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偽典尼子軍記  作者: 卦位
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第107話 1558年(永禄元年)7月 豊前、周防、安芸、来島

 突如として現れた豊後水軍に完膚なきまで打ちのめされ、なんとか帰ってきた児玉就方は小早川隆景に戦の顛末を報告した。そしてその報告が終わる頃、大友軍二万が門司城の南に現れた。

「来おったか」

 小早川隆景は門司城の南に陣を敷き始めた大友軍を見る。大友軍に仕掛ける素振りはない。毛利軍も城に籠もり打って出ることはない。静かな睨み合いが始まった。

 児玉が率いる軍と城に詰めた軍で大友を挟撃し一気に南下、香春岳城(かわらだけじょう)を落とす算段であったが、見事に初手からひっくり返された隆景は再び戦略の練り直しを始めた。

「戦とは難しいの」

 兵の渡海、兵糧の運び込みは済んでいる。しかしこのまま海を抑えられたままなら、いずれ兵糧問題が発生する。

 そして南蛮船。これがいかほどのものなのか、隆景にはまだ見えなかった。


 大友が布陣して二日後。動きがあったのは海だ。赤間関に豊後水軍が現れた。大友は徹底的に毛利水軍を叩くつもりだ。そうであろう、自らの長所を最大限に発揮させる動きをするに決まっている。

 赤間関にとどまる因島村上水軍に狙いを定め、南蛮船が大砲を撃ち鉄砲玉を撃ち込んでくる。やはり村上衆は南蛮船に対して有効打を放つことができず、ジリジリと押し込まれる。さしたる戦いもできず村上水軍は因島に帰っていった。

 毛利は制海権を完全に失った。村上水軍が逃げていく様を、毛利軍は断腸の思いで見ていることしか出来なかった。満足したように南蛮船と豊後水軍は戻っていく。去りゆく船影は語っていた。

「次はお前たちだ」


 大友義鎮は門司城を睨みながら次の一手を何とするか考えていた。

「一度豊後に戻りトーレス殿を交えて話を詰めねばならんか。南蛮船がしかと働けねば宝の持ち腐れになってしまうわ。ならばその間に出来ることをするまでだな」

 吉岡長増に指揮権を預け大友義鎮は府内城に戻っていった。

 府内に戻るとガレー船が多数湊に停泊していた。その内の何艘から南蛮船への補給物資が陸揚げされていた。コスメ・デ・トーレスは積極的に大友対毛利の戦争に加担していた。府内城にてトーレスと南蛮船船長たちの打ち合わせが始まる。これはもう軍議だ。

「南蛮船の大砲を使って門司城の攻略を行いたい」

 門司城とその近辺を描いた絵図を広げ大友義鎮は説明する。通訳を介しながら、トーレスも言葉を口にしながら船長たちとの議論は続く。南蛮船の船長がここまでイエズス会宣教師の言うことを素直に聞くとは。両者の間でどんな取り決めが行われたのだろう。そしてそれに大友はどこまで関与しているのだろう。

 大友義鎮は自身がキリスト教に帰依することで南蛮の力を使い豊後にキリスト教の国を作ろうとしていた。武家の権力が及ばない仏教勢力を排除し、纏まりに欠ける家中を毛利に対する勝利で統制し、その立役者として南蛮船を担ぐ。これによって家中、領内のキリスト教化を進めることが大友義鎮の対毛利戦争の目的だ。勿論九州から毛利の影響力を完全に無くすことも大事な目的である。義鎮自身は大いにキリスト教の教義に感銘している。それに南蛮交易は利が大きい。今後更に交易を拡大しようとするならイエズス会、そしてポルトガルとの付き合いも考えていかねばならい。大友義鎮は日の本だけでなく海の向こうの国々と付き合っていかなければならないということを、本能的に感じ取っていたのだ。

 これに対してイエズス会、そしてコスメ・デ・トーレスは全面的な賛意を示し大友をバックアップすると決めた。勿論ポルトガル商人たちも大喜びだ。戦争が拡大すれば難民が増え、奴隷を集めやすくなる。マニラに続き日の本にもポルトガル人の居住地を得ることが出来ればポルトガル国家としても大成功だ。大友・毛利戦争は知らないうちに大航海時代の末席に日の本が参加する道筋を作っていた。いや、もう参加しているのかもしれない。


 次の日。豊後水軍が府内の湊から出航する。大友義鎮の対毛利戦の第二弾が放たれた。

 大内輝弘。ん?誰だ。大内輝弘(おおうちてるひろ)は大内義興の弟である大内高弘の子である。大内高弘は大友親治(大友義鎮の曽祖父)の誘いに乗り、大内重臣杉武明と謀って義興に謀反を起こしたが、失敗して豊後国に亡命していた。その子である大内輝弘は大寧寺の変で討たれた大内氏第十六代当主、大内義隆の従兄弟である。

 いわば大内家の血筋を真に引いている大内の遺児。いや大内の亡霊か。

 大友義鎮この男を大将とし兵二千五百を与え、毛利が支配した周防国に送り込んできたのだ。輝弘の輝は足利義輝からの偏諱だ。(義輝は尼子と懇意になる前は大友からの資金援助に随分助けられていた)将軍が認めた大内の正当なる血統は大友の策略の一端を担い、周防秋穂(すおうあいお)中道(ちゅうどう)の浜に上陸したのだ。

 七月十六日の大内輝弘の上陸は直ぐに知れ渡り、大内遺臣らは我先にと輝弘のもとに馳せ参じた。あれよあれよと言う間に軍勢は増え、総勢八千を超えた。

「輝弘殿ご武運を」

「若林殿。かたじけない。必ずや大内を取り戻してみせましょう」

 若林鎮興は豊後水軍に出発の合図を出した。水軍は府内湊に戻っていく。次の作戦に参加するためだ。

「よし山口に向かって進軍じゃ!毛利狐の肝を食い破るぞ!!」

 意気揚々と大内軍は山口に向かって進軍を始めた。七月十八日。さしたる抵抗も受けず山口に入り、龍福寺と築山館に本営を構えた。すぐ先の高嶺城(こうのみねじょう)に守備兵と周りの毛利方の武士たちが集まり籠城を始めた。高嶺城城主、市川経好(いちかわつねよし)は門司城にいたのでその妻である市川局が甲冑を着込み、急遽城代として籠城戦の先頭に立った。

 大内軍は高嶺城を攻め立てるが市川局を始め毛利方武将の士気は高く城はなかなか落ちなかった。


 同じく七月十八日に毛利隆元は吉田郡山城で大内軍の山口占拠の報告を受けた。

「なんじゃと、誰じゃ。大内輝弘とは何者じゃ!」

 報告を受けた隆元は当主の矜持が膨らんでいくと同時に、激しい怒りを覚えた。

(なにが大内じゃ。大友の影にこそこそ隠れておきながら今頃になって何しに出てきたんじゃ。ただ大友に使われてるだけじゃろうが。お館様の大内を語る資格が貴様にあるんか!!)

 今でこそ言わなくなったが隆元は多感な青年期を過ごした山口を愛しているし、大内義隆を尊敬している。絢爛豪華な大内を自分が復活させることが隆元の武将としての出発点なのだ。

 故に輝弘の挙兵は我慢がならない。貴様などにお館様の大内を穢されてたまるか!!!

「直ぐに大殿を呼んで参れ。それと硯を持て。来島に書状をだす。早舟を準備せい。河野通宣と河野通直も呼べばすぐに来れるよう待機させるんじゃ」

 怒りを全面に撒き散らしている当主の気勢に押され、近習は大急ぎで部屋を出ていく。これほどの当主を見るのは初めてではないか。近習は胸がたかぶる。

「大殿、直ぐに兵を集め山口にやってきた大内輝弘を討ち滅ぼしてください。儂は門司城へ救援に向かいます。長門にいる内藤隆春殿とも連絡を取り合って早急に反乱軍を鎮圧してください」

「どうやって門司に行くんじゃ。水軍はやられてしもうとるぞ」

「来島村上がおりますけ」

「…一条家が迫っておるのに船を出せんじゃろう」

「そこを出させます。河野を使って」

「そうか…うむ、分かった。兵はなんとかして集めよう。直ぐに山口に向かう」

「よろしくお願いします…父上」

「当主の命に従うは隠居の義務じゃ。任せておれ」

 そう言って毛利元就は当主の間を出ていった。

「よし、河野通宣殿と河野通直殿をお呼びせよ」

 続いて隆元は保護している河野家当主と隠居の二人を呼び己の意思を伝える。二人は頷き隆元と共に来島城に向かうこととなる。


 来島城に着いた隆元は来島村上水軍衆に門司城防衛戦の参加を要請した。

 能島、因島の村上勢が大敗したのは当然来島村上も知っている。大将の村上通康(むらかみみちやす)は隆元の要請に難色を示した。殆ど拒否と言っても過言ではない。

「このまま島に籠もっていても、一条が攻めてきたらどうしようもないじゃろう。毛利が大友を退ければ、来島に援軍を送ることも出来る。毛利が早いか一条が攻めてくるのが早いかどっちかじゃ」

 隆元は告げる。

「しかし城を空けては、それこそ一条が攻めてくるではないか。そんな事はできん」

 村上通康の懸念は最もだ。そして河野通宣が声を上げる。

「村上殿。儂と父上が来島に残る。必ず島を守ってみせる。どうか毛利殿に助力をしてくれんか。このとおりだ」

 そう言って河野通宣は頭を下げた。

「儂からもよろしく頼む」

 河野通直も続いて頭を下げる。毛利の助力なくして二人が湯築城に戻ることは出来ないのだ。故に毛利が伊予に攻め込めるようにするために何でもする、命も当たり前に投げ出す覚悟であった。来島村上氏はいろいろあって今や河野氏の重臣であり、当主と前当主が揃って頭を下げてくると簡単に拒むわけにはいかなかった。一条氏の侵攻を抑えることも出来ず、湯築城を占領されたことに対しての申し訳なさもあった。

「もし来島城が落とされても必ず毛利が奪い返す。儂が約束する」

 隆元も押しをかける。この物言いもよく考えれば恐ろしく非情だ。河野に死ねと言っているのだから。

「分かりもした。船を出しましょう」

 三人の圧に負けて村上通康は来島水軍衆に出陣の準備を指示した。河野通宣と河野通直を来島城に残し、毛利隆元は水軍衆より先に吉田郡山城に戻る。来島城に来る前に尼子に使者を送った。もう返答は帰ってきてるだろう。義弟よ、力を貸せ。お主も博多に来たいじゃろ。

 必ず尼子は助力する。確信を持ちながら隆元は吉田に戻るため船に乗った。






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