1.通称悪役王女様は、予想外の幸せを手に入れる
王族仕様の揺れの少ない馬車に乗って、流れゆく祖国の景色を眺めているヴァイオレット王女の胸中は。
ただただ、後悔と失意の念だけが渦巻いていた。
「怒っていらっしゃいますか? ヴァイオレット王女」
「……愚問ですわ、アルジェンティ王子。王族の婚姻に、個人的な感情は関係ありませんもの」
それでも、彼女はどうしても祖国に、エークエス王国に残りたかった。いや、残らなければならなかった。
大切な大切な妹を、蹴落としてでも。
(……それができなかった時点で、私も王族として失格なのでしょうね)
祖国を守るために、誰に嫌われてでも残れと。そう教えてくれたのは、彼女の伯母だった。
魔力持ちは忌避される。その見た目は、騎士たちの好みからは完全に外れている。
それでも、残れと。国のために、王族として尽くせと。
ヴァイオレット王女に、自らの存在の意味を示してくれたのは。父である国王の姉、その人だけだったのだ。
「……古い壁は、いつ限界を迎えるかも知れない状態でした」
「っ……。なんの、ことでしょうか?」
一瞬、動揺を見せたけれど。すぐにそれを隠して、知らないふりをする。
彼女はそのことを、伯母以外の誰にも話したことはなかったのだ。知られているとは、露ほども思っていない。
だが。
「魔力を、お持ちなのだと。お父上であるエークエスの国王陛下より、お聞きしました」
「っ……! ……そう、ですか」
そうとしか、言えなかった。
考えてみれば、どうして魔法を毛嫌いしている父王が、この婚姻を承諾したのか。
その理由は、不要だと考えている魔法障壁の撤去と。魔力持ちの王女を嫁がせても、問題なく対処できる国が同じだったからに他ならないのだと。
今この時に、ヴァイオレット王女は初めて気がついた。
「ご安心ください。我が国では、魔力持ちであることのほうが普通ですから」
「そうですわね」
魔法使いの国と呼ばれるマギカーエ王国ならば、確かにそれが当然のことだろう。
だからもう、魔力持ちであることを隠さなくてもいいのだと。暗に言われているのだということは、理解できた。
「新しい壁の設置は断られてしまいましたが、万が一の場合には我が国も加勢いたします」
「……理由が、ありませんわ」
それもありがたい申し出だが、おそらく断られてしまうだろう。
そう思いはするけれど、せめて民だけは救ってほしいというその願望だけは、彼女も捨てきれなかった。
その思いに、アルジェンティ王子は気づいているのだろう。
ヴァイオレット王女が、自国の男性からは決して向けられることのなかった、優しい笑顔で。
「私に嫁いできてくださる方の、故郷ですから。それだけで、十分な理由になります」
そんな風に、告げるのだ。
「っ……」
一瞬、ヴァイオレット王女は息ができなくなってしまう。
今まで自分に笑顔を向けてくれた存在は、妹のプルプラ王女しかいなかった彼女にとって。アルジェンティ王子は、あまりにも異質で。
そして同時に、優しすぎた。
「……後悔、していらっしゃいませんか?」
だから、聞きたくなってしまったのだ。優しい彼の、本心を。
勝手に傷ついてしまう、その前に。
「なにを、でしょうか?」
「私のような、可愛げのない女と婚約したことを」
祖国では、女性としては見れないとまで、陰で囁かれていた。そのことは、彼女もよく知っている。
エークエス王国においては、プルプラ王女のような女性こそが、理想とされているのだ。ヴァイオレット王女は、明らかに騎士たちの好みには当てはまらない。
他国からの使者たちも、王女に対して失礼がないようにと。綺麗だなんだと、お世辞ばかり口にしていた。
本気でそう思っている彼女は、だからこそ至極真面目に問いかけたのだが。
「まさか! 大変お美しいと評判のヴァイオレット王女との婚姻を、第三王子である私が許されるなど。夢のようですよ」
「…………はい……?」
言葉通り、夢見心地に近い表情で返ってきたそれらを。彼女は、すぐに理解することができなかった。
それもそのはずだろう。今までずっと、自らを女性としての価値がない存在だと決めつけて、彼女は十八年間過ごしてきたのだから。
しかし。
「エークエス王国の男性の好みは、存じております。ですがそれは、他国においても同じとは限らないのです」
「……そう、なのですか?」
あまりにも真剣な表情のアルジェンティ王子の言葉に、ヴァイオレット王女の中で初めて、価値観の変化が訪れようとしていた。
それは、今まで否定され続けてきた自らの容姿への、救済のようでもあって。
「今後ヴァイオレット王女は、我が国における女性たちの、憧れの的となることでしょう」
「まさか!」
「ふふ。きっとすぐに証明されますよ。そして私も他国の王子たちから、羨望の眼差しを向けられることになるでしょうね」
あまりにも信じ難い言葉ではあったが、優しい瞳の奥に嘘は見当たらず。
それどころか。
「ヴァイオレット王女」
「な、なんでしょうか?」
向けられる視線は、まるで騎士たちがプルプラ王女に向けていたような、甘く熱いもの。
その意味が分からないほど、彼女も子供ではなかった。
「この婚姻は、私が心から望んだもの。今までの言葉は、あなたに恋をしてしまった愚かな男の戯言と思って、流していただいても構いません」
「なっ……!?」
「ですがどうか、あなたを思う私のこの心だけは、信じていただけませんか?」
なによりも、誠実で真っ直ぐな言葉たちが。
恋や愛というものに希望を持てなくなっていた、ヴァイオレット王女の心の氷を。ゆっくりと、溶かしていく。
「愛しています、ヴァイオレット王女。どうか、私と夫婦になっていただけませんか?」
「ぁっ……。は、はい……」
差し出された手に、その手を重ねた彼女の頬は。生まれて初めてのときめきに、赤く染まっていた。
その姿を見て、微笑むアルジェンティ王子と。ここから少しずつ変わり始めていく、ヴァイオレット王女は。
やがて相思相愛の夫婦となり、マギカーエ王国内だけではなく、他国にまでその仲の良さが伝えられることとなるのだが。
別の次元で、通称悪役王女様などと呼ばれていた、ヴァイオレット王女が。国を出て、予想外の幸せを手に入れることになるなど。
その次元の人々だけでなく、彼女の祖国であるエークエス王国の人々ですら、誰も予見することなど不可能な結末だっただろう。
同人乙女ゲームの中での、ヴァイオレット王女のその後、でした。