第111話 1558年(永禄元年)7月 豊前門司城下
戸次鑑連は沈みゆく南蛮船から目を離せなかったが、突然ブルっと身体を震わせたかと思うと顔を強張らせながら大友の本陣に向けて駆け出した。
「吉岡殿!直ぐに退陣の下知を!」
本陣の陣幕をまくり入るやいなや、指揮権を預かる吉岡長増に訴えた。
「いや、まだ我らが有利、城の兵糧は尽きるぞ。今から総攻めをかければ城は落ちる!」
田原親賢は強硬策を主張する。このままなんの武功もなしに帰ることはできない。己の地位を高めるためにも実績がほしいからだ。
臼杵鑑速は冷静に考え声を出す。
「尼子の南蛮船から我等が砲撃を受けながら城を落とせるのか」
この問いに明確に答えを出せる者はここにはいなかった。
「待て待て、このままでは大友は南蛮船がいなければ戦もできぬかと笑いものになるぞ。それに南蛮人どもが更につけ上がり、寺社を蔑ろにするとどうなる。国が乱れてしまうではないか。お主ら国を南蛮人どもに牛耳られてもいいのか!」
田原親賢の放った言葉は少なからず武将たちの心に響く。
「鉄の玉が飛んで来るからといって軍勢の頭の上全てに降ってくるのではないだろう。玉が届く距離も限られる。上手く陣を敷けば避けられるぞ。城には打ち込めん。よって城に張り付けば良いではないか」
「お待ちを、玉を打ち込まれれば兵の士気が落ちます。戦を続けるのは難しくなります」
「我が殿は周防に大内輝弘を送り込んでおられる。ここが踏ん張りどころじゃ。直に毛利から手打ちの使者がくるぞ」
田原親賢は止まらない。強固に城攻めを主張する。
吉岡長増は考えを巡らせた。ここで引けば門司城を落とす機会がいつ訪れるかわからない。毛利は油断ならぬ相手であり九州に拠点を作られるのは避けた方が良いのは確か。よって此度、南蛮船を借り出し、大内の傀儡を呼び起こし、毛利の野望を根本から潰すことにしたのだ。その目的にあと少しで手が届く。安芸から手打ちの使者が来るかどうかは微妙…やはり戦は水物、必ず勝てる戦などないか。最後の最後で勝ちがスルリと抜け落ちる…
「攻めるぞ。時が経てば我等は負ける。神速を持って城を落とすのだ」
大友軍は最後の最後に大博打に打って出た。
軍議の場にまたもや近習が飛び込んできた。
「総大将殿、世鬼が参りました」
小早川隆景の目が一段と鋭くなる。
「直ぐに通せ」
議場に入ってきた世鬼衆が隆景に報告する。
「毛利安芸守隆元様の命をお伝えします。安芸守様、来島村上水軍と共に猿喰より陸に上がられ小森江の山に軍を登らせるとのこと。その数千五百」
隆景は表情を変えず世鬼衆を見て頷いた。そして周りの諸将に顔をむけた。
「城を打って出る時がきました。皆さん、準備を抜かりなく行ってください。全ての兵たちに飯は行き渡りましたか」
「はい。もう兵糧は残っておりません」
「よろしい、直に米は届きます。敵の様子は」
「大友に動きあり。どうやら城攻めを行うようです」
皆からおうっと声が出る。
「よっしゃー。大友もヤル気じゃのう。けりをつけるか」
吉川元春の威勢の良い声が響いた。
「では、毛利の戦、大友に見せつけましょう」
小早川隆景は出陣の命を下した。
戸次鑑連は二千の兵を率いて門司城の北、和布刈神社に向かっている。
「急げ、時をかけてはいかん。神速を持って城に乗り込むぞ!」
門司城の南と西からか大友軍が総攻めに入っている。半分ほど占拠している南郭と西にある虎口では両軍の鉄砲の音が鳴り止まない。この膠着状態を打破する為に、北の和布刈神社側からの強襲が必要だ。
「戸次殿!あれを」
配下の部将が指差した先、周防灘の海の上にそれはいた。尼子の大きな南蛮船。
「くっ、速い。もうここまで来ているのか」
戸次鑑連は呟いた。
我慢比べとかけっこ。どっちが、どこで勝つのか、まだ分からない。
『白鹿丸』は門司城の北まで進んできた。途中残った南蛮船を海の藻屑にし、アカ二号と共に赤間関に突き進む。アカ一号は海に落ちた南蛮人を拾い上げている。捕虜として出雲に連れて帰るためだ。
尼子倫久は門司城の北、和布刈神社を走って行く大友軍を見つけた。
「本庄、和布刈の大友軍に大砲は撃たなくてもいいのか」
本城常光は答える。
「気にはなりますが、城の西と南の本隊を討つのが先決かと。提督も同じ腹づもりでございます」
「そうか。毛利は回り込んだ大友軍を止めることが出来るか」
「我等が大砲を撃つまでは足止め可能かと」
「分かった。このまま湊まで進むぞ」
「御意」
倫久は意見交換を終えて、また船の先を見た。奢らず、慌てず。尼子のため己を高めるのだ。少しでも偉大なる父と大きな兄に並び立てるように。そうなった時、何が見えるのだろう。ちょっと楽しみだ。
本城常光は冷静に倫久を見つめたあと湯原春綱に目を移した。倫久様と提督。御屋形様が期待される二人。その期待に答えてほしいと常光は思っていた。此度の九州攻めではっきりするだろう。
赤間関の潮の流れが周防灘から響灘へと変わっていく。その流れに乗って二隻の南蛮船は門司城の北を回り赤間関に入ってきた。そしてゆっくりと門司湊に近づいていく。大友の南蛮船と同じように陸に向けて艦砲射撃を行うためだ。湊には多くの大友軍が並び門司城の虎口に向けて鉄砲を撃ち矢を射かけている。
ここで指揮を取る田原親賢は鬼の形相で足軽たちを叱咤していた。
「何をしておる!突っ込まんか。なんのために竹束をこさえてきたのだ。とにかく担いで前に出ろ。門を鉄砲は土塀の上と門の回りに撃ち込め。毛利の手数を減らさんかー!」
強硬に城攻めを主張した手前、引くに引けないというのもあるが田原親賢には引く気など全く無い。ここで武勇を示し家中での地位を高めねばならん。他の家臣ばかりか南蛮人どもまでしゃしゃり出てくるこの状況で、なんとしても上位者としての威厳と権力を掴まねばならぬ。
「田原様。南蛮船がやって来ます!」
「知っとるわ。だから早く門を壊さんかー!!」
田原親賢の鬼の差配が功を奏したのか、竹束に守られ足軽たちが抱えた丸太が、門に叩き込まれる。グワーんという低い音が鳴り門がひしゃげた。
二撃目の丸太突きを繰り出そうとした時、鈍い音がしたと思うとドゴーンという音とともに鉄の玉が落ちてきて、丸太の後ろの方に待機していた大友の足軽たちを擦り潰し、吹き飛ばした。丸太を持つ足軽たちの足が止まった。
「こんやたぁ!ちちころすど!早う丸太で突っ込まんか!!」
檄を飛ばすが足軽の足は動かない。それに大友の鉄砲の音も止まってしまった。沈黙が虎口の回りを支配し、場違いな静寂が辺りに満ちる。そして。
ダダーンダンダンダダダーン。ヒュンピュンヒュヒュヒュウヒューン
城から一斉に鉄砲と矢が放たれた。全てをここに置いていく覚悟をもって、鉄砲玉と矢が降り注ぐ。虎口の門が揺れている。打って出る準備だ。ウーーン、ドッシャアン、ドシャン。鉄の玉が落ちてくる。数が多くなっている。
「逃げろーーーー」
「死にとうない!死にとうない!!」
誰かが叫んだ。
「まてぃ待たんかー!」
田原親賢の声は兵士たちの叫びと喧騒にかき消された行った。大友兵は逃げ出した。混乱の渦が大友軍を飲み込んでいく。
南の郭での熾烈な鉄砲の撃ち合いは続いている。大友、毛利両者とも決め手を欠いていた。少しでも緩めば押し切られる。毛利の士気はとても高いが大友の覚悟も決まっている。両者は譲れない時を紡いでいく。時間が経てば毛利が有利。尼子の助力が入る。その前に和布刈神社からの戸次鑑連の攻め手が入ることが大友の勝機を手繰り寄せる鍵だ。だからこそ毛利の耳目はここに集めねばならん。
「撃ち方を増やせ。東からも兵を登らせよ。隙を与えるでない」
臼杵鑑速は兵を動かす。そして自らも先頭にたった。新たに攻め手を増やし東から郭に圧力をかけようとした時、毛利の陣から何かが出てきた。何じゃあれは竹束、しかもバカでかい。約10尺(3m)四方の竹束が何個も出てきて横一列に並んでいく。まるで竹の壁だ。そしてその壁の隙間というか、壁自体から鉄砲がヌウと突き出た。一丁だけではない。三丁、四丁突き出ている。そして玉を撃ってきた。同時に上の本郭から今までの鉄砲に加えて大量の弓矢が放たれた。毛利がギヤを上げてきた。
くっ、ここに来てこの火力。臼杵鑑速が斜面を登ろうとした時、いまや聞き慣れた音が鼓膜に届き腹に振動が響いた。始まった。大砲が撃ち込まれた。戸次鑑連はまだか⋯届かなかったか。そして毛利と海の尼子が繋がっているという確信めいたものを臼杵鑑速は直感した。
「引くぞ。者共、速やかに豊後に戻るのじゃ」
大友の屋台骨の一柱は直ぐに頭を撤退戦に切り替えていた。