利の完勝となり大友軍二万は多大な被害を出しながら豊後の府内へと退却している。掃討戦はまだ続いているが大勢が決したと判断した隆元は小早川隆景と吉川元春を呼び出していたのだ。
近習が二人の到着を告げる。陣幕に入ってきた弟たちは直ぐに隆元の前で膝をついた。
隆景が口を開いた。
「殿、此度の戦、不甲斐なき我軍を起死回生の策で救っていいただき、この隆景、総大将として誠に面目なく、ただただ感謝の念しかありませぬ。誠に申し訳ございませんでした。どのような処分も全て受ける所存にございます」
続いて元春が口を開く。
「殿、なんの働きもできず、おめおめと御前に出てきたこの不忠者に厳しき沙汰をお下しくださいませ」
口上を聴いて暫く無言のまま隆元は二人を見ていた。
「二人とも、よう死なんかったのう。儂は嬉しいぞ」
そう言って立ち上がり二人の前にやって来た隆景は、座り込んで両手を広げ弟二人を力いっぱい抱きしめた。
「よう、生きとってくれた。ほんまに嬉しいぞ。嬉しいんじゃ…」
最後の言葉は涙を含んでいた。
「兄者…」
「大兄上」
二人の弟も感極まっていた。しばらくしてぽんぽんと弟たちの背中を叩いた隆元は、スッと立ち上がり二人に背中を向け床几に向かった。床几の前でくるりと振り返ったその顔に当主の威厳と覚悟が浮かんでいる。
「元春、直ぐに兵を纏め香春岳城を落とせ。そして大友に落とされぬようしっかりと普請を行え。飯は持ってきた。進みながら食えば良い。追って兵糧は届ける。神速で向かえ」
「はっ。仰せのとおりに」
「隆景、博多は毛利の直轄地にせねばならん。わかるな。立花山城の城主はお前だ。落ち着けば他のものを入れるやもしれぬが国衆などはいれん。ましてや寝返った者など論外じゃ。速やかに策を進めよ。儂は直ぐに安芸に戻る。大内の亡霊退治がどうなったか聞かねばならんし、河野を伊予に送らねばならん。それと隆景、失ってしもうた水軍を再建せよ。尼子の知恵を借りろ。南蛮船を造らねばならん。話はつけてある。そうじゃ伊予には元春を連れて行く。元春、もう一度言う。神速じゃ。分かっちょるな」
「ははっ」
二人は頭を垂れた。隆元が陣幕を出ていく。
「頼りにしちょるけ、頼んだぞ」
隆元が去ったあと二人は立ち上がり顔を見合わせる。
「まったく、兄者はいつからあんなに人使いが荒くなったんじゃ。休む間がホントにないぞ」
「使い潰されそうですね…うーん父上の力を借りねばなりませんな」
「当てにならんじゃろ。自分が隠居するのに必死じゃ」
「フフ、確かにそうですね」
二人は陣幕の出入り口に向かって歩き出す。
「よし、『神速』で香春岳城、落としててくるわ」
「『速やかに』策を立てまする。おいおいお知らせいたします」
二人は各々違う方向に歩き出した。これからが北九州攻略戦の本当の始まりなのだ。兄のお陰で頓挫を免れた戦略を蘇らせ、再構築し確固たる地盤を作る。大内の旧領をしかと手に入れるべく、二人は再び歩き出した。