第110話 1558年(永禄元年)7月 豊前門司城沖 周防灘
尼子倫久(今年、永禄元年に元服。義久のすぐ下の弟)は船上で周防灘の南を睨んでいた。脇には本城常光が控えている。水平線に大友の船団が見えてきた。
「艦長、よろしく頼む」
倫久は船の長である艦長の湯原春綱に告げた。
「お任せあれ、総大将殿。御屋形様に授かりしこの船で、必ずや尼子の勝利を勝ちとって見せまする」
倫久はうむ、と口を結び後ろに下がった。代わって湯原春綱が前に立つ。
「全艦、戦闘態勢。アカ一号、白鹿の右。アカ二号は左」
旗を持った足軽(水兵かな?)が手旗信号で指示を伝える。
倫久と春綱が乗っている船は尼子が造った南蛮船の二番艦だ。艦名『白鹿丸』。
一番艦『富田丸』がどちらかといえば輸送船の性格が強いのに対し、白鹿丸は最初から戦闘艦として設計された戦船である。隠岐で建造され丹後の加佐郡(義久転生前の舞鶴)の水軍基地に配備された。そして湯原春綱は白鹿の艦長及び義久が新たに設けた水軍の長である『提督』に任じられた。今回の戦は南蛮船を組み込んだ、新生尼子水軍の初戦でもある。
辺須亜留戸の働きもありオランダ人がけっこう出雲にやって来る。その中から帆船の操船技術を持つ者を採用し、調練の監督にスカウトした。富田丸の船乗りを育てたし白鹿丸も同じように調練を重ねてきた。
湯原春綱の顔は紅潮している。命令を下した後、緊張をほぐすように大きく深呼吸した。
「宇賀島衆、潮の流れと風向きはどうなっている」
艦長の問いにそばに控える男が返答した。
「あと半刻ほどで潮止まりでございます。風はまだ陸風、お味方有利。しかし潮と同じく半刻過ぎれば風向きが変わり、我らは風下となり不利にございます」
「うむ、では概ね予想通りの展開になっておるな。大友が早くやってきてくれて嬉しいかぎりじゃ。では行くぞ、アカ二号前進」
白鹿の左に位置した朱印船だけが前に進み始めた。
辰の刻の終わり(午前八時頃)、日ノ本初の南蛮船同士の戦いである門司城沖海戦が始まった。
門司城に向かって進んできた豊後水軍と南蛮船は眼の前に現れた三隻の見たことのない船の登場に慌てふためいていた。沖の方を航行する南蛮船の船長は三隻の船に近づくにつれ困惑と警戒心が込み上げてきた。あの大きさ、どれほど大砲を抱えているのだろう。信じられない、こんな世界の果ての島国で自分たちが乗る船より大きな船がいる…船長はやがて一つの結論に達した。あれは見かけだおしだ。浮いてるだけが精一杯、脅しにすぎん。あんな大きな船をジパングが作れるわけがない。
沖の方を走る南蛮船がズイッと前に出る。他の二隻は控えている。風は若干向かい風、こちらが不利。しかし次期に風向きは変わる。
「驚かせようとしても無駄だ。その船もらった!」
ポルトガル人船長は尼子の船に乗り込むつもりだ。アカ二号の左舷に位置取りをしようと動き出す。アカ二号はまっすぐ南蛮船に向かってきた。
「ちっ、勝手なことを。こっちも続くぞ」
陸側の南蛮船の船長も動き出した片方の動きに追随しようと舵をきる。先行する南蛮船は朱印船に向かって砲撃を開始した。囮となっている朱印船の近くに砲撃による水柱が立つ。まだ砲弾が当たる気配はないが油断してはいけない。アカ二号は的を絞らせないように船をジグザグに走らせる。
「生意気な操船しやがって。おいもっと撃て。当たったらそのままぶつけて乗り込むぞ。もっと近づけ!」
南蛮船船長の大きな声が甲板に響く。
若林鎮興は配下の豊後水軍を下がらせた。様子を見るつもりだ。
後ろで待機していた二隻の尼子の船がいっぱいに帆を張った。そして風に乗って前進を始める。
「二隻の間に滑り込む。左舷砲、先行する敵に威嚇射撃。砲撃回数重視。右舷砲精密射撃。後ろの敵船に命中させろ。白鹿が通り抜けたあと続けて敵左舷からアカ一号でとどめを刺せ」
湯原春綱の命令が伝えられ白鹿と朱印船アカ一号はそれぞれの動きを始める。白鹿は直進、アカ一号は面舵を切り進行方向を右に変える。風上の有利はしばらくすると無くなる。その前にケリを付けるべく尼子水軍は作戦行動を開始した。
毛利兵たちは門司城の郭から身を乗り出すようにして(実際に落ちてしまった者も出た)周防灘に浮かぶ尼子の船と大友の南蛮船の戦を見ている。
「おお、行ったぞ。残りは行かんのか」
「数で勝っとるんじゃ。一気に突っ込んでしまえ」
「本家にビビっとるんか。あかんぞ大丈夫か」
「大砲撃たれとるやんけ。当たったら沈むぞ」
毛利兵は今まで散々に叩きのめされた南蛮船を打ち破ってほしい思いと、尼子の船にそれができるのかという疑念が心のなかで葛藤している。儂らは勝てんかった、尼子は勝てるんか。同盟関係にあるとはいえ尼子に遅れを取りたくないという、微妙な自尊心もチラつく。
諸将も同じような心情だが小早川隆景は全く違った。この海戦いかに尼子は勝つのだ、見せてもらおう海の国を目指す尼子の戦を。武者震いをしながら海の戰場を見据える。
先に動いた南蛮船の船長は自船の左に向かってくる大きなガレオン船の動きを見て、こちらを包囲しようとしていると感じ取った。
「ふん、そうはさせるか。さらに面舵、船をつけるのはまだだ。左舷の大砲を打ち続けろ」
後ろから追随してきた南蛮船は味方の動きと尼子の動きを見て焦りを感じた。
「早く走り抜けろ。デカいのに頭を抑えられるぞ」
風下の不利と元から南蛮船どうしの距離がそれなりにあったため、二隻の南蛮船の間はさらに開いていた。
白鹿の船脚が伸びる。舳先に立つ波が高くなる。船は大きい。よって慣性力も大きく、上がった速度はおちることはない。
「両舷大砲、撃てーっ!続けて右舷集中放火。敵艦を仕留めろ。無駄撃ちを減らせ!」
割り込んだ白鹿の左右の大砲が一斉に火を吹く。アカ二号に向かっていた南蛮船は突然の砲撃に怯み、舵を失い沖へと流れていく。右舷の大砲は引き続き弾を放つ準備に入る。二十一門の大砲は四分ほど(義久の時間感覚)で再装填をされ二度目の砲撃を行った。一度目の砲撃を受けた南蛮船は五発の砲弾を喰らい、船体に穴が空き浸水が始まっていた。狙いすました二度目の砲撃でさらに十発以上の直撃を受けた南蛮船は火に包まれ沈み始めた。そこに朱印船がやってきてトドメの砲撃を行った。
囮に釣り出された南蛮船の船長と乗組員たちは、僚艦が火に包まれるのを見て逃げることを決めた。豊後に戻るため船を回頭させる。しかし風の変わり目で無風に近い。上手く方向転換ができない。囮の朱印船も動きが鈍く、南蛮船に攻撃をかけることはできない。
「早くしろ、デカいのが来る前にここから離れるんだ!」
船長は恐れのため判断を誤った。回頭して南に向かうのではなくそのまま北に向かうべきだったのだ。時間が経てば風が変わり追い風になる。囮の船と挟み撃ちになると思ったのだろうが、ろくに回頭もできないのに南に向かうのは悪手だ。動くことができないまま時間だけが過ぎていく。
火災を起こし沈み始めた南蛮船を見て若林鎮興は豊後水軍に撤退命令を出した。あの尼子の船に勝つ策を今は思いつけない。ならば逃げるのみ。豊後水軍は素早く撤退を始めた。風が変わる前にこの水域から離れるのだ。
「南蛮船を持たねばならんのか⋯今のままでは海では勝てぬ」
若林鎮興は厳しい表情を浮かべながら豊後に戻っていった。
燃えている南蛮船を見た毛利兵たちは一斉に歓声を上げる。あいつにどれだけ苦しめられたか、死すら覚悟し心を律し抜いた鬱憤が弾ける。
「やったー!ざまあみろ。皆溺れてしまえ。南蛮ごときが大きい顔をするんじゃねー」
まるで自分たちが南蛮船を叩き潰したかのようだ。
諸将も同じく興奮と感嘆を隠してはいない。その中、小早川隆景のもとに近習が知らせを持ってきた。
「尼子の使者と申すものが参っております」
「なんだと、すぐに通せ」
やってきた尼子の使者は隆景の下に跪き、主からの用向きを伝える。
「尼子水軍、瀬戸内宇賀島衆にございます。主の命をうけ毛利総大将殿にお伝えいたしたき事がございまする」
「うむ、そちの主は誰じゃ」
「尼子九州攻め方総大将、尼子伯耆守倫久様にございます」
尼子倫久、たしか義久殿の弟。今年元服し伯耆守を名乗っているのか。弟殿が総大将か⋯隆景は頷いて用向きを聞いた。
「豊後水軍を退かせた後、尼子水軍は門司城下に陣を敷く大友軍に対して砲撃を行います。城方も打って出られるはず。よって砲撃を止める合図を船に送るべく罷り越した次第でございます。その時になれば某にお知らせくださいませ」
なんと、今度はこちらが大砲の弾を大友に打ち込むことができるのか。面白い!!!
「軍議を行います。直ぐに諸将を集めよ!」
隆景の顔はいつもの冷徹な表情に戻った。
「宇賀島衆殿、では後ほどよろしく頼む」
「はっ」
踵を返し軍議に向かう小早川隆景の目は不敵な光を放っていた。