第102話 1557年(弘治三年)4月から5月 安芸、肥前
出雲から戻った隆景から報告を聞いた毛利家当主、毛利隆元は満足な表情を浮かべた。
周防、長門の統治も軌道に乗ってきた。陶残党の粛清もほぼ終わり、後は善政を敷き如何に民を従えるか。簡単ではないがやり甲斐がある。戦は基本的に元春、隆景に任せておけばよい。隆元は領国経営について思案を深めていた。
「殿、続いて某よりご報告があります。出雲守殿より親書を預かってまいりました」
安国寺恵瓊の言葉に隆元の顔が一変する。
「なんじゃと。早く出さんか!」
恵瓊は含み笑いをしながら親書を取り出し近習にわたす。ひったくるように書状を受け取った隆元は真剣な眼差しで読み続け、最後の方になって笑い顔を浮かべた。
「確かにそうじゃ。義弟殿とは馬が合うのう。恵瓊、この話進めよ」
「はっ」
尼子、毛利の当主会談が決まった。義久が吉田郡山城を訪れる。そしてその後、隆元が八雲城に赴くのだ。
毛利元就は吉田郡山城の政務室で書状に花押を書き込んでいる。隆元に家督を譲りはしたものの後見として実質的に毛利家を仕切ってきた。しかし周防、長門平定戦の頃から隆元の指導力がうなぎ上りに強まっていくのを感じていた。
「おじじさま、まつりことですか」
襖をあけて孫がはいってきた。嫡孫も数えで五歳、すくすくと育っている。かわいいのう。
「そうじゃ。幸鶴丸どうした」
廊下をパタパタ走る音が大きくなる。
「大御所様、申し訳ございません。幸鶴丸様、ささこちらへ。大御所様の邪魔をしてはなりませぬ」
乳母が慌てて幸鶴丸を連れて行こうとするが幸鶴丸は元就の胡座の上に座り込んてしまった。
「わしはおじじさまのてつだいをしにきたんじゃ。いねはもどっておれ。まつりのじゃまじゃ」
「ま、ひどい。そのような意地悪な物言いはだめでございますよ。さ、さこちらへ」
嫌だとごねる孫を見て元就は乳母に声をかける。
「いね、儂もちょうど休もうと思っていたとこじゃ。置いておけ。此奴の気が済めば儂が連れて行くわ」
「分かりました。幸鶴丸様あまり長く居ては駄目ですよ」
そう言って乳母は部屋を出ていった。
「おじじさま、なんのまつりをしているのですか」
「うむ、上がってきた書状に花押を書き込んでいるのじゃ」
「かおう?」
「そうじゃ。ご当主様、これこれをするので許してくだされと書いてあるので、許すと花押を書くのじゃ」
暫く元就が花押を書いていると幸鶴丸が話しだした。
「おじじさま、こうつるまるもかきまする」
「はっはっ、幸鶴丸はまだ無理じゃ。当主ではないからのう」
うーんと首を左右に振りながら幸鶴丸は口を尖らせていたが、何かに思い当たったようだ。
「おじじさまはとうしゅではないのにかくのですか?とうしゅはちちうえです。ならこうつるまるがかいてもいいではないでしゅか。こうつるまるはちゃくなんです。もうりのとうしゅになるからかけましゅ」
孫の抗議を受けて元就は破顔する。なんと賢き童じゃ。うれしいのう。
「おじじさま、じもかけまする。かおうもかけましゅる」
幸鶴丸の攻勢は止まらない。これはどうしたものかと考えるが直ぐに妙案が浮かばない。困った、困ったと思っていると援軍がやって来た。
「幸鶴丸、ここにおったか。おじじに遊んでもらっているのか」
「ちちうえ、かおうをかきまする」
「うむそうか、だがのう、今日はちょっと無理じゃ。おじじは今から父と話をせねばならんけんのう」
「うー」
「今日は戻って読み書きの習練をせよ」
「はい、わかりました。ではしちゅれいします」
「いねー。幸鶴丸をつれていくがよい」
「はい、ただちに」
幸鶴丸は名残惜しそうに振り向きながら部屋を出ていった。元就はなんとか孫の攻勢を凌ぐことが出来た。
「では、父上」
そう言って元就に正対した隆元は大友戦の準備状況を伝え、尼子との協力内容について報告した。そして新たに義久から提案された当主の相互訪問と会談について自分の見解を述べた。
「しかし大友との戦を控えた大事な時期に当主同士が国を行き来するなど、尋常ではないな。準備に綻びがでないか心配になるのう」
「なので父上の出番であります。儂が義弟と話し合うときは父上が儂の名代として、しっかり領内を纏めていけばなんの問題もないでしょう」
「…儂はいい加減、隠居したいんじゃが」
「何を仰っているのですか!隠居などもってのほか。大友、そしてその先の九州の大名たちと覇を争うことになるのは必定。やることは山ほどあるのです。隠居などしている場合ではありませんぞ。尼子晴久殿も家督を譲ったあと、京に出張って幕府の政事を休むまもなく行っているではありませんか。晴久殿にできて父上ができぬ理由がありません。隠居は絶対認めません!!」
「い、いや、晴久は儂より若いじゃろう」
「子は未だに作っておるのに、そんなところで年寄りぶってはなりませんぞ!全くいつまで子作りなされるつもりなのですか。そんな元気があればもっと領内の問題に…」
右から左に隆元の癇癪を聞き流しながら元就は考える。こやつ当主の自覚が出来てきたと思ったら、今度は口うるさくなりおった。こうなると話が長い!誰に似たんじゃ。(元就に似たのだ。大長文の文を送りつけるのは元就の十八番だ)
如何に隠居を認めさせるか、もしくは仕事の量をへらすか。高速で頭を動かす元就。謀神の頭脳は直ぐに答えを見つけた。
(鍵はお通と義久じゃ。孫ができれば大手を振って出雲に行くことができる。婚儀にも行っとるしの。孫を見に行くといえば隆元とてむやみに反対はできん。いや、したとしても強行突破すればよい。咎めることは難しいからのう。よし、婿殿が吉田に来た時しっかりと釘を刺さねばならん)
うんうんと隆元の小言に頷きながら、如何に義久に圧をかけようか思案を始める元就であった。
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安国寺恵瓊は肥前の勢福寺城にやって来た。城の主、少弐冬尚に会うために。恵瓊は隆元に報告をしたあと出雲ではなく肥前に向かったのだ。出雲へは角都が向かう。
毛利は数年前、陶晴賢と雌雄を決しようとしたとき少弐氏に使いを出し、陶の後方を撹乱する目的で蜂起を促した事がある。此度はそれとは事情がだいぶ異なる。今、少弐氏は家臣であった龍造寺家に勢力を奪われ主従が逆転し滅ぼされようとしていた。少弐家は宿敵の大内氏で大寧寺の変がおこり、その後大内を掌握した陶晴賢が滅んだにもかかわらず、豊前に返り咲くことはできず肥前においても勢力を拡大することは出来なかった。家格で言えば九州で最も高いと言ってもいいのだが、龍造寺の猛攻を止めることはできない。よって大友宗麟に助力を求めているのだが…
毛利の動静に神経をとがらせる大友にとって少弐氏は二の次。龍造寺の勢いは気にはなるが、所詮肥前の一豪族。先ずは対毛利対策が喫緊の課題である。毛利とは十中八九、戦になる。如何にする…肥前は毛利が終わった後ならどうにでもなる。よって少弐冬尚に援軍を送るつもりは全くなかった。
安国寺恵瓊は少弐冬尚と対面し、口を開いた。
「肥前に少弐家が確と残るように、少弐冬尚殿に毛利が合力する用意があるとお伝えに参りました。ご検討いただきたく存じます」
冬尚の家臣、江上武種は一体何を言っているのだという顔をしていた。そしてその通りの言葉を恵瓊に投げつけた。
「使僧殿はご自身が何を言っておられるのか分かっているのか?毛利が肥前にやってくるなど世迷言も甚だしい。昔の好みで会っては見たものの全く持って時間の無駄。早々に立ち去られよ。殿、もう良いでしょう。ささ、中へ」
「毛利は大友を退けます。そうなった後では遅いのですよ」
恵瓊は涼し気な顔で言葉を繋いだ。
「馬鹿馬鹿しい。毛利と大友が戦を始めようとしているのは知っております。しかし始まってもいないのに既に勝ったつもりとは…大内を滅ぼして少々天狗になっているのではありませんかな。今我らが大友の助力を欲しているのはご存知のはず。何がしたいのですか、毛利殿は」
「毛利はただ少弐冬尚殿にご助力したいと思っているだけにございます」
…しばしの静寂後、江上武種は口を開いた。
「使僧殿はお帰りになられる。丁重にお見送りせよ」
そう言って少弐冬尚を促しながら主君の後をついて少弐家家人たちは部屋を出ていった。
勢福寺城を後にしながら安国寺恵瓊は帰っていく。目的は達した。会って毛利の意向を伝えること。はなから相手にさせるとは思っていない。だが次に会うときはどうかな。
恵瓊には額を板間にこすりつけ援助を乞う少弐冬尚の姿が浮かんだ。同時に江上武種も土下座をしている。権威しかない名家は潰れるだけ。そのことを知らない者共は腐る程いる。
さて次に勢福寺城に来るのはいつかな?来年のうちには来ることになるだろうな、などと考えながら恵瓊は歩みを早めた。早く帰らなければ安芸と出雲で行われる、間違いなく日の本に衝撃を与える出来事を見損ねてしまう。自然と笑みがこぼれる。小躍りする胸をなだめながら恵瓊は安芸を目指した。