53.推しと、結婚……?
「ご不満、ですか?」
悲しそうな顔をして聞いてくる彼に、首を横に振ることで答えるけど。
正直心の中は、それどころではなかった。
思わず俯いて、自分の世界に入り込んでしまうくらいには。
(だって、え……。推しと、結婚……?)
二次元の推しと、偽物の結婚とかでは、なく?
私が、ジェンティーと? 最推しと? 結婚?
そんなの、幸せすぎて……。夢じゃない、よね?
「ま、待ってちょうだい。でも、その……なんで、急に……」
「急ではないですよ。あなたを他の男に渡したくなくて、学者として滞在している間にも、着々と準備を進めていました」
「……え?」
聞こえてきた言葉が信じられなくて、顔を上げて見上げた、その先で。
それはそれは、愛おしそうにこちらを見つめる、ジェンティー改めアルジェンティ王子と、目が合って。
「っ!!」
その瞬間、体中が一気に熱くなって。きっと顔なんて、真っ赤になっていただろう。
でもなぜか、視線を外すことができなくて。
「あ、あのっ……そのっ……」
「ふふっ。可愛いですね」
「!?」
人違いじゃないですよね? と聞くのも、なんだか違う気がするし、失礼だし。そもそも、ヴァイオレットが美人なのは間違いないし。
だから、他国の王族からならば好かれる可能性が高いのも、分かるんだけど。
でも、まさか。可愛い、なんて。
(そっ、そんなこと、生まれて一度も言われたことないっ……!)
美人だと言われるのは、他国の使者からよく聞く言葉だから、慣れているけれど。可愛い、なんて。
その言葉は、プルプラのような女の子にこそ、相応しいと思っていたから。自分がそんなことを言われる日がくるなんて、想像もしていなかった。
「あなたと過ごす日々は、とても楽しくて、幸せで。少しずつあなたに惹かれていった私は、その日々を手放したくないと思ってしまったのです」
「っ……」
そっと耳にかけられる、私の長い紫の髪。
以前にも、こんなやり取りをした覚えが、ある。
「私はしょせん、あなたを手に入れたいと願う、愚かな男たちの中の一人にすぎません」
「そ、そんなことは……」
「この国の外を、ご存じですか? ヴァイオレット様のことが、彼らにどう伝わっているのか」
「それは……」
正確に知ることはできないけれど、使者としてやってきた彼らが、自国で私をどう評しているかの内容ならば。ある程度の予想は、立てられる。
むしろ、この国に生まれたからこそ、自由を満喫できていたのかもしれないと考えると。意外とヴァイオレットは、恵まれていたのかもしれない。
そう、思えてしまうほどに。ヴァイオレットという人物の見た目は、整いすぎていたから。
「この国における、理想の女性像の偏りは、よく理解していますが」
彼はそこで一度、言葉を切って。着ていた上着を脱ぐと。
それを私の肩に、そっとかけてくれた。
「……え?」
「私が、嫌なのです。私以外の男の目に、あなたの肌が必要以上に晒され続けるのは」
「っ……!」
待って待って! その言い方は反則!!
そうは思うものの。口はただ、はくはくと動くだけで。言葉はなに一つ、出てこない。
「私の目にも毒なので、あとで侍女に羽織るものを用意させてくださいね」
「え、っと……」
毒、というのはつまり。この場合は、悪いほうの意味ではなく。
誰かさんたちの狙い通り、悩殺されそうになっている、ということだよね……?
「そのように女性であることを強調しなくとも、ヴァイオレット様は十分すぎるほどに魅力的ですよ」
「ぁぅっ……」
なんだこの人!? 誰だコレ!?
なんかちょっと、私の知ってるジェンティーとは違うんだけど!?
こんな歯の浮くようなセリフを、サラッと言えちゃうような、物語の王子様的性格の人だったの!?
実際に王子様なんだけど! 本物なんだけど!
「なのでどうか、その可愛い姿を見せるのは、私の前でだけにしてくださいね」
いつの間にか、腰に手をまわされ。密着するような形で、耳元で囁かれた言葉に。
私は、ただ。
「は、はぃ……」
消え入りそうな声で、そう答えることしかできなかった。
やっぱり私、こんなジェンティー知らないよ!!