第100話 1557年(弘治三年)3月 北伊勢、出雲、摂津
六角義賢は弘治三年三月、北伊勢への侵攻を開始した。去年の六月、北伊勢の千種城を攻め千種氏を屈服させた六角は本格的に北伊勢を所領に組み込むべく動き出した。北伊勢は北勢四十八家と呼ばれる豪族たちが勢力を持っているが、棟梁格である千種氏は六角に組み込まれた。延暦寺の力を吸収し国内の統治体制を一新した六角氏は自信を持って北伊勢になだれ込んできた。その証の一つが三月(新暦の4月)という侵攻時期だ。田植え真っ盛りの時期に大規模な軍勢を動かすのは難しいはず。それを行えるほど六角は地力がついたのだ。そしてもちろん北勢四十八家の豪族たちにそのような余裕はない。
沼木氏の柿城を囲み援軍に来た神戸利盛を一蹴し柿城を落とした。そして神戸城に進み城は落城。神戸氏は六角氏の配下になった。神戸利盛を隠居させ弟の神戸具盛を還俗させ当主に据え、蒲生定秀の娘を妻に送った。
また平清盛を祖に持つ伊勢の有力国人で亀山城城主、関盛信も同じく蒲生定秀の娘を娶り六角に従った。
ここに亀山、鈴鹿以北は六角の所領となり南には長野氏、北畠氏が残る。
この六角の戦で存在感を増したのが浅井氏だ。遠藤直経率いる浅井軍は六角義賢の指示に従い北伊勢戦において先鋒を勤め、特に援軍の神戸利盛をほぼ独力で打ち破り神戸城攻略の道筋を開いた。
大将の遠藤直経に影のように従う武将がいる。吾郷伊賀守勝久。尼子から派遣された浅井軍の軍監だ。勿論六角にはその正体は明かしてはいない。
「喜右衛門殿(遠藤直経)、兵の様子は如何ですか」
神戸城攻略戦を終えて吾郷勝久が声をかける。
「なかなか疲れておるな。だが顔付きはいいぞ」
「わかり申した。では休息をしっかりとらせますか」
「うむ。今回の戦はもう終わりだろう。次は…北畠か?」
「その可能性が高うございますな」
尼子の支援を受けてさり気なく軍を強化している浅井は、今回の戦を絶好の実戦訓練と捉えた。奇しくも先鋒を任され(使い潰し扱いだ)思う存分戦った。少々目立ちすぎたかもしれない。
一方、公家から戦国大名化した北畠氏も長年の敵である長野氏を傘下に収めた。結果六角と北畠は領国が地続きとなる。お互いに緊張が高まっていく。
この年の三月、河内守護である畠山高政とその臣下の安見宗房の間に不和が生じ両者は対立し、畠山高政は紀伊に出奔することになる。これを好機と見た三好長慶は河内国に侵攻。安見宗房を取り込み河内国を領国とする。かつての管領家も今や落ちぶれ家臣に実権を奪われ己の国は他国の領地と化した。
三好長慶の勢力圏は摂津を中心にして山城・丹波・阿波・淡路・河内・讃岐・播磨に及び自他ともに認める畿内最大勢力となった。更に長慶は大和、伊勢に食指を伸ばしていく。
三好と六角。両者の背中を押すのは尼子の存在だ。将軍を自領に招き天下に室町幕府の一等功臣として名を馳せ、京の治安を正し民百姓を慰撫する。実際に京に流れ込む小浜からの物資は右肩上がりに増加し京の支えの一つになっている。京において民百姓からの人気は尼子が一番高い。公家も尼子が持ち込む反物、漆器を始めとする高級品を競って買い求める。寺社からは一番警戒されているが。
出雲国の八雲城に毛利からの使者が入った。尼子と合力し中国地方の大内領を制した毛利は尼子と友好関係を発展させている。尼子も毛利との盟約を尊重し引き続きお互いの発展のため動いている。戦国時代において考えられない水準で両国の経済、政治、軍事関係が緊密化していた。
使者の安国寺恵瓊は毛利家当主、毛利隆元からの親書を牛尾遠江守幸清に渡した。尼子晴久は山城国の将軍山城におり、尼子義久は若狭、山城、近江を飛び回っており、捕まえるのが大変だが牛尾幸清は告げた。
「必ずや御屋形様にこの親書は届けさせていただきます。届けばすぐにでも八雲に戻られるでしょう。使者殿はどうされますか」
「八雲にて出雲守さまをお待ちせよと主に言いつけられております」
「わかりました。では宿舎にご案内いたします」
牛尾幸清の後を続きながら安国寺恵瓊は考える。
(さーて。今日は本町、中町、扇町と回って最近代官町に出来たという猪のカツとやらを振舞う『いのき』に行くとするか!明日はにぎり寿司という物を食べに『若竹』だ。次は…)
安国寺恵瓊は毛利隆元より受けた任務がもう一つあった。八雲城下の食べ物屋を調べることだ。
(戦は元春殿や隆景殿に任せておけばよいが食べ物屋はなー。とてもじゃないけど任すわけにはいかないよ。しっかり調べて殿に報告しないとね)
こちらの仕事が本命のようだ。
摂津の滝山城にて大和侵攻の準備を進める松永久秀。城内を一回りしたあと政務を行う部屋に戻ろうと廊下を歩いていた。
「松永弾正様」
突然庭の暗がりから久秀を呼ぶ声がする。
「何奴!」
近習が素早く久秀を守る体制をとる。
「まて」
久秀はそう言うと近習をどかせて廊下の端まで歩みを進めた。
「乱破、何処の手の者だ」
「近江六角様より副管領様に届ける文をお持ちしました」
「ほう…管領代様か」
「副管領様の前に弾正様にご覧になっていただきたいとの言付けも賜っております」
「儂に先に見ろと…持ってまいれ」
進み出た近習に文が渡りそして久秀の手に移った。拡げた書状を目で追いながら最後まで読み切った久秀は書状を懐に収めながら乱破に告げる。
「仔細承知つかまつったと管領代様に伝えよ。ご苦労であった」
目配せされた近習は銭の入った袋を投げる。それを拾い乱破は音もたてずに姿を消した。
(管領代殿は勢いがあるのう。それに乗るのも一興か…)
「直ぐに飯盛山城に向かう。支度をせよ」
「はっ!」
さて、主はどのような判断を下すかな。考えながら久秀は準備に取り掛かった。




